SIN>EXTRA FILE 01 KYLE

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SIN>EXTRA FILE 01  KYLE

                                斎木 直樹

                2. 隔絶

 


 まばらに点滅する灯りに照らされた少年の手は汚れ、暗闇の中で目立たぬための黒いズボンのすそはどこかでひっかけてしまったようで、破れてしまっている。深い色彩の瞳が一点を見詰めると、少年はふらつきながらそれに駆け寄った。
 震えている手で容器のふたを外し、流れっぱなしになっている水に手ごといれる。小さな傷に勢いよく流れる水が染み込み、秀麗な眉が歪んだ。少年は両手で容器を支え、意志の力で震えを止めた。
――カイル――
 少年は己を呼ぶ声を感じた。
――カイル、戻ってきてくれ――
 アレクに「意識」をおいてきてよかった。カイルは、既に水があふれ出てしまっている水筒のふたを閉めながら立ち上がった。ふたがうまく閉まらない。
 気分を無理に切り替えて再び走りはじめる。肉体と精神の疲労は既に頂点を過ぎはじめていた。

 

 

 初仕事なんて、軽く済ますはずだったのに。サーシャは、震える己の手を止めるこ
とができなかった。
                              データ
 初仕事だから簡単なものにしてある、と渡された資料には、ある情報の運搬、とあっ
た。確かに簡単な作業のはずだった。予定外のことが起きなければ。
 問題の機密情報を相手に渡すところまでは何事もなく、上手くいった。しかし、彼
  ポーター
らは運搬者を「処分」しようという気になったらしい。犯行に使った車を証拠隠滅し
ようとするかのように。まあ、所詮能力者の子ども二人だ。死んでも誰が犯人を捜す
わけでもない。死亡報告、それで終わりだ。
 しかし、彼らは唐突に倒れ、それきり動かなくなってしまった。恐らく、サポート
役として同行していたカイルが気絶させたのだろう。彼らの手元に落ちた数々の武器
から、彼らが何をしようとしていたかをサーシャはようやく悟った。カイルは、顔色
どころか眉一つ動かさないまま、物陰に潜んでいる。残りは、一人。
 不意に倒れた仲間たちの身体の中で、拳銃を構えた細身の女性がただ一人立ってい
                                    body
た。コーカソイド系の肌色が更に青ざめ、夢を見ずにもののように置かれている身体
たちよりも死体のようだ。
 女の拳銃の先で、サーシャもまた、軽いがそれなりに威力のある銃を構えている。
構えてはいるが、その手はがたがたと震えていた。全く狙いが定まらないサーシャと、
恐怖に支配された女性との睨み合いは続いたが、少女の方の銃身が、震えと重みに耐
え切れなかったようにゆっくりと下へ向くのに気づくと、女の目が一瞬輝き、そして
目を閉じた。意識を奪われても、きちんとひざから崩れ落ちるのは、人間の身体の構
造からそうなっているのだろう。猫がくるりと回って足から落ちるように。
「撤収だ」
 短く告げた少年の顔を、呆けたように突っ立っていたサーシャは睨みつけた。いき
なり襲ってきた彼らよりも憎憎しく思う気持ちが抑えられない。しかし、この場にい
る気もせず、走るカイルの後を追ってはみたが、そのこと自体が屈辱としか捉えられ
なかった。
 追跡が無いことを確認し、帰還のために用意された輸送車の荷台に乗り込んでも、
サーシャは一言も口をきかなかった。おしゃべりな彼女には珍しいことだったが、カ
イルは疑問に思うことなく、彼もまた何も言わなかった。
 車が走り出し、外の風景は見えないながらも街中らしい音が聞こえてくる。ともす
れば、窓のない荷台でもその埃っぽい臭いが嗅ぎとれそうなぐらいだった。たまにぐ
らりとくる振動に身を任せながらも、少年はただ車の床を眺め続けた。
「あんた、あたしを試したのね」
 不意にサーシャが言った。顔を上げたカイルは、彼女と目をあわせると、無表情に
軽くうつむいた。
「肯定するってこと?あそこであたしが『撃てる』かを試したことを」
「君は撃てなかった」
 ぎりっとサーシャは唇を噛んだ。
                              ガード
「……最初は、彼女だけ気絶しなかったのは、彼女だけなんらかの防御壁を築いてい
るからなのかと思ってた。でも、そうじゃなかった。あんたは、彼女だけをわざと残
した。私を試すために」
 もう頭を動かしさえしない。サーシャにも、それが事実なのだとわかりきっていた。
「君は能力を使うことすら考えず、銃に頼った」
「それは……防御壁があるのかと思ってたから……」
 今までは、なるべく「能力」を使わないことを心がけて生きてきた。短い期間に多
少訓練を受けたとはいえ、非常時において無意識に能力を使うレベルまでには、その
「癖」がまだ治っていないことは事実だ。手元に銃があるからそれを使おうとした。
自分に別の「武器」があることなど、思いつきもしなかった。
 サーシャは上を向き、ぎりぎりと強く歯をかんだ。唇をかんでいたら、軽く皮を破
りそうなまでに。カイルが、いたずらに人を試すようなことをするはずがない。彼が、
そこまでするほど他人に興味を持っていないことは、身をもって知っていた。
 「研究所」の人間にそうするよう指示されたに違いない。そして、自分はそのテス
トに受かることができなかった。二重の意味で。
「……あそこで、撃つことができればよかったの。殺せば――」
「非常事態に対しての対応ができれば、それでいい」
「あたしが撃てば、あの人は死んだかもしれなかった!」
 顔に熱が集まるのを感じながら、サーシャは叫んだ。明らかに荒事には慣れていな
いような女性だった。死体のような顔色をしていた。サーシャとて、死人を見たこと
がないわけではない。彼女が打ち捨てられたところを思い浮かべて、ぞっとした。
 がたん、と車がまた跳ね、サーシャは舌をかみそうになった。
「それで?」
 まだ揺れの余韻が残っているかのような車内で、カイルの目は冷静すぎた。サーシャ
は目の前の少年を避けるようにびくっと身体を引いた。これは、誰?
「これが、僕たちの代価だ。あそこが、訓練だけさせてくれるために僕たちを飼って
いるとでも思っていたのか?単なる荷物運びのためだけに」
「そんなこと――」
「判っている、つもりだった?」
 カイルをねめつける気力はまだサーシャにも残っていたようだ。そうでいてもらわ
なければ困る。
 それ以来、サーシャはカイルに対して一言も口をきこうとはしなかった。

