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あらすじ
チェイサーとミュウはべったりしている。ショウはそれにいらついているが、アルはなぜか心配そうにしている。

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                                斎木 直樹

 

       1
 

 

 向かいで大きな音がして、アルテミスはぴくっと顔を上げた。それは、ショウが昼
食の乗ったトレイをテーブルに打ちつけた音だった。
 アルはため息と同時ににやりとした。
「どうしたの、ショウ」
 ショウの視線は、チェイサーと一緒にいるミュウに注がれている。ショウは忌々し
げに舌打ちをすると、乱暴に席に着いた。
「わかってんだろ、アル。気にくわねえんだよ」
 何が、と今にも言い出しそうなアルの顔にたたきつけるようにショウは言った。
「判りきってることを聞くなよ。チェイサーだよ。あいつ、気にいらねえ」
「何が」
 カウンターへ目を避けると、同僚の女の子が手を振ってくるのが目に入った。ショ
ウがおざなりに応えると、茶けたセミロングの女の子は他の子と目を合わせてくすく
す笑った。
「あいつの目、ミュウに好意なんて持ってない。あいつ……何考えてんだかわからね
え。俺なら、あいつには近寄らない」
 ショウにチェイサーが理解できないのは、無理もない。チェイサーはこの手の仕事
をしている者の中には必ずいるタイプの、そしてショウとはかけ離れた精神の持ち主
だから。
 アルのにやにや顔に耐えきれず、ショウは下を向いて大盛りカツイクラ丼を喰らい
始めた。その隙に、アルテミスはミュウを見つめた。
 ミュウは、この食堂では比較的いけるピラフをスプーンで口に運んでいる。その隣
のチェイサーはタバコを不味そうに吸っている。喫煙場所は決められている、といつ
もならば啖呵を切るミュウは、それに対して何の反応も示そうとはしない。二人はど
ちらも無口で、ほとんど言葉を交わそうとはしていない。しかしアルテミスには、そ
れが言葉を交わさなくても通じ合える人々の沈黙には見えなかった。二人の間には理
解ではなく、ひどく危ういバランスがあった。
 ミュウのどこでもないところを見つめる目が、アルテミスは怖かった。また、あの
時のミュウに戻ってしまうような気がした。心が無くなってしまった、心を無くそう
とした、心を無くさなくてはいけなくなってしまった、あの時のミュウに。
 白い病室のベットに横たわった少女にかける言葉を、アルテミスは持っていなかっ
た。身体中に負った傷よりも、心に負った傷の方が大きいと医者は言った。ずたずた
にされた幼いミュウが、二度と以前のような笑みを取り戻すことはないのだと、思っ
ていた。
「アル?」
 アルテミスははっとショウの顔を見た。ショウは不安げな表情をしている。アルテ
ミスは自分もショウと似たような顔をしていたことに気づき、笑みを浮かべた。ショ
ウにはそれが偽物であることが判るだろうが、そうせずにはいられなかった。空想が
現実のものになりそうで、怖かった。

 

 

