分離派建築博物館・・・展示室・・・
堀口 捨己
ほりぐち すてみ(1895〜1984)
1920年に帝大を卒業し大学院に籍を置いていた堀口は、平和記念東京博の技術委員としてパビリオンの設計を行い表現主義色の
強い作例を残した。1923年には渡欧してバウハウスやオランダのアムステルダム派の建築に直接触れ大きな刺激を受けたが、帰
国後はアムステルダム派の影響をもとに、近代性と日本の伝統建築との融合を視野に置いた住宅作品を手掛けた。
堀口の評価は戦後に発表した書院造,数奇屋建築や茶室の研究、そしていくつもの日本の伝統的建築を基調とする実作で名高い
が、「和」と「洋」の問題を直視しする姿勢は分離派の時代から貫き通されたと言えよう。
          

紫烟荘(「紫烟荘図集」より)

表現主義的な出発 〜平和記念東京博覧会の設計などの大型計画案〜
-1-精神的な文明を来たらしめんが為に集る人々の中心建築への最初の試案,斎場,ある会堂への草案,ある美術館への試案,帝大図書館参考案
-2-平和記念東京博覧会− 動力・機械館,林業・鉱山館,交通・航空館,糸と光との塔(案)

田園風小住宅 〜渡欧後の住宅作品〜
-1-画室と小温室とを持つ船川氏の住宅
旧小出邸現存(江戸東京建物園に移築)
紫烟荘現存しない

モダニズムとの対峙 〜1930年代以降の建築作例〜
-1-吉川邸現存しない
旧岡田邸現存しない
-2-旧若狭邸現存
水戸地方気象台(水戸測候所)現存

戦後のモダニズム建築
-1-明治大学駿河台図書館現存しない
明治大学工学部校舎現存