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1月 |
ついに『センチメンタルグラフティ』発売!! 「NAL」、せっかくだから、と前日に購入してみる(注:ゲーム内容・評価は、仕事柄熟知している)。 ゲーム史上に名を残すことになるあのオープニング映像を、関係者一同が実際に見る。 「暗黒舞踏……」。 ちょうど同じ頃、セガサターン史上最強と言われる『デスクリムゾン』を入手。 あまりに強烈なオープニング映像のため、“デス様旋風”が関係者の間に吹き荒れる(笑)。 前年秋以降、職場の雲行きが怪しくなっていた「NAL」、新上層部から急に担当する職務内容の変更を要求 される。 |
春 |
『センチ』ショックが尾を引くなか、 『NAeL2前哨本 やっぱり運命の本だったりゅん!!』(コピー誌)を発行。 ゲームの『センチ』はかなり……だったが、この時期に始まったアニメの『センチメンタルジャーニー』はな かなかの良作。 『カウボーイビバップ』『ファンシーララ』『カードキャプターさくら』と、久々に執筆陣的注目作品が多かっ たのが記憶に新しい。 この時期、初めて東京以西の即売会・メンズコミック(名古屋)に“遠征”する。 |
6月 |
2回目のメンズコミック参加。 6月21日、ラストの開催となるコミックキャッスルで、 『NAeL2 仙台少女えみりゅん』を発行。 仕事の方でトラブルが続き、満足に執筆作業が出来なくなっていた「NAL」が開けた穴を、こちらも仕事で忙 しかったはずの「怒著」が完全にフォローした。この頃の本は、「怒著」の才能の独壇場となっている。 ありがとう、コミックキャッスル……。コミケやCレヴォで確実にブースを確保できるかどうか分からない我々の ような中小サークルにとって、確実にブースが取れる上、イヴェント規模も決して小さくないという非常に 重要で貴重な即売会であった。 |
7月 |
話題のインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』を「怒頂」「NAL」が観に行く。 これは本当にすごい映画である。これまでに観たどんな映画より面白く、新鮮だ。単なる娯楽映画に終始せ ず、いかに生きるべきかという人生観をも想起させる哲学的な面も見逃せないポイント。 まさに革命的な一本となった。 |
8月 |
新刊発行を目指すが、あえなく撃沈。 下旬、「少年チンプ」さんと合同で初めて大阪の即売会「スーパーコミックシティ 関西」に参加する。 「NAL」、突然のリストラで失職。この前後に、上司だった人物から悪意に満ちた嫌がらせ的対応を受け、 「勝てば官軍、負ければ賊軍」「死人に口無し」「死者に鞭打つ」とはこういうことか、立場の弱い者の悲哀を いやほど実感。 怒り・憤りを通り越した不快な感情を初めて覚え、それが冷めたときには何も残っていないことに気づいた。 以降、疲れ果てた精神の安寧を取り戻すのに半年も費やすことになる。 |
秋 |
これまで「POLICE五人衆」という枠組みを維持してきたが、「かとまん」は遠方で仕事をしており相互連絡 が相当に困難になっていたこと、「三寸」は創作活動自体が他ジャンルにシフトしていたことなど、実態が伴 っていない面が多くなってきたため、名称を変更した上で組織改編を行うことになった。 新名称は「なかだし 共の会」、使用開始は1999年からとなり、この変更・改変によって、「なかだし」の 枠組みにとどまるのは「怒頂」「NAL」の2名、ということになった。 なお、「共の会」の名付け親となったのは、サークル「N&N factory」の「NaRuTo」氏。 |
11月 |
1年半の沈黙を破り、「なかだし」の新刊『なかだし4.5号』(コピー誌)を発行。 前述の通り、疲労しきった状態ではあったが、なんとか踏ん張っての発刊となる。 コミックレヴォリューション会場内で製本作業をせざるを得ないほど切羽詰まっていたが、なんとか間に合わ せ、即売会途中で在庫が切れると急遽近くのコンビニで刷り増しするなどして乗り切った。 なお、このときから「怒頂」はペンネームを改め、「怒著」とした。……なんでも画数占いの結果を踏まえての 決定だったようだ。新表記は決して誤字ではないので、ご注意。 |
12月 |
冬コミでの『なかだし5号』発行を目指すも、あえなく断念。 とにかく、発刊ペースの落ち込みは如何ともし難く、たまの新刊で売上が伸びても、そのほとんどが運営費 と経費に充当しなければならないため、苦しい状態が続く。 |
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1995年春 |
〜1996年 |
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