Fantasist 2

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Fantasist 2

                            Green-Blue tales

                              斎木 直樹

     2 迷子の黒猫

「お前、野良か?」
 全身真っ黒で濡れ細った猫は、塀の上から俺を見下ろしていた。少し大きめの濃い
青のガラス玉のような瞳。子猫ではないが、まだ大人になりきってもいない。
「俺んち、来るか?」
と、俺が言うと、黒猫は少し考えるように首を傾けていたが、ひらりと地面に降り立
った。いいよ、ということらしい。
 俺は傘を首で支えてしゃがみ込むと、彼女を抱き上げた。
 彼女、と言ったのは確かめたからではなく、ただそう思ったからだ。猫って、何と
なく女の子のような気がする。
「おわ、冷て。お前、寒かったろ」
 けれど、家に帰ると俺の服はどこも濡れていなかった。それは、私が濡れた感覚を
感じさせていたからよ、とニャーオは言った。ニャーオ?それは何のことだ?
 夢にはありがちなことに、唐突に辺りが真っ暗になった。猫もいない。
「おい、猫。どこだ……猫?」
 一面の闇。誰もいない。誰も、いない。私には。何?
「猫……ニャーオ。ニャーオっ」
 ニャーオは、行ってしまった。という言葉が頭に浮かんだ。
 ニャーオは行ってしまった。行ってしまったんだ。


