SIN>EXTRA FILE 01 KYLE

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SIN>EXTRA FILE 01  KYLE

                                斎木 直樹

                3. 別れ

 


 カイルがアレクの元にたどり着いたとき、もう彼は声を使って話すことも辛そうだった。アレクはほとんど力の残っていない手で少年の手に触れ、微かに頬をゆるめた。
「お願いが、あるんだ」
 少年は、まず彼に水を与えようと水筒の口をゆるめようとしたが、手がすべってしまってなかなか開かない。斜めに閉じてしまったのかもしれない。
「お前は帰れ」
「何を――言っているんだ」
 カイルは、彼の言っていることの意味が理解できなかった。こんな傷、今は動けないけれど、致命傷ではない。いくら厳しいあそこでも、すこし養生すればまた「使って」くれるだろう。彼はその能力の高さというよりは、能力者には珍しい人当たりのよさで、上司の受けもよい。このくらいの容態で「廃棄」されるわけがない。
「俺は、もう、生きていることを、やめたい」
「だって――だって、マナは?マナは、アレクの帰りを待っている」
 何でもいいから、という気持ちだったことは否めない。出発前にアレクとマナが交わしていた長い口づけが思いついたから言っただけだ。
 わずかにアレクは眉根を寄せた。表情に顕れた変化は、それだけだった。
「マナは、俺じゃなくても、いいんだ」
 そんなことはどうでもいい、というかのような彼の目に、カイルは絶望した。震えが身体を走る。嘘だ。嫌だ。否定の言葉ばかりが頭を巡る。けれど、そんな言葉では、彼を繋ぎ止められない。
「このままここにいても、俺の能力では、じき使い捨てられる。だから、もう、いいよ」
 何か言え、何か。カイルを自分を叱咤した。けれど、何も浮かばない。アレクにいつも言われていたように、自分の言葉は、あまりに少なすぎる。
「だけど、カイル。お前は違う。お前は、まだ死んではいけない。お前は、まだ大好きになれるものを見つけていないだろう?これのためなら、死んでもいいと思えるものを」
 そんなもの、あるわけがない。これから見つけられるとも到底思えない。
「ああ、だからだよ。だから、お前はまだ死んではいけない。そんなものを見つけられるまでは、生きるんだ。何をしてでも、生き延びろ。誰を殺しても、だましても、嘘をついてでも、生き延びるんだ」
 そう続けざまに力を込めて述べると、彼は体の中のものを全て吐きだしたいかのように咳き込んだ。
「約束する――だから、帰ろう」
 アレクは、まだそんな力が残っていたのか、というほどはっきりと笑みを見せた。カイルは胸の奥にきしみを感じた。
  きしみ
 そんなものが、自分の中にあることを初めて知った。
「カイル――最後のお願いだ」
 少年は、ひゅっと息を飲む。黒いもので心がいっぱいに染まる。彼は、アレクの「お願い」を断ったことはなかった。
「ころ、してくれ」

 

 

 やれることはやった。サーシャは、足音を待った。彼は、足音を極限まで減らして歩
くことができるようだが、きっとここへは、足音を立ててくるだろう。足音はする。絶
対に。だって、彼は私に、借りがあるはずだもの。
 冷たい向かい風の音が、サーシャの耳を冷やしていった。自分自身を抱きしめ、軽く
震えを払う。それでも、残る震えがあった。無理矢理寒さのせいにする。ただひたすら、
耳を澄ますことに耐えられなくなって、他の事を考えようとした。
 殺せと言われたから殺した、カイルはあのとき、そう言った。サーシャは怒りもせず、
            アレックス
泣きもしなかった。それほど兄と親しいと言えるような関係があったとはとても言えな
い。彼女にとっての「アレックス」は、写真の中の顔一杯に笑っている幼い彼と、家族
全員に宛てた手紙だけだった。むしろ、カイル自身が語ってくれた「アレク」の印象の
方が強い。
 アレックスを失って、仕送りを当てにしていた父母は、今後どうしていけばいいのか
と呆然としていた。そんな彼らを見捨てて、私はここにきた。後悔をすることは嫌いだっ
たから、悔やんではいない。
 だが、自分は今、あそこを抜け出してここに立っている。
 自分は、引鉄を引くことができなかった。そのことをずっと考えていた。その結果が
これだ。自分は、きっと引鉄を引くことはできない。何の縁もない他人を、仕事だから、
という理由で傷つけ、時には殺すことはできない。しかし、そんな人間があそこで、生
き延びることはできないとカイルは言下に語っていたし、自分でもそれがやっとわかっ
てきていた。
 自分は、引鉄を引くことができなかった。しかし、彼は引いた。しかも、見知らぬ他
人にではない。おそらく、最も彼のこころに近かった人物。カイルが、どんな変遷の結
果、引鉄を引いたのかサーシャには理解できないだろう。
 彼がこころを持っていないなんて思わない。表情にはほとんど出さないが、彼は明ら
かに「アレク」を慕っていた。アレックスも同じだろう。彼を可愛がっていた。年を経
るにつれて、少なくなってきた手紙の原因は、彼にあるのかもしれない。私たちよりも、
カイルの方がずっと「家族」を欲していた。必要だった。
 がりっとコンクリートに砂が噛む音がした。はっとサーシャが顔を上げると、そこに
は追手ではなく、彼女のよく知っている黒髪の少年が立っていた。ぽつ、と黒い染みが
地面にでき、音もしないような静かな雨が降り出した。逃亡には相応しい日和だ。
「来てくれると思ってた」
 ごくり、とつばを飲み込みながら、一歩カイルにに近づいた。大丈夫、私は、彼に貸
しがある。彼はそれを認識している。
 しかし、彼はゆっくりと左手を上げた。安全装置を外し、サーシャの頭部に慎重に焦
点を合わせる。サーシャの青ざめた顔から更に血の気が引く。手を上げることすら思い
つかなかった。警告もされなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。あんた、私の兄と同じように私も殺すつもり?」
 彼は微動だにしない。いや、少しだけ狙いを調整した。
「俺は、彼の願いを叶える。それだけだ」
 そしてまた調整。彼の動きが終わればおしまいだ。
 そのときまで、サーシャは、自分が彼にとって価値のある人間なのだろうと思ってい
た。自分にとって彼がそうであるように。でも、それは間違いだった。彼にとって、自
分は「アレクの妹」ですらないのだ。プールでの会話が思い出される。今のように濡れ
た髪のカイル。
「いや、やめて、殺さないで。死にたくない。お願いよ!カイル」
「――君は」
 ひたり、とカイルは動きを止めた。
「君は、これのためなら死んでもいいと思うものがあるか?」
「え?」
 銃声を、サーシャの左耳は聞くことが出来なかった。

 

 

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Last modified 2007.11.19.
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