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 本作品は、世界設定ばらしが非常に多く含まれています。他のGreen-Blue talesシリーズを読んでからの方が、いいかもしれません。


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   碧


                            Green-Blue tales

                              斎木 直樹

         マン  ヒューマン
     第八章 先人と人間

 私達二人とナイトは、真っ暗な部屋の中に閉じこめられていた。一応、ナイトが白
よりは青っぽい光――それには、炎というよりも光という言葉がふさわしかった――
を灯してはいるが、部屋の向こう側の壁がどこにあるのかさえも判らない。
 セイトさん、大地の精の長は私達三人に、城の地下にあるこの部屋に丸一日いるこ
とを求めた。この部屋には強力な負の結界が張られているので、いかに王族といえど
も、強力な魔力は使えないということだ。
 みどりが練習にと作っている小さな火は、ナイトのものよりも安定性が悪く、始終
揺らめいていて目に悪そうだ。注意して見ていると、それは呼吸や身体の動きに連動
しているようだった。
 サマンサさんの言うとおりに、魔力がその者の精神を現すのなら、この炎はみどり
の心を現しているというわけね。みどりの炎は暖かい赤系の色で、ナイトの光は青白
色。
 みどりが突然ばっと顔を起こし、しゅっと炎が消えた。
「そういえば、食べ物は?もしかして」
 私は、ため息混じりに答えた。どうしてこいつって、こう食べることと眠ることし
か頭にないのかしら。
「もしかしなくても、なしでしょう。大丈夫、一日くらい絶食したって人間死ねない
から」
 みどりは死ぬよーと言いたそうに、ものすごく情けない顔で、私をねとーっと見つ
めている。
「あんた、人間じゃなかったのね」
 私が言うと、ナイトはくすりと笑った。凍った人形も、少しは人に近づいてきてい
るらしい。まだその瞳は、静かなままだけれど。
「でも、こうしていても暇ね。何か話をしない?」
と、私はナイトを見た。少年は、戸惑いをあらわにする。
「ブルー?」
「まず、それね。私達のことは、ブルーとグリーンではなくて、あおいとみどりと呼
んでもらえないかしら」
 みどりも、元気よく頷いて賛同する。
「そうそう。どうも、グリーンとか呼ばれても、自分の名前のような気がしないんだ
よね」
 ナイトは困惑していたが、私達は、とにかく考えておいてと押し切ってしまった。
 宙に浮かぶ青白い光を囲んで、私達は向かい合っていた。光は、この部屋の圧倒的
な暗さに比べるとまるで弱々しい。風が吹きこんだように、光が揺らいだ。
「あの……」
「何?」
 ナイトは薄い唇を噛みしめると、つと目をそらした。とりなしに微かな笑みを浮か
べ、ささやくように言う。
「君たちの、母上はどんな方だった」
 みどりは勢いよく、満面の笑みを浮かべた顔を上げた。
「ママ?私達のママ――母さんはね、元気な人だったらしいわ。病気がちだったけど」
「人間界は、身体に良くない毒があるから」
 毒、ねえ。まあ、こんなに気候が温暖でしかも変わらず、公害もろくにない、無菌
室のようなところに住んでいる人たちにとったら……無菌室?そんな、ばかな、ね。
「母さんは、怒ったり笑ったり、忙しい人だった。あなたのお母さんは?ナイト」
と、屈託なく尋ね、即座にみどりは息を止めた。
 みどりが神妙な顔で謝ると、ナイトは少しだけ、笑ってみせた。
「いいんだ。僕は、母を直接には知らないから、聞いた話になってしまうけれど」
