SIN>EXTRA FILE 01 KYLE

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SIN>EXTRA FILE 01  KYLE

                                斎木 直樹

                1. 瓦礫の楽園

 


 少年は、硝煙の臭いを振り払おうとするかのように首を振るった。汗を拭おうとすると、髪と額にこびりついたまま乾いた砂が手の甲を刺激する。
 どこか遠くから、空気と地面の響きが伝わってくる。黒髪の少年はコンクリートが破壊されて露出した黒い土に乗り、崩れ落ちた建物の裂け目に白い手をかける。そのほっそりとした肢体にふさわしいしなやかさで残骸の上に登ると、そのはずみで地面に落ちたガラスが砂をかむような音を立てた。

 

 

 カイルは、目の前に胸を反らせて立っている見知らぬ少女と、よく見知った女を見
比べるように首を巡らせた。新しい建物につきものの臭いを感じ、つい鼻をすするよ
うな音をたてると、女はいっそう眉をしかめる。
 しみのない薄いベージュの壁と、足音を消す厚みのある暗灰色のカーペット。決し
て豪華ではないが、清潔な印象を与えるような内装となった。地上では、比較的高い
レベルにある建物だといえるだろう。
 「研究所」は能力者のことをよく理解している。能力者たちの多くは、「能力」を
もつ優越感と劣等感の合間で、常にゆらいでいる。高い能力の者をある程度優遇すれ
ば競争意識は倍増し、高い能力を持つ者が多くなる。人間の他の能力と比較して、精
神的な要素が「能力」の大きさに与える影響は多大だ。自分を、他人との比較でしか
把握できないことは、彼らにとってしかたのないことなのだろう。能力者たちは、そ
の「能力」を認められたときから、他人から厳しく評価され続けてきたのだから。そ
の「能力」は、「能力」を持たざる者たち――「人間」たちに対して害をもたらすも
のなのか、益をもたらすものなのか、そして、彼らの価値はその「益害」と比べてど
ちらが上なのか。
 そんな分析ができてしまうことが、自身の「欠陥」なのだと、彼にはわかっていた。
友人に教えられるまでもなく、そこまでわかってしまうことが、おそらく、自分の
「不幸」なのだということさえも。しかし、自分は「不幸」であることに対して何も
感じることができない。彼の唯一の友人によると、それが「最も不幸」なことである
ことなのだそうだ。
 カイルの年の離れた姉のような外見のマナは、いつものごとく機嫌がよくはなさそ
うだった。あれからほとんど微笑んだことすらないマナの顔はこわばり、隣の少女を
にらんでいる。ここのところ、彼のことで無気力になっていたマナにとっては、いい
傾向だ。「ここ」で無気力であるということは、すなわち死を示す。
 マナの隣の少女は、いかにも北欧系といった薄い色素の顔をつんとそらせ、低い鼻
を高く見せようとしているかのように見えた。口紅を塗るにはまだ早い小さな唇には
あざけりの笑みが浮かび、その目は新しく見るものに輝いている。カイルは、かすか
に彼女に同情した。
「あなたがカイルね。私はサーシャ・ワシリエフよ」
 少女の姓に、彼は瞬きをした。ここで会った人たちよりは少ない少年の反応に、サー
シャは大きな青い瞳を一層大きくさせた。
「そうよ。私は、アレクサンドル・ワシリエフの妹。ま、彼に会ったことはないけど
ね」
「それで?」
 カイルが感情のない声で言うと、マナは殴りかかりかねないほどの苛烈さで彼をきっ
とにらみつけた。
「どういうことだか解ってて言ってるの?こいつは、アレクの代わりにここに来たの
よ」
「はいはい、そんなことわかってるわよ」
 背の高いマナとサーシャには、十二インチ以上差があるが、下から見上げるサーシャ
も負けない迫力だ。しばらくにらみ合いが続いたが、年上の方が視線を振り切り、無
言でその場を去っていった。ヒールのない靴音はカーペットに沈んで聞こえない。
 サーシャは、黙って二人のことを見るでもなくしていたカイルに笑いかけた。
「知らない男の代わり、なんて言われて、私にどうしろっていうのよ、ねえ?」
「そう言われた僕に、何を言ってほしいんだ、君は」
 薄い金髪の少女は、きょとんとしてしまった。自分の言ったことを理解できなかっ
たのかとカイルがいぶかしんだとき、ぷっと吹き出す音が聞こえた。視線をやると、
サーシャは明るい声でけたけたと笑っている。
「べっ、別にあんたに何の期待もしてないわよ。あたしは、あんたにいろいろと教え
てもらえって聞いたから来ただけ。あんたって、面白いのね。よかったわ」
 けろっとした顔で笑いかけるサーシャの顔に目を細め、カイルは最初に感じた同情
の念は、彼女には必要がないものだったらいいと思った。
「なぜここへ来た」
「お金、よ。それ以外にある?こんなところに来る理由なんて」
 従来の人間にはない能力を持つ「能力者」の存在が世間に認められた年にカイルは
生まれた。しかし、その「認定」という言葉は、能力者は「人間」ではない、という
ことを意味した。だから、ここのような場所が公然と存在するのだ。
 カイルは応答しなかったが、サーシャは一人で続けた。
「と、言いたいところだけど、アレックスが死んだから、勧誘されたのよ。つまり、
ほんとに代用ってわけ」
 アレクの名にカイルが顔を上げると、アレクに似た薄い色の瞳の少女はにっと笑っ
た。白い肌に点々と散るそばかすが目立つ。それは、彼女が成長したあかつきには目
立たなくなるはずだ。
「あんた、きれいな顔してるわね。さっきの女みたいに、いかにもアジアってわけじゃ
なくって」
「君は、なぜここへ来た」
 カイルはなおも尋ねた。
「自活するためよ。下手に能力なんか持って生まれちゃったから、こんなとこしか働
き場所がないの」
「今まで外で生きてこられたのなら、これからもそうした方がいい」
 サーシャは初めて気分を害したように唇を曲げた。しかし、彼女の目は勝ち気な光
を帯びたままだった。
「せっかく能力を持って生まれたのよ。それを試さない手はないわ。もういいでしょ。
私の明日からのスケジュールはこれよ。必要なことを教えて」
 カイルは視線を落として携帯用簡易端末を受け取り、自分の端末にデータを移した。
やはり、彼女にはそれが必要なようだ。

