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ぷにぷに新報 第1号 発行1990年(平成2年)10月吉日

命名・峻太郎

木村家に第一子誕生

 平成二年十月二十五日、午後九時二十七分、埼玉県富士見市みずほ台の恵愛病院にて、木村重雄、由美子夫妻に第一子長男が誕生した。4042グラムであった。
 夫妻はこの長男にかねてより考えていた「峻太郎」という名前を与える予定である。
子供の出産を期に家庭新聞を出すぞと意気込んで作った。
新聞だから文体も他人称でと気合い入れて書いたのだが、
支離滅裂だよなーまったく。笑ってください。(1997.1)

苦闘20数時間の快挙

 最初の陣痛がきたのは予定日を9日過ぎた10月24日の正午であった。始めはかすかな、陣痛かなという程度のものであった痛みも、ご主人の重雄さんの帰宅する夕刻には20分間隔で、はっきり陣痛とわかるものになっていた。
 もうその頃になると、夫人はキッチンに立つことも出来ず、夕食はカップ麺に菓子パン肉饅という全くコンビニエンスなものであったという。ちなみにここのご主人は全く料理が出来ないというのが通説になっている。

 夜10時、陣痛の間隔は15分置きとなる。先ず病院に一報を入れ、入院の予約。11時40分、陣痛の間隔が10分置きになったのを確認後、病院に第二報を入れご主人の運転する車で病院に直行した。
 日も変わった25日午前0時30分、入院。深夜の病院は静寂なものと思いきや、夜泣きする新生児の声で思いのほか賑やかだったという。一睡も出来ぬうちに夜は明けて、陣痛の間隔も次第に短くなり痛みも増していった。

 午後1時には仕事を早退したご主人が、2時には由美子さんのお母さんも駆けつけてくれた。
 夕刻には更に痛みも増し苦痛に涙を流すほど。にわか仕込みの呼吸法も顕著な効果を発揮せず、二人がかりの介抱もせいぜい手を握り腰をさする程度。一人産みの苦しみに耐える由美子夫人であった。さすが、母親になろうとしている人の強さである。
   夜7時、陣痛の間隔も3分を切りいよいよクライマックスが迫る。7時40分、破水。分娩室で苦闘すること1時間半。永遠に続くかのような痛みとの闘いの末、9時27分、ついに長男を出産したのであった。

苦しかったつわりを越えて

由美子夫人の妊娠が判ったのが2月9日。
喜びも束の間、11日にはもう軽いつわりが始まる。
つわりは日を追って重くなり、20日頃には体重も減ってゆくようになった。
以来1ヵ月も苦しんだ挙句3月17日ついに入院。点滴によって体力を維持する身となった。
しかし、この入院を境につわりもピークを越して、精神面での落ち着きもあるのか少しずつ物を食べられるようになっていった。
 3週間後の4月7日、やっと退院。つわりもようやく治まってきた。

 5月 9日、戌(犬)の日。5ヵ月である。お腹もそろそろ目立ってきた。
 6月 9日、胎動も感じられるようになる。6ヵ月めである。
 7月24日、東京ディズニーランド。
 8月 3日、信州旅行
。どんどんお腹が迫り出してくる。
 9月下旬にはいよいよ臨月突入。おむつ、子供服、手縫いの服も増え、出産の準備は万端。
 10月15日、予定日。何事もなく過ぎる。

 10月25日、出産。
 予定日が同じだった石川秀美もこの日男の子を産んだとか。

名前の由来

まだぷにぷにの方が大きいのだ
 長男だからどうしても太郎意外考えられない、でもご主人の考えに奥さんはどうしても同意しませんでした。(ちょっと古くさいし、そんなニュース解説者もいたしね)

 そこで、太郎の上に一字つけることにしたのです。例えば、新太郎とか金太郎とか与太郎、桃太郎、浦島太郎・・・。そのなかで「シュンタロウ」が言葉の響きもいいし気に入りました。
 ではどんな字を当てようか、俊太郎、春太郎、駿太郎・・・、そしてその中から己に厳しく誠実に大らかに生きて欲しいという願いを込めて「峻太郎」と命名したのです。  峻厳、峻烈、急峻、高峻・・・といったイメージ。
異説・しゅんたろう命名外伝はこちらへ


ひと

本名木村 峻太郎
生年月日1990.10,25(Thu)
血液型・星座O型・さそり座
サイズ身長54cm、体重4042g(出生時)
好きな言葉不明
好きなタイプ工藤 静香(たぶん)
趣味オートバイ(たぶん)
知能明晰抜群(であって欲しい)
尊敬する人父 母(違うだろうな)



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