 私も止めたが、意外にナイトは頑固だった。
「いや、僕も一度話してみたかったんだ。話させてくれ。外ではだめだしね」
 もろい微笑み。こんな時のナイトは、全く少年のように見える。ダイの前では許さ
れない、「僕」という呼称。
「僕の母は、君たちの母上と同じく、身体は弱いけれどそれは明るい人だったらしい。
父を一目見て気に入り、強引に結婚したということだ」
 母親のことを、伝聞の形でしか話せない。そういう人もいるけれど、彼の場合は本
人は気にしていないというそぶりが、かえって痛々しく思えた。
「それから、本当かどうかは判らないけれど、誰かが言っていた。反対されたときに、
母は『あの人は悪魔のふりをした天使で、私は天使のふりをした悪魔なのよ。お似合
いでしょう』と笑ったそうだ。相当に変わった人だったらしいな」
 薄い笑みを浮かべながら、砕けそうな光を反射するのは、いつもの瞳。みどりが、
弱々しくナイトの名を呼んだ。
「僕は、母に似ているそうだ。顔、瞳の色、翼も。違うのは髪の色だけだと、皆が言
う」
 みどりは、その顔から目をそらした。胸が痛くなるほど静かな、いいえ、哀しい表
情。
「グリーン……君たちは」
「何?」
 みどりは、静かに聞き返した。暖かくも冷たくもない、けれど話を聞く姿勢がある
ことを示す声。
 しばらく言いよどんでから、ナイトは思い切ったように口を開いた。
「君たちはどうして、そんなに……どうして、そんなふうにしていられるんだ」
 今一問うところが明らかではない問いに、みどりはにっこりと笑ってみせた。決し
てナイトのように弱々しくはない、太い、余裕と自信にあふれた笑み。
             ほんとう
「それはね、きっとあたしが真実のために生きているからだと思うわ」
「ほんとう?」
 みどりは、笑顔のまま頷いた。
「そう。あたしの信じ、行くべき道のこと。自分自身にとって正しいと思う道のこと」
「他の人にとっては、正しくないかもしれない」
 ナイトが厳しい声で注釈をつけても、みどりは緩慢にそのまま頷くだけだった。そ
れはもう、私達が何度も考えてきたこと。そして、おそらくナイトにとっては、初め
てのこと。
「うん、そうだね。でも、そんなことは関係がない。あたしはただ、自分が自分であ
るために、自分に対して真実のことをするだけ。あたしは、何よりもあたしがあたし
でなくなってしまうことが嫌だから。その代わり、あたしはその結果に対しては、ど
んなことでも責任をとる」
「どんなことでも?」
 そう言ったナイトの目は、細められていた。
「どんなことでも。だってあたしは真実のために生きている、ううん、真実こそが命
なんだから」
「後悔するかもしれない」
「後悔なんて、しない。あたしは、しないことにしてるから」
 少年は首を傾げた。みどりは、大人の女のようにくすりと笑う。
「あのね。あたしはいつもぎりぎりまで、あたしの知力だけじゃなくて、あたしの全
てで考えて、それから行動するようにしてるの。だから、後悔なんてできない。あた
しは、その時そうする以外どうしようもなかったんだから」
「……うまくいかないこともある」
「そうだよね。それはしかたがない。でもね、あたしは絶対負けないことにしてるん
だ。だから、あたしは、絶対に勝つ」
 私は、目を閉じた。幼い声がする。「あたし、ママのいうとおりやってみる」。黒
い服を着た彼女の足下に落ちているのは、黒い髪。それは、彼女の捨てたもの。




 数時間後、みどりはくうくう鳴るお腹を抱えながら、私の肩によりかかって眠りこ
んでいた。みどりの頭を膝に移動させると、ナイトが黒い上着をみどりに掛けてくれ
た。
「ありがとう」
 私はナイトに笑いかけた。しかし、ナイトはいや、とまた自分の中に沈み込んでし
まった。
 そうか。セイトさんが何のために、こんな試練を出したのかと思っていたけれど、
