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                                斎木 直樹

 

       2
 

 

「こんにちは」
 栗色の髪と目の年端も行かない少女は、見定めるようにこちらを見上げている。ア
ルは長い金髪を払い、少女と視線の高さを合わせるために座り込んだ。
「私はアルテミスよ。あなたはミユね。お父さんからいつも聞いてるわ」
 少女はちらりと父親に視線を送った。がっしりとした体格のくせにどこか繊細な顔
立ちの父親は、優しい微笑みで頷く。
 身元の確認はとれたが、少女は表情を変えずに妹の小さな手をきゅっと握りしめた。
アルはミユに笑いかけた。
「可愛い妹さんね」
 そう、桜は可愛い。それは事実だった。ふよふよとした感触のしそうな白い肌に映
える薄いピンクの派手ではない服は、躬由が選んで着せたものだ。おっとりと夢見る
ような大きな瞳は、人と目が会うと必ずにっこりと笑いかけ、そうされた者は笑みを
返さずにはいられなくなる。
             コントロール
 それは事実なのだが、能力の制御のため、さらに幼い頃から感情の抑制を強制され
てきた躬由の表情に、わずかながらも笑みが洩れた。
 アルテミスはそれに満足しながらも、それを悟られないように努力しなくてはなら
なかった。アルは立ち上がり、フェリックスとその妻を呼んだ。
 フェリックス・ノイエは新人のアルテミスの指導員だ。ユカリ・カタギリ・ノイエ
も結婚前までは研究所で働いていたそうだが、その耳にはもうあの忌まわしき能力者
の印はない。あの赤い認識標を外すには、相当の借金が必要だったはずだ。フェリは
奥さんに甘いんだから、とからかった時の彼の顔を思い出し、アルは軽く首を振った。
 フェリは微笑みを浮かべ、ユカリは神経質な顔をしかめて歩いてくる。外見はミユ
が色の薄い父似で桜が日系の母似だったが、表情はその全く逆だった。面白い、とア
ルテミスは思った。
       recognized-forcer
 フェリックスは認知された能力者の第二世代で、その強く広い能力でこの世界では
                            E.S.P.
知られている。能力者の能力は、たいがいは片桐縁のように感知能力に限られている
ものだったが、彼は外出的能力においても優れていてその有効範囲は広かった。
 そんなフェリがこんな小企業で、しかも能力者ではない自分の指導をしている幸運
に、アルテミスはあらためて身を震わせた。
 アルは幸せな完成された家族の図を見ようと、頭を動かした。防音ガラスの向こう
で、ミユは何かを父親に話しかけている。するとフェリはとたんに表情を崩し、子ど
ものような顔になった。全くあれで三十代なんて、とアルテミスはくすりと笑った。
 父親にくすぐられてもがく二人の子どもは、母親に助けを求めた。すると母親はそ
の内の一人にだけ手を伸ばし、たっぷりと抱きしめてやった。取り残された姉は父親
に背後から抱き上げられ、悲鳴を上げたようだった。父親と愛娘は幸福そうに笑って
いる。アルはその図に微笑みを浮かべた。
 そして、母親の顔を見てぎょっとした。それは見る者が見たら、嫉妬に狂う女の図
と言われ兼ねない表情だった。アルテミスは、無意識に顔に手を当てた。

 

 

 少女はしゃがみこみ、四歳になったばかりの妹の目を真っ直ぐに見た。
「いい、桜。これから桜は、ここでじっとしてなさい。だれにも見られちゃだめ」
「かくれんぼ?」
 桜はにっこりと姉に笑いかけた。不安といらだちで制御が効かなくなっていた躬由
の心に、一つの目的が見えた。躬由は、桜の頬についた汚れを拭ってやる。桜は顔に
力を入れた。
「そんなもの。でもね、私か母さんが呼んだら出てきてもいいわ。それまで、じっと
してるのよ。いいね」
 母親はとうに行ってしまっていて戻ってくるかどうか判らなかったが、桜だけでも
連れに来るかもしれない。
 桜はいつものように、姉の言いつけに大きく頷いた。躬由がそれを確認して立ち上
がろうとすると、桜が服を引っ張った。
「あのね、おねえちゃん。あたし、みつあみとれちゃったの。またやってくれる?」
 向こうから敵が近づいてくるのが感じられる。
 躬由は下唇をかんだ。立ち上がり、桜の頭を強く抱く。
「うん。戻ってきたらやってあげる。それまでだれにも見られちゃだめだよ」
 桜は姉の心の動揺をそのまま感じたが、声が普通なのでどちらを信じていいか判ら
ず、ただ頷いた。
「じっとしてるのよ。薬もきちんと飲んでね」
「うん。おねえちゃん、はやくかえってきてね」
 服についたほこりを払っていた姉は桜の顔を見、最後に微かながらも笑った。桜は
すぐに笑い返した。彼女は、姉が笑うと嬉しかった。生まれてからいつだって、姉が
自分を愛していてくれることが当たり前に感じられていた。
「約束よ、桜」
 少女は妹に背を向けた。その表情は、妹に向けていたものとは似ても似つかないも
のだった。

