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 本作品は、世界設定ばらしが非常に多く含まれています。他のGreen-Blue talesシリーズを読んでからの方が、いいかもしれません。


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碧 あとがきへ


   碧


                            Green-Blue tales

                              斎木 直樹

         マン
     第七章 先人

 地の精の長、ヴォルフ・アースがあたし達に課した試練は、ケンタウルスから不老
不死の妙薬を手に入れること、というものだった。
「ケンタウルスというと、あのケンタウルスのことですか?」
 けんか腰でぐいっとせまったあおいに、セイトさんはどういう表情をすればよいの
か判りかねる、という顔をした。
「あの、というか、下半身が馬で上半身が人の形をしたもののことです。大層な智者
だとか」
「不老不死の薬なんて、あるんですか」
と、疑わしげにあおいが言うと、最長老はどう対応したらいいのかを考えあぐねるよ
うに、軽く首を傾げた。
「そうだと言われています。それのおかげで、ケンタウルスは何千年も生きるのだと」
 何千年、ときたよ。何百年ならまだ判るけど、何千年前って、歴史で最初に習う辺
りだよ。
 とにかく、そういうわけであたし達は目下、セイトさんの渡してくれた地図を片手
に、以前遊びに来た丘の向こうへと歩いている。この地図ってのがまたくせもので、
絵地図な上に書き込みが異常に少ない。正確さはとうてい期待できそうになかった。
セイトさんも、大体真っ直ぐ行けばいいなんて適当なこと言ってたし。不安は大きい
が、とにかく歩くしかない。
 小川と野原を越えていくと、小さな村が左手に見えた。お昼を食べてまたてくてく
行くと、木が少しずつ増えてきた。林は森へと変わり、道は登ったり下ったりで、だ
んだんと疲れてきた。しかし期限は明後日までとあまり時間はないので、そうそう休
んでいるわけにもいかない。瞬間移動はまだ非常時以外はしないように、特に知らな
い場所にはしてはいけないと、セイトさんにきつく言い含められていたので、仕方が
ない、あたし達はただただ歩き続けた。
「また、だんだん狭くなってきちゃったよ。この道でいいのかなあ」
 あたしが地図とにらめっこをすると、地図はあかんべを返してきた。
「この辺りも人は入ってそうにないから、どうか判らないわね。道しるべがあるわけ
でもないし……あら」
「え、道しるべがあったの?」
 あおいは、思いっきしばかにした顔になった。大げさに腰に手をやり、嫌みたっぷ
りにふうとため息をつく。
「あのね、ここはハイキングコースじゃないのよ。あれよ。ナイト」
 あおいの示した方向には、確かに長い黒髪に黒服のひょろっとした若者が歩いてい
た。あたし達は、合図もなしに駆け出した。
「なっいとっ」
 ぽんと背を軽く叩くと、黒髪の青年は、家に入ろうとしたところを話しかけられた
泥棒のように、全身を硬直させた。ゆっくりと振り向くと、これまたびっくり顔にな
る。驚きよりは意外に近い。
 何か言おうとしたあたしを、あおいが手で制した。
「どうせ同じところにいくんだから、一緒に行きましょうよ」
「あおい?」
「何を」
 応じたあたしとナイトに、あおいは艶やかに笑った。完璧な笑みだ。
「何か、そうしてはいけない理由でもあるかしら?」
 負けた。




