表紙(図案部分) このほど『局舎新築記念』と題された写真帳を入手した。大正15(1926)年1 月の村田兄弟写真館製による建物内各室の写真と、当時の職員の記念撮影から なるアルバムであり、以下に抜粋して掲載する。(建物建設に関係するデータ は見られなかった) 2008年現在、煉瓦併用鉄筋コンクリート造の(敷地南側の)棟が残されているが、 保存・改修を施した上、先人顕彰を目的とする再活用計画が進行中である。特 に内部空間は、これまでも手が加えられ、一般には電話局舎当時の姿を窺い知 ることも難しい状態のままでの利活用計画着手となっている。 この貴重な写真によって、もしも電話局舎時代からの建物の歴史の連続性を感 じつつ、新たな時代の建物としての恩恵に浴することが出来るのならば、建物 を訪れる楽しみもひとしおとなろう。 |
外観 写真帳のタイトルでは「下関電信局電話分室」となっている。しかしここ で電信電話の業務を行っていたことには違いない。 建物の建設年代は、木造部含む2期工事終了が大正13年8月との内容が『逓 信省の建築』の工事年表に記されていた。しかし、大正14年に火災に遭っ た記述もあり(『電々事業史5』)、これらを勘案するならば、復旧を果た した時点―恐らく大正15年を一応の区切りとして、この『局舎新築記念』 写真帳が編まれたのではないか、と推定される。 |
電話交換室 2階には、当初大きな空間が用意され、ここで中心業務である電話交換が行 われていた。「共電式」と呼ばれる新しい手動交換方式の電話交換室の様 子が示されている。しかし技術革新のテンポは早く、この頃以降は自動交 換方式が取り入れられる電話局舎も登場した。 大きな窓による明るい室内と、それに照らし出された特徴ある柱頭の装飾 や壁面上部の持ち送り装飾がはっきりと見える。 女性にとっての花形職業を証明するかの如く、女性交換手の姿は、皆、 凛々しく誇らしげに見える。 |
電話試験室 ある記録では、1階に試験機械室が置かれていたとある。従ってこれが1階の 様子なのであろう。 |
訓育室(上)と休憩室(下) この2室は、北側の棟(現存しない)に置かれていたようである。女性職 員のための教育、福利厚生の施設が整えられていたことを示す。裁縫、 読書、蓄音機によるレコード鑑賞の様子が窺える。 写真帳には、この他に浴室や食堂なども写真も掲載されているが、こうし た設備はいずれも、北側の棟にあった。 |
バルコニー(上)と3階休憩室(下) ペントハウス状の3階部分。読書する者、オルガンを弾く者などが見える。 |
バルコニーで記念撮影 |