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SIN>FILE 04     SIN

                                斎木 直樹

 

       6

  アッパー
 上級都市のオフィスでミュウからの報告を聞き終わると、アルテミスはふかふかの
ソファに沈み込み、思わずつぶやいた。
「結局、ショウは自分の役割を果たした訳ね」
 琥珀色の液体を口に運びかけたミュウは、手を止めた。
「何よ、それ」
 不穏な声色にアルは難しい顔になったが、内心は嬉しかった。組んでいた足を解き、
前屈みになって言う。
「あんたも、もともとはおかしいと思っていたんじゃない?彼は、SINにスカウトされ
るほどの能力なんか持ってないって」
 ミュウは目をそらした。
                                  member
「その上、ショウはビジネスと人情をすっぱり分けられるタイプじゃない。調査員と
しては不適格だわ」
「ええ」
 アルテミスは一呼吸し、息を整えた。大丈夫だ。きっと。
 じっとミュウを見つめる。ミュウは、ふてくされた顔で見つめ返してくる。
            ここ
「彼はね、あなたのためにSINへ来たのよ」
 ミュウの反応を、アルテミスはかみしめた。
「ショウは、あなたのセラピスト役としてここに来たの。そして、彼は役目を遂げた」
「それ、ショウは知ってるの?」
 手にした飲み物を一気に飲み干し、とげとげしい声でミュウが尋ねた。ミュウの思
いが解る。なぜ私は、ミュウと解り合うことをあんなにも恐れていたのだろう。昔の
自分への想いがあふれる。
「いいえ。言ったら、どうなると思う?」
       ロウアー
 ミュウは、下級都市の病院にいるショウのことを思った。プライドが傷つく?自分
は何のためにここに来たのかと悩む?――『昔の人間が決めたことなら、今俺が決め
たっていいだろう?』。
 そんなことを、あのショウが考えると思う?
 くすりとミュウは笑った。アルテミスは心の底から安堵した。もう、大丈夫だ。
 ミュウはもう一杯つぐとグラスをかざし、きどった声で言った。
「ショウは、ビジネスライクな男よ。金さえもらえれば、理由なんてどうでもいいの
よ」
「そうね。きっと、そうね」
 グラスに口をつける瞬間前に、ミュウは小さな声で尋ねた。
「……ショウは、SINをやめさせられるの」
 アルは、部屋に視線を移した。清潔で広い空間、何もかもが柔らかく心地よい。け
れど、ここは私の世界ではない。今はそれがはっきりと解る。そしてそれが嬉しかっ
た。嬉しく感じられることもまた、嬉しかった。
「さあ。でも、彼のような存在がSINのような場所には必要なんじゃないかしら。どん
な人でも心があるなら、歯車になるだけでは生きていくのは辛い。彼は、今までも友
達を作ってきた。そして、あなたのように癒してあげることもある」
 アルテミスは、困ったような表情のミュウに笑いかけた。フランのように笑えてい
たらいいのだけれど。
「データに直接現れないものも、たまには必要なんじゃないかしら」

 

 