このためだったのかもしれない。
 私は、深く息を吸った。
「あのね、ナイト」
「うん?」
「私の真実はね、みどりなの」
 ナイトは、呆気にとられたどころか、茫然としている。
「グリーンは……人間だ。いつ間違ったことをするか判らないんだぞ」
「間違ったこと?それは、いったい誰にとって間違ったことなの?」
 目の前の床を睨んでいるナイトに、私は微笑んでみせた。
「あなた、いえ、あなたたちはいつも恐れているのね。行動を起こすことを、物事を
変えていくことを」
「恐れない者がいるだろうか」
「みどりは、違うの」
 ナイトは、あごを見えない手で持ち上げられたように、不服そうな顔を上げた。
「ねえ、ナイト。この世に、変わらないものなんてないわ。生きているものは死に、
ものはいつか壊れる。気持ちでさえ、変わらないなんてことはない。生きるってこと
は、変わるってことなの」
 ナイトは、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「もしそうなら、僕は生きることが怖いな」
「ええ、私もよ」
 目を見開いたナイトに、私は微笑みを返した。
「でもね、みどりは違うの。みどりは、それを怖いと思う気持ちよりも、楽しむ感情
の方が強いの」
 どこかで、物音がした気がした。何かが崩れる音が。
「楽しむだって?変わることを?」
「そうよ。変えていけば、悪くなるかもしれない。でもね、みどりはこう言うの。良
くなるかもしれないじゃないって。たとえ悪くなっても、また良くしていけばいいん
だって」
「取り返しがつかないこともある」
 私は、くつくつと笑った。ナイトは、私が狂ったと思ったかのような顔をしている。
「さっきから仮定ばかりね、ナイト。――みどりによればね、生きてさえいれば取り
返しのつかないことなんてないんですって。人は、生きている限り何度でもやり直せ
る、生まれ変われるって」
「本当にそうだろうか」
 全く表情のない、静かな顔。
「そうであってほしい。私は、そうであると信じているわ。聞いたことない?何でも
強く念じていたら、その通りになるって」
 私の微笑みに、ナイトはきつい声で応えた。
「思うだけでは、駄目だ」
「そうね。何かを、しなくてはね」
 私は壁によりかかり、目を閉じた。明かりは、一晩中ついていたようだった。




 体内時計によると、朝になったらしかった。さすがにお腹が空いてきた。
「お、なか……すいた、ね……」
と、みどりは隣でくたばっている。かと思うと、がばっと身を起こしてきた。
「そうだっ。あのさ、テレポートできないかな。食べ物」
「セイトさんは、ここには負の結界が張ってあるって仰っていたでしょう。それに、
まだ上手く調節もできないし」
「別に、魔力を使っちゃいけないって言われたわけじゃないじゃん。現に火はつけら
れるんだしさ。ね、やるだけやってみようよ」
 結局みどりの熱意に負け、私達は手をつないで念じ始めた。
「えーと、食べ物、食べ物……何でもいい、食べ物……」
 ナイトはすっかり呆れて、見物を決め込んでしまったようだった。
「食べ物っ」
と、みどりが叫ぶと、何か青いものがぽん、と目の前に現れ、ごとんと音を立てて下
に落ちた。みどりが必死になってつかんだそれは。
「青玉……」
 いかにもそれは、セラフィムが貸してくれた青く丸い、五聖石のうちの一つである
玉石だった。不公平になるからと、セイトさんによってどこかに封じられたというこ
とだった。
 みどりはへたりこんだままがっくりと肩を落とし、ナイトは吹き出した。
「聖石は魔力を強める働きがあるというから、今度はできるかもしれないよ」
と、ナイトは苦笑しながら言うけれど、とてもそんな気力はなさそうだ。
「全く、君たちといると忘れていたことを思い出してしまいそうになる」