「ってしまった」
「起きたの?」
 弥生はベットからがばっと身を起こすと、辺りを見回した。不得要領な顔で、側に
立っているみどりを見上げる。みどりは、人間界のものではない、妙な服に着替えて
いた。
「倒れたのよ。ここは客間。さ、エヴ」
と、みどりが顔を向けた先には、一人の少年が立っていた。どちらかといえば色黒の、
黒髪の少年は今にも泣き出しそうな顔を上げて、弥生に謝った。
 弥生はといえば、面食らった顔でみどりと少年の顔を見比べている。さっき、倒れ
る前に見た子だということは判ったが、何に謝られたのかが判らない。しかも、この
少年は日本語をしゃべっていた。
 城に入る前にみどりにもらった、耳に付ける携帯用の翻訳機は大したものだった。
相手がしゃべった言葉の意味を耳からではなく直接頭に伝えてくれ、またこちらの言
っていることの意味も同じように相手の頭に伝えてくれるのだ。テレパシーの応用み
たいなものなのかな、と弥生は思った。しかも、付けていることも忘れてしまうほど
軽い。実は、みどりもあおいも幻想界の言葉はまだ日常会話程度しかできないので普
段は付けたままにしている。
 今まで、妖精が話している言葉は訳の判らない音に聞こえていたが、この子は日本
語でごめんなさい、と言ったような気がした。
「さっきのはね、このエヴ、エヴァンの仕業なの。この子が弥生に強いテレパシーを
送ったから、あんたが卒倒しちゃったのよ」
 ごめんなさい、とエヴァンはもう一度謝った。その眼には、既に涙が浮かんでいる。
弥生は焦って答えた。
「平気だよ。大丈夫――女王様のためにやったんだろ」
 エヴァンが顔を上げると、弥生は彼に頷いてみせた。すると少年は、顔を輝かせて
弥生の両手を握り、部屋から出ていった。エヴの出ていった戸口を見つめて、みどり
は、感謝のしるしよ、と言った。
 弥生はベットに腰かけると、真顔になった。
「どうなってるのか、説明してくれ」
 みどりが、夕暮れた空が映りこんでいる窓の戸を閉めるのを見て、弥生は明かりが
ついていることに初めて気づいた。八畳間ほどの長細い部屋の左側の壁にかかってい
る照明から、青い光が出ている。それだけでも結構明るいのだが、反対側の壁はさす
がに暗い。
 みどりがしゅっ、とろうそくに火を点けた。マッチもなしに。
 弥生は、今更ながらみどりの持つ能力に驚かされていた。テレパシー、テレポーテー
ション、何かの小説で読んだ発火能力。みどりだけじゃない。ここの人たち――妖精
は誰もが皆、こんな夢のような魔力を持っているのだ。
 みどりは椅子に座ると、一息ついて言った。
「一番いいのは、今すぐに帰ることよ。弥生」
「いやだね。ニャーオのことを教えてくれ」
 二人はにらみ合った。
「教えてあげたら?」
 二人が振り返ると、そこにはあおいが立っていた。リィンがふらふらと、いつもの
指定席であるみどりの肩にたどり着く。
「あおい」
 みどりの双子の姉は、本当に楽しそうにくすくすと笑った。
「あのね。弥生君の目、あんたのにそっくりよ。こうと決めたら決して変えたりしな
いわ。粘るだけ無駄」
 みどりは渋い顔をしていたが、しょうがないな、と顔を緩めた。
「じゃあ状況だけは教えてあげる。そうしたら帰ってよ、家の人が心配するから」
 弥生は、頷こうともせずに次の言葉を待っている。みどりは、おまけのようにため
息をつくと、にやっと笑って話し始めた。
「まず、ニャーオは今、こちらの世界ではかなり高い地位の魔女であるということ」
「でもニャーオはまだ、えーと……俺達と同い年ぐらいだろ」
「一つ上よ。弥生は遅生まれだから、二つ上ね。今十八才」
 そうだった。弥生は思い出した。彼女はあの時、偉そうに十四だと言っていた。
「城直属の大魔女といって、魔女の中では長老、そして王室付顧問魔女の次に高い地
位だとされているの。この役職に就きたがっている魔女はいくらでもいる。このこと
を覚えておいて」
 弥生は、威勢良く頷いた。
「次に、一人前となった魔女は、常にその身がどこにあるかを城――王に知らしめて
おく義務がある」
「なぜ」
「ある程度以上の力を持つ者は、さらに多くの力を求めるでしょう。その力が強大な
ほど、悪用されては困る」
「ニャーオを疑ってるのかっ?」
 弥生の真っ赤になった顔をみどりはじっと見つめると、静かに首を振った。みどり
の冷静な顔を見ると、弥生の興奮は一気に冷めた。
 なぜ、あんなに怒ったのだろう。大事なものが傷つけられたような痛みだった。俺
にとってニャーオは、そんなに大切な人だったのだろうか。ならばなぜ、ずっと忘れ
ていたのだろう。
「そう考えられても仕方がない、ということよ。ニャーオほどの地位と力ともなれば、
失踪後五日で今の地位は剥奪され、十日で国外追放」
「そんなきまりまであるのか」
「ニャーオは七日間の休みに、どこに行くとも告げずに姿を消した。当然魔女の里か、
せめて城にいるものだと思っていたのだけれど、どちらにもいない。国外追放の処分
の期日まではあと三日しかない」
 もう既に大魔女としての地位は失っている、とみどりは言下に語った。
「ニャーオがいないことはいつまでも隠し通せはしない。早く連れ戻さなくちゃ」
 そんなきまり、と思ったとき、弥生の記憶の中からニャーオが言った。「きまりな
のよ、弥生」。きりきりという胸の痛み。
 もういやだ。どうしてこうはっきりしないんだ。ニャーオがそう言ったときの表情
や顔の角度、声の調子、その時の俺の感情まではっきりと憶い出せるのに、どういう
状況で言われた台詞なのかはさっぱり判らない。
「さっき、さらわれたって言ったよな。確かなのか」
「ええ。こちらの世界では、葬式は身分の高い人ほど後に行われる。長老なら、十日
よね」
 振り返ったみどりに、あおいは頷いた。
「つまり、四日後にサマンサさん――魔女の長老の葬式が行われる。ニャーオが式に
参加せず、城にもいなければ、すぐにどこにもいないことがばれるわ。それを見越し
て、長老の死亡通知を伝えに来た者がさらっのよ」
「なぜそうだと判るんだ。違う可能性だって」
「魔女の里からの長老の死の知らせはニャーオと城に出され、ニャーオは失踪、城に
は伝わらなかった。それなのに、どちらもその知らせは受け取っているものとして今
日の知らせが来た。誰かが情報を隠匿していたとしか考えられないわ」
 弥生は、決めつけているみどりに逆らおうと、何とか他の理由を探した。
「じゃあさ、操るってのは?記憶を消せるんだから、催眠術みたいに人を操れるんだ
