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渋谷栄一校訂(C)

  

松風

光る源氏の内大臣時代三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語

 [主要登場人物]

 光る源氏<ひかるげんじ>
呼称---内の大殿・大臣・大殿・殿、三十一歳
 明石入道<あかしのにゅうどう>
呼称---入道、明石の君の父親
 明石の尼君<あかしのあまぎみ>
呼称---母君・尼君、明石の君の母親
 明石の君<あかしのきみ>
呼称---明石の御方・明石・御方・女君・女・君、源氏の妻
 明石の姫君<あかしのひめぎみ>
呼称---若君、光る源氏の娘
 紫の上<むらさきのうえ>
呼称---女君、源氏の正妻

第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋

  1. 二条東院の完成、明石に上洛を促す---東の院造りたてて、花散里と聞こえし
  2. 明石方、大堰の山荘を修理---昔、母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが
  3. 惟光を大堰に派遣---かやうに思ひ寄るらむとも知りたまはで
  4. 腹心の家来を明石に派遣---親しき人々、いみじう忍びて下し遣はす
  5. 老夫婦、父娘の別れの歌---秋のころほひなれば、もののあはれ
  6. 明石入道の別離の詞---「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に
  7. 明石一行の上洛---御車は、あまた続けむも所狭く
第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会
  1. 大堰山荘での生活始まる---家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらに
  2. 大堰山荘訪問の暇乞い---かやうにものはかなくて明かし暮らすに
  3. 源氏と明石の再会---忍びやかに、御前疎きは混ぜで、御心づかひして
  4. 源氏、大堰山荘で寛ぐ---繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに
  5. 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊---御寺に渡りたまうて、月ごとの
第三章 明石の物語 桂院での饗宴
  1. 大堰山荘を出て桂院に向かう---またの日は京へ帰らせたまふべければ
  2. 桂院に到着、饗宴始まる---いとよそほしくさし歩みたまふほど
  3. 饗宴の最中に勅使来訪---おのおの絶句など作りわたして、月はなやかに
第四章 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心
  1. 二条院に帰邸---殿におはして、とばかりうち休みたまふ
  2. 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談---その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど

【出典】
【校訂】

 

第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋

 [第一段 二条東院の完成、明石に上洛を促す]

 東の院造りたてて、花散里と聞こえし、移ろはしたまふ。西の対、渡殿などかけて、政所、家司など、あるべきさまにし置かせたまふ。東の対は、明石の御方と思しおきてたり。北の対は、ことに広く造らせたまひて、かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人びと集ひ住むべきさまに、隔て隔てしつらはせたまへるしも、なつかしう見所ありてこまかなる。寝殿は塞げたまはず、時々渡りたまふ御住み所にして、さるかたなる御しつらひどもし置かせたまへり。

 明石には御消息絶えず、今はなほ上りたまひぬべきことをばのたまへど、女は、なほ、わが身のほどを思ひ知るに、

 「こよなくやむごとなき際の人びとだに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして、何ばかりのおぼえなりとてか、さし出でまじらはむ。この若君の御面伏せ、数ならぬ身のほどこそ現はれめ。たまさかにはひ渡りたまふついでを待つことにて、人笑へに、はしたなきこと、いかにあらむ」

 と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。親たちも、「げに、ことわり」と思ひ嘆くに、なかなか、心も尽き果てぬ。

 [第二段 明石方、大堰の山荘を修理]

 昔、母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。

 「世の中を今はと思ひ果てて、かかる住まひに沈みそめしかども、末の世に、思ひかけぬこと出で来てなむ、さらに都の住みか求むるを、にはかにまばゆき人中、いとはしたなく、田舎びにける心地も静かなるまじきを、古き所尋ねて、となむ思ひ寄る。さるべき物は上げ渡さむ。修理などして、かたのごと人住みぬべくは繕ひなされなむや」

