Kiyoysato Touring

身重の妻と清里ツーリング

この原稿は1991年春に雑誌モーターサイクリストの
ツーリングレポートに掲載されたもののオリジナル
原稿にあらためて手を加えたものです。     

 1990年夏、妻と二人で信州へドライブ旅行をしてきた。
 車や自転車での旅もツーリングというのは知っているが、『ツーリング』とはバイク・ツーリングのことであるとこだわりたい。もちろん二人とも本来はライダーである。89年の夏は四国をツーリングしてきたし、この夏も本当は一諸にバイクで走りたかったのだが、妻が妊娠8ケ月ではちょっと無理。愛車ZXR400を手放し、髪も切り(お腹の大きい妊婦は髪を洗うのも大変だ)出産に備える妻を置いて一人でツーリングに出るわけにもいかない。そこでこの夏は車でのドライブ旅行となったのだ。



8月3日
 7:00am出発。お盆を避けたおかげで関越道もスムーズ。車で帰省の渋滞に巻き込まれたら目も当てられなくなる。
 高速を藤岡で降りてR254を内山峠へ向かう。バイクだったら攻めまくってしまいそうなワインディングを妻とお腹の子のためにとファミリーカーに徹して走る。
早咲きのコスモスが風に揺れていた。

 昼過ぎに野辺山に到着。宇宙電波観測所を見学する。
 広い敷地には科学の粋を集めた観測施設が点在していて歩くと結構ある。お腹の大きな妻に合わせてゆっくり歩く。真っ赤なマタニティードレスの妻の足取りは一歩一歩しっかりと大地を踏みしめてたくましい。直径45mの電波望遠鏡、遥か何億光年先を見つめる科学の瞳。巨大だ。生まれてくる我が子は将来何になるのだろう。天文学者なんかも悪くない。とにかく何にでも興味を持つ、夢と浪漫のある子に育って欲しいと思うのだ。(親バカだね、早くも)

先端をゆく科学の世界からメルヘンの世界へ。そう、清泉寮名物のソフトクリームを食べに清里へゆく。金曜日なのに長蛇の列で、たかがソフトクリームに30分も並んでしまった。しかし日曜ともなると2時間はザラだというから凄い。味のほうも一口食べれば違いがはっきり分かるおいしさ。苦労して並んだのだし、じっくりと味わいたかったのだがこの日はとても暑く、急いで食べないとどんどん溶けてしまう。記念撮影も大忙し、慌てて食べたのだった。

『ミルク』という清里でもしにせの喫茶店に入る。実はここ、二人にとって思い出深い店なのだ。以前訪れた時は11月だったため清里にはバイクはおろか人影もほとんど無かった。寒さも半端じゃなく、開いている店もまばらな清里へのツーリングの目的は、『ミルク』でホットミルクを飲むこと。ちようど一緒に走り始めた頃で、お揃いの革ツナギもぴかぴか。バイクに夢中になり始めた彼女とそんな彼女に夢中になり始めた私とで「ミルクでミルクを」と出かけたのだ。風にふるえてホットミルク。少女マンガ趣味もいいところだけど、ここには今の二人の原点があるような気がする。そして今、二人の人生の大きな節目となるだろう出産を控えてもう一度この店に立ち寄り、これまでの二人とこれからの二人というものを改めて考え直してみたいと思ったのだ。
吉田真由美の「年下のあんちくしょう」というマンガのなかにこの『ミルク』
が登場します。「雨にぬれてホットミルク」はまさにここが舞台。ご一読を!
少女が成長して大人となってゆくようにこの清里の街も随分様変わりした。パステルカラー一色だった街に大人でも楽しめる落ち着いた店や施設も目立ち始めた。そんな街並みを少し散策した後八ケ岳横断道路を走り、甲斐小泉のペンションに泊まる。シーツに身をすべり込ませ、絵はがきを書く。ワインの酔いも手伝って、まだ外で花火に興じる子供の声もいつか知らずに眠りに落ちていた。