「忘れていたことじゃない」
 ナイトの顔が、笑顔のまま凍った。
「忘れていたんじゃない。忘れようとしていた」
「グリーン」
「ずっと思ってた。あなたはどうして、いつもそんなに哀しい瞳をしているの」
 ナイトは、みどりから目を逸らした。けれどそれだけでは、真っ直ぐな力を持つ彼
女の目から逃れることは決してできない。
「何かを忘れようとしている、諦めようとしてる。何かをしたいのに、やる前から諦
めている。だから、そんな哀しい瞳をしているんでしょう」
 身体が、高揚する感情に伴って動いている。
「どうしてあきらめてしまうの?したいことがあるなら、やればいいじゃない。思っ
ているだけじゃ何も起こらない、変わらない。今が嫌なら変えていかなくちゃ、何か
をしなくちゃ。そんな瞳を見ているのは――痛い」
「みどり、止めなさい」
 それは、人の領域だ。干渉すべきではない。
 みどりは既に涙ぐんでしまっている目で真正面からナイトを見据え、少年はうろた
えた。
「やりたいことがあるんでしょう、言いたいことがあるんでしょう?だったらやりな
さいよ、言いなさいよっ」
「僕……お、れは……っ」
 ナイトは、がくとひざを突いた。額を手で支えているのは判るが、表情は髪に隠れ
て見えない。
「ナイト?」
「これは……まさか、そんな」
 しんじられない、と震える手のひらを見つめる。
 みどりが心配そうな顔で、ナイトへと一歩踏み出したが、
「近づかない方がいい……」
と、本人にかすれた声で止められてしまった。ナイトはかがみこんだ姿勢で、苦しそ
うにもだえ続けている。荒い息の合間のうめき声が不安を増長させる。
「ナイト」
 みどりがやはり近づこうとすると、ナイトはざっと身を起こし、鋭い目で叫んだ。
「近寄るなっ」
 みどりはびくっと足を止める。
 ナイトは一人油汗を流し、もだえながら絞り出すような声で何かをうめき続ける。
「そんな……うあっ……嫌だ。僕は、嫌だ。そ、れは……ああ……それだけは、やめ
てくれ。お願いだ……」
 心配と不安のあまり、みどりが無意識にナイトの名を呟く。
「……ああ……お願いだよ……やめてくれ、やめてく、れ……とう、さん」
と、鼻がかった声で懇願したきり、ナイトはかがみ込んだ姿勢のままで黙り込んだ。
微かな呼吸以外には動きも止まった。
 父さん?
「――ハ、テ……」
 しばらくして、どこかから小さな声が聞こえてきた。自動販売機のような感情の失
せた、ただの音声。
「ナイト?」
「……リーン、トブルーハ、テ、キ。グリーン、トブルー、ハ、敵――ジャマナモノ
……排除セ、ヨ」
 信じられない、とみどりがナイトの名を呼ぶ。
 半球形の黒い光がナイトの足下から起こり、ものすごい速さで広がってくる。黒い
光が私達に触れようとしたその瞬間に、私達は防御壁のようなものを身体の周囲に張
ったらしく、接触の衝撃を受けただけですんだけれど、勢いよくはねとばされて壁に
ぶつかってしまった。身体全体が悲鳴を挙げる。
 腰と頭を手で押さえ、しかめた顔でナイトの方を見た。見知らぬ青年がゆっくりと
顔を上げる。もうそこには、哀しみすらもない。ただの、人形の瞳。
「テ、キ……」
「ナイト、あなた」
 操られている。誰に――「父さん」。なんてこと。
 いつもにも増して青白く美しい、人形のような顔に一筋、水滴が流れる。今のナイ
トが泣いているのではない。哀しい瞳をした少年の名残涙。
「――んじらんない」
と、隣で声がした。極限まで抑制された声。やばっ。
「信じられない、こんなことまでっ」
 みどりは止める間もなく、ずんずんとナイトへ向かって歩いていく。
「またあの、ばか……」
 ナイトからの数々の攻撃にも構わず、みどりはどんどんとしっかりした足どりでナ
イトの真正面にたどり着いた。ぎりっと彼の胴を固く抱きしめ、どこも見ていない顔