 私達は、ナイトとともに歩き続けた。
「もう、二人とも暗いなあ。喋ってるの私だけじゃないの」
 二人の無言の返事に肩をすくめると、私は一歩前に踏み出した。違和感と、悪意の
ようなものを感じた。何?
 みどりへ目をやると、彼女も足を止めている。目が合い、頷き返す。安心して頭を
巡らすと、立ち止まった私達に構わず、ずんずんと前へ進んでいく人影があった。黒
づくめの青年は、何か考え事でもしているようだった。
「ナイトっ」
 ナイトがふいと顔を上げた時、彼の足下から地面が消えた。視界からナイトの姿が
消える。
 ナイトの立っていた、そして突如崖となった淵に駆け寄り、下を覗き込む。高い。
黒い姿がみるみる落ちていく。力を使っているのか、少し速度は本来よりも遅いけれ
ど、あのままでは危険だ。
 ナイトの身体を浮かそうとしてはみたけれど、対象が動いているために焦点が結び
にくいのか、効き目は薄い。
「何で?」
 みどりは、もう涙声になっている。集中しなくちゃと言おうとしたけれど、もう間
に合わない。あのままじゃ。
 ナイトの姿が唐突に白くなった。と同時に、速度は急速に落ちたが充分ではなく、
彼は身体を強く打ったようだった。
 地面に落ちたときにけいれんしたきり、身動きしない彼の背には白いものがあった。
あれは、翼。普段は隠している、善の精のような白い翼だわ。
 それを確認したとき、ふっと頭に加えられていた抑圧感が消失した。なくなって初
めて気がつくような軽い感覚だった。
 もう一度下をみると、木々の中を何かが動いているのを感じた。目には見えないけ
れど、イメージが浮かんできた。鳥、大きな草の音、白。
「あおい、早く降りよう」
 せっぱつまった声でそう言うと、みどりは断崖から飛び降りた。
「ちょっ」
 みどりは、ものすごいスピードで降りていた。そうか。そうだったのね。




 彼は寝返りを打とうとして、整った顔を慣れない痛みにしかめた。
「痛っ」
「あ、気がついたみたいよ」
 黒髪の青年は、意識のはっきりしない顔を上げようし、びくっと手を上げた。どこ
か痛むのだろう。降参したように頭を元に戻す。
「ここは」
「崖から落ちたのよ。今日は雨が降ると聞いていたから、大きな木の下に移動して、
天幕を張ったの。排水溝も掘ったし、安全よ」
 ナイトはじっと、雨音に耳を澄ましているようにも見えた。
「君たちは、どうして……」
「何?」
 みどりは、優しく聞いた。見る人によっては、慈愛に満ちた表情に見えるのだろう。
 ナイトの目の中に、雨粒が落ちたようだった。
「どうして、助けたんだ。僕は、敵なのに」
 みどりは、彼の心の重みを消し去るためにではなく、微笑んだ。
「あなたは敵じゃないし、たとえ敵だとしても助けたわ」
「なぜ」
「生きているから、よ」
 ナイトは芸術的な眉をしかめ、みどりの顔を、何か眩しいものでも見るように目を
細めて見た。目をつぶり、苦しそうにかすれた声でうめく。
「判らない……」
「大丈夫?何か、あたし達にできることはある?」
 息切れた小さな声は、手を握っていればきっと、とささやいた。
 みどりが、微かに眉を寄せながらも、真剣な顔つきでナイトの手をしっかりと握る
のを見届けると、私は食事の用意にとりかかった。

