光る源氏の内大臣時代三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語
第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
[第二段 明石方、大堰の山荘を修理]
昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げたお方が所領なさっていた所が、大堰川の近くにあったのを、その後はしっかりと引き継ぐ人もいなくて長年荒れていたのを思い出して、あの当時から代々留守番のような役をしていた人を呼び迎えて相談する。
「この世はこれまでだと見切りをつけて、このような土地に落ちぶれた生活になじんでしまったが、老年になって思いがけないことが起こったので、改めて都の住居を求めるのだが、急に眩しい都人の中に出るのはきまりが悪いので、田舎者になってしまった心地にも落ち着くまいから、昔の所領を探し出して、と考えたのだ。必要な費用はお送りしよう。修理などして、どうにか住めるように修繕してくださらないか」
と言う。預かり人は、
「長年、ご領主様もいらっしゃらず、ひどい状態になっておりますので、下屋を繕って住んでおりますが、今年の春頃から、内大臣殿がご建立なさっている御堂が近いので、あの近辺はとても騒々しくなっております。立派な御堂をいくつも建立して、大勢の人々が造営にあたっているようでございます。静かなのがご希望ならば、あそこは適当ではございません」
「何、かまわぬ。このことも、あの殿のご庇護にお頼りしようと思うことがあってのことだ。いずれ、おいおいと内部の整備はしよう。まずは、急いでだいたいの修理をしてほしい」
と入道は言う。
「自分自身が所領している所ではございませんが、また他にご相続なさる方もなかったので、閑静な土地柄に従って、長年ひっそり過ごしてきたのでございます。ご領地の田や畑などというものが、台無しに荒れはてておりましたので、故民部大輔様のお許しを得て、しかるべきものどもをお支払い申して、作らせていただいております」
などと、その収穫したものを心配そうに思って、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻などを赤くしいしい、口をとがらせて文句を言うので、
「まったく、その田畑などのようなことは、こちらでは問題にするつもりはない。ただこれまで通りに思って使用するがよい。証書などはここにあるが、まったく世を捨てた身なので、長年どうなっていたか調べなかったが、そのことも今詳しくはっきりさせよう」
などと言うのにも、大殿との関係をほのめかすので、厄介になって、その後は、品物などを多く受け取って、急いで修築したのであった。
[第三段 惟光を大堰に派遣]
このように考えついていようともご存知なくて、上京することを億劫がっているのもわけが分からずお思いになって、「若君が、あのようなままひっそり寂しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、修理を終えさせて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点が行きなさる。「立派な心がまえであることよ」とお思いになった。
惟光朝臣は、例によって、内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、彼をお遣わしになって、しかるべきさまにあれこれの準備などをおさせになるのであった。
「付近一帯は趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」
と申し上げるので、「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。
ご建立なさっている御堂は大覚寺の南に当たって、滝殿の趣などもそれに負けないくらい素晴らしい寺である。
こちらは大堰川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。内部の装飾などまでご配慮なさっている。
[第四段 腹心の家来を明石に派遣]
親しい側近たちを、たいそう内密に明石へ下し遣わしなさる。断わりようもなくて、いよいよ上京と思うと、長年住み慣れた明石の浦を去ることが、しみじみとして、父入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。「何につけても、どうして、こう心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに一緒に暮らせない気がかりさが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じようなことばかり、「そうなると、若君にお目にかかれず、過すことになるのか」と繰り返し言うこと以外、言葉がない。
母君もたいそう切ない気持ちである。今まででさえ、同じ庵に住まずに離れていたので、まして誰を頼りとして留まっていられようか。ただかりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に別れることは一通りのものでないようだが、まして変な恰好の頭や気質は頼りになりそうにないが、またその方面で、「この土地こそは、一生を終えるついの住みかだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも心細い気がする。
若い女房たちで、憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思う一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。
[第五段 老夫婦、父娘の別れの歌]
秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、女君が海の方を眺めていると、入道がいつものように後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら勤行していらっしゃる。ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。
若君はとてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでにこう通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。
「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して
堪えきれないのは老人の涙であるよ
まったく縁起でもない」
と言って、涙を拭って隠す。尼君は、
「ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は
一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう」
と言って、お泣きになる様子はまことに無理もない。長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。御方は、
「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って
限りも分からない寿命を頼りにできましょうか
せめて都まで送ってください」
と一生懸命にお頼みになるが、入道は、あれやこれやとそうはできないことを言いながらも、やはり道中のことがたいそう気がかりな様子である。
[第六段 明石入道の別離の詞]
「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に決意して下って来ましたことも、ただあなたの御ためにと、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと決心致したのですが、わが身の不運な身分が思い知らされることが多かったので、絶対に都に帰って古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の有様を、元の状態に戻すこともできないものから、公私につけて馬鹿らしい名を広めて、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと、世間の人にもそのように知られてしまったが、そのことについてはよく思い切ったと思っていましたが、あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうしてこんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、神仏にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさるまいと思う心を独り持って期待していましたが、思いがけなく嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程をあれこれと悲しく嘆いていましたが、姫君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのもたいそうもったいなく、宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは鎮めがたい気がするが、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。