 と言ふ。預り、

 「この年ごろ、領ずる人もものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、下屋にぞ繕ひて宿りはべるを、この春のころより、内の大殿の造らせたまふ御堂近くて、かのわたりなむ、いと気騷がしうりにてはべる。いかめしき御堂ども建てて、多くの人なむ、造りいとなみはべるめる。静かなる御本意ならば、それや違ひはべらむ」

 「何か。それも、かの殿の御蔭に、かたかけてと思ふことありて。おのづから、おひおひに内のことどもはしてむ。まづ、急ぎておほかたのことどもをものせよ」

 と言ふ。

 「みづから領ずる所にはべらねど、また知り伝へたまふ人もなければ、かごかなるならひにて、年ごろ隠ろへはべりつるなり。御荘の田どいふことの、いたづらに荒れはべりしかば、故民部大輔の君に申し賜はりて、さるべき物などたてまつりてなむ、領じ作りはべる」

 などそのあたりの貯へのことどもを危ふげに思ひて髭がちにつなしにくき顔を、鼻などうち赤めつつ、はちぶき言へば、

 「さらに、その田などやうのことは、ここに知るまじ。ただ年ごろのやうに思ひてものせよ。券などはここになむあれど、すべて世の中を捨てたる身にて、年ごろともかくも尋ね知らぬを、そのことも今詳しくしたためむ」

 など言ふにも、大殿のけはひをかくれば、わづらはしくて、その後、物など多く受け取りてなむ、急ぎ造りける。

 [第三段 惟光を大堰に派遣]

 かやうに思ひ寄るらむとも知りたまはで、上らむことをもの憂がるも、心得ず思し、「若君の、さてつくづくとものしたまふを、後の世に人の言ひ伝へむ、今一際、人悪ろき疵にや」と思ほすに、造り出でてぞ、「しかしかの所をなむ思ひ出でたる」と聞こえさせける。「人に交じらはむことを苦しげにのみものするは、かく思ふなりけり」と心得たまふ。「口惜しからぬ心の用意かな」と思しなりぬ。

 惟光朝臣、例の忍ぶる道は、いつとなくいろひ仕うまつる人なれば、遣はして、さるべきさまに、ここかしこの用意などせさせたまひり。

 「あたり、をかしうて、海づらに通ひたる所のさまになむはべりける」
 と聞こゆれば、「さやうの住まひに、よしなからずはありぬべし」と思す。

 造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。
 これは、川面に、えもいはぬ松蔭に、何のいたはりもなく建てたる寝殿のことそぎたるさまも、おのづから山里のあはれを見せたり。内のしつらひなどまで思し寄る。

 [第四段 腹心の家来を明石に派遣]

 親しき人びと、いみじう忍びて下し遣はす。逃れがたくて、今はと思ふに、年経つる浦を離れなむこと、あはれに、入道の心細くて一人止まらむことを思ひ乱れて、よろづに悲し。「すべて、など、かく、心尽くしになりはじめけむ身にか」と、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。

 親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても、願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの堪へがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば、若君をば見たてまつらでは、はべるべきか」と言ふよりほかのことなし。

 母君も、いみじうあはれなり。年ごろだに、同じ庵にも住まずかけ離れつれば、まして誰れによりてかは、かけ留まらむ。ただ、あだにうち見る人のあさはかなる語らひだに、見なれそなれて別るるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたる頭つき、心おきてこそ頼もしげなけれど、またさるかたに、「これこそは、世を限るべき住みかなれ」と、あり果てぬ命限りに思ひて、契り過ぐし来つるを、にはかに行き離れなむも心細し。

 若き人びとの、いぶせう思ひ沈みつるは、うれしきものから、見捨てがたき浜のさまを、「または、えしも帰らじかし」と、寄する波に添へて、袖濡れがちなり。

 [第五段 老夫婦、父娘の別れの歌]

 秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。

 若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉の心地して、袖よりほかに放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく、人に違へる身をいまいましく思ひながら、「片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。