 

 能力者が誕生と同時にそれと識別され、赤い認識票を強制されるようになって十一
年が経ったが、能力者の売買と能力者による非合法な活動は依然、半ば公然と行われ
てつづけられている。この「研究所」という名目の施設には、親に売られた幼い子ど
もたちの入所が絶えない。サーシャのように十を過ぎてからの入所は異例なことだっ
た。
 カイルもまた、生まれてすぐに売られた子どもの一人だった。売り買いされる度に
名は変わり、今までで一番長いのはここに来てから使っている「カイル」という名だ。
けれど、それもこの五年ほどのこと。
 それはつまり、僕には名がないということだ。
 目の前で水を吐き出しているサーシャを見下ろしてカイルは言った。
「休まないで、もう一ターン」
「な、んで、こんなことしなくちゃいけないのよ、あたしは」
 ごぷごぷごぷ、と水の中に沈み込むと、結んでいない黄色の髪が水面に広がる。お
ぼれているわけではないので無視していると、プールの端につかまって上半身を水面
からあげてきた。デニム地のシャツは水をたっぷりと吸い込んで、変色している。そ
の上の髪ももちろんぐっしょりと濡れていて、重量感を増すのに一役買っている。
「服を着たまま泳ぐのが難しいということがわかっただろう。非常事態に対する備え
だ」
「だったら」
 自分の足に伸びてきたサーシャの手を、カイルはすばやく避けた。この一週間、彼
女と行動を共にして、このくらいの反応は予想していた。
 かわされたサーシャは少し顔をしかめた。それは悔しさのためだと思ったカイルが
甘かった。
 避けた先の足場の上で足が止まった。まるで何か物が置かれたように。とっさにバ
ランスが回復できず、右足が空を切る。踏んばろうとしたもう片方の足が、後ろから
何かにはたかれた。更に、サーシャがさんざ水を撒き散らした後だ。滑らないわけが
ない。
 かろうじて水面の上で身体を浮かばせたが、不意に首にタックルをくらったために
それも徒労に終わった。
 さっきのサーシャのように、カイルも少しだけ水を吐いた。
「……能力リミッターは」
 サーシャはほれほれ、と認識票の反対側の耳を示した。そこにはあるはずの赤いピ
アスがない。
「潜ったときに外したのか」
「あったり〜」
 そのサーシャの笑みが、あまりに嬉しそうだったので、カイルは薄く唇をゆがめた。
それが、彼の苦笑なのだということをサーシャは学んでいた。
 二人でプールサイドに上り、着心地の悪い濡れた衣服を脱いで、下に着ていた水着
だけで日にあたる。傾きはじめた太陽は、強すぎない日差しを天井の強化プラスチッ
ク越しに二人に注いだ。
「カイルって、笑わないのね。前からそうだったの?」
「そうじゃないか、よく知らないけれど。……前に、アレクが言ってた」
「アレックスが、なんて?」
 カイルは身体を起こしていくばくか目を閉じ、ぱっと目を見開いて言った。
「『お前はもっと笑うべきだ、もっと食べろ!ほら!』」
と、皿を差し出すしぐさをする。普段のカイルらしくないおどけた態度と、台詞の内
容にサーシャは面食らったようだった。
「……何?食べろって」
「何でも、僕が小食だから、笑う分の余分な気力がないんだと」
 ふうん、とサーシャは髪を手ですき、金髪を日光に透けさせた。
「サーシャは、アレクのことをアレックスって呼ぶんだな」
「ええ。家族がそう呼んでたから」
「アレクは、よく家族の話をしていた」
 サーシャが頭を動かすと、家族という言葉の意味を知らないはずの少年は水に足を
漬け、波立つプールの水をながめていた。東洋系にしては色素の薄い肌に、白い光が
揺らめいている。しかし、その下の面は、何の感情も映してはいなかった。
 アレックスが家に寄こす定期的な便りには、カイルの気配すらなかった。研究所に
ついて書くことは禁じられていたのだ、とサーシャも入った今ならわかる。書いてあっ
