分離派建築博物館--逓信省の建築--

逓信省(設計担当者不祥) -1-
当時の官僚建築の中で異彩を放っていた逓信省営繕課の建物には、個性的な建築物でありながら設計者が特定されずに
現在に至る建物が存在する。いずれも大正11〜12年頃に建てられたと推定されており共通する要素のいくつかから
成る。パラボラアーチ屋根の階段塔、柱頭の無いドリス式付柱、塔屋の大型半円窓などの要素で構成されている。そう
したタイプの建物のうち、老朽化による取壊し等が進み現在も残るのは旧下関電話局(現下関市役所第一別館)のみと
なってしまった。
逓信省による表現主義的建築の貴重な遺構と考えられ末永く保存活用され後世に継承されることを願いたい。   
この第一別館の保存と活用に関しては、「下関市役所第一別館のページ」に詳しい。



下関電話局 (現 下関市役所第一別館)
場所:山口県下関市.......................................建築年代:1924(大正13)年(『逓信省の建築』記載年代による)....................................現存(1994年撮影)



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下関市に建つかつての逓信省の電話局。市の所有建物となり市役所の第一別館として使用されてきたが、現在は
空き家である。
鉄筋コンクリート2階建(一部煉瓦併用)+塔屋、さらに木造建物が連結されていた(近年木造部は取壊し済)。
塔屋の大きな連続半円窓,放物線状屋根,頭部が断ち切れたドリス式コラムの列柱など、一見古典的様式建築の
モチーフを取り入れながらも過度な装飾を取り去りつつ独特の表情を創り出している。





この建築物の実際のデザイナーが誰なのか、意見が別れているが大方以下の見方になろう。
1.山田守の作。逓信省技師でありながら分離派の一員でもあった山田は「分離派建築会の作品」に
  おいて「ある電話局の草案」を山田の名で掲載しているが「草案」がこの第一別館にかなり類似し
  ていることに由来して山田の作と推定されてきた。(但し分離派にしては様式的に過ぎる点で、疑
  問視される。牛込分局の放物線階段室とは類似)
2.当時の逓信省営繕課係長和田信夫の企画による電話局の標準建築モデルの実例。
   作者不明で類似の表情を持つ建物が大正11〜12年頃に集中して全国各地に建てられており電話
  事業の拡張期にあって設計技師数も限られていた逓信省の事情から見て最も無理の無い推論とされる。
  あるいは、強いてデザイナーを挙げれば和田係長を筆頭として岩元,山田,森らの合作という
  見方も可能かも知れない。
3.森泰治の作。逓信省技師森泰治の作とされる類似の建物がかつて存在していたことによる。
  第一別館内部の一部の装飾も森泰治の作風を匂わせる。


この全国的に貴重な逓信省による表現主義的建物の中で、今や下関の第一別館のみが長らく解体を
待ちつつ放置され続けてきた。しかし近年、地元の方々の熱意と努力で撤去を免れることが出来た。
現在は新たな活用が議論され再生を待っている。
                                  (以上.2001年.記)