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SIN>FILE 04     SIN

                                斎木 直樹

 

       3
 

 

 台に横たわった娘は眼を閉じたままうめき声を上げ、あがいた。その全身にはいく
つものチューブがつけられ、機器に信号を送っている。
          モニタリング
 遠くの部屋の様子を監視している男は、娘の顔を大映しにさせた。額にはいく粒も
の汗が浮かんでいる。
『夢を見ているようですね。同じ夢を、何度も』
「悪夢か」
 ディスプレイの中の科学者らしい神経質な顔立ちの男は、脳波と体内の化学物質の
量を確認した。不快であることを表すいくつもの指標が、大きい値を示している。
『そうだと言えます』
 老人と言ってもいい年齢の男は、にやりともせずに言った。
「その夢を見続けさせろ」
『それは可能ですが……内容はご覧になられなくてもよろしいのですか、ミスターユ
グラドシル』
「ああ。それは知っている」
 科学者は首をすくめると、端末で機械に何か指示を出した。アンサーバック信号が
確認されると、習慣のように頷く。
 ユグラドシルは映像を切り替えると、目を閉じた。
「申し訳ありません」
 映像の隅に小さな窓が開き、秘書がそれだけ言った。
「またか」
 男の珍しく疲れたような声に、秘書は自分の力不足を痛感した。
「まあ、君の責任ではない。そう縮こまるな」
 こうなっては、シド・アルマニックを用いたのは失敗だったか、とユグラドシルは
思った。しかし、今となっては人選を変えることはできない。走り出してしまったも
のは止められないのだ。

 

 

 それで、とショウは尋ねる。
 ミュウの過去に驚く、というよりは不快そうにしている。アルは上司たちの人選に
感心した。
「ミュウはあの男に逆らえない。父親と無意識に重ねているのよ」
「だから、それが」
 アルテミスは、苛立ちが炎を揺らめかせるのを感じた。
「ミユはね、あの頃、『父親』という言葉を目にするだけで発作が出ていたのよ」
 発作、とショウが聞き返す。
「動悸、発汗、口渇、呼吸困難、嘔吐、けいれん、発熱、しびれ。様々な心因性身体
症状に加えて不安、恐怖、自傷行為――もう、だいぶ出なくなったらしいけれど、奥
底ではまだ苦しんでる」
 ショウは、ミュウの部屋にあった写真の男の顔を思い出そうとした。なんとなく印
象だけは覚えているが、チェイサーに似ていたとは思えない。だがおそらく、それが
彼だろう。
 ショウは顔を上げた。
「今度は助けに行くんだろ」
「ええ、今回はね。ミュウは能力者としては貴重な戦力よ。SINはまだ彼女を必要とし
ているし、サンライズに渡すわけにもいかない。ただ、助けにというよりは、迎えに、
かもしれないけれど」
 アルは端末の前に座ったまま、上に連絡しようともしない。
「ミュウは、いざとなれば自分で帰れるだけの能力を有している。今の科学では、能
力者には脳に対する薬は禁物だから。そういう意味では、私たちは侵入できればいい。
問題は、ミュウに会ってから」
「会うためにはどうすればいいか、だろう。アル」
「……そうね」
 アルは、ショウの言葉をゆっくりと噛みしめた。
「その前に、桜ちゃん」
「はい」
 桜は、アルの顔を見た。
「あなたはお帰りなさい」
「嫌です」
 十以上歳下の少女は、きっぱりと拒否した。
「あなたが行って、一番心配するのはミュウよ」
 ちょっと待てよ、とショウは戦闘状態の二人の間に身体を入れた。
「行くって、誰が」
「何を言っても無駄ですよ、アル」
 アルはしかめた顔で桜を見つめた。桜は、怖いくらいにこちらを見ている。
「お母さんのこともあるわ」
「母は入院させてきました。いつもの先生にお願いしてきましたから、母も喜んでい
るでしょう」
 すっかり無視されているショウは、桜の名を呼んだ。
「ショウさん、今の話を聞いたでしょう。私は姉さんに命を救われた。姉さんの犠牲
の上に、私が生きているんです」
「ミュウはそんなこと、思ってない」
 桜はショウを見た。彼の怒ったような真剣な顔に、自然に微笑みがこぼれた。やだ。
桜はとっさに下を向いた。
「だから、なんです」
 湿っぽい声に驚いたショウが覗き込もうとすると、桜は顔を上げた。その顔は嬉し
そうに笑っている。けれど、どこかさみしそうな笑み。あ、とショウは思いだした。
「姉さんは、犠牲になんてわずかにも思ってない。だから、なんです」
 桜はショウを、そして誰よりも自分を元気づけるために笑った。
「大丈夫ですよ。私、隠れるの得意なんです」

