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ぷにぷに新報 第2号 1頁 発行1991年(平成3年)11月吉日

しゅんたろう満1歳

這った! 立った! 歩いた!!

1991.NOV
 紀子様ご出産のニュースが、世間をにぎわせていた、去る十月二十五日、我が家の峻太郎も無事、満一歳の誕生日を迎えました。

大地を濶歩するしゅんたろう 1歳1ヵ月
 生まれた時から四千グラムと大きかった峻太郎は、六か月頃まで毎月一キロのペースで成長し、半年後にはあっさりと十キロの大台を突破。その後はさすがに運動量も増えたのか、体重はほぼ平行線をたどり、十一月現在は十一キロ強といったところ。
 足取りもかなりしっかりしてきて、イタズラの方もいっちょまえ、うっかり目が離せなくなってきました。階段の上り降りまでやってのけます。目下のお気に入りは、コタツにお立ち台よろしくはい上がり、奇声をあげながらディスコダンスをすることです。
階段にしてもお立ち台にしても、親としてはいつ落ちるかとハラハラものですが、ここまで成長したのかと感心しながらこの危険な遊びを自由にやらせているのです。

はいはいの頃 ぷにぷにと同じ大きさ
我が家で一番早起きは峻太郎です。寝室は東向きなので、天気のいい日は日の出の時間から部屋が明るくなって、カーテンの隙間からお日様がまず峻太郎にお早うをします。
 寝起きが一番いいのも峻太郎で、もうちょっと寝たいなーなんてこれっぽちも思わないいさぎよさの早起き鳥、夏場には五時前からどっしんばったんされた日もありました。もちろん峻太郎は自分だけ起きているなどというのは好みませんから、騒ぎ、そして泣き、叫び、私達を起こしにかかります。おかげさまで、夏の間はずいぶん睡眠不足に悩まされました。
 秋も過ぎ夜明けが遅くなった今、実はほっとしているのです。

日毎に拡がる行動範囲、狭まる生活空間

 峻太郎が立ち、そして歩けるようになるにつれて我が家の家財道具一式が上へ上へと避難をしています。
 まだ這えない頃はよかったのですが、這い始めるとまず、床においてあるものが被害を受け始めました。新聞紙などをうっかり投げっぱなしにしておくとグシャグシャにされ、ゴミ箱のゴミは床に戻され、グルメを気 取る峻太郎はそれらを全て味わおうとします。

つかまり立ちのころ
ミシュランマンのような腕に注目!

 立ち始める頃にはコタツテーブルの上も危なくなり始めました。食事のときなどうっかり皿を置けません。峻太郎のリーチを考慮しながら配膳し、峻太郎の移動につれて食器を動かします。タイミングを間違うと味噌汁は床に流れ、峻太郎の手はごはん粒だらけとなります。しかしこの食器と峻太郎の追いかけっこのおかげで伝い歩きの上達も早く、十ケ月頃には一人歩きを始めたことを思うと何が幸いするか分かりません。まさに馬の鼻先に人参をぶらさげるってやつだったわけです。
 峻太郎の歩きが活発になるにつれ、我が家の聖域もどんどん上へと狭られてしまい、ダイニングテーブルの上も今や風前の灯です。電気ポットやこのぷにぷに新報社の本部(ワーロが置いてある)であるテーブルの上へあがる術をついに発見されてしまったのです。峻太郎は椅子の上にまず上り、それを足掛りにテーブルへよじ登ります。
しかし、これはまさしく道具の使用であり、チンパンジーが天井からぶらさがったバナナを取るのに箱を積み重ねるのに匹敵する快挙です。
 生まれたときは全く無防備で成すがままにされていた峻太郎が、笑うことを覚え、人参を追う馬のように執着心が芽生え、ばんざいやおつむてんてんの芸で犬のように誉められる快感を知り、今まさにチンパンジー並みの知能を得るまでに成長したのです。

 この世に生を享けた峻太郎は細胞分裂を繰り返し、生命の進化を一からたどって今、類人猿のところまできました。いや、もうすっかり人間です、赤ん坊でなくもう幼児です。峻太郎は今元気いっぱいです、何でもやりたがるし、親が泣くようなイタズラをしてるときでもその真剣さったらありません。私達両親はそんな峻太郎を伸び伸びと真っすぐに育てあげられたらと思っています。


ロウソク一本の誕生日

 来年は2本だっ! 1991.10.25
 峻太郎満一歳の誕生日は、雨で始まりました。が、幸いにも昼過ぎには雨も止んで、夕刻には親子三人して、ヨーカ堂へ行きバースデー・プレゼントを買いました。迷いに迷って選んだのは可愛いキーボード。どう考えても峻太郎にはまだ早すぎるけど、モーツァルトみたいな神童になってくれたならと星に願いつつ・・・・。
 プレゼントとくればケーキです。その足で駅前のケーキ屋さんへ行き、大きなバースデー・ケーキも買って、その夜はささやかに親子三人でお誕生会。とっておきのワインと、ママの手作り料理、ろうそく一本のハッピー・バースデー・トゥー・ユー。
 テーブルを彩るセントポーリア。
 パパとママはワインで乾杯。峻太郎にはもちろんカルピス。でも、おいしいケーキや御馳走はパパとママがほとんど食べてしまって、峻太郎はちょっぴり形だけ。
 結局、主賓のはずの峻太郎をさて置き、パパとママばかりが楽しんだ夜になってしまったというのはほとんど事実です。でも、いいじゃないですか。峻太郎の誕生日を一番喜んでいるのは当の本人ではなく、その親だったわけですから。


一升もちにトライっ!

>おもいよーー 1991.10.27
 パパとママのおじいちゃんおばあちゃんが四人揃って、峻太郎の誕生会を開いてくれました。
場所は川越の料亭。峻太郎には贅沢すぎて、天が怒ったのか、それとも峻太郎には雨男の素質があるのか、十月二十七日この日も一日雨模様。でもそんなことはいっさいお構いなし。 この日も元気一杯やりたいほうだい、じいちゃんばあちゃんの間を所狭しと荒らし回っておりました。
 この日、峻太郎はいにしえより伝わる一升餅を背負わされました。一升餅と一生持ちを洒落るという日本人特有の美意識に潰されまいと、頑張って立ち上がろうとした峻太郎でしたが、割とあっけなくダウン。
 結局一歩もあるけず泣き出してしまったのでした。



セントポーリアの花

   セントポーリアの花が今年も咲きました。
  去年峻太郎の出産祝いにいただいてママの入院
  したベッドを飾っていたセントポーリアが再び可
  憐な花をつけ今食卓の上に彩りを添えています。
  これから峻太郎のいたずらも益々盛大になって
  花も虫もどんどん犠牲になるでしょう。でもいつ
  かは命の尊さに気付いて優しい子供になって欲し
  い。そしてその時、この峻太郎と同い年のセント
  ポーリアがもしまだ花を咲かせていたらこんな素
敵なことはないと思うのです。

セントポーリアその後
なんて、えらそうに書いたのですが、セントポーリアは1年後に枯れてしまいました。
一時株わけで倍に増えたのですが、翌年の冬の寒さを越すことが出来ませんでした。 
峻太郎の手が届かないようにと台所の窓に置いたのが失敗のもと、暖かい茶の間で冬を
越させていればと悔やんでもあとの祭でありました。


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