8月4日
モーモーちゃんのお店 メルヘン!!
今回の旅のメインイベント。今日は一日バイクをレンタルしてツーリングをするのだ。この日のためにペンションもバイクレンタルのあるところをチェックしたし、ヘルメットも愛用のものを車のトランクに忍ばせてきた。妻と一緒に走れなくなってからもう半年以上。大型のバイクは無理でもスクーターなら大丈夫だろうと、親には内緒で(猛反対に決まっている)計画を立て、指折り楽しみにして来たのだ。借りたバイクがホンダのイブではあっが二人で走れる喜びに比べれば何でもないこと。どんなに非力であろうが今の二人には立派なオートバイだ。
キックするとポロポロとすぐエンジンは回った。バッテリーレスのレンタル仕様とかでホーンを押すとピキーンと聞いたこともないような音色。さあいよいよ出発だ。
スタートしてすぐの登りは思うように走らずしんどかったが、平坦路では50キロは出るのでまあ満足。甲斐小泉から大泉までは空いていて快適なワインディングだ。抜けるような青空、吹き渡る緑の風、きらめく木漏れ日。光や風を膚で感じて走る快感。とにかく最高だ。やはりバイクはいい。しかもバックミラーには妻の姿が。2台で走るのも久しぶり、もう嬉しくて嬉しくて仕方がない。2台で抜きつ抜かれつして、バイクならではの解放感を思いきり楽しむ。

10キロちょっとの走りを楽しんで、清里のホールオブホールズに着く。ここはアンティクオルゴールの博物館になっていて実演も楽しめる。SPレコードもない19世紀の人達はオルゴールで音楽を楽しんだのだ。とにかく是非一度この音を聞いて欲しい。現代のちっちやなオルゴールしか知らない人には信じられないほど深く澄んで美しい音色なのだから。
昼食は洒落めのレストランでちょっとリッチにランチコースを取る。予算をややオーバーしそうだが、たまにはいいだろう。何しろ今日は特別な日なのだから。しばし妻と二人豪華な気分にひたり、表に出て記念撮影もする。レンタルのおばさんバイクでは一向にさまにならなかったけど。
気分だけはGPレーサー
腹ごなしは峠へとばかり、清里の街を抜け飯盛山の麓を越える峠へ向かう。街を外れると途端にメルヘンの世界から引き戻されごく当り前のツーリング風景が広がる。適度なアップダウンとコーナーの続く渓谷沿いの道は車もほとんど通らず、スクーターでも十分ツーリング気分を楽しめた。
 道は気持ち良く続き、次第に勾配もきつくなる。ところが一度スピードを落とした途端アクセル全開でも登らなくなってしまった。それ程の急勾配でもないのだがどうしようもない。今更引き返すのもしゃくで足で漕いで進むこと数百メートル。大汗をかき、もう引き返そうかと思った頃、妻のバイクがするすると先に加速しだした。同じバイクだからこれは体重差の影響だ。妊娠して体重が増えたとはいえまだ妻のほうが軽いらしい。
 小さなコーナーの連続する峠をわりとマジになって登りつめるとぱっと視界が開けた。頂上だ。大きくゴツコツした獅子岩という岩からの眺めは絶品である。眼下には清里の街が広がり、野辺山高原、美しの森、その広大な裾野の向こうには手を伸ばせば八ケ岳。
杉田次郎が「八ヶ岳」という曲を歌ってます。夫婦愛を歌った名曲です。
 どんなバイクに乗っていようとその醍醐味は峠に尽きるのではないだろうか。久々に味わう解放感である。
 妊娠というものは肉体的にも精神的にも様々な影響を女性に及ぼす。恐らく妻にも人知れない悩みがいろいろあるのだろう。でもこの時は本当に素敵な笑顔をしていた。二人肩を並べて大パノラマを眺める。昨日見た天文台も清泉寮もペンションも今日走ってきたところもみんな一望のもと。良く考えてみれば雄大に見えるパノラマもスクーターで半日かければ回り切れる程度のものだ。箱庭のようなパノラマ風景。でも今の二人にはこれで十分だし、とても似合っている。二人だけの旅もきっとこれが最後だ。この旅が終わればいよいよ出産そして育児が待っている。二人だけの時間はもう無いかもしれない。勿論それが悲しいわけではない。二人はこれからも旅に出るし、一緒に年を取る。子供たちと一緒に生活し、成長もする。楽しみは尽きることがなく、より充実した時間が待っているに違いない。でも、だからなおさら今二人だけのこの時間がいとおしい。ちっぽけな箱庭の中のツーリング。大きなお腹を抱えた妻と二人だけの忘れられない人生という名の旅の小さな一コマ。
 峠を野辺山側に下りJR最高地点を抜け八ケ岳牧場へ。日もだいぶ西へ傾いてきた。たった数時間のツーリングだったが、暑かったこともあり結構疲れた。妻の疲労はきっと相当なものだろう。本当に良くついてきてくれたと思う。妻の横顔は疲労感が強いが瞳はとてもキラキラしている。来て良かったと改めて思った。

