堀口にとって最初の仕事は平和記念東京博覧会のパビリオンの設計であった。上野の不忍池に面した 第二会場の建物として中央に放物線状の屋根を持つ塔を中央に据え、両翼の一方に動力・機械館、も う一方に交通・航空館と林業・鉱山館などが実現した。分離派特有の放物線状のモチーフなど幾何学 的抽象性を用いながら各建物の性格を表現している。 |
このシンボルタワー案の「光と糸の塔」は実現せず、作品集(「分離派建築会 作品2」)にカラー 掲載された。 平和記念東京博の技術員には堀口の他、瀧澤真弓や濱岡周忠(後に蔵田姓となる)らが参加しており、 特に濱岡はここで堀口と出会い分離派の一員となった。 |