 アルはミュウを部屋へ招き入れると、冷たい飲み物を用意した。ミュウには作り置
きのアイスコーヒー、自分にはアイスティー。アルは、わざとゆっくりと自分の分を
作った。グラスを目の前において透かして見る。ミュウは赤茶色に染まって、壁によ
りかかって立っている。よし、上手くできた。
「それで?どうしたの」
 差し出されたグラスに口をつけてから、ミュウは応えた。何も入れていないので、
かなり苦い。
「この間のパーティのことなんだけど」
 意外な反応に、アルは首を傾けた。
「社長と何かあったの」
 ミュウは首を振った。
「違う。そこで、私の名前を知っている人がいたの――片桐躬由という名を」
 アルテミスは、グラスをテーブルに置いた。ガラスとガラスがぶつかる無機的な音
がする。
「私の登録上の名はミユ・K・ノイエ。片桐躬由という名を知っている者は私の知る
限り、桜とアルとショウ、アルの上の人、あとはこの間桜が面会に来たときの担当者
だけ」
 もう一人、ミュウが故意にか無意識にか挙げない人物がいた。けれど、彼女から洩
れる心配は万が一にもないので、アルは何も言わなかった。
「その人の名は」
「カール・グスタフ・ユグラドシル。カインの義父で、サンライズの同業だって言っ
てたわ」
「サンライズね……」
 アルは、調べる必要がありそうだわ、と心の中で言った。
「それから――」
 珍しく言いよどむミュウに、アルは優しく微笑みかけた。
「どうしたの」
 迷ってから、ミュウは言った。
「その人、以前はアイゼナッハにいたって」
 アルテミスは微笑みを凍らせた。死んだはずの悪夢が甦ってくる。
 フェリの身体を見たときのずんと押し寄せてくる衝撃。まだあどけなさを持ってい
                        エマージェンシー
ていいはずの少女の、何も感情のない顔。延々と響く非常事態宣言。能力で潰された
死体、死体、死体。ふと、どこからか現れた幼児の泣き声。
 あちこちから落ちてくるばらばらのピースが、あの悪夢の再来を予告しているよう
な気がして、寒気がした。アルテミスは頭を振ったが、不吉な感覚は追い払えない。
「大丈夫よ。もし、何かしかけてくるならそんな宣戦布告などしてこないわ。あなた
が気をつけていれば、大丈夫」
 ミュウはそれだけの能力を持っている。しかし、それほどの能力を持っているとい
うことは、他人がそれを欲しがる欲求も高いということなのだ。
 もしかしたら、彼女には最初から能力など無かった方がよかったのかもしれない、
とアルテミスは思った。そうミュウに言えば、必ずミュウはこう返すだろう。無けれ
ばいいに決まっている、と。
 アルはあまり減っていないグラスを片づけながら言った。
「あの人といつも一緒にいるみたいね」
 それは質問というよりも、確認だった。
             news
 ミュウは端末を手に取り、記事に目を通すふりをしている。いくばくか後、ミュウ
はぼそりと言った。
「あの人の側にいると、安心するの」
 その声の不安定さに、アルは視線を移した。
 ミュウは無意識に心臓に拳を当てている。少し息が荒いが、あの発作が出るほどで
はない。
 アルは慎重に、静かな声で尋ねた。
「……好きなの?」
 ミュウは端末を操作する手を止めた。微かに震えている両手をテーブルに乗せよう
としたがやめ、右手を心臓へ左手を右腕へ置き、身体に押しつける。血液が心臓から
全身へ規則的に送り出されていくのが感じられる。
 どこから聞こえてくるか判らないように、ミュウは言った。
「多分、これは恋じゃないと思う。ただ、あの人が側にいると……側にいないと、す
ごく、心配で……」
 ミュウの最近はなかった頼りなげな口調が、過去の悪夢を思い起こさせる。アルテ
ミスは、渦巻く暗い色をした不安を強引に押さえつけた。
 ミュウがこの調子では、あちらが何かしかけてきたら危ういかもしれない。早急に
護衛をつけさせなくては。これでは、あのことも話せない。
「抱かれたいと思うの」
 ミュウは迷わず首を振った。
「そういうことじゃなくて……もっと近寄りたいとか、あの人のこともっと知りたい
とかは、少しも思わない。この距離でいいからあの人が――生きていることを感じて
いたい。ただ、それだけなの」
 アルテミスには、ミュウの言うことがよく理解できなかった。
 アルがミュウにしてやれることは、ごく実務的な、物質的側面に限られていた。過
去を共有しているという側面では、かえってミュウの負担になっていたかもしれない。
 アルテミスにはそれがもどかしく、また安堵している部分もあった。彼女は彼女な
りに過去を背負って生きるのに精一杯で、他人の心を受けとめてやれるほどの余裕は
なかった。
 二人は共に重い過去を背負い、しかし同情し合うことも助け合うこともできなかっ
た。それぞれが、一人で重い足を引きずって歩き続けるのがやっとだったのだ。

 

 