ろう。その最初に知らせに来た人の記憶を操作してさ」
 しかし、みどりはきっぱりと言い返した。
「そんなことをされないために、重大な知らせは魔力の強い魔女が直接知らせること
になっているの。今日の知らせを、犯人は城に知らせたくはなかったはず。そして今
日の知らせよりも、長老の死の知らせの方が重大なのは判るでしょう」
「今日の知らせが伝わるのを妨害できなかった者が、死亡通知を妨害できるわけがな
いってことか」
                               ガード
「その通り。しかも、今日伝達に来たティスの専門は治癒だから、防御壁は余り得意
じゃない」
 防御壁とは、テレパシーによる盗聴や精神関与を防ぐためのものだ。
                     テレパシー サイコキネシス テレポーテーション
 魔力には様々なものが存在するが、主として精神伝達系、念力、空間移動、治癒、
発火能力、遠視系等がある。そして特に精神伝達系の技術は多種多様であり、精神で
会話するいわゆる精神伝達の他に幻覚、結界、防御壁、記憶操作等の精神関与、そし
て稀に同調能力などがある。
「ニャーオが自分の意志でどこかに行ってるってことは」
「それはないわ。絶対に」
「絶対?」
 弥生の不思議そうな顔も見ずに、みどりはどこかを見ている。
「ええ。ニャーオは長老の具合を心配していたし、死を知ったらすぐに里に帰ってい
るはず。それにニャーオは自分から魔女としての地位を捨てたりはしない。たとえ、
彼から逃げるためでも」
 弥生にはまだ疑問に思う点はいくつかあったが、認めざるを得なかった。
「最後に、もう一つだけ教えてくれ」
と、弥生はまじめな声で言った。
「それ、全部みどりが考えたのか?」
 みどりは、偉そうに答えようとしたまま固まっていた。
「あら。そんなことも判らないの、弥生君」
と、あおいが嬉しそうに言うと、弥生はわざとらしく鼻で笑った。
「まさか」
「そりゃあ良かった。あなたの知能程度を疑問に思うところだったわ。こんな単純ば
かに判るわけないでしょう。当然、私が全部考えたのよ」
 リィンが耳元でくすくす笑うのを、みどりはこらえた。
「あんたらねぇ……」
「よし。じゃあ行こうか」
 みどりはほんの少しの間、放心していた。
「だから、話を聞いたら帰れっていったでしょう、弥生」
「いやだね」
 みどりはうつむいていたが、きっぱりと顔を上げた。
「お家の人に連絡しなさい、弥生。そうしたら、城で待っていてもいい」
「いやだ。俺も行くよ。みどり、お前は行くんだろう」
「ええ」
「だったら俺も行く」
 みどりは、真剣な眼差しで言った。
「弥生。本当に、ニャーオを助けに行くのは、普通の妖精どころか人間にはとても危
険なことなの。最悪の場合、死ぬ可能性もあると見ていい」
 弥生もさすがに黙りこみ、みどりは安心のために息をついた。が。
「みどり。俺は、ニャーオに逢って、何か大切なことを教えてもらったんだ。まだほ
とんど憶い出せないけど、そのことだけは判る。そしてそのおかげで、今の俺がある
ということも」
 みどりは弥生を見た。彼は、薄い微笑みを浮かべていた。
「俺は、今の俺がいてうれしい。そして、それはみんなニャーオのおかげなんだって
いうことを憶い出した。ニャーオにあの時逢っていなかったら、今頃俺は、今の俺に
はなれてなかった」
 弥生は顔を上げた。あおいは、その瞳にみどりを感じた。決断したら、決してひる
がえらない瞳。
「だから俺は、ニャーオにその恩返しをしたい。今困っているなら、手助けをしてや
りたい。ニャーオに会いたいんだ」
「会うだけなら、ここで待っていてもできる」
 あおいは弥生に見つからないようにそっと微笑んだ。もう既に、みどりは傾いてい
る。第一、こんな瞳にみどりが逆らえるはずがない。
「みどり。俺は、ニャーオを助けたい。恩返しのためだけじゃない。そうしたいんだ。
お願いだよ。みどりも、そうなんだろう?お前が直接行く必要はないはずだ」
「それは違う。ニャーオが失踪したなんて噂を広めたくないからよ。魔女相手に素人
じゃ無理だしね」
 みどりと弥生は数刻にらみ合っていたが、みどりがにやっと顔を崩した。
「全く、あんたはしょうがないね、弥生」
「許してくれると思ってたよ、みどり」
 みどりは少し、口をへの字にしていたけれど、すぐに気を取り戻した。
「よし。じゃ、リィンも一緒に来てくれるかな」
「もちろんっ」
「私は?」
 みどりは、あおいににーっと笑ってみせた。
「あんたはジュリスの件があるでしょう。長老の式の打ち合わせとか、エヴの勉強も
あるし」
 エヴァンは、二人から人間界の学問を学んでいるそうだ。日本語も、それで知って
いたのだろう。
「そっか。くっそーっ」
という、あおいの清楚な女子高生にあるまじき言葉に、弥生は悲しそうな顔をした。
 みどりがぼそっと言った。
「よりによって、ナイトのいない時に」
「ナイトって誰だ?」
「みどりの恋人」
「あおいっ」
 みどりの、思いっきり焦った顔に、弥生は少なからず驚いた。無防備な顔だな。
「へえ。どうりで学校の奴等にはなびかないわけだ」
 あおいは、心底意外な調子でいった。
「あら。こんな子、学校でもてるの?皆さん趣味が悪いのねえ。あ、そうか。女の子
にもてるのね」
「あおいさんが女子校でもててんでしょ。こいつも女子に人気あるけどさ。ま、俺に
は男連中の気持ちが判んねえな。おかげで、こいつなんかとのうわさが絶えなくて迷
惑してんだよ」
「お二人さん。あたし抜きで話さないでくれる」
 みどりの陰気な声に、みどり以外の三人は大笑いした。
 ひーひー言いながら弥生が笑い終えると、みどりが言った。
「弥生。もう少しここにいるんだったら言っておく。『理想郷なんて、あり得ない』」
 弥生は、呆気にとられた。こんな、一年中春で、容姿の美しい魔法を使う妖精達の
国が、他の国がないのだから戦争もない、この楽園そのもののような世界の、どこが
ユートピアじゃないって?


 その夜、弥生は夢を見た。迷子になった黒猫を見つける夢だった。
 それは願望であり、絶対に満たされなくてはならない願望だった。

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Last modified 2007.6.12.
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