をその目で力一杯ねめつける。つよい瞳。彼女は、いつもそう。
「この人は、渡さない。誰がお前などに。この人は渡さない、渡さないっ。ダイっ」
 光。




 浮遊する感覚。ふよふよと、頼れるところがなくあたしが浮いている。肉体の重さ
も、肉体の中に閉じこめられているあの感覚も感じられない。あたしは、液体の中の
分子のようにその辺じゅうに散らばっていて、どこへでも行けた。けれどあたしは、
どこへ行くこともなくただ浮かんでいた。
 どこかで、何かを引っ張っている感触がする。水の中で糸を引いているような、つ
んとした感触。あれについていってみよう。落ちて行くジェットコースター。もしく
は、下水へ吸い込まれていく水。
 夢から覚めたときのような、見当識が危うい状態。ここはどこだろう。いまはいつ
だろう。あたしは、何をしていたのだろう。何もかもがぼんやりとしていて、入って
くる感覚の処理もままならない。うつろな意識の上を、流しっぱなしの情報が通り過
ぎていく。そこへ、「声」が聞こえてきた。
――小娘が、いつのまにあのような力を――
 低い、中年の男の声。お父さんかな。
 あたしは、視覚に注意を向けた。黒い服の足下に、ぱっくり割れた大きい水晶の玉
が転がっている。不透明な水晶の割れ目では、光が乱反射している。あたしは、ゆっ
くりと視線を上げていく。泥にまみれた厚手の靴。がっしりとした体格。黒い翼。闇
の精?
――まあいい。私には、まだこれがある――
 笑った色黒の顔。この人は。
「あ、起きた」
 あおいの心配そうな顔のどアップに、どきりとする。
 あたしは頭を起こし、さっきの幻覚のようなものを振り払おうと頭を軽く振ってみ
たけれど、脳裏に焼き付いた。
 今のは、ダイ。ナイトの義理の叔父にして、実の父親。あそこで聞こえた声は、声
のようであって声ではなかった。翻訳機を通したように、あたしは耳ではなく心で聞
いていた。同じように、映像も目では見ていなかったような気がする。夢みたいだっ
たけれど、いったい何だったのだろう。
 軽く身体を抱く。大きい力を使った後に出る熱が、まだ身体から放散している。
「気を失っていたのよ。二三分かしら」
 そう、と返事をして、隣に寝かされているナイトの顔を覗き込む。安らかとは言え
ないまでも、苦しそうな影は見受けられない。良かった。
「ここでは証拠は残らないからといって、ダイがここまでするとはね」
と、あおいはため息をついた。
 そう。息子を操るなんて、いったいどういうつもりなんだろう。この国では、心を
操る術は禁止されていると、セイトさんは言っていた。
 そして王は、この国では権力よりも名誉の方の比重が高い。王も、長老会の後押し
がなくては、ただのお飾りにしかなり得ないのだ。ナイトが王になったとしても、そ
の叔父の得るものはそう多くはない。自分の子を王にしたいというだけなら、なぜダ
イは、当の本人であるナイトを傷つけてまで、こんな危険な術を使うのだろう。他に、
王位に執着する感情があるということなのか。それは、憎しみ?
 と、転がしておいたままにしてあった青玉が、突然青い光を発し始めた。手に取る
と、二、三メートル前方に子どもくらいの大きさの、けれど等身などの外見は二十代
後半に見える女の人が、うっすらとした姿で現れた。幻影のようにも見えるけど。
「立体映像……なの?」
 今までのどれよりも大きく、そして鮮明だ。それに、青玉が投影装置になるなんて。
 その女の人は銀髪を長く伸ばしていて、紫色の優しそうな大きな瞳と薄桃色の肌、
にっこりとした唇を持っていた。おとなしそうな中に、冴えた怜悧さがうかがえる。
 どこかで見たことがある、とあたしは確信した。
 彼女は頭を深く下げると、
「お初にお目もじつかまつります、『二人の王』よ」
と、言った。二人の王?