あなたたちは世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間、このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るようなのも一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申し上げます。わたしの寿命が尽きたとお聞きになっても、死後のことを、お考えくださるな。逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と言い切る一方で、「火葬の煙となる夕べまで、姫君のことを六時の勤めにもやはり未練がましく、きっとお祈りにお加え申し上げることであろう」
と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。
[第七段 明石一行の上洛]
お車は多数続けるのも仰々しいし、半分ずつ分けて上京するのも厄介だと考えて、お供の人々もできるだけ目立たないようにしているので、舟でひっそりと上京することに決めた。辰の時刻に舟出をなさる。昔の人も「あわれ」と言った明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は煩悩も断ち切れがたくぼうっと眺めていた。尼君は、長年住みなれて今さら都に帰るのも、やはり感慨無量でお泣きになる。
「彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが
捨てた都の世界に帰って行くのだわ」
御方は、
「何年も秋を過ごし過ごしして来たが
頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう」
思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わず京にお入りになった。人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。
[第二段 大堰山荘訪問の暇乞い]
このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣は、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、大堰にお出掛けになるのを、女君にはこれこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったので、例によって外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。
「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて待っているというので、気の毒でなりません。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」
と申し上げなさる。
「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに女を住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどの長期になるのでしょうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。
「例によって、調子を合わせにくいお心よ。昔の好色がましい心はすっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」と、何やかやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。
[第三段 源氏と明石の再会]
ひっそりと、御前駆にも親しくない者は加えないで、十分に気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになった。かつて狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえまたとなく美しい心地がしたのに、今はなおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿は、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
久しぶりの再会で、感慨無量となって、姫君を御覧になるにつけても、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。
「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。こんなふうに優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」
と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしくつややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。
乳母の、下行した時には痩せ衰えていた容貌が、今は立派になって、この何か月もの間のお話などを親しく申し上げるのを、しみじみとあのような漁村の一角で過ごしてきたろうことをおねぎらいになる。
「ここも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはりあのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」
とおっしゃるが、
「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」
とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。
[第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ]
君は修繕なさるべき所を、ここの宿の預かり人や、新たに加えた家司などにお命じになる。桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で参集していたのも、みなこちらの大堰の山荘に尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。
「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。このような庭をわざわざ修繕するのもつまらないことです。そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのもつらいことであった」
などと、明石の当時のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりしてくつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。
尼君が、源氏の君をのぞき見て拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。
東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣を修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、君は閼伽の道具類があるのを御覧になると、お気付きになって、
「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」
とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、
「前世の罪障を軽めてお育てなさった、その姫君の因果につけ、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ちを、深く感謝します。またあちら明石の地では、入道どのがどのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」
と、たいそう優しくおっしゃる。
「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、母親の素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」
などと申し上げる感じは、風情がなくもないので、昔話に親王が住んでいらっしゃった様子などを、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが
遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています」
わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。
「小さな遣水は昔のことも忘れないのに
もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか
ああ、懐かしい」
と、ちょっと眺めて、お立ちになる君のお姿、その美しさを、この世にも見たことがない、とばかり思い申し上げる。
[第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊]
嵯峨野の御堂にお出向きになって、毎月の十四、五日と、晦日の日に行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなどをお定めさせなさる。御堂の飾り付けや、仏像の道具類について、お触れを回してお命じになる。月の明るいうちに大堰の山荘にお戻りになる。
かつての明石での夜のことをお思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、女君はあの琴のお琴を御前に差し出した。どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。絃の調子もまだもとのままで、当時に立ち返って、あの時のことがたった今のようにお感じなさる。
「約束したとおり、琴の調べのように変わらない
わたしの心をお分かりいただけましたか」
女君は、
「変わらないと約束なさったことを頼みとして
松風の音に泣く声を添えて待っていました」
と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。以前よりすっかりと立派になった女君の器量や雰囲気はとても見捨てがたく、姫君についても、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。
「どうしたらよいだろう。ここで日蔭者としてお育ちになることが気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」
とお考えになるが、また一方で、女君が悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。姫君は幼な心に少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。抱いていらっしゃる君のご様子は、いかにもご立派で、将来はこの上ないと思われた。
[第二段 桂院に到着、饗宴始まる]
たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いをして、お車の後座席に、頭中将や兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家を見つけられてしまったのが、残念だ」
と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は霧の中を参ったのでございます。山の紅葉はまだのようでございますが、野辺の色は盛りでございました。某の朝臣が小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」
などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、あの海人のさえずりが自然と思い出される。
野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに結び付けた荻の枝などを、お土産にして参上した。 お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。
[第三段 饗宴の最中に勅使来訪]
各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。
弾楽器は琵琶や和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てているところに、川風が吹き合わせて風雅な中に、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる、その夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
「今日は、六日間の御物忌みの明ける日なので、源氏の大臣は必ず参内なさるはずなのに、どうして参上しなのか」
と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になっている由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので
月の光をゆっくりと眺められることであろう
羨ましいことです」
とある。恐縮申し上げなさる。
殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大堰の山荘に、
「ことごとしくならない引き出物はないか」
と言っておやりになった。大堰では有り合わせの物を差し上げた。衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。
「桂の里といえば月に近いように思われますが
それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」
行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。
「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は
あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」
頭中将、
「浮雲に少しの間隠れていた月の光も
今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」
左大弁は、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に
お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」
それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。
親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の有名な舎人や芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。
[第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談]
その夜は宮中にご宿直の予定であったが、直らなかったご女君の機嫌を取るために夜が更けたが、ご退出になった。先ほどのお返事を使者が持って参った。お隠しになることができず、御覧になる。特別に憎むような点も見えないので、
「これは、破り捨ててください。厄介なことだ。このような手紙が散らかっているのも、今では不似合いな年になってしまったよ」
と言って、御脇息に寄り掛かりなさっているが、お心の中では実にしみじみといとしく思わずにはいられないので、燈火をふと御覧になって、特に何もおっしゃらない。手紙は広げたままあるが、女君は御覧にならないようなので、
「無理して見て見ぬふりをなさる眼つきがやっかいですよ」
と言って、微笑みなさる魅力は、あたり一面にこぼれるほどである。
女君の側にお寄りになって、
「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって、一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。わたしと同じ気持ちになって考えて、あなたのお考えで決めてください。どうしましょう。ここでお育てになってくださいませんか。蛭の子の三歳にもなっているのだが、無邪気な様子も放って置けないので。幼げな腰のまわりの袴着の儀を、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、その腰結いの役を勤めてやってくださいな」
とお頼み申し上げなさる。
「思ってもいない方にばかりお取りになる冷たいお気持ちを、無理に気づかないふりをして、無心に振る舞っていては良くないとは思えばこそです。幼ない姫君のお心には、きっととてもよくお気にめすことでしょう。どんなにかわいらしい年頃なのでしょう」
と言って、少し微笑みなさった。子どもをひどくかわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
「どうしようか。迎えようか」とご思案なさる。お出向きになることはとても難しい。嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。