たのは、天気や花や鳥なんかのたわいもないことか、こちらの家族の様子についてだ
け。何通かを読んですぐに飽きて読まなくなった。便りが来るたびに、食事の時間に
母親が声に出して読むのをうっとおしく感じたくらいだった。いつもいつも、アレク
のお陰で私たちは生活できるのよ、と説教の度に繰り返された。サーシャはその度に
耳をふさいで叫びたい衝動に駆られた。だから、ここに来たのだ。
 サーシャは唐突に、わざと水音をたてるようにして水面を荒らした。少年は、やは
り眉すら微動だにしない。サーシャが発作的に口を開きかけたとき、声が聞こえてき
た。
 二人の右手の建物から、その声は聞こえてきているようだった。聞き慣れない異国
のことばで歌われる、子守歌のようにゆったりした、どこかなじみのあるようにも思
える曲調のうた。素人には真似のできないまろやかさで高い音もすんなりとやり過ご
し、曲はリフレインに入る。
「……あの女にも特技はあるんだ。いい声ね」
 カイルは、ようやく片眉を意味ありげに上げた。
「マナのことは、嫌いなんだと思ってた」
 あれから、マナとサーシャは食堂などで顔を合わせる度にけんけんがくがくの言い
争いをしている、と噂に縁遠いカイルの耳にすら入ってきていた。というよりは、サー
シャとマナの私生活担当にいつのまにかさせられてしまったらしい、彼の耳に勝手に
入れていく者たちがいた。
「嫌いよ」
 あっさりとサーシャは認めた。
「でも、あの女がどんな性格だろうと、声とは関係ないでしょ。歌は歌。性格は性格」
 ふうん、と少年は興味がなさそうにあいづちを打ち、水に入った。少年の水に浮か
んでいるのとたいしてかわらない泳ぎを見つめながら、サーシャは何か考えているよ
うだった。
「そうか、カイルが私を見て驚かなかったのは、私をアレックスの代わりだと思わな
かったからなんだ」
 少年は聞こえていないのか、泳ぎを止めない。サーシャもかまわず、一人でしゃべ
りつづける。
「カイルにとって、私はアレックスの代わりになり得ないから、私が来てもカイルに
とっては何の意味もなかった。だから、カイルは驚かなかった。それだけ、アレック
スのことが好きだったんだ」
 そこでカイルはようやく岸にたどり着き、ターンして今度は真面目に泳いでサーシャ
の元にやってきた。サーシャは、どう、という顔でカイルの水に濡れた顔を見つめて
いる。
 腕で顔をひと拭いし、カイルは言った。
「一つ忠告しておこう。ここでは、思ったことをそのまま口にださない方がいい」
 サーシャはにっと笑った。その顔を写真に撮って見せれば、きっと「天使のような
笑顔」と評されるだろう。
「心配してくれるの?だーいじょうぶ、こんなこと言うの、カイルにだけよ」
 カイルはわずかにうつむいた後、急に水から上がった。
「続きを始めよう」
「えー。もうお昼じゃん〜」
 カイルの無言の眼差しに、サーシャはしぶしぶ、濡れた服を身に着け始めた。しか
し、小声で文句は忘れない。
 文句を言いつつも「研究所」の生活に馴染んでいる様子の彼女に、カイルは満足し
た。もしかしたら、彼女は死なないですむかもしれない。ここに在籍した能力者の半
数以上が死ぬか去っていくからといって、彼女もそうだとは限らない。
 目を閉じると、天井から入ってくる暖かな日差しと、まだ聞こえてきているマナの
歌声が感じとれて、まるで天上の国のようだった。しかし、目を開ければ、そこには
溺れるようにあがいている少女の姿がある。そう、ここは、地獄と天国の狭間――地
上なのだ。楽園だったとしても、多くの瓦礫の上に立つ、不安定でいつ倒れるともし
れないいびつな楽園。我々はここで、あがきつづけるしかない。楽園が滅びる、その
時まで。

 

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