 

 

 アルテミスは、切らしていた息を止めた。同時に汗も止まったような気がした。
「嘘でしょう」
 机の向こうの男は即答した。
「遺憾ながら、これは事実だ。フェリックス・ノイエはアイゼナッハのスパイだ」
「だって、ノイエはとても優秀で」
「これは既に調査済みで、更に本人も認めたことなんだよ。トランシル君」
 アルが口を閉じるのを確認すると、上司は端末を操作してデータをディスプレイに
二人の少女の個人データを表示させた。
「君の今回の任務は、ミユ・ノイエ並びにサクラ・ノイエの身柄確保とその精神安定
だ」
「フェリックスはどうしているのです」
「彼はもうここでは働けない。用済みの人間ということだな。追う手間と金は浪費で
きない」
 アルテミスは口を開け放ち、閉じた。生唾を飲む。
「逃げたと言うのですか。彼が、子どもを置いて」
「ユカリはもう役に立つまい。しかし、子どもは研究所に属しているし、かなりの能
力があることが判っている。確保は妥当なことだろう」
 アルテミスは男を睨みつけた。男はアルを見た。
「――アイゼナッハのやり口を知っているか」
「調査員が自爆させられた現場は、私も見ました」
「あそこの優秀な調査員の脳には、コンピューターと受信装置が装備してある」
 アルテミスは両手で口を押さえた。男は、苦笑に似た表情を浮かべた。
「フェリは、君なら子どもたちを知っていると言っていたよ」
 アルテミスは両手で顔を隠した。

 

                      エマージェンシー
 味気のない建物の中を、終わりなく響き続ける非常事態宣言。
 暗く明かりのない迷路を、少女はひたすら走っていた。明かりなど無くても、どこ
に何があるのか人がどこにいるのかぐらい判っている。ここには、SINのように能力
を弱める装置が設置してあったが、そんなものは彼女にとっておもちゃでしかない。
研究所の検査の時は父に言われるままに能力を抑えていたが、今はもうそんな必要も
ない。
 少女は走っていた。父さんを助けるために。
 右から敵。少女は右腕を軽く払った。
 男は、疾風が走る音を聞いた。それをいぶかしむ前に、彼は自分の胴体の前面がぱ
っくり開くのを見た。一瞬遅れて血しぶきがあがる。何だこれはと思ったとき、男は
息絶えた。首を落とされたのだ。
 少女は突如頭を反らせた。ぷしっと音がして勢いよく額から血が吹きだし、少女の
頭は引っ張られるかのようにそのまま後ろの壁に激突した。壁には異常に大きなくぼ
みが残り、少女はその下にずり落ちた。
 十数秒おいて、一人の女が廊下へ出てきた。少女の心臓が停止したことを機械でも
う一度確認してから少女の頭に手を伸ばし、気づいた。少女の赤い認識標は、まだそ
の活動を停止してはいない。心臓の動く音が聞こえたような気がした。
 小さな顔には大きすぎる瞳が彼女を捉え、女は爆発した。
 まだあどけなさを顔に残す少女は、敵が攻撃しようと思う思考の波形を感知しその
直前に攻撃を加え、ほとんどを絶命させた。攻撃方法は他種類を極め、まるでいくつ
の方法を知っているのか試しているかのようだった。
 たまに攻撃が間に合わないこともあったが、父親に言いつけられたように常に胴体
と頭は防御しておいたので、ところどころ血が出たり肉が露出している部分はあるが、
致命的なダメージは受けていない。
 息が切れてくれば周囲の酸素濃度を上げ、少女は走り続けた。重くなってきた脚を
無理に引き上げ、走り続けた。