 目が覚めると、暖房と動物避けにと起こした火が消えそうになっていた。うたた寝
をしていたらしい。
 慌てて枯れ木を少しくべると、それのはぜた音で目が覚めたのか、ナイトが身体を
起こした。ゆっくりとはしていたが、滑らかな動きだったので私は安心した。
「起こしちゃったみたいね」
 ナイトは不思議そうな顔で、隣でまだ寝こけているみどりの幸せそうな顔を見つめ
ている。その手は、いまだにしっかりと握られていたままだった。
「そのままでいいのよ。手を握っていたら治るんですってね」
 ナイトは、まだ夢の中にいるようだった。いつになく、柔らかい表情をしている彼
をこうして見ると、やはり美しかった。特に今ははっとするような表情をしている。
彼の中で何かが変わってきているのを私は感じたが、そしらぬふりをした。
                          ヒーラー
「ああ、僕は人に力を分けてもらえるから。でも、彼女は治療者らしいな。こんなに
治りが早いなんて」
「ヒーラーってあの、人に触れて病気を治すっていうやつのことかしら」
「そうだよ。でも、こんなに力を分けていたら、彼女の方が参ってしまう。手を放さ
なくては」
「ナイト?」
 ナイトは、一生懸命みどりの手をはがそうとしていたが、手は頑固にも外れない。
みどりの方が先に目を覚ましてしまった。
 みどりは寝ぼけ顔のままで体を起こすと大儀そうに首を一回りし、ナイトを見つけ
ると、何の悩みもない顔で、にぱっと笑った。
「あ、起きたんだあ。おはよー。まだ眠いよお」
 ふわ、と大きなあくびをする。
「グリーン、体の調子は」
 極めて真剣なナイトとは裏腹に、みどりはあくびで涙のたまった目で呑気そうに元
気らよー、と答えた。
 それを聞くとナイトは不思議そうにしていたが、気を取り直したようにして言った。
「とりあえず、手を放してくれるかな」
「えっ、あっ、ごめんなさい」
と、みどりは少女漫画のように頬を赤らめた。げろげろ。
「ありがとう。おかげで、ほとんど治ったよ」
 いやー、あのー、とみどりは照れている。あほくさ。
 私は、明らかに呆れた表情をしてみせながら立ち上がった。
「じゃあ、ナイトはまた眠る?それとも、何か少し食べるたほうがいいのかしら」
「食べるっ」
 私は、うっと言葉に詰まった。きらきら輝いてこちらを見つめている顔が疎ましい。
「あんたはさっき食べたでしょう」
「寝たら、お腹すいたんだもん」
 ぷうっとみどりがふくれるのを見て、ナイトはくすくすと笑いだした。こういう風
に笑うの、初めて見たわ。私は切なさを覚えた。
「僕も何かもらうよ、ブルー」
「はいはい。じゃあ、二人とも少し待っててね。シチューを温めるわ」
 私達が外でも温かいものを食べたいと言うと、エカさんはホワイトソースと数種類
のキノコや野菜を、ナイフと食器、片手鍋とともに渡してくれた。水筒に入った具の
ないスープにホワイトソースを入れ、エカさんの渡してくれた石を入れるだけで調理
は終わりだ。
 この黒っぽい石には、液体に入れるとその液体の温度を沸騰点付近で保つ働きがあ
る。もしかして、これもあの先人とかいう人たちが作ったものなのかもしれない。
 シチューを平らげると満足したようで、みどりはまた眠りに就いた。数分で熟睡で
きるのが、この子の特技だ。
 ナイトは、食べ残したまま冷めてしまったシチューを前に、じっとうずくまって何
かを考えている。
「あなたも寝たら。まだ完全に治ってはいないでしょう」
 頼りなさそうな少年は、辛そうな顔を私に向けた。
「君たちは、どうして……どうして」
「何?」
 淋しい深い青の瞳は私を見、視線を落とした。
「いや、いいよ」
「そう。では、私に聞かせて」
 ナイトは、素直に驚きを表に出した。
「あの崖から落ちたとき、もしかしたら魔力が使いにくかったんじゃないかしら」
「ああ。あそこには、負の結界が張ってあるような感触があった。よく判ったな」
「ではやはり、まず幻覚で崖がないように見せかけ、崖の上では念力で身体を浮かせ、
とどめに力を弱めて落として確実に怪我をさせようとしていたのね」
 ナイトはそっと、周囲をうかがうように、ブルー、とささやいた。
「負の結界ということは、正の結界もあるのかしら」
「ブルー、聞いてくれ」
 ナイトの必死な顔に、私はくすりと笑った。
「ナイト。私達は被害を受けてはいないし、あれはダイの仕業ではないわ」
               ダイ
 白、翼、大きい動物。それは闇の精ではない。
「でも」
「もしもあなたの叔父さんだったのなら、もう少し慎重に事を進めるでしょうし、第
一あなたを落とすわけがないじゃないの。それより、正の結界はあるの?」
 ナイトはまだ何か言いたそうにしながらも、肯定した。
 ナイトに気づかれないように、私はそっと声を変えた。
「それからもう一つ。あなたはなぜ王になるの」
 もう一人の王位継承者は、黙秘権を行使した。
「私達の理由は聞いたはずよ。答えて」
 ナイトは、何か毒でも飲んだように、苦しそうに声を絞り出した。
「僕、は。ただ」
「ただ?」
「と――叔父の言うとおりにしているだけで」
 間髪空けずに問う。
「なぜ言うとおりにしているの」
 沈黙。
 私が区切りをつけるためにため息をつくと、ナイトは身体を、痛みのためではなく
けいれんさせた。
「ナイト、人には意志というものがあるわ。たとえ人の言うなりだったとしても、そ
れは言うなりにしようとする意志があるからなの。あなたはなぜ、王になるの」
 ナイトは、一言も発しようとせずに、人形のように固まっている。その瞳は、何か
を言いたそうにうごめいているのに。
 私は、半分笑いまじりのため息をついた。
「その様子では、何か理由があるようね。まったく、素直な子なんだから。一言、そ
うするのが楽だからって言えばいいものを」
 ナイトがあからさまにはっとするので、私は吹き出さずにはいられなかった。
「そういうところも、ね。まあ、あなたのことなのだから、私は構わないのだけれど、
みどりはそんな辛抱性ではないから」
「グリーン?」
 ナイトは心底不思議そうにして私を、そしてみどりを見た。私は苦笑した。
「そういうところ、みどりに似てるわ」
 突如、下の方から不気味な低い声が聞こえてきた。
「あにすんだよー。こんにゃろ、あたしのろぶすたーちゃんだぞー」
 私達は顔を見合わせると、一時くすくすと笑い、眠りに就いた。朝は近かったけれ
ど。