 「行く先をはるかに祈る別れ路に
  堪へぬは老いの涙なりけり
 いともゆゆしや」

 とて、おしのごひ隠す。尼君、

 「もろともに都は出で来このたびや
  ひとり野中の道に惑はむ

 とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。ここら契り交はして積もりぬる年月のほどを思へば、かう浮きたることを頼みて、捨てし世に帰るも、思へばはかなしや。御方、

 「いきてまたあひ見むことをいつとてか
  限りも知らぬ世をば頼まむ
 送りにだに」

 と切にのたまへど、方々につけて、えさるまじきよしを言ひつつ、さすがに道のほども、いとうしろめたなきけしきなり。

 [第六段 明石入道の別離の詞]

 「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下りはべりしことども、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもやと、思ひたまへ立ちしかど、身のつたなかりける際の思ひ知らるること多かりしかば、さらに、都に帰りて、古受領の沈めるたぐひにて、貧しき家の蓬葎、元のありさま改むることもなきものから、公私に、をこがましき名を広めて、親の御なき影を恥づかしめむことのいみじさになむ、やがて世を捨てつる門出なりけりと人にも知られにしを、その方につけては、よう思ひ放ちてけりと思ひはべるに、君のやうやう大人びたまひ、もの思ほし知るべきに添へては、など、かう口惜しき世界にて錦を隠しきこゆらむと、心の闇れ間なく嘆きわたりはべりしままに、仏神を頼みきこえて、さりとも、かうつたなき身に引かれて、山賤の庵には混じりたまはじ、と思ふ心一つを頼みはべりしに、思ひ寄りがたくて、うれしきことどもを見たてまつりそめても、なかなか身のほどを、とざまかうざまに悲しう嘆きはべりつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世の頼もしさに、かかる渚に月日を過ぐしたまはむも、いとかたじけなう、契りことにおぼえたまへば、見たてまつらざらむ心惑ひは、静めがたけれど、この身は長く世を捨てし心はべり。君達は、世を照らしたまふべき光しるければ、しばし、かかる山賤の心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ。天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて、今日、長く別れたてまつりぬ。命尽きぬと聞こしめすとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに御心動かしたまふな」とひ放つものから、「煙ともならむ夕べまで、若君の御ことをなむ、六時の勤めにも、なほ心ぎたなく、うち交ぜはべりぬべき」

 とて、これにぞ、うちひそみぬる。

 [第七段 明石一行の上洛]

 御車は、あまた続けむも所狭く、片へづつ分けむもわづらはしとて、御供の人びとも、あながちに隠ろへ忍ぶれば、舟にて忍びやかにと定めたり。辰の時に舟出したまふ。昔の人あはれと言ひける浦の朝霧たりゆくままに、いともの悲しくて、入道は、心澄み果つまじく、あくがれ眺めゐたり。ここら年を経て、今さらに帰るも、なほ思ひ尽きせず、尼君は泣きたまふ。

 「かの岸に心寄りにし海人舟の
  背きし方に漕ぎ帰るかな」

 御方、
 「いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ
  浮木に乗りて帰るらむ」

 思ふ方の風にて、限りける日違へず入りたまひぬ。人に見咎められじの心もあれば、路のほども軽らかにしなしたり。

 

第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会

 [第一段 大堰山荘での生活始まる]

 家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。造り添へたる廊など、ゆゑあるさまに、水の流れもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、住みつかばさてもありぬべし。

 親しき家司に仰せ賜ひて、御まうけのことせさせたまひけり。渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに、日ごろ経ぬ。

 なかなかもの思ひ続けられて、捨てし家居も恋しう、つれづれなれば、かの御形見の琴を掻き鳴らす。折の、いみじう忍びがたければ、人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、松風はしたなく響きあひたり。尼君、もの悲しげにて寄り臥したまへるに、起き上がりて、

 「身を変へて一人帰れる里に
  聞きしに似たる松風ぞ吹く」

 御方、

 「故里に見し世の友を恋ひわびて
  さへづることを誰れか分くらむ」

 [第二段 大堰山荘訪問の暇乞い]