「私の名は、シルヴィラ・ラ・ナイアデス。陛下方にこの宝玉をお渡し申し上げた、
セラフィムの姉でございます」
 そうだ。初めてセラフィムに立体映像をみせてもらった時の、あの人だ。今は亡き、
セラフィムの双子の姉。
 彼女は、セラフィムのとはあまり似ていない落ちついた声で、一人話し続けた。
「陛下方がこれを御覧になっていられる頃、私は死んでもう何十年以上経っているは
ずです。私は青玉にこの世界の秘密を授かり、陛下方にお伝えする役目を引き受けま
した。それを、これからお話しいたします」
 あたしとあおいは背をただし、息をのんだ。シルヴィラは、清かな声で話し始めた。
「私は、城で家庭教師として働いておりました。そして、疑問を持ちました。城には、
魔力を使わずに様々なことをなすものがたくさんありました。照明や沸騰石、越界装
置、翻訳機、幻覚機。しかし、それらがどうやって動くのかを知る者は、一人もいな
いのです。私は、そのことを疑問に持つ者がいなかったこと自体を不思議に思いまし
た」
「この世界には、魔力ではない文明力というちからを持った、先人という種族が妖精
の前に住んでいたのです。この先人の持っていた文明力とは、魔力とは違い、誰にで
も使える便利なものを作り出す能力のことのようです。先ほど申し上げた、力を使わ
ない機械とは、すべてこの先人が生み出したものの遺物だったのです」
 シルヴィラは目線を少し上げ、自嘲に似た表情を浮かべた。
「ところで、陛下方はこの世界の創世神話をお聞きになられたことがございますでし
ょうか。あれはとても真実に近く、そして遠いことを物語っているのです」
「この幻想界は、遥か昔は何もない世界でした。そこへ人間界から先人がやってきて、
この世界を造ったのです。この世界は、先人という神々が創造したものだったのです。
先人は人間界に文明力を持たない人間を残し、自分たちが造り上げたこの世界へとこ
ぞって移住してきました。そしてある時、『神の罪』という事件で文明力を失い、そ
の代用としての魔力を身につけた妖精となったのです」
 銀髪の麗人は、遠く物思いにふける目になった。
「誰にでも普遍的に使えるものを生み出す先人の力。それは、私達妖精には素晴らし
い力のように思えます。私と妹は、生まれつきによるところの多い個人差の激しい魔
力によって、ずっと迫害され続けてきました。そしてこれからもそうでしょう。なぜ、
そのように素晴らしい力を持った先人が滅び、このような魔力を持った妖精になって
しまったのでしょう」
「陛下方『二人の王』が現れることは、青玉に聞きました。そして、御二人がこの国
をお救いくださることも。今のままではこの国は、妖精は必ず滅びへと向かいます。
自分と違うものを恐れる、臆病すぎる人々。彼らは今の場所から一歩も動こうとはし
ません。いいえ、後へ戻ることを選ぶかもしれません」
 シルヴィラは、生きて見ることのできない私達に、必死に訴えかける。
「この世界は、決して私達に優しくはありませんでした。私達は、生まれ落ちたとき
から大きな魔力を持つということだけでさげすまれ、疎外されてきました。私は、そ
の人達を到底許す気にはなれません。けれども、私にも愛する人々がいます。その人
達を守りたい。生きていて欲しい。そう思う者は、いつの時代にも、どこにでもいる
でしょう。ですから、お願いいたします。どうぞこの国を、お救い下さい。私達のよ
うな者を二度と出さないために、誰かの愛する人を守るために。二人の王よ――」
 そこで、音も立てずに映像はふつりと消えた。青玉の輝きも同時に失せ、私はシル
ヴィラの姿をまぶたに見ようとした。彼女は必死な様子で私達に救いを求めていた。
 この世界を、造ったですって?この世界は人工の無菌室のようだとは思ったけれど、
なんという科学力。想像もつかない。
 でも、そうね。それなら全てが納得がいく。妖精と人間が似ていること。人間界と