 ショウは、桜の姿を確認するとにっこりと笑った。桜は深くお辞儀をすると、枕元
の台に淡い色の花束を置いた。
「ごめんなさい」
 何が、と言いそうになるショウを桜は制した。固定されている左腕は、見ているだ
けで痛々しい。
「ショウさんが私をかばったせいで、左手の傷がひどくなってしまったって、聞きま
した。私は無傷だったのに。ごめんなさい、私のために」
「桜ちゃん」
 ショウは、あの時のように厳しい声で言った。
「俺は、ああしたかったからそうしたんだ。君のためじゃない。何でも自分のせいに
するのは楽だけれど、止めた方がいい。どちらかといえば、俺が謝って欲しいのは、
別のことだ。君があんなことを言っては、ミュウが今まで生きてきた意味をなくして
しまう」
「ごめんなさい……」
「もう、謝るのはよそう」
 桜は顔を上げた。ショウのにこにこしている顔に、思わず笑みがこぼれた。ベット
の横の椅子にちょこんと腰かける。
「あの男は、シドニィ・ロイエンの行方は判らないそうです。SINも追跡を中止すると
聞きました」
「そうだね。彼はもう、ミュウにとって価値がない」
 短い沈黙の後、桜は切り出した。
「――ショウさん。私、もう上へは帰らないつもりです」
「そう」
「もう上の大学も終わります。あとは論文を出すだけだし、教授は研究所に残らない
かとすすめてくださっているけれど」
 いつもの調子で、ショウは尋ねた。
「お母さんは、どうするんだい」
 鋭い声で、桜は反応した。
「あの人は降りてきませんよ」
「桜ちゃん」
 桜は、ショウの言葉など耳に入らないように続けた。
「今までだって、私一人で暮らしてきたようなものなんです。母さんは病院と行った
り来たり。いても、薬が効いているからぼんやりとしているだけで――」
「桜ちゃん」
 桜はいつの間にかベットのシーツを握りしめ、それを破りたい衝動に駆られた。
「姉さんは、今まで私を上で育ててくれるために、ずっと働いてきたの。姉さんは、
いつも、私のために」
「桜ちゃん、いいんだよ」
 はっと桜はシーツを離した。何のことを言われたのか、毛頭判らない。自分が恥じ
入るべきことを言っていたことだけが判った。
「いいんだよ、お母さんを嫌っても」
 桜には、ショウの言っていることの意味が理解できなかった。
「ショウさん」
 ショウはあいまいに微笑み、年下の弟妹にしてやるようにゆっくりと言う。
「親は、子どもを愛さなくちゃいけない。それは、義務だ。でもね、子どもは親を愛
する義務なんて持っていないんだ。子どもは、親を嫌っていい」
 あんなに家族がたくさんいる、しかも家族を愛しているショウが、こんなことを言
うなんて桜は想像がつかなかった。
「だから、言っていいんだよ。嫌っていいんだ。憎んでも、いいんだ」
「――私」
 何度か言葉を出そうとして、やっと一言言えた。ショウは暖かく頷く。
「うん」
「私、ずっと、嫌いだった、母さんが」
 一度心の底に溜まっていた言葉を吐き出してしまうと、後は止めどもなく続いた。
「姉さんがあんなになってしまったのは、全部、母さんのせいなの。全部、全部母さ
んが悪かったの。私、あの時、全部聞いちゃったの。見ちゃったの。何があったか、
母さんの気持ち、姉さんの気持ち、父さんの気持ち。あの頃は解らなかった。何にも
解ってなかった。ただ、姉さんの言うとおりにしてようと思って隠れてた。でも、で
も」
「うん」
「母さんが、あの時、姉さんの手さえ取ってくれれば、姉さんはあそこまで自分を追
いつめなくても良かったのに。母さんは、母さんは」
 ショウは、泣き崩れた桜の頭を右手で優しく叩いた。家で、妹を寝かしつけるとき
のように。
 桜が落ちついてくると、ショウは言った。
「桜ちゃんも、もう前とは違う」
 桜は手の甲で涙を拭い、口を堅く結んだ。もう涙はこぼさない。
「ええ。私、姉さんのためにずっと、お姉ちゃんって呼んでた。お姉ちゃんのために
は、私は子どもの方が、守ってあげる存在の方がいいんだと思ってた。でも、違うん
ですね」
 桜は、ショウを見つめた。
「姉さんには、私がいなくても大丈夫になってもらうようにしなくちゃいけなかった。
だから、ショウさん、ありがとう」
「俺?」
 本当に驚いているような表情のショウに、桜はくすりと笑った。
「本当に、ありがとう。あなたが、姉さんを救ってくれたんです。父さんのかけた呪
縛から、私たちを救ってくれたんです」
 それだけ言うと桜は立ち上がり、花瓶を持って病室を出た。水をくんで帰ってくる
と、自分の持ってきた花束の包装を解いて花瓶に活ける。
 淡い色の綺麗な花。これは、私。今まで、姉さんの前で見せてきた私。本当はこの
花は汚い水で育ってきた。茎を切り開けば、汚水がどんなに花にしみこんでいるかが
判る。
「姉さんは、私をきれいなままでいさせたかった。でも、私はずっと、汚いものでい
っぱいだった。きれいなのはショウさんの方」
「俺が?とんでもない」
 ショウは目を大きくさせて首を振った。大げさとも言える仕草に桜は抗した。
「だってそうだわ」
「桜ちゃんのことを汚いと言うなら、俺もそうだよ。俺だって、憎むこともある」
 桜は、目をしばたたかせて尋ねた。
「誰を?」
「フェリックス・ノイエ。彼は、一番残酷なことを、愛する娘に言った。俺は、彼を
憎んでいるよ」
 そう、病室の白い壁を睨むショウを、桜は初めて怖いと思った。

 