 かやうにものはかなくて明かし暮らすに、大臣、なかなか静心なく思さるれば、人目をもえ憚りあへたまはで、渡りたまふを、女君はかくなむとたしかに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の、聞きもや合はせたまふとて、消息聞こえたまふ。

 「桂に見るべきことはべるを、いさや、心にもあらでほど経にけり。訪らはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて、待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ」

 と聞こえたまふ。

 「桂の院といふ所、にはかにらせたまふと聞くは、そこに据ゑたまへるにや」と思すに、心づきなければ、「斧の柄さへ改めまはむほどや、待ち遠に」と、心ゆかぬ御けしきなり。
 「例の、比べ苦しき御心、いにしへのありさま、名残なしと、世人も言ふなるものを」、何やかやと御心とりたまふほどに、日たけぬ。

 [第三段 源氏と明石の再会]

 忍びやかに、御前疎きは混ぜで、御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。

 めづらしう、あはれにて、若君を見たまふも、いかが浅く思されむ。今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。
 「大殿腹の君をうつくしげなりと、世人もて騒ぐは、なほ時世によれば、人の見なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかりれ」
 と、うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、匂ひたるを、いみじうらうたしと思す。

 乳母の、下りしほどは衰へたりし容貌、ねびまさりて、月ごろの御物語など、馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを、思しのたまふ。

 「ここにも、いと里離れて、渡らむこともかたきを、なほ、かの本意ある所に移ろひたまへ」
 とのたまへど、
 「いとうひうひしきほど過ぐして」
 と聞こゆるも、ことわりなり。夜一夜、よろづに契り語らひ、明かしたまふ。

 [第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ]

 繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人びと、参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。

 「ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」

 など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
 尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。

 東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿うちとけたまへるを、いとめでたううれしと見たてまつるに、閼伽の具などのあるを見たまふに、思し出でて、

 「尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや」
 とて、御直衣召し出でて、たてまつる。几帳のもとに寄りたまひて、

 「罪軽く生ほし立てたまへる人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」

 と、いとなつかしうのたまふ。

 「捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」

 など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、かことがましう聞こゆ。

 「住み馴れし人は帰りてたどれども
  清水は宿の主人顔なる」

 わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。

 「いさらゐははやくのことも忘れじを
  もとの主人や面変はりせる
 あはれ」

 と、うち眺めて、立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。

 [第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊]

 御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべきことなど定め置かせたまふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。月の明きに帰りたまふ。

 ありし夜のこと、思し出でらるる、折過ぐさず、かの琴の御琴さし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで、掻き鳴らしたまふ。まだ調べも変はらず、ひきかへし、その折今の心地したまふ。

 「契りしに変はらぬ琴の調べにて
  絶えぬ心のほどは知りきや」

 女、

 「変はらじと契りしことを頼みにて
  松の響きに音を添へしかな」

 と聞こえ交はしたるも、似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ。こよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう、若君、はた、尽きもせずまぼられたまふ。

 「いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが、心苦しう口惜しきを、二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪免れなむかし」

 と思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。幼き心地に、すこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどして、むつれたまふを見るままに、匂ひまさりてうつくし。抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。

 

第三章 明石の物語 桂院での饗宴

 [第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう]

 またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠もり過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを、桂の院に人びと多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。御装束どしたまひて、

 「いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを」

 とて、騒がしきに引かれて出でたまふ。心苦しければ、さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる戸口に、乳母、若君抱きてさし出でたり。あはれなる御けしきに、かき撫でたまひて

 「見では、いと苦しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いと里遠しや

 と

のたまへば、

 「遥かに思ひたまへ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽くしに」

 など聞こゆ。若君、手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて

 「あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ。しばしにても苦しや。いづら。など、もろともに出でては、惜しみたまはぬ。さらばこそ、人心地もせめ」

