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ぷにぷに新報 第3号 2頁 発行1993年(平成5年)1月1日
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しんちゃん、しゅんちゃん
じーえん にギラッ
1992.sep
TVアニメ、クレヨンしんちゃんを知っているだろうか?しんちゃんは街で若い女性を見かけると目を「ギラッ」と輝かせるおませな幼稚園児なのだが、我が家のしゅんたろうは一時期、街で自動販売機を見かけると「ギラッ」として返却口に指を突っ込むのを日課としていた。
コスモスの秋 内山牧場にて
ずらりと販売機が並んでいるようなところがあるともう繰り返し繰り返し指を入れ、事実十円を稼いだこともある。その十円はしゅんたろうが初めて自分で稼いだお金として大切に取ってある。(冗談、冗談^^)
その後、執着の対象は販売機本体から十円玉に移り、販売機やレジのある度に「じ−えん、じ−えん」とせがむようになった。硬貨投入口に自分で十円を入れ、レジのお姉さんに「ハイッ」と十円を渡す様はほほえましい気もするが、何故百円でなく十円であるのかと、親として複雑な部分もある。
ある日のことだ。公園でブランコ遊びをする子供たちにしゅんたろうを加えてもらった時、年長の子が「君いくつ?」と聞いてくれた。他の子がニチャイだのチャンチャイと答える中、しゅんたろうは真顔で「じ−えん」と答えたのだ。もうみんな???というかんじで・・・もうおかしかったです。
弁護のために書いておくけどしゅんたろうはその後3才とサバを読む時代を経て、現在しっかり2才と言えます。
新車だぞっ!
枕草子にも「張手はあけぼの車はすばる」ってありましたよね
かつて、私の父親が初めて手にしたマイカーは「てんとうむし」ことスバル360でした。
小さいけど親子5人乗せてどこまでも走ってゆくスバルに私はけなげさ以上に逞しさを感じたものでした。
あれから二十年、私達一家も新しいマイカ−にスバルを選びました。私達の選んだのは昨年(1992)秋のニューモデル、インプレッサ。4WDだから雪道だってへっちゃら、ワゴンだから荷物も積めます。真っ赤だから可愛いです。父親の時代のてんとうむしに較べたら贅沢かなって気はするけど、それでも欲しかった一台です。
でも、おかげさまで暮れのボーナスすっからかん。真っ赤な新車と同時に、真っ赤に燃える火の車も手にいれてしまいましたとさ。
デビュー直後の12.25に納車してもらったので1ヵ月
位は結構注目の的。いい気分で運転できました。
Yの悲劇
新居に移り住んで9ケ月。もうすっかり慣れて前の家を思い出すこともなくなってしまった。
ここはアパート一棟を会社が借り切っていて、実質的に会社の寮となっている。家族で住んでいるのは私達だけで、入居の際は優先的に一番日当りの良い二階の東側をもらった。
そして悲劇はここから始まった。とにかくごく普通の木造のアパートである。しゅんたろうは元気だ。毎日ゴロちゃんを追いかけ回している。そして我が家は二階なのだ。
下の階にはY氏という人が住んでいる。彼の耐え忍ぶ生活はそうやって始まった。Y氏は私の後輩にあたるから文句など言えないのだ。たまに階下に遊びにいってみると、どたどたバタバタそりゃもうえらい騒音だ。
しゅんたろうが寝て、階下が静かになるのは最近は十時過ぎだ。彼が落ち着いたプライベートの時間を持てるのはそれからである。
最近Y氏はますます夜型の人間になってしまったという。
Wの悲劇
しかし悲劇はそれだけでは終わらなかった。私達自身、最近夜型に変化しつつあるのだ。
子育ては私達の使命であり喜びでもあるのだが、やはり夫婦の時間もプライベートな時間も欲しい。するとそれはやはりしゅんたろうの寝た後の時間になってしまうのだ。
実はこのぷにぷに新報もそうやって深夜にこつこつと作られた。おかげで、最近昼間眠くて仕方がない。 ああ!これを悲劇と言わず何と言おう。私はこれを下の階、上の階、合わせてWの悲劇と呼ぶことにした。
思ひでの夏
1992.aug
しゅんたろう1才9ケ月の夏休み、しゅんたろうには海水浴はまだ早いからプールがいいとばかり、大磯ロングビーチへ行ってきたました。もちろん泊まりはプリンスホテル。
よく芸能人水泳大会なんかやるところだから、ハイレグギャルもわんさかいるぞど勇んで行ったら私達みたいな家族連ればかりで、しゅんたろうは随分がっかりしてました。
でもそこは「我は海の子」とうさんの子だから、もう真っ黒になるまでプール遊びして帰ってきました。
もちろんホテルも最高、贅沢は素敵だを合い言葉に赤字覚悟で楽しんだホテルライフでありました。
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