 次の日の午後、私達三人はケンタウルスの丘と呼ばれているところへとたどり着い
た。
「なんか、もの寂しいところね」
 荒野のなだらかな起伏のあちらこちらに、枯れかけた草木が見える。でも、ディコ
ンが枝を切ったら中は緑色なのかもしれない。心持ち、グリーン=ブルーよりも気温
が低いが、実際の気温よりもその風景の色に肌寒さを感じた。
 風が鳴り、みどりの肩にかけた布をふわりと拡げると、ナイトがこの辺りは秋だか
らと言った。一年中秋のような気候の土地、という意味らしい。
 不意に足下に異物を感じた。
「わっ」
 平衡感覚が混乱し、全身を軽くすった。ふいっと身体が浮き上がったときの吐き気
と涙。
 私達とナイトは、太い網でできた罠で持ち上げられていた。古典的な、あの何かが
上を通ったら引き上げられるようになっているやつだ。
 大人三人を持ち上げられるなんて、よほど丈夫な網なのね。それをいうなら、これ
を持ち上げられる力か。どういう仕組みなのかしら。こんな時に何考えてんだよ、と
いうみどりの声なき声が聞こえた。
 私達は、さてどうしたものかと、ひっつき寄りつきあいながら、居心地よくするた
めにもぞもぞと体を動かしていた。魔力でこれくらい切れるだろうけれ、ど。
 向こうのくぼみから、ひょっこりと子どもの顔が出てきた。見たところ十くらいの、
焦げ茶色の髪の色黒な男の子で、とても嬉しそうな顔をしている。
「じっちゃん、珍しいものがかかったよ」
と、男の子はこちらへぱかぱかとやってきた。その足は、どう見ても馬の四本足だっ
た。この子が、ケンタウルス?
 なんとかナイトに接触しないような形になった私達は、目をぱちくりさせてその子
を凝視していた。すると、足下から声がした。
「ほう、これは珍しい。妖精がかかった」
 白い髪の、年老いたケンタウルスがそう言うと、子どもは興味を露にした。今にも
私達をつんつんつつき回しそうだ。
「あの、もしかしてケンタウルスさん、ですか」
「もしかしなくとも、ケンタウルスさんだが」
 私とみどりは何と言っていいか判らず、老人はバルタン星人のように笑い、子ども
は興奮して馬の足で飛び回った。