幻想界の相似。太陽と月は動いているのに、星は動かないこと。天気が決まっている
こと。天変地異は決して起こらないこと。一年中変わらない気候。「幻想界」という
呼び名。シャーレのような世界……。
「どういうこと?先人が、人間界から来たって」
と、みどりが無邪気な顔で私の思考の邪魔をした。私はいらついた気分そのままに、
投げ遣りに言葉を返した。
「つまり人間は、妖精と同じ先人の子孫、もしくは先人と同じ起源を持つものだどい
うことよ」
 でも、なぜ先人はこの世界にやってきたのだろう。この世界は確かに安全だけれど、
自分たちの生まれた場所を皆そろいもそろって捨てられるものなのかしら。それとも、
残った先人も文明力を失ってしまったのかしら。そうだとしても、先人が人間界にい
たのなら、どうして遺跡の一つくらい発見されないのかしら。
 先人なんて、本当にいたの?残されているのは、わずかな遺品だけ。まるでアトラ
ンティスね。
 私が自分の中に深く入り込んでしまっている間、取り残されてしまったみどりは一
人で青玉をいじっていた。視界に入った彼女の姿に、私は返答を聞きたくもないのに
問いかけなくてはならなかった。
「何してるの」
「青玉がしゃべったって言ったからさ、しゃべんないかなって思って」
 私は、思いっきり疲れた顔になってやった。みどりは不満そうに口をとがらせる。
「あのねえ、思うんだけど、聖石も先人の作ったものじゃないのかしら」
「それ、どういうこと?」
「つまり、そうしてても話はしてくれないってこと」
 みどりはとうとうぷうとふくれて、青玉をそっけなく手放した。
 私が一つため息をつき、しばらくは二人とも口をきかずにいた。
「ねえ、みどり」
「ん?」
 あたしが顔を見上げると、壁によりかかったあおいは、真剣な顔で宙を睨んでいた。
「先人には文明力があった。そして妖精には魔力がある」
 うん、とあたしは気がなさそうに相づちを打った。だから何だよ。
「では、人間にはいったい何があるんだろう」
「人間には?さあ」
 ナイトが寝返りを打ち、何かうめいた。薄目を開けたナイトに寄り添ったあおいが
声をかけると、彼は寝ぼけたまま身体を起こし、ああと応えた。
「何があったか、覚えている?」
「だいたい――二人とも、大丈夫かっ」
 二人で肩をすくめあうと、ナイトは一気にしゅんとなってしまった。
「すまない」
「あなたのせいじゃないわ」
「いや、僕のせいだ。僕が、あいつの言うことを聞いていたから。君たちを傷つけよ
うとするなんて、許せない」
 あたし達のいさめる声も耳に入れず、ナイトは真っ直ぐにあたしを見た。それは、
今までなら決してなかったことだったへ。
「グリーン、いや、みどり」
 あたしはにっこりと、何と尋ねた。
「僕も、生まれ変われるだろうか。ダイの言うことに、逆らえるように」
 ああ、サマンサさん。
 あたしは泣きたい気分で、思いきり笑った。
「もちろん。誰だって、いつだって、生まれ変わろうとすればできる。あたしもね、
今のあたしに生まれ変わったことがあるんだ」
「君で、よかった」
 あたしはナイトの顔を見た。ナイトは誰かに見せるためではない自然な微笑みで、
あたしを見つめていた。
「今のみどりに会えて、よかった」
 サマンサさん。あたし、判ったような気がします。あなたの言っていたよわさ、そ
してつよさのこと。ねえ、あおい。人間に与えられた力って、これなんじゃないのか
な。妖精にはない、変わっていけるつよさ。そして、そのつよさを皆に分けてあげら
れること。
 先人には文明力。妖精には魔力。そして人間には、つよさという力。
 つよさという、力。

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Last modified 2007.6.12.
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