First updated 09/20/1996
Last updated 10/20/2026
渋谷栄一校訂(C)

  

関屋

[凡例]
 大島本「関屋」(「大島本源氏物語」影印版・DVD-ROM版)を底本とした。
「関屋」は、「二校了」の校了注記がある。
 大島本の本行本文と見直しの際の「二校了」の本文訂正跡を基に本文整定した。
 底本を同じくする『新日本古典文学大系』(岩波書店)と『新編日本古典文学全集』(小学館)との本文の異同を補注に記した。


 [主要登場人物]

 光る源氏(ひかるげんじ)
呼称---殿、二十九歳
 空蝉(うつせみ)
呼称---帚木・女君、伊予介の後妻
 伊予介(いよのすけ)
呼称---常陸・常陸守、空蝉の夫
 紀伊守(きいのかみ)
呼称---河内守・守、伊予介の子
 小君(こぎみ)
呼称---右衛門佐・佐、空蝉の弟

第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語

  1. 空蝉、夫と常陸国下向---伊予介といひしは、故院崩れさせたまひて
  2. 源氏、石山寺参詣---関入る日しも、この殿、石山に御願果しに
  3. 逢坂の関での再会---九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草
第二章 空蝉の物語 手紙を贈る
  1. 昔の小君と紀伊守---石山より出でたまふ御迎へに右衛門佐参りてぞ
  2. 空蝉へ手紙を贈る---佐召し寄せて、御消息あり。「今は
第三章 空蝉の物語 夫の死去後に出家
  1. 夫常陸介死去---かかるほどに、この常陸守、老いの積もりにや
  2. 空蝉、出家す---しばしこそ、「さのたまひしものを」など

【注釈】
【校訂付記】

 

第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語

 [第一段 空蝉、夫と常陸国下向]

 伊予介といひしは、故院崩れさせたまひて、またの年、常陸になりて下りしかば、かの帚木もいざなはれにけり。須磨の御旅居も遥かに聞きて、人知れず思ひやりきこえぬにしもあらざりしかど、伝へ聞こゆべきよすがだになくて(補注01)、筑波嶺の山を吹き越す風も、浮きたる心地して、いささかかの(補注02)伝へだになくて、年月かさなりにけり。限れることもなかりし御旅居なれど、京に帰り住みたまひて、またの年の秋ぞ、常陸は上りける。

 [第二段 源氏、石山寺参詣]

 関入る日しも、この殿、石山に御願果しに詣でたまひけり。京より、かの紀伊守などいひし子ども、迎へに来たる人びと、「この殿かく詣でたまふべし」と告げければ、「道のほど騒がしかりなむものぞ」とて、まだ暁より急ぎけるを、女車多く、所狭うゆるぎ来るに、日たけぬ。

 打出の浜来るほどに、「殿は(訂正跡01)、粟田山越えたまひぬ」とて、御前の人びと、道もさりあへず来込みぬれば、関山に皆下りゐて、ここかしこの杉の下に車どもかき下ろし、木隠れに居かしこまりて過ぐしたてまつる。車など、かたへは後らかし、先に立てなどしたれど、なほ、類広く見ゆ。

 車十ばかりぞ、袖口、物の色あひなども、漏り出でて見えたる、田舎びず、よしありて、斎宮の御下りなにぞやうの折の物見車思し出でらる。殿も、かく世に栄え出でたまふめづらしさに、数もなき御前ども、皆目とどめたり。

 [第三段 逢坂の関での再会]

 九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたるに、関屋より、さとくづれ出でたる(補注03)旅姿どもの、色々の襖のつきづきしき縫物、括り染めのさまも、さるかたにをかしう見ゆ。御車は簾下ろしたまひて、かの昔の小君、今(補注04)、右衛門佐(補注05)なるを召し寄せて(訂正跡02)、

 〔源氏〕「今日の御関迎へは、え思ひ捨てたまはじ」
 などのたまふ御心のうち、いとあはれに思し出づること多かれど、おほぞうにてかひなし。女も、人知れず昔のこと忘れねば、とりかへして、ものあはれなり。

 〔空蝉〕「行くと来とせき止めがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ

 え知りたまはじかし」と思ふに、いとかひなし。

 

第二章 空蝉の物語 手紙を贈る

 [第一段 昔の小君と紀伊守]

 石山より出でたまふ御迎へに右衛門佐(補注06)参りてぞ(補注07)、まかり過ぎし(補注08)かしこまりなど申す。昔、童にて、いとむつましうらうたきものにしたまひしかば、かうぶりなど得しまで、この御徳に隠れたりしを、おぼえぬ世の騷ぎありしころ、ものの聞こえに憚りて、常陸に下りしをぞ、すこし心置きて年ごろは思しけれど、色にも出だしたまはず、昔のやうにこそあらねど、なほ親しき家人のうちには数へたまひけり。

 紀伊守といひしも、今は河内守にぞなりにける。その弟の(訂正跡03)右近将監解けて御供に下りしをぞ(訂正跡04)、とりわきてなし出でたまひければ、それにぞ誰も思ひ知りて、「などてすこしも、世に従ふ心をつかひけむ」など、思ひ出でける。

 [第二段 空蝉へ手紙を贈る]

 佐召し寄せて、御消息あり。「今は思し忘れぬべきことを、心長くもおはするかな」と思ひゐたり。

 〔源氏〕「一日は(訂正跡05・補注09)、契り知られしを、さは思し知りけむや。
  わくらばに行き逢ふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海
 関守の、さもうらやましく、めざましかりしかな」