 老人は、丘の下の穴蔵のような家に私達三人を導いた。狭くて暗く、汚いところか
と思いきや、大違いだった。意外と中は広く、明かり取りの窓と城のような照明まで
あり、床は大きな石で埋めてあった。そして何より、中は暖かかった。
 椅子がないので、使い古されてはいるけれど暖かそうな敷物を私達は勧められた。
老人とその孫のような少年は、だいだい色の温かい飲み物で私達をもてなした。甘く
はなく、ほんの少しだけ酸っぱい味がした。冷えた身体に、じわりと温もりが伝わっ
ていく。
 老人は自分のものらしい大きく汚れたクッションに座り込むと、あまり機嫌の良く
なさそうな顔で言った。
「おぬしら、名は」
「あたしは、グリーン・グリーンブルーです」
「私は、ブルー・グリーンブルー」
「ナイト・グリーンブルー・サスです」
 老人は、芝居じみたしぐさで白眉を上げた。髪も白いけれど、皺は何本かの深いも
のしか目だたなく、そう歳をとっているようには見受けられない。
「ほう、嬢ちゃんたちは王様かい」
 私とみどりは、一瞬きょとんとしてから急いで首を振った。
「いいえ。私達とナイトは今、王位を受けられるかを確かめられているんです」
「確か、名字がグリーンブルーだけなのは、王だけだと思うたがな」
「彼女たちはほとんど人間なので、名乗るべき名字がないのです」
と、ナイトはいつもの色のない顔で言った。みどりは相変わらずの呑気な口調で、そ
うだったのかと感心している。
「その様子じゃ、またやっかいなことを持ってきたらしいの」
「あなた方のお名前は、何と仰るのですか」
 彼は私を見ると、陽気そうな目をくるくるといわせて、にやりとした。
「いいところに気がついた。わしの名は、シュトゥルガルタ・ノン・ジィスティじゃ」
「しゅとぅ?」
 みどりが顔をしかめて唇をとんがらせると、老人は慣れたように手を振った。
「ジィスティでよい。もう、この名字を持つ者は他におらぬからな。ほれ、ジゼ。自
分で言いなさい」
 ジゼと呼ばれた少年のケンタウルスは、うんと頷いてはりきって自己紹介した。
「ジズリィヤ・スリム・サラナィムです。ジゼって呼んで下さい」
 ジゼは最後に、にこっと笑った。うきうきした気分が、身体からはみ出して見えて
きそうだ。
「それで、何用じゃ。また、不老不死の妙薬のことか」
「あ、はい。それを持ってくるように言われまして。あの、ジィスティさんとジゼの
他の方たちはどこに」
 みどりはきょろきょろと辺りを見回してみせたが、老人はあっけらかんと答えた。
「他には、ケンタウルス族は生きてはおらん。わしら二人だけじゃ。それより、おぬ
しら、敵同士のくせによくもまあ連れだって来たものじゃな」
「敵じゃありません」
 ジィスティさんはみどりのつっぱらかった顔を眺めると、ふんと鼻で笑った。
 そして、面白いことを考えついた子どものような顔でにやっとした。あまりこちら
にいいことじゃなさそうね。私はキリスト教徒ではないが、十字を切りたい心境だっ
た。
「それで、わしには何がもらえるのかのう」
 私とみどりは、言葉に詰まった。そうよね。何も差し上げずに、下さいなんて言え
ないわ。顔を見合わせていると、ずっと無言だったナイトが顔を上げた。
「金銀、宝石の類ならば持ち合わせておりますが」
との、せっかくのお申し出へのジィスティさんの対応は。
「ふん。そんなもん、こんな僻地でもっとっても何の役にも立たんわ」
「高価な食料、香料、それに道具などもございます」
 あの重い袋の中身は、それだったのね。
 しかし老人は、それにもただ首を振るだけだった。
「では、何ならよろしいと」
 ナイトがあまり感情のこもらないため息をつくと、ジィスティさんはまたにやりと
した。どうやら、人を困らせるのが趣味らしい。すてきな趣味だこと。
「おぬしらじゃ」
「へ。身体で払うのはちょっと」
と、みどりが歪んだ顔の前に手を上げた。ジィスティ老人はきょとんとし、がっはっ
はと豪快に笑い出した。みどりの、ばか。
「ったく。記憶よ、記憶。この間やったでしょう」
「あ、記憶ね。でも、どうしてそんなもん」
 老人は、目を細めてみどりを見分した。
「そんなものとはな――。こんなところに二人きりで住んでおると、退屈でかなわん
のじゃよ。物語が欲しいんじゃ」
 私達はすんなりと手を出した。しかし、ナイトはうつむいたまま身動きしなかった。
おじいさんは、心底楽しそうににやにやと攻めたてる。
「ほう、坊主はいらんのかい」
