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 本作品は、世界設定ばらしが非常に多く含まれています。他のGreen-Blue talesシリーズを読んでからの方が、いいかもしれません。


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   碧


                            Green-Blue tales

                              斎木 直樹

     第二章 黒髪の少年

 次の朝、私達は朝御飯をしっかりと食べてから、幻想界へとでかけた。
 今日は、昨日のようにワンピースなどではなく、クリーム色の薄手のニットに下は
水色よりは濃い青色の長い巻きスカートで、髪は上で一度留めてから、三つ編みにし
てたらしている。昨日はスリッパのままだったけれど、今日は二人とも新聞紙を敷い
た上に靴を履いている。
 ちなみに、みどりはスカートを持っていない。あいつの学校には制服がないので、
この十年ばかり私も中学の制服以外であいつのスカート姿を拝んだことがない。
「学校、大丈夫かな」
「まだ忌引きでしょう。祖母だと、何日くらいいいんだったかしらね」
とか言っていると、あっという間に着いてしまった。移動するときの、吐き気のよう
な奇妙な感覚には早くも慣れつつあったけれど、まだ頭がすこしぼうっとする。
 頭を軽く振って外の風景を眺めようとすると、カーテンが閉じてあった。みどりが
軽い手つきで開くと、予想以上に強い日差しが上方から射してきた。
「太陽があんな高いや。今、昼なのかな」
 人間界へ帰ったとき、幻想界では夜になりかけていて、家では夜だった。それなの
に、朝の八時に家を出て、こちらでは昼。本来ならば、早朝のはずなのに。
「全てが、私達の世界と同じだとは限らないわ……あの太陽、少し小さい」
 そう。こちらの一日が二十四時間だとは限らないし、一年が三十日なのかもしれな
い。もしかしたら、時間の流れ自体が違うという可能性もある。第一、こんなに外見
がそっくりの人間型知的生物がいること自体、おかしいのだから。パラレルワールド
なら、それでもいいのだけれど。
 あおいが一人で悩んでいると、ごわごわのシーツを手一杯に抱えた女の人が、部屋
に入ってきた。その二十そこそこに見える女の人は、私達をいぶかしげな目つきで検
分した。しかし、すぐに納得したような顔になり、グリーン殿下とブルー殿下でいら
っしゃいますねと確認した。柔らかな声だった。
「はあ、そうらしいですけど」
と、あたしが言うと、なぜかその地味な紺色の仕事着を着た人はぷっと吹き出し、く
すくすと笑いつつ、あたし達を先導し始めた。
 階段を二つ降りて少し廊下を歩くと、セイトさんのいる部屋へとたどり着いた。今
日も緑の服を着ている老人は、にこやかに私達三人を迎え入れた。
「そろそろ、おいでになる頃だと存じておりました」
「では、時間のずれは一定なのですね」
「おや、それにお気付きになられましたか」
 人の良さそうな老人は、椅子を勧めると自分も席に着いた。みどりが、女の人にも
座ったらどうかと言ったが、妙に驚いたようにして拒否されてしまった。
「まず、ここの一日と一年の長さは、そちらと同じであることを申しておきましょう」
「あら、一緒なんですか。奇妙ですね」
 ここ、パラレルワールドの地球なのかな。
「他にも、似ているところは大層ございます。生物の体型、生活様式、言語……ほと
んど同じだと言っても、過言ではないでしょう。ところで、今は時間のことでしたね。
殿下方が体験なされた時間の狂いは、二つの世界を移動したことによるものなのです」
 あたし達が、顔にクエスチョンマークを描くと、セイトさんは軽く咳払いをして、
説明し始めた。
 要約すると、こういうことらしい。こことあたし達の世界を行き来する時には、ど
こか他の、亜空間か何かを使うらしく、そこを通るときに時間をとられちゃうんだっ
てさ。ずれは短期間の時のみ一定で、片方の世界で一年以上過ごしたらずれはなくな
るとか。何かややこしい。
「それで、殿下方の使用されている方法では、人間界ではこちらの二分の一の時間し
か経たないはずです」
 二分の一、ね。そうね、それなら理屈が合う。だとすると、少しはゆっくりしてい
てもいいのね。
「そうそう、殿下方の御世話係を紹介いたそうと思いまして」
「世話係」
「はい。こちらのエカが、御二方の御世話をさせていただきます。いろいろと細かい
ことは、このエカにお尋ね下さい」
 手で促された女の人は、私達に微笑みかけた。
「エカ・グリーンブルー・グラスです。エカとお呼び下さい」
 私達が、慌てて立ち上がってお辞儀を返すと、彼女は心地よい声でくすくすと笑っ
た。
 肩を覆うくらいの長さの、明るい茶のさらさらの髪。目の色は薄い緑で、常に輝き
を失わない。にこにことしている顔の血色はいいけれど、少しやせぎすだ。紺の服の
上からまだらな緑色のストールをかけていて、おとなしそうな彼女にはよく似合って
いる。可愛らしい人だな。
「エカは、うちの嫁でして」
「結婚してるんですか」
「若い……」
 あたし達の反応に、二人は笑い出した。あたし達って、そんなにおかしいのかな。
「エカには、もう子どももいますよ」
 そういえば、セイトさんには孫がいるとか言っていた気がする。でも子持ちにはと
ても見えない、とあたし達が目を丸くして感心すると、二人はまた笑い出した。
 セイトさんはまだ苦しそうにしながら、
「夕方に客が来ることになっていますので、それまでは自由にしていらして下さい」
と、仕事に戻ってしまった。
 どうしようかと私達が顔を見合わせていると、エカさんが外に行かれたらと提案し
てくれたので、そうすることにした。




