下関局とよく似た外観を持つ。山田守の「ある電話局の草案」と同様、階段室上部屋根はフラット屋根で壁 面に半円アーチが描き込まれている。 |
右写真は不鮮明だが階段室上部のレリーフで男性像をかたどっている。これと類似した造形感覚によるレリーフ がかつて旧神戸電信局や旧横浜中央電話局を飾っておりこれらの設計者は森泰治であることが判明している。 (記述 2001.1) |
電話局は既に建替えられて久しいが、かつての建物のペントハウスのパラボラアーチ付近に取り付けられてい たレリーフの一部が、建設地付近の柳原天神に残されていた。歴史ある建物ならば様々な出来事がついて回る ものだが、ここでの場合、空襲の際5人の女性交換手の殉職という悲しい事実であった。レリーフの一部は、 彼女らの供養と記憶の継承のための慰霊碑となっている。 慰霊碑であるためか、力を湛えうつむく驚くほど筋肉質の男の図案は、一層際立った印象を与える。 (こなぜこうした図案が発想されたのだったか、関心あるものの知る由もない。) (記述追加 2008.6) |
ドリス式の付け柱やペントハウスの半円窓が覗える。 |
折れ線状アーチによる外壁デザイン。 折れ線状アーチは山田守の作とされる門司郵便局電話分室のアーチと同じデザインであるが、この金山局の完成した大 正8年当時山田はまだ逓信省に入省していない。 既に逓信省で設計を行っていた渡辺仁は、独立後に「日本劇場」において類似したアーチのデザインを行なっていることか ら、このアーチのデザインを創案したのは渡辺ではないかとも推測されている。 逓信省時代の渡辺仁の担当作品もご参照いただければありがたい。 |