「他のものでは、駄目でしょうか」
 老人は、きっぱりと断った。ナイトは悔しそうにすることもなく、ただあきらめに
慣れた表情を浮かべた。
「あたしのじゃ、駄目ですか」
 老人と青年は、目をむいた。あーあ。
「あたしの分で、ナイトにもあげてもらえませんか。あたし達の分は、あおいが払う
し。あたしのとあおいのは似てるかもしれないけど……」
「人のと似とる記憶などないわ。まったく、妙な嬢ちゃんじゃのう。わしとしては一
人分減った計算になるが、まあ良いわ」
 数分後、ジィスティさんは私達の手を放した。
「で、薬はくれるんですか」
と、みどりが聞いた。老人は、あっけらかんと答えた。
「そんなものはない」
「はあ?」
 私達のとがめる目に、ジィスティさんは少しもたじろぐ様子をみせなかった。ふて
ぶてしいじいさんね。
「もともと、そんなものは存在しないんじゃよ。何千年も生きるわしらのことを、妖
精達が勝手に薬のせいだと決めつけたんじゃ。わしらは、ただそのように生まれつい
ただけなのにの」
 老人がどこか淋しそうにそう言うと、どこかでかちっと機械音がした。おそるおそ
る辺りをうかがうと、ナイトとジゼが固まっている。身動き一つ、瞬きさえもしない。
「ちょっ、と。ナイト。ナイトっ」
 みどりがぐらぐら揺らしても、ナイトはただ揺れるだけ。微かに胸が上下している
のは見えるけれど。
「いったい、何をしたの」
 老人は、この期に及んでもひょうひょうとした態度を崩さなかった。これが年の功
ってやつなのかしら。早く身につけたいものだわ。
「おうおう、美人が怒ると恐さが増すのう。なあに、ちょいと二人には聞いて欲しく
ない話題なんでな。害はない。ほれ、そっちの嬢ちゃんもきかんかい」
 みどりがぶすっとした顔で振り向くと、老人は真剣な眼差しで言った。
                       ヒューマン
「おぬしら、サマンサから先人のことを聞いたな。人間の子よ」
 ヒューマンは本当は形容詞なのだけれど、この場合は何か別の意味を含んでいるら
     マン  ヒューマン
しかった。先人−人間?
「サマンサさんを知ってるんですか」
「ばかね、記憶を視たのよ」
 私が言うと、老人は首を振った。
「いや、知っとる。ジゼが生まれた頃じゃったな、おぬしらと同じ目的でここへ来た。
それは美人な跳ねっ返りじゃった。あの子も歳をとった」
 ジィスティさんは己の想いにふけっていた。美人って、若い頃の事よね。
「ジゼって、いくつなんですか」
「この間、百と十になったかのう」
 もう、誰にも歳なんて聞かない。私達は決心した。
「わしらは、先人に作られたんじゃ」
 私達は、首をひねった。
 ジィスティさんは理解できない私達に、というよりは、上手く説明できない自分に
いらついているようだった。
「つくられた、といっては判らぬか。つまり、わしらは最初からこんな生物だったの
ではない。人と馬をかけ合わせてできたものなんじゃ。もちろん、二つが直接交わっ
てできたのでもない。判るか?」
「まさか……遺伝子操作」
 私のささやき声を、ケンタウルスの老人は嬉しそうに受けとめた。やっと理解して
くれる人に出会ったという喜びの感情が、私達を不安にする。
「そう、イデンシコウガクとかいうものじゃったな。わしらは、その実験体として生
まれた」
「ライトもそれで?アースも」
 老人は、深く頷いた。私はめまいがした。
 生物全てが身体の細胞の中に持っている、その生物だけの設計図、遺伝子。人の上
半身と馬の下半身の遺伝子をかけ合わせたのが、ケンタウルス。光の精と地の精も。
 なんという科学力。想像はしていたけれど、そこまでだとは。
 考え込んでいるというよりは茫然としている私達が目に入っていないように、ジィ
スティさんは話し続けた。心の奥底に積もりに積もったうっくつを全て払うかのよう
に、とうとうと彼は続けた。
「意味はしらんのだが、不老イデンシとかいうものがわしらの中にあるので、ケンタ
ウルスは長生きするらしい。もっとも、わしが生まれたのは、先人が妖精となってか
らじゃから、よくは判らぬが」
 老人は、深く深くため息をついた。この人の年齢なんて、全く見当がつかない。も
しかしたら、いつか森で見た大きな木よりも歳をとっているのかもしれない。
「ケンタウルス族は先人の遺品を使ってなんとか暮らしていたが、生殖能力がほとん
どなくてな。子は生まれてもすぐに死ぬ。七世代目で育ったのは、このジゼだけじゃ」