「わあ」
 すごいすごいっ。遠くから見ただけでも綺麗だったけど、これは凄いわ。視界一杯
の野原なんて、ここしばらく見てないよっ。
 昼食後、私達はエカさんからおやつをもらって城――あそこ、広いと思っていたら
城だったのよね――を出ると、窓から見えた丘に出かけた、んだけど。
「ちょっと待って、みどり……」
「おっそい遅い。はっやくー、あおい」
 日頃の運動不足がたたって、あおいはすっかりへっぴり腰でよろよろとあたしの後
を追ってくる。ふん、いつも学校さぼって本読んでるからさ。現役バスケ部の体力を
見直したか。
 あたしは、丘の頂上へと足を踏み出した。するとそこは。
 視界一杯の野原。赤、ピンク、黄色、青、紫……語り尽くせないほど沢山の、色と
りどりの花。大きさは手のひらサイズの小さいものがほとんどだったけど、ところど
ころには膝丈のものもある。そして、その向こうに広がる青い、どこまでも青い空。
 その時、不思議な感傷があたしの胸を通り過ぎた。それはあの、昨日おばあちゃん
の部屋に入ったときに感じたのと同じものだった。どうしたんだろう。妙な体験ばっ
かりしてるから、ちょっと感覚がおかしくなってるのかな。
「疲れた……」
と、あおいが息を切らせて隣で呟くまで、あたしはそんな考えに囚われていた。
 私達は、花を摘んだり鬼ごっこをしたり、いろいろなことをして遊んだ。いくらか
して、お腹が空いたのでおやつにすることにした。
 いいところはないかなときょろきょろしていると、あおいの呼ぶ声が聞こえた。
 そこは。
 ――どこまでも続く野原
 ――たくさんの赤紫の小さな花
「どうかした?」
「ううん、ここにしよ」
 そこは、小さな赤紫の花が群生する、野生の花畑だった。
 ――子どもたちの笑い声
 ――小さなぱたぱたという足音
 そうか。ここは、あそこに似てるんだ。ここの方が、ずっと小さいけど。
 あたしは音を立てずに座り込むと、袋から出した緑色の、リンゴに似た果実にかぶ
りついた。酸味がきいている。
 ――顔に当たる少し冷たく心地よい風
 ――繋がれた小さな手
 軽く頭を振ると、わざと勢いよく後ろに倒れ、仰向けになる。少し気持ちが悪い。
目を強くつぶる。輝きが失せはじめた太陽の光が、追いかけてくる。
 もう、忘れなくてはいけないのかな。
 ――風に揺れるさらさらの黒髪
 ――どこまでも青い瞳
 ――病的なまでに白い肌
 あの子は、やってこない。




「また、あそぼうね」
「……ぼく、勉強があるんだ」
「べんきょう?がっこうにいってるの?みどりもはやくいきたいなあ」
「学校には行かないんだ。ぼく、王様になるんだって」
「王さまになるの?じゃあ、あなた王子さまね」
「……」
「あのね、あたし王女さまになりたいの。どうしたらなれる?」
「――ぼくと、けっこんすればなれるよ」
「してくれる?けっこん」
「君が良ければいつか……きっといつか、むかえに行ってあげる」
「うん。あたし、待ってるね。ずっと、ずっと待ってるからね」