 ミュウは、今日チェイサーが自分の家に来ることをアルに言えなかった。なにもそ
んなことを報告する義務はないのだが、なんとなく言わなくてはならないような気が
していた。
 いや、違う。ミュウは言いたかったのだ。アルに言って、止めてもらいたかった。
でも。
 ミュウはチェイサーの背を見つめた。彼は立ったまま、ベッドの枕元を見ている。
 なぜ、この人の姿を見ていないとだめなのだろう。昼間、アルに尋ねられてミュウ
はやっと判った。私はこの人といると安心するんじゃない。この人を見ていないと不
安で、怖くてどうしようもなくなってしまうのだ。
 チェイサーがそんなにいい男だとはミュウも思っていなかった。数少ない言葉から
でさえ、この男の卑小さと残酷さ、下劣さがうかがえる。ショウの野生の勘のような
人を見る目を、ミュウは信用していた。そのショウが警告するまでもなく、ミュウに
も判ってはいた。こいつは、ろくな奴じゃない。
 そんなことは判っている。でも、目が彼を追いかけてしまう。見ていないと、私は
まるで小さな子供に戻ってしまったように心細くなってしまう。
 男がいくつかの傷が刻まれた右手を差し出し、手のひらを上にして指をひらひらと
させた。ミュウはゆっくりと男に近づき、その腕の中に入った。
 チェイサーはミュウの顎を上向かせた。ミュウは人形のように、まるで抵抗を示さ
ない。腕は力無く垂れ下がり、その顔には喜びも恐れも、恥じらいもときめきも何も
ない。チェイサーはそんなミュウに舌打ちするでもなく、味気ないキスをした。ミュ
ウは目を開けたままぼんやりと彼の唇を受けた。
 男は一旦目を開けると、唇の端を心持ち上げた。娘の腰を強く引き寄せると、今度
は荒々しく口づけた。本格的な、しかし全く情熱の欠けた口づけにミュウは目を見開
き、チェイサーを突き飛ばした。
 二人はそのまま、見つめあった。しかしミュウの目は、驚いても傷ついてもいない。
何かが違う。それだけがはっきりとしていた。
 ミュウは、男の顔がよく見えないように目を凝らした。冷たい目、無感情な顔、そ
っけない仕草、ただいたぶるためだけのキス。そんなことじゃない。彼の向こうに、
はっきりとは見えない誰かがいることだけが解る。動悸がうるさいほど聞こえる。身
体をしびれが走る。
「あなた……誰」
 無意識から出たミュウの問いかけに、チェイサーはたっぷりと時間をかけた笑みで
応えた。心の奥底から感情がこみ上げてくる。何という高揚感。
 この時を、長い間待っていた。あいつが死んだ今、この娘しか遺された感情をぶつ
けられる相手はいなかった。娘の惑いが空気を震わせて伝わってくる。長い間彼の中
には存在しなかった、震えに似たものが身体中を駆けめぐる。
 チェイサーは両腕を拡げ、言った。
「父さんだよ、躬由」
 チェイサーの背後の、伏せてあったはずの写真が目に入った。男は優しい、しかし
はかなげな微笑みを浮かべている。それはかつてミュウが愛し、永遠に失った人。
 鋭い痛みが全身を切り裂き、なま暖かい空気が身体を包む。ミュウはうずくまり、
胸を押さえた。涙が出るほど胸が痛い。痛い。つばを飲み込む。
 ミュウは吐きそうになりながら、這うようにして男の脚にたどりついた。温もりを
確かめると、ほっとした。この人は、生きている。父さんは……。
 チェイサーは、優越感に笑った。充分に高笑いすると、彼は黒いアタッシュケース
を取り、中から隠しておいた注射器と薬物を取り出した。その間、ミュウはチェイサー
の脚にかじりついたまま眠ったようにしている。
 正直、こんなに上手くいくとは思っていなかった。ユグラドシルからこの計画を聞
いたときは、そんなに都合よくいくものかと思った。いざというときは、力ずくでも
彼女を拉致するつもりだったのに。
 仲間といるときは小生意気な娘だったが、この始末はどうだ。自分としてはもう少
し今の状態を楽しみたかったのだが、上から潮時だと指示されたので仕方がない。
 チェイサーはくっくと笑った。感情が舞い上がっているのが解る。これが、「うき
うきする」ということなのか。
 チェイサー――シド・アルマニックはミュウの首筋に薬を注入した。もともと力の
入っていなかった身体が、完全に弛緩する。
「と……うさ……」
 微かなうめき声を残して。