 

                                    pulse
 いくつの扉を開けたことだろう。そう思いつつ、躬由はまた扉を開いた。父親の波動
はどうやってか反響を加えられ、どこからやってくるのか判らない。でも、こちらの
方角であることは間違いない。もう残りの扉は少なかった。
 躬由はもう一つ監視装置を見つけ、破壊した。そして、とうとう見つけた。
「父さん」
 男はこちらを見ていた。いつものように、優しい目で。
「よく来たね、躬由」
 躬由は父親に駆け寄った。彼は大きな腕で娘を受けとめた。躬由はしばらくの間泣
きじゃくり、何もしゃべれなかった。
「父さん……なんで、来てくれなかったの」
 あらためて見れば、父親は拘束すらされていない。がらんとした部屋の扉はロック
されてはいたが、父親の能力ならば破壊も可能なはずだ。ましてや、父親は優秀な調
査員。疲れている様子もないのに、なぜこんなところでくすぶっていたのだろう。
 フェリックスは、表情を固くした。躬由は身体を緊張させた。彼がこんな顔をする
のはお説教の、それも彼が正しいお説教の時に決まっている。
「躬由、よく聞きなさい。私は、このままだとお前たちを殺してしまう。その前に、
私を殺してくれ」
「父さん?」
「私は自分を自分で殺すことはできない。もう時間がないんだ、躬由。調査員の到着
は間に合わない。お前しかいないんだよ」
 音がするほど勢いよく、ミュウは首を横に振った。父親を見上げる目からは、涙が
滂沱している。
「いやだよ。私、父さんを助けるためにここに来たのに。ここに来るためにいっぱい
人を傷つけたよ。殺した。父さんを、助けるために」
 父親の全てから、それがどうしようもないことだと判っていた。父親の意識はいつ
仮死状態にさせられてもおかしくないこと。そしてその間はコンピューターが能力以
外の彼の全てを操ることができること。自殺しようとすれば、自動的に意識が失われ
ること。父親のORIGINAL AQUAへの心残りを断ち切るには、家族をその手で殺すこ
とが最も効果的であること。
「躬由。私を殺すことが、助けることになるんだ。私は、お前たちを殺したくない」
「父さんになら、殺されてもいい」
 フェリックスは、愛娘の骨の浮かび上がった首を見た。額の血を拭ってやる。我が
娘の全身に刻まれた傷は、見るに耐えない。
 大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。私が今から言おうとしていることは、アイゼ
ナッハよりはるかに下劣で残酷だ。けれど、大丈夫だ。この子ならば。
「躬由、桜を助けるためだ」
「父――」
 思いどうりの反応を、フェリックスは無感動に確認した。それがどんな結果をもた
らすことか、彼には判りきっていた。
「躬由」
 躬由はもう一度しゃくりあげた。胸に溜まってくる重いものを精一杯払おうとする
けれど、払えない。
「私、父さんが好きだよ。すごく。いっぱい」
 それは、一番言いたいことではなかったはずだ。けれど、父親はいつものように優
しく笑ってくれた。
「ああ、知ってたよ。私も躬由のことが大好きだ。愛してる」
「本当だよ、父さん」
 躬由は下を向いたまま、呟くように言った。
「ああ。大好きだよ、躬由」
 様々な感情が空間を埋め尽くすのが、フェリックスには感じることができた。
 辛苦。悲惨。安堵。悔恨。悦楽。冷然。虚無。愛着。憐憫。切々。逃避。絶叫。嘆
訴。懐疑。求救。詰窮。迷妄。決断――選択肢はない。
 世界が鎮まった。フェリックスは口を開きかけた。
 風が走り、男の胸にやや大きめの穴を空けた。数秒遅れて、血が吹き出す。
 躬由はそのまま、衝撃と痛みに驚愕した父親の顔をじっと見つめ続けた。血が、服
に飛び散っている。もう、誰の血なのだか判別はつかない。全身が血に染まっている
ような気がしてならなかった。
 何かしたら、次の瞬間には何もかもめちゃくちゃになりそうな気がした。躬由はた
だ、次に起こる何かを待ち続けた。