8月5日
武田、稲置夫妻と
 相変わらず快晴。昨日日焼けした腕がいたい。今日は長野市まで行き、赤ちゃんの生まれた友人宅にお邪魔するのだ。中央道とR19を淡々と走って、午後には武田夫妻宅に着いた。生後3ケ月の直己君とご対面。この日はもうひと組、新婚ほやほやの稲置夫妻も遊びに来ていた。直己君を中心に、赤ちゃんの生まれたところ、もうすぐのところ、新婚さんと、三者三様の赤ちゃん談義に花が咲く。
 妻も昨日とは打って変わってすっかり主婦の顔だ。武田君とは旧来の友人で、一緒に旅をしたり飲み明かしたりしてきた仲なのだが、その彼が子供を抱いてもうすっかりパパの顔をして目の前にいるのを見るとああ人生だなと変な感慨まで覚える。中学のときのガキ大将が子供をお風呂に入れおむつの世話までしてしまうのだ。でも今の彼がきっと数ケ月後の自分なのだろう。
この予言、完全に当たってました。
 すっかり家庭的な気分になって武田家をおいとまし、本日の宿へと向かう。対向車線を何台か大きな荷物を付けたTシャツ姿のライダーがすれ違ってゆく。「あッいいな」その度につい口走る。「赤ちゃん生んでお腹もすっきりしたらまたバイクに乗りたい!」妻も同感のようだ。
本日の泊まりは不動温泉というひなびた温泉宿。ゆったりと温泉につかり旅の疲れを取る。

8月6日
 楽しかった旅ももう終わり。安曇野を回って帰ったのだが、さすがに4日目で疲れもたまったのだろう、妻は助手席でほとんど眠りっぱなしだ。昼食に信州そばを食べた後はひたすら走るのみ。中央高速から渋滞の16号を通ってそれでも明るいうちに家に帰り着いた。

 これで二人の第一章が終わった。今回の旅で、まずまずの幕の終わりの演出ができたのではと思っている。さあ、これから第2章の幕開けだ、二人はこれからも一緒に人生を歩んでゆく。目標とするはバイタリティーと家族愛にあふれた『木村家の人々』だ。あれのバイク編をやろう。乞うご期待である。

<データー>
費用 二人で約68000円
走行距離 約600km
車 日産サニー1500
バイク ホンダ・イブ
レンタル代3600円×2


 追記
 10月25日、とうとうお父さんになってしまった。峻太郎と名付けた。ライダー2世の誕生である。
 今、改めてこれからのバイクライフをどうしてゆこうかと考えている。とりあえずは子育てに専念しなくてならないが、たまには軽く日帰りツーリングくらいはしたい。が、愛車はやはり250に買い替えるべきか、それとも思い切って処分すべきか。子供がいくつになったらタンデムで親子ツーリングにいけるだろうか…。嬉しい悩みは尽きない。とにかくいつまでも妻とバイクで走り続けよう。一家揃って。改めて思う今日この頃なのだ。

新米ママより
ペンションにて ぷにぷにの真っ白なこと!
 ZXR400で走る事がどんどん快感になってゆく。妊娠を知ったのはそんな矢先のことだった。その年のG.Wや夏休みを主人とロングツーリンクーにゆくのが楽しみだったが、新しい小さな生命の誕生には何も変えられない。私は赤ちゃんができてもいいと思っていたので、バイクが遠ざかるのはザンネンだけど、夫婦からファミリーになることは嬉しかった。が、主人は遊べなくなると悲しんでいた。男の人ってそんなものかな?
 妊娠3ケ月頃つわりがひどく入院することになり、その間に主人がZXRを売った。自分の愛車を手放す姿さえ見れずとてもつらかった。ライダーという言葉は遠ざかってもママになる未知を夢見て赤ちゃんの服を縫いながらモーサイを読んだものだ。
 主人の文面どうり信州へのドライブはとてもステキな思い出になった。レンタルスクーターでのミニツーリングもZXRでは味わえない別の喜びがあり、忘れられないものとなった。
 そして私は元気な男の子を出産し、主人に250ccでも買ってェーとおねだりしている最中。育児はちょっと大変だけど、そんな毎日だからいつかツーリングに行けたとしたら今まで以上にバイクのすばらしさ、ツーリングに行けるうれしさが実感できると思う。
 子供を生んだ女性ライダーはきっとみんなそう感じている。息子をつれて走ったり、いつか息子と走れたらって、新米ママは夢見ています。



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