 

 

 アルテミスは、気配に振り返った男にいきなり殴りかかった。すると予想外にも、
拳はあごに命中した。うわ、痛そ。ショウは顔をしかめた。
「……ってえ。腰使って殴るんだもんなあ」
 アルテミスは一瞬ひるんだが、すぐに男を睨んだ。
「お前、知っていたな」
 Zはそしらぬ顔でアルテミスを見つめる。アルテミスはくちびるをかんだ。こんな
ことを彼に言うことは筋違いだと、充分に承知している。
「お前、サンライズでチェイサーを知っていたな。全て知っていたんだろう」
 Zは乱れた髪を手で整えた。
「だとしたら?」
「殺す」
 Zはふ、と笑みを洩らした。それが小馬鹿にした笑いだったら、もう一発殴ろうと
アルテミスは決めていた。
「それもいいかもしれないな。だが、俺はたいして知らないと思うぜ。そうだな、情
報収集の時間を節約させてやろう」
 次の瞬間にはデートしてくれたら、などと言い出すのではないかとショウは危惧し
た。けれどZは、珍しく真面目な表情のまま話した。
「奴の本名はシドニィ・ロイエン。今はシド・アルマニックと名乗っている。あの嬢
ちゃんの父親の弟で、今はサンライズにいる。家族はいない。俺と同じフリーだが、
俺より腕は数段下だな。能力レベルはたいしたこたない。性格特性はWH-29A587-6C。
                          complex
それなりに知的だが、残忍で執念深い。兄貴には相当に複雑な感情を抱いているらし
い」
 すらすらと述べるZを、アルテミスはぎらぎらと光る眼で凝視した。
「勘違いしないでくれよ。あの娘を捕獲しようとしていることは知っていたが、どう
いう手を使うかは知らなかった。あいつのことを知っていたのは、なんであんなのを
使うのか判らなかったから、ちょこっと調べたんだ。これでいいか?」
「参加するならな」
 無愛想にアルが答えるとZは口の片端を上げ、おどけた様子で深くお辞儀をした。
 ディアナ
「女神の仰せのままに」
 アルの呼出音が鳴った。ミーティングが始まる時間だ。三人は会議室へ急いだ。

 