 とのたまへば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞こゆ。

 なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。あまり上衆めかしと思したり。人びともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり出でて、几帳にはた隠れたるかたはら目、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、皇女たちといはむにも足りぬべし。

 帷子引きやりて、こまやかに語らひたまふとて、とばかり返り見たまへるに、さこそ静めつれ、見送りきこゆ。

 いはむかたなき盛りの御容貌なり。いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿など、「かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫の裾まで、なまめかしう愛敬のこぼれ出づるぞ、あながちなる見なしなるべき。

 かの、解けたりし蔵人も、還りなりにけり。靭負尉にて、今年かうぶり得てけり。昔に改め、心地よげにて、御佩刀取りに寄り来たり。人影を見つけて、

 「来し方のもの忘れしはべらねど、かしこければえこそ浦風おぼえはべりつる暁の寝覚にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」

 と、けしきばむを、

 「八重立つ山、さらに島隠れも劣らざりけるを、松も昔の、たどられつるに、忘れぬ人もものしたまひけるに、頼もし」

 など言ふ。
 「こよなしや。我も思ひなきにしもあらざりしを」
 など、あさましうおぼゆれど、
 「今、ことさらに」
 と、うちけざやぎて、参りぬ。

 [第二段 桂院に到着、饗宴始まる]

 いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、頭中将、兵衛督乗せたまふ。

 「いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」

 と、いたうからがりたまふ。

 「昨夜の月に、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。山の錦はまだしうはべりけり。野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」

 など言ふ。

 「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応とぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。

 野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。

 [第三段 饗宴の最中に勅使来訪]

 おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。
 弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
 上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、

 「今日は、六日の御物忌明く日にて、かならずりたまふべきを、いかなれば」

 と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。御使は、蔵人弁なりけり。

 「月のすむ川のをちなる里なれば
  桂の影はのどけかるらむ
 うらやましう」

 とあり。かしこまりきこえさせたまふ。

 上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、
 「わざとならぬまうけの物や」
 と、言ひつかはしたり。取りあへたるに従ひて参らせたり。衣櫃二荷にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束づけたまふ。

 「久方の光に近き名のみして
  朝夕霧も晴れぬ山里」

 行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「中に生ひたると、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒が「所からかとおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。

 「めぐり来て手に取るばかりさやけきや
  淡路の島のあはと見し月」

 頭中将、

 「浮雲にしばしまがひし月影の
  すみはつる夜ぞのどけかるべき」

 左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。

 「雲の上のすみかを捨てて夜半の月
  いづれの谷にかげ隠しけむ」

 心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。

 気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて、千年も見聞かまほしき御ありさまなれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。

 物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。

 ののしりて帰らせたまふ響き、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。「御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。

 

第四章 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心

 [第一段 二条院に帰邸]

 殿におはして、とばかりうち休みたまふ。山里の御物語など聞こえたまふ。

 「暇聞こえしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしに、引かされて。今朝は、いとなやまし」

 とて、大殿籠もれり。例の、心とけず見えたまへど、見知らぬやうにて、

 「なずらひならぬほどを、思し比ぶるも、悪きわざなめり。我は我と思ひなしたまへ」

 と、教へきこえたまふ。
 暮れかかるほどに、内裏へ参りたまふに、ひきそばめて急ぎ書きたまふは、かしこへなめり。側目こまやかに見ゆ。うちささめきて遣はすを、御達など、憎みきこゆ。

 [第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談]

 その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど、解けざりつる御けしきとりに、夜更けぬれど、まかでたまひぬ。ありつる御返り持て参れり。え引き隠したまはで、御覧ず。ことに憎かるべきふしも見えねば、

 「これ、破り隠したまへ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきなきほどになりにけり」

 とて、御脇息に寄りゐたまひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやらるれば、燈をうち眺めて、ことにものものたまはず文は広ごりながらあれど、女君、見たまはぬやうなるを、