 ずっとまってるね、か……。あれからもう十年以上経ったけれど、名も知らない赤
紫の花の咲く野原で一度だけ遊んだ、王子様だと名乗った少年はやってこない。
 あの時あの子は十くらいだっただろうから、今はもう二十歳以上か。覚えてるかな、
覚えてるわけないよね。それなのに、あたしはまだ待ち続けている。でも、あたしは
ただ怖がっているだけなのかもしれない。迎えを待つことを止めてしまうことによっ
て、あの子のことを忘れてしまうことを、なくしてしまうことを――何を?
 弾みをつけて勢いよく起きあがると、頭がくらくらした。視界が暗い。
 そこに、あの少年がいるような気がした。幻覚症状まで出てきたか、と思っていた
んだけれど、すっかり明るくなってもそれは消えなかった。ただし、それはあの子の、
あの時から七八年後の想像図のような、青年になりかけた少年だった。
 その人は、一人で川岸に座っていた。ほとんど身体を覆い尽くしてしまっている大
きめの闇色の服の上からでは、体型が全く判らないが、背は高い。青白い顔を縁取る
黒髪を長く伸ばしたその人の背には、善の精のような白い翼があった。今、一人と言
ったけど、彼の周囲には沢山の鳥や、鹿や兎に似た小動物がたむろしていた。すっか
りなついているようで、彼の膝で眠っているものもあるようだ。
「みどり?」
 あたしは、駆け出していた。
 だってこの人、十年以上想い続けてたあの子そっくりなんだよ。ほら、この淋しそ
うで、優しい深い青の瞳まで。
 気がつくと、彼の目が目前にあった。その困ったような、驚いたような視線に辺り
を見回すと、動物たちは皆逃げ出してしまった後だった。
 あたしが焦って謝ると、彼はにっこりと許してくれた。
「いいんだ。ぼくも、行かなくちゃいけなかったから」
 少し幼さが残る口調。その微笑みがまた、あたしの好みなのだ。綺麗で優しくて、
繊細でちょっとか弱そうな印象。
 でも、この人があの子だなんてことはありえない。あるわけがない。あの子はもう
少し年上だったし、第一あたしはここへ来たことがない。
 あたしは立ち尽くしたまま、彼が丘の向こうへ去っていくのを見送った。そこへ、
「あーら、いいことしてんじゃない、みどりちゅわん」
「何よ」
 あおいはあたしの肩に頭を載せ、にやにやとチェシャ笑いを浮かべた。全く。こ
いつってば、世間様じゃおとなしいいい子で通ってるらしいけど、本性はこれだよ、
これ。
「まあひどい。外も内もこれのみどりよりは、私の方がずっとましなのに」
「うるさいなあ。勝手に人の心覗くなってんだろ」
 あたしは、あおいの手を軽く叩いた。あおいはわざとらしく手をさすりながら、に
やっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「ところであの人、あんたの好みでしょう」
 ぎく。
「ああいう、マザコンっぽくてなよなよしたの、あんた好きなのよねえ。私は嫌いだ
けど」
「大きな御世話だっつーの」
と、あたしはあおいに川の水をかけた。不意を突かれたあおいはむっとした顔を作り、
仕返ししてきた。