 

 

 何時間経ったのか、何日経ったのか、それとも数分しか経っていないのか、躬由に
は判らなかった。部屋の外に何かを感じて駆け出した。それが何であっても、それに
任せようと躬由は思った。もう、彼女は限界だった。
 廊下に立っていたのは、絶句した母親だった。父親がスパイであったことを聞いた
母親は、父親を求めてその場で出ていった。それきり二日、会っていなかった。
「母さ……」
「躬由――」
 躬由は足を止めた。かつん、と床に何か固いものが落ちる音がした。床には、誰か
の血が一筋流れている。未だ鳴り続けている非常事態宣言。躬由はそのどれよりも母
親に心を引かれた。
 盛り上がってくる彼女の怒りが躬由には見えた。激怒のちらちら光る炎が怖かった。
「お前、殺したね」
「母さん」
 今だけは。躬由は恐怖と戦いつつも血だらけの手を伸ばした。今だけでいい。この
手を取って。
 いつだって母は、躬由の手を取ってはくれなかった。なぜか母はいつも躬由を遠ざ
けていた。必要以上の言葉をかけず、近寄ると叱咤した。それは当たり前のことなの
だ、と桜が生まれる前は思っていた。桜が生まれてからは、仕方のないことなのだと
思っていた。それはいい。でも。
 今だけでいい。今だけは、母親の力が躬由には必要だった。彼女が何も愛情を持た
なくともいい。ただ、抱きとめて欲しかった。
 女は苛烈な眼差しで少女を見下ろし、小さな手を叩いた。少女は、まるで平手うち
されたかのように倒れた。
「お前、殺したね。あの人を――実の父親を」
「母さん、父さんは私にやってくれって」
 女は少女の言い分など聞いてはいない。
「あんなに可愛がってもらっていたのに。何てことを。私の、私の愛した人を、夫を。
なんて子だ」
 力いっぱい耳をふさいでも、母親のののしる声がものすごい反響を加えて心に直接
押し寄せてくる。躬由は必死に叫んだ。
「私たちを殺しちゃうって、桜を」
 突然、躬由はひきつけをおこしたように身体をがたがたいわせはじめた。悲鳴混じ
りになんとか言う。
「母さ、んうっ、やめ、て」
「理由なんてどうでもいいんだよ。お前って子は――何て恐ろしい。実の父親なんだ
よ、あの人は。あんなに優しい人を。お前は人間じゃない」
 やっと周囲に防御を張った躬由は、かすれた声で母親を呼んだ。もう、駄目だ。
「けだもの。あっちへお行き、けだものっ」
 女は少女の出てきた部屋へ入っていった。そして、その悲鳴はいつまでも延々と響
きわたった。
 少女は一人、座り込んだまま何もせず、何も考えず、何も思わなかった。何も感じ
てはいけない、と何かが命じ、全てを遮断した。ただ一つのことを残して。

 

 

 ミユとユカリを発見したという報告を受けて、アルテミスは駆けつけた。サクラは
まだ見つかっていない。
 確かに、救急車の中に座っていたのは真白い服を着たミユだった。額には赤茶の染
みが透けて見えるテープが貼られている。彼女はどこも見ず、また何も感じていない
ようだった。
 アルはそこにいた、報告書を製作中の調査員に目を向けた。
「発見した当時から、このままだそうです」
「発見した場所は、父親の遺体のあった部屋の外の廊下ですってね」
 東洋系の女性の調査員は、端末でデータを確かめる。
「はい。父親の惨状にショックを受けたのではないかということです。他の死体の状
態もひどいですしね」
と、調査員は鼻をしかめた。まだ血の臭いが染み着いている。
 アルはミユの横に置かれた汚れた服に手を伸ばし、触れぬまま戻した。
「この血は――」
「深刻な外傷はゼロです」
「いいえ。この血……血しぶきを浴びたものね」
「では、この子が?」
 アルテミスはきっと調査員を睨みつけた。女はアルの過剰な目つきに身を反らせた。
「この子はね、お父さんが大好きだったのよ。そんなこと」
 アルは言葉を切り、耳を澄ました。何か聞こえたような気がした。首を回すと、ミ
ユが何か言っているようだった。
「何」
「――に、行って」
 そう微かな声で告げると、躬由は倒れた。