 「せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ」

 とて、うち笑みたまへる御愛敬、所狭きまでこぼれぬべし。
 さし寄りたまひて、

 「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとて、ものめかさむほども憚り多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。いかがすべき。ここにて育みたまひてむや蛭の子が齢にもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふを、めざましと思さずは、引き結ひたまへかし」

 と聞こえまふ。

 「思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしきほどに」

 とて、すこしうち笑みたまひぬ。稚児をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、「得て、抱きかしづかばや」と思す。

 「いかにせまし。迎へやせまし」と思し乱る。渡りたまふこといとかたし。嵯峨野の御堂の念仏など待ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。年のわたりには立ちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ。

 【出典】
出典1 みなれ木のみなれそなれて離れなば恋しからじや恋しからむや(源氏釈所引、出典未詳)(戻)
出典2 あり果てぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな(古今集雑下-九六五 平貞文)(戻)
出典3 古道に我や惑はむいにしへの野中の道の草は茂りあひにけり(拾遺集物名-三七五 藤原輔相)(戻)
出典4 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)
出典5 世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため(古今集雑上-九〇一 在原業平)(戻)
出典6 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今集羈旅-四〇九 読人しらず)(戻)
出典7 天の川浮き木に乗れる我なれやありしにもあらず世はなりにけり(俊頼髄脳所引、出典未詳)(戻)
出典8 斧の柄は朽ちなばまたもすげ換へむ憂き世の中に帰らずもがな(古今六帖二-一〇一九)(戻)
出典9 人よりも思ひのぼれる君なればうべ山口はしるくなりけり(河海抄所引、出典未詳)(戻)
出典10 里遠みいかにせよとかかくのみはしばしも見ねば恋しかるらむ(元真集-二七三)(戻)
出典11 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ(後撰集雑二-一一七三 読人しらず)(戻)
出典12 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今集羈旅-四〇九 読人しらず)(戻)
出典13 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今集雑上-九〇九 藤原興風)(戻)
出典14 霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る(古今集秋下-二九一 藤原関雄)(戻)
出典15 久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる(古今集雑下-九六八 伊勢)(戻)
出典16 淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも(古今六帖一-三三二 躬恒)(戻)
出典17 玉鬘絶えぬものからあらたまのとしの渡りはただ一夜のみ(後撰集秋上-二三四 読人しらず)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 御面伏せ--御(御/+お)もてふせ(戻)
校訂2 騷がしう--さ(さ/+は)かしう(戻)
校訂3 畠--はたけ(はたけ/$畠<朱>)(戻)
校訂4 など--なん(ん/$<朱>)と(戻)
校訂5 思ひて--思て(て/$ひて)(戻)
校訂6 たまひ--給へ(へ/$ひ)(戻)
校訂7 たまふな」と--給ふなとと(と/#)(戻)
校訂8 昔の人--むかし(し/+の<朱>)人(戻)
校訂9 浮木に--うき木(き/+に)(戻)
校訂10 帰れる--かく(く/$へ<朱>)れる(戻)
校訂11 女君は--女君に(に/$)は(戻)
校訂12 にはかに--にはかにて(て/#)(戻)
校訂13 たまへる--(/+た)まへる(戻)
校訂14 念仏--念(念/&念)仏(戻)
校訂15 ことなど--(/+事なと)(戻)
校訂16 御装束--御さうす(す/=そイ)く(戻)
校訂17 たまひて--たま(ま/+ひ)て(戻)
校訂18 遠しや--ゝほ(ほ/$を)しや(戻)
校訂19 たまひて--たま(ま/+ひ)て(戻)
校訂20 えこそ--(/+え<朱>)こそ(戻)
校訂21 御饗応と--御あるし(し/+と)し(し/$<朱>)(戻)
校訂22 かならず--か(か/$<朱>)かならす(戻)
校訂23 装束--さうす(す/=そイ)く(戻)
校訂24 ものたまはず--(/+もの)たまはす(戻)
校訂25 たまひてむや--たま(ま/+ひ)てんや(戻)
校訂26 聞こえ--き(き/+こ)え(戻)

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