                           operater
 ミーティングを始めますと言うと、ダイアナ・トランシルは操作者に無言で指示し
た。
 データ                       コード
「資料は各人の端末に送信済みです。ディスクのソフトで暗号解除を行って下さい」
   disc
 携帯用記憶媒体が配布され各個で作業にかかると、慌ただしい空気が一時部屋に満
           moon
ちた。静けさが戻ると、月は再び口を開いた。
target           SIA
「目標はミユ・K・ノイエ、当研究所の調査員です。前日未明、同じく当研究所の前
調査員、暗号名チェイサー――シド・アルマニックによって拉致されました。Sunrise
Corporation調査部による犯行である線が濃厚です。現在位置は不明。対認識標シール
ドを使用しているものと推測されます」
 アルは言葉を切り、飲み物を口に含んだ。
「先刻、ミユがいると思われる場所が判明しました。ステーションのレンダー公国関
連地域」
「推測理由は」
 リオン課長代理が涼やかな声で尋ねた。
「チェイサー――シド・アルマニックが当該の建造物に立ち入るところを確認しまし
た。かなり高い確率で、ミユは彼の側にいるものと思われます」
 もうかなりの時間が経過している。薬物無しでミユを支配するにはチェイサーが必
要だ、という考えには、コンピューターも賛同した。以前桜が拉致された件から引き
続きレンダー公国が関係しているが、これはサンライズの隠れみのだろう。むしろ、
レンダーは利用されているとみていい。
 各人の端末画面に、作戦に参加する人員のリストが表示された。関連資料情報も同
時に提示される。
「実行班はAとBの二グループに分かれます。Aグループは陽動およびBグループの
援護、Bグループは少人数による侵入後、目標を確保」
 次の画面が表示された。ショウははっと顔を上げる。
「Aグループは私が、BはZが現場指揮に当たります。他の各班の人員は、リストど
おりです」
 様々な伝達事項、指示に説明が終わるまで、ショウは待った。
 リーダー会の集合時刻を調整すると、調査員たちはばらばらに去っていった。短い
休憩のあとは、各班でまたミーティングが行われる。ショウに声をかけていく者たち
もいたが、彼はいささか固い表情で首を振るだけだった。
 ショウは、まだ端末で作業をしているアルに近寄った。返答待ちをしているらしく、
キーボードの上で指を震わせている。
「グループ編成のことだけど」
 アルは、顔も上げずに応える。
「あなたはBグループよ。三人だけじゃ淋しい?」
「じゃなくて。アルは、行かなくていいのか」
 やっと、アルはショウの方を向いた。キーボードで文章を打ちながら、上の空で言
う。
「参加するわよ。聞いてなかったの」
「俺たちと一緒に来なくていいのか?」
 アルは少し目をさまよわせ、ディスクの消去作業をしている操作者に場を外すよう
に頼んだ。中年の女の操作者は、子どもにするような笑顔をショウに向けて、部屋を
出ていった。
「Zじゃ不満?言いたくないけど、彼は優秀な調査員よ」
「アルだって、ミュウが心配なはずだ」
 心配に決まっている。アルテミスは大きく口を開け、深呼吸するように大きく息を
吐いた。うつむいた顔の眉間には、深いしわが寄っている。
「私じゃ駄目なのよ、ショウ」
「なんで」
 泣き出すのを我慢するように、アルテミスは息を大きく吸った。理性的になろうと
すればするほど、思考の中で何かが速くまわる。どんどん膨張していく。
「私は十年前、ミユを救えなかった。それどころか、子どもだったあの子に対等に接
した。私には、無理だわ」
「そうするしかなかったんだろう?」
「ええ。少なくとも私はそう思っている。でも――」
 アルは肩越しに後ろを向いた。
「好きだったんだね。フェリックス・ノイエのことを」
「ええ――」
 口から飛び出した答えに、アルテミスは動揺した。がく然とした。私は、こんなに
も弱かったのか。
「――尊敬していたわ。とても」
 何とかごまかそうとしていることに気づいているのかいないのか、ショウはまた尋
ねた。
「ミュウのことを、憎んでいるのか」
「なぜ?」
「わかった」
「――あの子がいなければ、と思ったことはあるわ」
「もういいんだよ、アル」
 ショウの制止に、アルテミスの口は反発する。
「ミユを見ると、思い出した。フェリの死体を見たときの気持ち、なす術のなかった
自分の情けなさ、制御しきれない力の忌まわしさ、保護者から解放されれば、私は上
へも行けるのに」
 声が震えている。アルはアルテミスを冷静に観察した。
「それから?」
 それから、とアルテミスは口の中で繰り返した。暴走した感情が砕け、真っ白にな
る。見上げたショウの顔は、薄く微笑んでいる。
「生きているフェリックスのことは、思い出さなかったのかい」
 生きているフェリ――よろしく、と微笑んだフェリ、奥さんと子どものことをから
かったときの照れくさそうな顔、真剣に怒った顔、いつもどこか悲しそうだった目、
顔は繊細そうでありながら強靭な肉体、なめらかで無駄のない動き、愛する者を見つ
める目。
 過去の幻想に捕らわれたアルは我を取り戻し、ショウを見た。
「いいんだよ、アル。さっき聞き返したアルの顔で、解ったんだ」
 なぜそんなことを聞くの、とアルは当たり前のように聞き返した。一辺のかげりも
なく。笑みが自然に出てくる。
「アルは、ミュウを憎むだなんて思ったことすらない。だったらいいんだ」
 ショウは立ち上がり、部屋を出ていこうとした。
「ショウ」
 アルの呼びかけにショウは振り返り、いつものように朗らかに笑うと、扉から出て
いった。
 アルテミスは自分を抱きしめた。しっかりと、強く。