 自分は三世代目だとジィスティさんは言った。
「いつかの流行病で皆ばたばたと死んで数が激減しての、四十年ほど前に四世代のガ
エクが死んでからは、わしら二人きりでずっと暮らしておった」
 一人の妖精の人生が終わるほどの時を、この老人はついこの間のことのように言う。
「なぜ、このようなことをおぬしらだけに話したのか、聞かんのか」
 なぜですか、とみどりは素直に問うた。
「わしも、歳をとった。あと二、三年で寿命が訪れるじゃろう。その前に、誰かに先
人のことを伝えたかったんじゃよ。今では、妖精の中では先人の存在を知っておる者
すらほとんどおらん」
「ジゼには、言わないのですか」
 ジィスティさんはがっくりと首を振った。
「あの子に話して、何になろう。わしと同じ重責を負わせるだけじゃし、あの子では
理解も追いつかん。ジゼには、生きていく上で最低限必要な先人の遺品の使い方しか、
教えてはおらん」
 老人は、ちらりと私達に目を移した。
「視せてもらったところ、人間には先人の『文明力』と似た力を使っとるらしい。そ
のような力を知っとるおぬしらなら、サマンサに王になると言われたおぬしらならと
思って、話したのじゃがな」
 ジィスティさんは私達に軽く笑みを向けたが、すぐに不安そうな顔になってしまっ
た。この尊大な老人には似合わない表情だ。
「これで、心残りなのはジゼのことだけじゃ。申し訳ないがお二方、一つ頼まれては
くれんかの」
「もし、あなたが御亡くなりになられたときに、私達がここにいようといまいと、ジ
ゼのことはおまかせ下さい」
 私の返答に、ジィスティさんはそうかとだけ短く言い、ジゼの方へ歩いていこうと
した。
「ちょっと待って下さい」
「なんじゃ」
 私は素早く思考を重ね、言葉を一言一言選びながら言った。
「一つ、お聞きしたいことがあります。先人は、妖精の前にこの世界にいたものだと
サマンサさんに聞きました。そしてあなたは先ほど、先人が妖精になった、と仰いま
したね」
 老人は、不得要領に肯定した。
「なぜ、滅びたのですか。こんなにすごい翻訳機や立体映像、遺伝子操作までやって
のけた先人が」
 老人は、何かを思い出すように遠い目つきになった。
「わしもよくは知らん。上の世代によると、なんでも、神が罪を犯し、先人は文明力
を失ってしまったのだそうだ」
 私は、科学の話題に乱入してきた神話に面食らった。しかし、今の口調は、とても
ただの神話だというようには聞こえなかった。現実にあったことだと言いたいの?
「神が、いるんですか」
 老人は、あっさりと答えた。
「ああ。ここからもっと先へ行ったところに、神の国がある。そこに住んでいらっし
ゃると言われている。まあ、実際に姿を見た者はおらんらしいがな」
 神の国の話は、聞いていた。けれど、ただの地名だと思っていた。神が、現実に神
が存在する?いいえ、妖精やケンタウルスがいるならば、それもおかしくはない。神
が罪を犯したとは、どういうことだろう。どうやって、先人から文明力を取り上げる
っていうの?
「人の命は短い。文明力を失った妖精は、その代償としての魔力を使いこなして生き
抜いていくことに夢中になった」
 進化した、ということかしら。そんなに早くに?
「そしてあの土地に集まり、魔力の強い者を掲げた王国を作った」
 それがグリーン=ブルー、妖精の王国――理想郷なんて、あり得ない。




 結局、あたし達は不老不死の薬はもらえずに帰ることとなった。
「大丈夫かな」
「大丈夫でしょう。ケンタウルスのお薬をもらったし、第一両方とも落とすわけには
いかないわ」
 ジィスティさんは、あたし達とナイトに一袋ずつ、濃い赤の小さな木の実をくれた。
おみやげじゃ、と。
 これを一粒飲むと、大抵の病気には効く。ここでも育つから、グリーン=ブルーで
も育つだろうから、植えてみろ、ということだ。どうも、種でもあるらしい。抗生物
質の木ってことかしら、とあおいが言っていた。あたしは、そんなことは気にしない。
 とにかく、第五次通過ってことかな。あと四つか。
 あたしは、うーんと大きく伸びをした。冷たい空気が、気持ちいい。

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Last modified 2007.6.12.
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