 

 

 躬由の言った場所近くへアルがおもむくと、サクラ・ノイエが発見された。定期的
に服薬しなくてはならないサクラは、すでに薬を切らしていた。自傷・他傷共に危険
性が高い錯乱状態のユカリは、やむなく精神病院へ収容された。
 ミユも意識を回復したが、母と妹との面会はどちらも拒否したきり、食事も食べよ
うとしないので点滴を受け、毎日寝た姿勢のままただ病院の天上を凝視している。そ
の顔には表情らしきものは全く浮かばない。
 アルテミスは、見舞いに行っては失望する毎日を送っていた。そうして、ミユの八
歳の誕生日が過ぎた。
「お、ねえちゃん」
 躬由は、ゆっくりと首を回した。ベットと同じくらいの背の高さの声の主は、にこ
っと笑った。
「おねえちゃん、やっとあえた」
「さ、くら」
 声を出すのは久しぶりのことだった。舌がうまく動かない。
「あのね、みんなおねえちゃんにあっちゃいけないっていうから、こっそりかくれて
きたの」
 桜は清潔な服を着ているが、頭だけはぼさぼさのままだった。姉の視線に気づくと、
桜は照れ笑いをする。
「おねえちゃんみつあみしてくれるっていったでしょ。あたしね、だれにもしてもら
わないの。おねえちゃんにしてもらうの」
 躬由は無表情のまま、桜の名を呼んだ。
「おねえちゃん、びょうきなの?みつあみしてくれないの?さくら、きちんといいこ
にしてたよ。にがいおくすりもちゃんとのんだよ」
 躬由は首を振り、妹のばさばさの頭を抱きしめた。躬由の目から、はらはらとしず
くが流れ落ちる。桜は抱きしめられたまま、ぴくりと身体をこわばらせた。姉の手を
はがそうともがくが、はがれない。
「おねえちゃん、かなしいの?いたい?」
 躬由は何も言わず、腕に力を込めた。桜は盛大に泣き始めた。
「桜……」
 この子を守らなくては。それが私の選んだ道だから、この子が大切だから。この子
は、私のために泣いてくれるから。この子を守るために、私は生きよう。

 

 

 躬由はぐんぐん回復し、たまに起こる発作を除いては全快も近くなった。
 ダイアナ・トランシルはわずか十八才の身で、ミユの保護者となることを申し出た。
ユカリは、とても人の世話が――特に、躬由の――できるような状態ではなかった。
桜は、相応の施設に預けられることになるだろう。その処遇は、ミユ次第だ。
 アルテミスは、ミユの病室の前で深呼吸をした。これから自分が言うことは、本当
に正しいのか自信がなかった。
 きっと顔を上げて部屋に入ると、不機嫌そうな表情のミユがこちらを見つめている。
対精神感応者装置は作動しているわよね、とアルは心で確認した。
 アルはつばを飲むと、にっこりと笑って椅子に座った。
「ミユちゃん、SINで働かない?」
「いやです」
 フェリに出会ったときからこの間までの感情が、速回しでアルテミスの心を通り過
ぎた。ミユへ目をやると、彼女は顔を伏せている。
「あなたたちには、多額の借金があるの」
「……母さんは」
「お母さまは今、病院に入院していらっしゃいます。とても、働ける状態じゃない」
「精神病院でかんきん、ですか」
 冷たくさえない声で述べるミユをアルは危惧したが、続けることにした。
「ミユ、あなたたち一家にはフェリックス・ノイエの犯罪の賠償金に加え、研究所か
らの借金、今度の入院費の負担が要求されます。――それから、桜ちゃんのこれから
の治療費のこともあるでしょう」
 ミユは顔を歪めた。あなたの気持ちは解るわ。そうアルテミスは言いそうになった。
私だって、そう、私だって――。
 アルは、冷静な声で申し渡した。
「あなたがSIAに入れば、ORIGINAL AQUAはその全てを無利子で貸し付けする」
 躬由は選択肢を持っていなかった。

 

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