 目が覚めると、空は赤く色づいていた。
「やばっ」
 草の上で眠りこんじゃってたんだ。どうしよう、夕方前には帰ってきて下さいねっ
て言われてたのに。
「エカさん、怒ったら恐そうだね」
「うん」
 そう言いつつも、私達は座ったまま、黙って夕焼けを見つめていた。
 いつも見る地球の衛星よりも一回り大きな、上弦の月の下に広がる紺からだいだい
色へのグラデーション。絵の具を混ぜたようなその絵は、天に誰が描いたものなのだ
ろう。絵にも写真にも、文章にも写せないその情景は、私達に与えた。
 すっかり日が沈んでしまうと、私達は仕方なく立ち上がり、のろのろと歩き始めた。
「ここも、いいよね。こんなところ、人間界にはない」
「大変よ」
 お互いに判りきったことを言いあい、それきり私達は言葉を交わさなかった。
 気がつくと城の門が見え、エカさんがあたし達の方へ駆けてきていた。
「御二人とも、何してらしたんですか。ちゃんと申し上げておきましたのに」
 あたし達が素直に謝ると、彼女はすぐに機嫌を直してくれた。
「もうあちらは、とっくに御到着ですよ」
「客って、誰なんですか」
「ナイト様とダイ様です」
 何で、闇の精の長のダイが来るのかというと、彼はナイトの父方の伯父で、彼の唯
一の肉親なのだそうだ。ナイトの母親があたし達のお母さんの従姉妹だから、ダイは
あたし達の……何なんだろ。ま、いーか。
 話題を変えたがっているように、エカさんは微笑んで言った。
「ここはいいでしょう。人間界に行くなんて、私にはラズの気持ちが解らないわ。あ
ら、すみません。殿下方はあちらで御育ちになられたのに」
 その、あまり済まないと思っていなさそうなエカさんの口調が、愛らしかった。
「ラズ」
「あ、殿下方の御母上のラピスラズリ――るり様のことです。私達、幼い頃よくラズ
とライムに面倒を見てもらっていましたの」
 へえ、幼なじみか。
「私と夫のリーフ、そしてラズとライム……もう、二人も死んでしまった」
「ライムさんって、ディーン王のお子さんでしたよね」
「ええ。ダイ殿と結婚して、ナイト殿下をお産みになられたときに」
 ナイトの親はライムさんとダイ……あれ、ダイはナイトの伯父じゃなかったっけ。
 あたし達が悩んでいるのに気付くと、エカさんはしまったという顔をした。そして、
付け足しのように辺りを見回すと、ひそひそ声で言った。
「まあ、どうせ知れる事でしょうから。実は――秘密ですよ。ダイ殿は、ナイト様が
お誕生なされてすぐに、兄夫婦にナイト様を預けたのです」
 すると、ナイトにとってダイは実の父で義理の伯父ってわけか。複雑なご事情だこ
と。
 かれこれ話している内に、私達は城へと入り、入り口のホールを抜け、ある部屋の
前まで来ていた。
 この城の内部構成は大体把握できていたが、まだどこに何の部屋があるのかまでは
判らない。もとは一つの部屋だったところをいくつもの部屋に分けて使っているとこ
ろもあるようで、私達にとっては複雑極まりない、迷路のようなところだった。
 エカさんは昨日の会議室ほどは豪奢ではない扉を軽く叩くと、迷わず開いた。
「グリーン殿下とブルー殿下のお越しです」
 中は思ったよりは大きくなく、けれど椅子の数からいくと少々広すぎる感のする部
屋だった。椅子の数はちょうど八つで、どうやら長老会を開いていたらしい。中にい
たセイトさんとダイ、そしてもう一人、長い黒髪の青年はうつむきかげんに立ってい
た。ナイトは善の精と闇の精の混血だと聞いていたが、翼はない。あら?
 闇の精の長は、色の濃い肌にのった口の端を嫌みに上げると、若い男を手で示した。
「こちらが、ナイト・グリーンブルー・サス殿下でいらっしゃいます」
 ダイとお揃いの黒づくめの衣装を纏った青年は、青ざめた顔を上げた。
「あ」
 その人は、さっき遭った彼と同じ顔をしていた。もっと素直に言うと、ナイトと呼
ばれた青年は、さっきの彼なのだろう。ナイトに双子の兄弟がいるとは思えない。で
も、その、目が違うのだ。
 どこまでも青いその瞳は、さっきの人とはまるで違う人のもののようだった。さっ
き遭ったときには悲しそうでも、まだ表情があった。けれど今の彼は、何も見ていな
いような、こちらは見ているだけで何もする気をなくしてしまうような、そんな虚無
を瞳に持っていた。
 あたし達は、ダイが話しかけてくるまで、その深い深い青の瞳に見入っていた。
「どうかしましたか」
「あ、ええ。さっき、ちょっと、遭ったんです。ね」
 ナイトという名の青年は、表情一つ変えずにただ突っ立っている。
「そうですか、それは良かった」
 何が良かったのかは判らないが、とにかくダイはそう言った。
「ナイト殿下、グリーンとブルーに挨拶はなさらないのですか」
 別にいいけど、ナイトには敬語使って、あたし達にはなしなのね。
「こんにちは、私はナイト・グリーンブルー・サスです」
 まるで、機械がしゃべっているかのような無感情な声。背中が震える。こんな――
目が出会う。
 うん。
 こんなでくの坊に、グリーン=ブルーは渡せない。そのくらいなら、私達が王にな
ってやる。この美しい国を、こんな笑い方をする奴とその人形に渡してやるものか。
 固く握りしめあった手が痛むのを感じていると、セイトさんが話し始めた。
「『九つの試練』のことですが、出題順が決まりました。最初は光、そして水、地、
天、火、大地、闇、善。最後に、もう一つの問いという順です。今まで王家には、双
子の嫡子はございませんでしたので、どうしたらよいのか判らないのですが、どうな
さいますか」
 一応そのことは、長老の間でも今日話し合われたのだが、決着がつかず、私達とナ
イトの間で決断を下すことになった、ということだ。
「もちろん、二人でやります」
「それはまた、ナイト殿下に不利なのではありませんか。それに、二人で王になるな
ど前例がない」
「私達はここに不慣れですし、まだ大人ではありません。せめて最初の試練だけでも、
二人で受けさせるべきではありませんか。それに、双子は二人で一人のようなもので
すから」
 あおいは相当頭にきているようで、平静な顔でそう言ってみせた。双子が二人で一
人なんて、じゃあ片方が死んだもう片方も死ねってのかよ、とあおいはいつも怒って
いる。
「ナイト殿下にはダイ殿がいらっしゃることですから、両殿下には私めがいくらかご
助言いたしましょう。それに、前例はございます。それも、立派な前例が」
 ダイは、不機嫌そうな顔で軽く唇を噛みしめた。
「ふん、あんなもの本当かどうか」
 私は、疑問を抱いた。セイトさんは双子の嫡子はいないと言っていたのに、王はい
たと言っている。どういうことなのだろう。
 そんなことを考えていると、ダイの隣りに立っている黒髪の青年の姿が目に入って
きてしまった。こんな時でさえ、彼は無表情に顔を凍らせたままだ。どうしてこの人
は、こんな風になってしまったのだろう。今は、まるで機械仕掛けの人形のよう。