 とあり。

 〔源氏〕「年ごろのとだえも、うひうひしくなりにけれど、心にはいつとなく、ただ今の心地するならひになむ。好き好きしう、いとど憎まれむや」

 とて、賜へれば、かたじけなくて持て行きて、

 〔衛門佐〕「なほ、聞こえたまへ。昔にはすこし思しのくことあらむと思ひたまふるに、同じやうなる御心のなつかしさなむ、いとどありがたき。すさびごとぞ用なきことと思へど、えこそすくよかに聞こえ返さね。女にては、負けきこえたまへらむに、罪ゆるされぬべし」

 など言ふ。今は、ましていと恥づかしう、よろづのこと、うひうひしき心地すれど、めづらしきにや、え忍ばれざりけむ、

 〔空蝉〕「逢坂の関やいかなる関なればしげき嘆きの仲を分くらむ
 夢のやうになむ」

 と聞こえたり。あはれもつらさも、忘れぬふしと思し置かれたる人なれば、折々は、なほ、のたまひ動かしけり。

 

第三章 空蝉の物語 夫の死去後に出家

 [第一段 夫常陸介死去]

 かかるほどに、この常陸守、老いの積もりにや、悩ましくのみして、もの心細かりければ、子どもに、ただこの君の御ことをのみ言ひ置きて、

 〔常陸介〕「よろづのこと、ただこの御心にのみ任せて、ありつる世に変はらで仕うまつれ」

 とのみ、明け暮れ言ひけり。
 女君、「心憂き宿世ありて、この人にさへ後れて、いかなるさまにはふれ惑ふべきにかあらむ」と思ひ嘆きたまふを見るに、

 「命の限りあるものなれば、惜しみ止むべき方もなし。いかでか、この人の御ために残し置く魂もがな。わが子どもの心も知らぬを」

 と、うしろめたう悲しきことに、言ひ思へど、心にえ止めぬものにて、亡せぬ。

 [第二段 空蝉、出家す]

 しばしこそ、「さのたまひしものを」など、情けづくれど、うはべこそあれ、つらきこと多かり。とあるもかかるも世の道理なれば、身一つの憂きことにて、嘆き明かし暮らす。ただ、この河内守のみぞ、昔より好き心ありて、すこし情けがりける。

 〔河内守〕「あはれにのたまひ置きし、数ならずとも、思し疎までのたまはせよ」

 など追従し寄りて、いとあさましき心の見えければ、
 「憂き宿世ある身にて、かく生きとまりて、果て果ては、めづらしきことどもを聞き添ふるかな」と、人知れず思ひ知りて、人にさなむとも知らせで、尼になりにけり。

 ある人びと、いふかひなしと、思ひ嘆く。守も、いとつらう、
 「おのれを厭ひたまふほどに。残りの御齢は多くものしたまふらむ。いかでか過ぐしたまふべき」
 などぞ、あいなのさかしらやなどぞ、はべるめる。

 【注釈】
奥入、付箋、朱筆行間注記等ナシ。

 【校訂付記】
底本:大島本 本行本文を尊重し、書写者自身による訂正及び、監修者あるいは校閲者と思われる「二校了」の訂正跡を掲出した。
備考--ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--〔朱〕 不明--△
訂正跡01 殿は--と2能(+者) 墨筆で補入符号を入れて細字で「者」と補訂する。
訂正跡02 なるを召し寄せて--なるをし($〔朱〕)めしよせ2て 朱筆で「し」の上に×印のミセケチをする。
訂正跡03 弟の--を(+と〔朱・墨〕)うと能 朱筆で補入符号を入れて「と」と補訂する。さらに重ねて墨筆で補入符号と「と」をなぞる。
訂正跡04 下りしをぞ--く多り(+志〔朱・墨〕)をそ  朱筆で補入符号を入れて「志」と補訂する。さらに重ねて墨筆で補入符号と「志」をなぞる。
訂正跡05 一日は--つる(へる&つる、=一日イ〔朱〕)者 墨筆で「へる」の上に「つる」となぞる。その右傍らに墨筆で書かれた文字の消し跡があって、その上に、朱筆で「一日イ」と異本との対校を記す。墨筆と朱筆の訂正は別筆。本行本文は「思ひゐたりつるは」とあって、「ち起り志ら連しを」以下を空蝉への消息としている。

本稿本文―『新編全集』の順で、本文の異同箇所を掲出した。
補注01 なくて―なく 底本「な2くて2」と、接続助詞「て」がある。『新編全集』は諸本に拠って「て」を削除する。『新大系』は底本のまま。
補注02 いささかかの―いささかの 底本「い佐ゝ可かの」と、「か」が2つある。『新編全集』は諸本に拠って「か」を削除する。『新大系』は底本のまま。「かの」とは、都からの、意。
補注03 くづれ出でたる―はづれ出でたる 底本「くつれいて多1る」とある。『新編全集』は諸本に拠って「はづれ出でたる」と校訂する。『新大系』は底本のまま。「く」と「者」は字形が類似する。
補注04 今―今は 底本「い満」とある。『新編全集』は諸本に拠って係助詞「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま。
補注05 右衛門佐―衛門佐 底本「右衛門農春遣」とある。『新編全集』は諸本に拠って「衛門佐」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
補注06 右衛門佐―衛門佐 底本「右衛門の春け」とある。『新編全集』は諸本に拠って「衛門佐」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
補注07 参りてぞ―参れり 底本「まい里て2そ2」とある。『新編全集』は諸本に拠って「参れり」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
補注08 まかり過ぎし―一日まかり過ぎし 底本「満可り須1きし」とある。『新編全集』は諸本に拠って「一日」の語を補訂する。『新大系』は底本のまま。
補注09 一日は--底本「つる(へる&つる、=一日イ〔朱〕)者」とある。『新編全集』『新大系』は「つる」を「一日」の誤写と見做して、本文を改める。今、誤写説に従う。

源氏物語の世界ヘ
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入