 

 

 サーシャがそこを通りかかったのは、偶然だったのだろうか。もしかしたら、彼女
はサーシャがその時間にそこを通るような口実をつくり、故意に扉を開けていたのか
もしれない。
 カイルと口をきかなくなって、一ヶ月が経っていた。あれから二、三の仕事を別の
人とこなしていたが、トラブルがない仕事ばかりだった。何も考えずにできる、おつ
かいのようなものだとサーシャは認識していた。何も考えずにできたから、余計に考
える時間ができてしまった。
 薄く開いた扉から漏れ聞こえる女の声に覚えがあったサーシャは、無意識に耳に神
経を凝らした。あれは……マナだろうか。いつになく明るく装った、媚びるような口
調に鳥肌が立った。話し相手が誰だろうと、そう、カイルだろうと関係なく、吐き気
がする。いっそ扉を大きな音を立てて閉めてやろうかと思い、近づいた。
 部屋の中で、女はゆっくりとカイルの頬にてのひらを寄せ、最初はそっと口づけた。
手は少しずつ下がり、彼の胸で柔らかく握られる。まだ彼女はうつむかなくてはいけ
ないが、次第に彼の方が追い越していくだろう。女はその時のことを想い、秘かに笑
みを浮かべようとした。
「……とう……んだ」
 微かな声に閉じていた目を開くと、そこにはこぼれんばかりの涙をたたえた黒目が
ちな瞳があった。思わず身を放す。
「な、何よ」
 黒髪の少年は、身じろぎひとつせずに繰り返した。
「本当、だったんだ」
 ぽつりと抑揚なくつぶやかれた言葉が、決定的な言葉のように聞こえて、マナは己
の身体の震えに脅えた。
「なに」
「マナは、俺じゃなくてもいいんだって」
 カイルが静かにうつむくと、ひとつ滴が床に落下した。暗灰色のカーペットに淡い
染みをつくっただけで、それは消えてしまった。
「アレクが」
 その名に、マナは叫ばずにいられなかった。
「嘘よ!」
 その声の激しさと同じくらい強く、彼の肩を握りしめる。
「アレクが、そんなことを言うはずがないわ。こんな時に、ふざけないで」
 ふざける?カイルがふざけるなんてことがあり得るのかしら。冷静にそんなことを
言う自分がどこかにいることを、マナは自覚していた。
 目の前の少年が果てしなく遠く感じられる。この世にはいないのかもしれない。どっ
ちが?私が?
 常に優しく接してくれたアレクの面影がいくつも流れていく。そう。いつも、いつ
も、彼は許してくれた。私が何をしても、いつだって、優しく抱きしめてくれた。そ
れが彼。アレク。
 自分の背後から、冷静な声が聞こえたような気がした。その時……抱きしめてくれ
ていたとき、彼はどんな表情をしていた?アレクの面影?あなたは、彼の顔を覚えて
いるの?
 首を振り過ぎるほどに振り、その声を払おうとした。
「あんたがそんなことを言うの?アレクを、アレクを殺したあんたが!」
 少年を傷つけるためだけに発せられたその言葉を、彼は黙殺した。いや、聞こえて
すらいなかったのかもしれない。何らかの反応を少年から得ようと、気がつくと彼を
乱暴に揺すっていた。それでも少年は、死体のように反応を示さない。
 発作的に振り上げた腕の付け根の痛みに気づいたとき、大きな音をたてて扉が開い
た。そこには、彼女が憎むべき少女が立っていた。アレクと同じ髪の色、肌の色を持
つ少女が。
 マナはサーシャに視点を固定したままゆっくりと腕を下げると、一度カイルをにら
みつけたが、自分から目をそらし逃げるように去っていった。
 私は、アレックスには特に興味はない。むしろそれよりも――。サーシャは、目の
前の少年をまっすぐと見つめた。
「私には、知る権利があるはずよね」
 少年は、軽くうなずくような、あごを引くようなあいまいな動作をした。それが、
彼の肯定を意味する動作らしいことを、やっとサーシャは学びつつあった。

 

 

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