 

 

 第二ロビーの受付嬢は、困っていた。気まずそうに目線だけを上げる。普段ならお
となしそうに見えそうな白い肌の少女は、憤りに頬を赤くしている。
「とにかく、プレートの無い方とのご面会はかないません」
       call number
「彼女の自宅の呼出番号は知っているわ。でも、これは緊急なの。彼女を呼び出して」
 くすんだ緑色の上着は着慣れていないらしく、垂れてくる肩を少女は忌々しげに払っ
た。
 フードをかぶったままで入ってきたら追い出すところだったが、中の上品な顔を見
て受付嬢はそうするのを止めた。外の浮浪には必ずある、すねた目つきが彼女にはな
かったし、まだ保護を受ける年代の子どもだったからだ。
「無理です」
 かっと少女は受付の女を見上げた。女は、年少の少女の苛烈な眼差しに思わず身を
縮こまらせる。
「ダイアナ・トランシルに取り次ぎなさい。なんなら、私の認識標をチェックしても
いい」
 助けを求めて動かした視線の先のドアが開いた。
「何でその場で連絡しなかったのよ」
「だって、先に行ったのかと思ったからさ」
 女はほっと息をつき、少女はかっかとアルテミスに歩み寄った。
「あら、桜ちゃん」
 なにげないアルの対応に、桜は怒ったような顔で所内へ入れるように促した。
 個室の戸がきちんと閉まると同時に、桜は携帯用ディスプレイの映像をアルの眼前
に突き出した。
「これを見て下さい」
 画像は、一人の男の顔のものだった。冷たい目をした男だ。
 アルは、うっとうしそうにディスプレイを払いのけた。本気で気分を害しているよ
うだ。
「チェイサーじゃない。これがどうかしたの」
「よく見て下さい」
 顔をしかめ、アルテミスはもう一度画面を見た。あのふてぶてしい顔。そして。
「――フェリ」
「父に似ています」
 アルテミスは口を押さえた。
 そんな。驚愕と苦しみと後悔が頭を渦巻く。何かに酔ったように口の中が酸っぱい。
何てこと。なぜ気づかなかった。それが、彼らの狙いだったのだ。
「私は、一目で判りました。あの人の顔は、脳裏に焼き付かせてありますから」
 アルテミスは、忘れようと努力していた。そうしてもいいはずだった。もう、十年
も前のことなのだから。
「どうしてこの映像を」
「家に送られてきたんです。母の端末に」
「お母さんは」
 桜は視線を逸らした。珍しく、いらだちとあざけりが混じりこんだ表情を浮かべる。
「私が見ていた映像を覗き込んで……また錯乱状態になってしまって。今は病院です」
「そう。発信源は」
「姉の端末です。でも、姉さんじゃない」
 アルテミスは上を向き、手で髪をすいた。桜はアルの次の言葉を一心に待っている。
アルテミスは手に絡まる髪の毛に悪態をついた。
「何があったんだ」
 ショウの存在を忘れていた二人は、彼のことを見た。どうしようかと目が惑う。
 アルは、これから何が起こるかを素早く計算した。おそらくショウの手助けは必要
だろう。そのために彼は雇われたのだから。それに、彼は何があろうとも参加する。
「ミュウが行方不明になったのよ」
 ショウは息を止めた。そりゃあこの頃は変だったけど、彼女が行方をくらます必要
がどこにある。妹と母親を置いてだ。
「多分、行き先はサンライズ」
「そこまで判ってんなら、早く」
 アルはショウの顔の前に手を出した。女性にしては大きな手だ。
「行方不明って言ったでしょう。おそらく、彼女は自分からサンライズへ行った。そ
して、帰ってくる意志はない」
「何で」
「それは――」
 アルは桜を見た。桜は、自信を持って頷いた。アルテミスは少し考え込んだが、きっ
とショウを見た。彼は、必死な顔で彼女を見つめている。こんな時、いつもならアル
は笑いかけるのだが、今はそんな余裕はなかった。
「あなたには話しましょう。それが、あなたの仕事だから」
 ショウはごくりとつばを飲み込んだ。

 

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Last modified 2007.6.12.
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