 

moon
 月の指揮の下、作戦は着々と進行した。作戦本部はステーション内に移されること
になり、ショウも往還シャトルに乗り込んだ。
 シャトルに乗るのは訓練とで二回目だ。ショウは息を整えた。前回、ショウは離陸
時に吐きそうになっていた。隣にはにやにや顔のZが座っている。
「坊や、飛行機は苦手かい」
「飛行機じゃなくてシャトルだろ」
 ずしん、と身体に重みがかかる。前回の教訓を胸に、ショウは重みがかかるままに
しておいた。しばらく、目を閉じたまま他のことを考える。
 重みが抜けると、ほっとした。横を見ると、Zはもう席から抜け出している。後ろ
の話し声からすると、また女にちょっかいを出しているのだろう。ショウは苦笑した。
 飲み物を飲む余裕ができた頃に、Zは戻ってきた。まるで見計らっていたみたいだ、
とショウは思った。
 やれやれ、とZは大げさに肩をすくめてみせる。どうやらふられたらしい。
「複雑な感情って、何だ?なぜ、あいつはミュウにあんなことをするんだ」
 唐突なショウの質問に、Zは芝居だと判るぐらいに驚いてみせた。
「――ま、これは、機密情報漏洩にはならねえだろう」
 こほんとZはせきばらいをしてみせ、お伽話を始めた。
「えーっと、昔昔、能力者がまだ一般には認められていなかった頃、一人の能力者が
生まれました」
「うん」
「しかし、母親はひどく金に困っていたので、その子を研究所に売り飛ばしました」
 ショウは飲み物を吹き出しそうになり、必死で止めた。Zは、そしらぬ顔で続ける。
「子どもは不満に思うこともなく、研究所で隔離されて育ちました。幸い彼は優秀で、
能力者として認知されてからは調査員としてその国で働きました。そしてある国では、
彼は二重スパイとして働きました。カムフラージュのためにそこの調査員と結婚し、
子どもも二人できました」
 ショウは相づちを打つのを忘れた。
「男は、こちらの国が気に入ってしまい、こちらに移住しようと思いました。幸い、
こちらの国も許可してくれました。しかし、国に残してきた母と弟はその計画が気に
入りません。母親は慣れた土地を離れるのを嫌がり、また売り飛ばすことにしました」
「へ?」
 Zは淡々と語り続ける。こんな陳腐な話に驚く人種が、まだこの世界にいたとはな。
かといって、今さら感慨深くもなれない。
「男の裏切りを密告してはみましたが、男は結局死に、報奨金は日に日になくなって
いきます。残された親子は、その男を恨むようになりましたとさ。めでたしめでたし」
 Zは、小さく拍手までしてみせた。
「めでたくなんか、ねえよっ」
 ショウは顔を歪めた。吐き気がする。何だよそれ。おかしい、という言葉がまず頭に
浮かぶ。
「それで何でフェリックスを憎むんだよ」
「責任転嫁って言葉、知ってるか?お前」
「だって、裏切ったのはそっちが最初じゃないか。何でそんなこと、できるんだよ。
彼は、ずっとそいつらのために働いてきたのに。はじめて自分の願いを言っただけな
のに、それに、そいつらを引き取ろうとしてたんだろう?なのに、なんで」
「そういう理屈が通じないのが、人間の精神構造ってやつなんだな」
 ショウは、まだ言い足りなそうに身体に力を入れる。Zは隣の青年を細目で見た。
「そういうことだから、ま、やつらに正義はねえ。だからなんだっていうんだ?」
 ショウはZを見た。彼には珍しい真剣な顔をしている。
「俺たちの世界はな、正義だの理屈だのは、なんの腹の足しにもならねえんだよ、坊
や。あるのはただ、あの嬢ちゃんがあそこにいて、俺たちはそこに行こうとしている。
そしてその邪魔をしようとしているやつらがいる。この事実だけだ」
「……ああ。それは判るよ、でも」
 ショウは口ごもり、やがてきっぱりと顔を上げた。
「この世界で、世間の理屈が通じないってことは、この世界にはZの言うような理屈
があるからだろう?それと同じように、坊やには坊やの理屈がある」
「それでは生きていけないぞ」
 数秒二人はにらみ合い、先にショウが顔を崩した。
「それなら、俺の理屈がこの世界の理屈に負けただけさ」
「お前」
 いつものZらしくないあせった顔に、ショウは笑った。
「ただな、Z。俺は、負けるつもりはない」
 Zはショウの黒い目を見た。こいつは馬鹿か。
「それだけの実力があると、お前には言い切れるか」
「簡単だよ。負けるけんかはしなきゃいいんだ」
 Zはあっけにとられ、次に少しだけ笑った。ショウも少し笑った。
「ただ、やらなくちゃいけないけんかもある。その時は――」
 Zは待ちきれずに相づちを打った。
「その時は?」
 ショウは笑みを洩らすかと思ったが、彼は前をつよく睨んで言った。
「負けないようにするさ。俺だって、死にたくはないからな」
 ショウは目を閉じ、シートへ身体を預けた。

 

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