      アッパー
 ミュウが上級都市での脳神経等の検査を終え、ジョウショウに戻ってきたのは、二
週間あまり後だった。カインがなかなか解放してくれなくてね、とショウの見舞いに
アルと桜とともに病院を訪れたミュウは言った。
「俺も早く解放されたいよ」
 ショウは左手のギブスを振り回しながら草の上に座り込んだ。病院の中は、どうも
息が詰まるような気がしてならない。
「退院してもどうせしばらくは使えないから、故郷に錦でも飾ったら?」
「それもいいけどなぁ」
 ショウは右手を枕に、あおむけになった。アルと桜は草に座り込んでいるが、ミュ
ウは木に寄りかかって立ったままだ。
    ロウアー
 桜が下級都市で働くと聞いて、もちろんミュウは反対した。しかし、桜は頑として
聞き入れなかった。
「病気はもうほとんど治ったわ。定期的に服薬すれば大丈夫だって、先生も太鼓判を
押してくれた」
「でも」
「私は何度もそう言ったのに、姉さんは信用してくれなかった。仕事はもう見つけて
あるの。精神伝達能力を使ったセラピストとソーシャルワーカーの間のような仕事で、
実習に通った病院の方もぜひにと言ってくれているの。姉さん、私の専攻が臨床心理
と精神力動学だって知ってた?」
 ミュウは、これに答えられなかったという。
「だから、姉さんはもう嫌いなSINで働かなくていいのよ。母さん一人を上で養って、
姉さんの認識標を外すくらいの貯金はできてるわ。姉さん一人の分は働いてもらわな
くては困るけれど」
 そう桜が言うと、その話はおしまいになった。
「ミュウ、結局どうするの。やめるの」
 振り返ったミュウの視界の端に、ショウの姿が映った。顔は天を向いたままだが、
誰がどこから見ても動揺していることが判る。
 ミュウは自分の思いついた返答に、くすりと笑った。
「続けるわよ。頼りない相棒が片づくまではね」
 ショウはむっとふくれ、腹筋で体を起こした。頭に草がついている。頭の重みでし
びれた右手を振り回しながら言う。
「何だよその言い方」
「本当のこというと、怒るのよねー、人って」
「っかーっ」
 けらけらとミュウは笑う。その表情を見て、桜は心を決した。
「姉さん」
 何、と聞き返すミュウは幸せそうだ。お姉ちゃんが幸せならいいの、という自分の
言葉を思い出した。私はもう、そんなことは言わない。
「今じゃなくていい。いつか、母さんに会って」
 ミュウははっと顔をこわばらせた。しかし、視線を逸らそうとはしない。
「今じゃなくていいの。いつか、いつか姉さんが母さんに会えたら、十年前の出来事
が、全て終わるような気がするの」
 桜は先走りすることなく、あせることなく続ける。
「母さんに会ったら、殴ってもいい、ののしってもいい、何したっていい。だから、
いつか、母さんに会って」
 桜は、母に今回何があったかを話した。母は何度か気が動転したが、最後まで正気
は保っていた。母もまた、この十年を無為に過ごしてきたわけではない。少しずつ、
治ってきているのだ。
 そして姉さんは、私のように母さんを憎んでいるわけではない。また手を伸ばして、
それを拒絶されるのが怖いだけなのだ。それは、昔から判っていた。でも、私はただ
判っているだけだった。
「そう……ね」
 姉の声に、桜の心臓は過剰に鼓動を打った。
「いつかなら、会えるかもしれない」
 そうミュウが言えるようになるまで、十年かかった。アルテミスと桜は、十年とい
う時間の重さとその間の出来事を思った。長く、重い時間だった。ミュウはもうすぐ、
被保護者でもなくなる。
「そうだ。Zから、伝言があるのよ。ショウに」
「何?」
                mail
 ショウは首を傾けた。直接言うか手紙で言えばいいのに、今時口づたえとは。
「『お前の勝ちだ』だって。何?」
 ショウは一人で大うけすると、にっとした。
「内緒」
「教えろよっ」
と、アルはショウの首を腕で締め上げる。
「い、痛いよアル……まじで、い」
「アルにもあるんだ」
 アルは、不機嫌な顔をミュウに向けた。ショウは落ちそうになっている。
   アッパー
「『上級都市への昇進断ったそうだな』。これ、どういうこと?」
 ミュウは半ば怒っているようだ。アルテミスは愛想笑いを浮かべ、なんとかごまか
そうとする。
「え、だって、SINの人事は機密事項だし」
「被保護者にも黙っているとはねぇ。あ、それからもう一つ」
 たっぷり間を取ってから、ミュウはにやっとした。
「『愛してる』ってさ」
「――げっ」
 やっとアルに開放されたショウは、必死で息を吸いながらささっと退き、桜に心配
されて安堵する。
「アルが照れてる」
「誰がっ。ああいうのって、だいっきらいなのよ、私」
 アルテミスは両腕を抱えて叫ぶ。
「じゃ、どういう人がタイプなんですか?」
と、桜。
「……好きになった人がタイプなの」
「だったら、Zにも可能性があるわけだ」
 さっきの仕返しとばかりに桜の隣でショウは頷く。
「うーん、それは言える」
「……あんたはどうなのよ、ミュウ」
 下唇を突き出して、上目遣いでアルテミスは言う。
「私?私はいいのよ」
「私は、ショウさんみたいな人が好きです」
 桜以外の三人は、にこにこしている桜をただ見つめることしかできなかった。
「――桜ちゃん、問題発言……」
「何がですか?」
 桜は故意にかどうか、きょとんと愛らしい目でアルを見つめる。
「桜の育て方、間違えたみたいね……男性観が歪んでる……」
「おいおい、二人ともー」
 ショウのつっこみは無視し、アルは桜とじっくり話し始めた。
「桜ちゃん、いーい、だいたい男ってのはねー」
「ねぇ、ショウ」
「ん?」
 ショウが振り返ると、ミュウは上を見上げたままじっと立っている。
 しばらく置いて、ミュウは言った。
「――空が、青いね」
 まだ、私にはそこまでしか言えない。それは、譲らない。でも、ショウならきっと。
 ショウは空を見上げた。ビルとビルの合間にある、空色と称される色。それを見る
だけで、俺の心は浮き立つ。自然に笑みが浮かぶ。それが、答えだ。そうだろう?
「そうだな。空は、綺麗だ」
 二人は、空に向けて笑顔を贈った。

 

       おわり

 

 

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