 ご対面の後、エカさんが私達の部屋を用意してくれたというので、見に行った。
 そこはおばあちゃんの部屋の近くで、少しこっちの方が大きめだった。といっても、
ベットが二つあるからこっちの方が狭いんだけどね。
「狭いのですが、お二方にはこのくらいの方がいいだろうと、義父が申しておりまし
たので」
 私達が十分です、と言うと、エカさんは安心したように顔をほころばせ、すぐに夕
食ですからと去っていった。
 私は、ベットに腰を下ろした。みどりは既に寝転がって天井へ足を上げ、腹筋のス
トレッチをしている。何という順応の速さ。
「さっき聞いたんだけれど、ここって、季節がないんですって」
「へ、じゃあ一年中こうなんだ」
 こちらは、長袖では暑いぐらいの気温だった。昨日も今日もいい天気で、雨が降り
そうな気配はない。
        ユートピア
「そう。まるで、理想郷みたいなところよね」
 ユートピア、か。夢と幻想が支配する世界にある、魔法を使う妖精が住む常春の国。
それを、人は理想郷と呼ぶのかもしれない。
 少しうとうととしていると、エカさんが呼びに来た。やたっ、めしめしっ。
 ひょこひょことついていくと、やけに広いところに着いてしまった。昼御飯は軽い
ものだったから、おばあちゃんの部屋に持ってきてもらったんだけど。普通、学校の
食堂ぐらいある部屋で、三人で食事するか?
 仕方ないから座ったけれど、離れていては話もできないので、椅子を引き寄せた、
と言うよりは、本当は引きずってきた。エカさんたちは困ったような顔をしていたけ
れど、あたし達は知らんぷりを決め込んだ。
 出てきたのは味のない食事パンと薄味のサラダ、温かいコーンポタージュに似たも
の、あとは何かの肉を焼いたものに、意外ときれいな水。極めて素朴な、全体的に味
付けの薄い料理だったけれど、結構おいしかった。きっと無農薬なのだろう。
 皿は陶器、ナイフ等は鉄らしい金属、水は不透明な分厚いガラスのコップに入れて
あった。文明の発たち度は、西洋の中世前期ってとこかしら。照明は――あれは、何?
 天井や壁に張り付けられた、握り拳ほどのふくらみを覆っている切り込みの入った
鉄の内側から、淡青色の光が出ていた。電気にしては光が大きすぎるし、何より、眩
しくない。
「あの、セイト様。あの青いものは、何ですか」
「様はおやめ下さい、殿下。あれは明かりです」
「それは判ります。どういう仕組みなんですか」
 結局、セイトさんにも仕組みは判らないようだった。ただ、昔から暗くなるとつく
ようになっている、そういうものらしかった。魔法の一種なのかしら。
「粗末なものばかりで、申し訳ございません。お口に合えばよいのですが」
「ええもう、合いまくってます」
「この子の胃ときたら、底がなくって味わう暇もないんですよ。すみません、こんな
においしいのに」
「何がすみませんだよ」
 セイトさんとエカさんはひとしきり笑うと、老人の方が口を開いた。
「明日からは、早起きをして勉強をしていただきます」
「べんきょう、ですか」
 がーん、という顔をしているだろうあたしを、あおいががこんとぐーで殴った。い
ったいなあ、もう。
「はい。することはたくさんございますよ、あちらには十年以上の後れをとっている
のですからね」
 私はきっと、いや絶対に、王になるなんて言い出すんじゃなかったなんて考えてい
るみどりの頭を、もう一度思いっきり拳骨で殴り飛ばした。

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Last modified 2007.6.12.
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