光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語
第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語
[第二段 源氏、石山寺参詣]
介が逢坂の関に入る日、ちょうどこの源氏の殿が、石山寺にご願果たしに参詣なさったのであった。
京から、あの紀伊守などといった子どもたちや迎えに来た人々が、「この殿がこのように参詣なさる予定だ」と告げたので、「道中、きっと混雑するだろう」と思って、まだ暁のうちから急いだが、女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来たので、日が高くなってしまった。
打出の浜にやって来た時に、「殿は、もう粟田山を既にお越えになった」と言って、御前駆の人々が、道も避けきれないほど大勢入り込んで来たので、介の一行は関山で皆下りてかしこまって、あちらこちらの杉の木の下に幾台もの車の轅を下ろして、木蔭に座りかしこまってお通し申し上げる。
車などは行列の一部は遅らせたり、先にやったりなどしたが、それでもなお一族が多く見える。 車十台ほどから、袖口や衣装の色合いなどもこぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって、斎宮のご下向か何かの時の物見車が自然とお思い出しになられる。殿も、このように世に栄え出なされた珍しさに、数知れない御前駆の者たちが、この女車に皆目を留めた。
[第三段 逢坂の関での再会]
九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに、関屋からさっと現れ出た源氏一行の何人もの旅姿の、色とりどりの狩襖に似つかわしい刺繍をし、絞り染めした姿も、興趣深く見える。君のお車は簾を下ろしなさって、あの昔の小君、今は右衛門佐である者を召し寄せて、
「今日のお関迎えは、無視なさるまいな」
などとおっしゃる、ご心中、まことにしみじみとお思い出しになることが数多いけれど、ありきたりの伝言では何の効もない。女も人知れず昔のことを忘れないので、あの頃を思い出して、しみじみと胸一杯になる。
「行く時も帰る時にも逢坂の関で、せきとめがたく流れるわたしの涙を
絶えず流れる関の清水と人は見るでしょう
お分かりいただけまい」と思うと、本当に効ない。
[第二段 空蝉へ手紙を贈る]
右衛門佐を召し寄せて、女君へお便りを遣わす。佐は「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。手紙には、
「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。
偶然に近江路でお逢いしたことに期待を寄せていましたが
それも効ありませんね、やはり潮海ではないから
関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」
とある。
「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分なので。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」
と言伝して、お渡しになったので、佐は恐縮して持って行って、
「とにかく、お返事なさいませ。昔よりはわたしを少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひとしおありがたいです。浮気事の取り持ちは、無用のことと思いますが、とてもきっぱりとお断り申し上げられません。女の身としては、お情けに負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」
などと言う。今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄が、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、
「逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか
こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう
夢のような心地がします」
と申し上げた。いとしさも恨めしさも、忘られない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。
[第二段 空蝉、出家す]
暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと、子供たちは情けのあるように振る舞っていたが、うわべだけのことであって、辛いことが多かった。それもこれもみな世の道理なので、わが身一つの不幸として、嘆きながら毎日を暮らしている。ただ、この河内守だけは昔から好色心があって、少し優しげに振る舞うのであった。
「父上もしみじみとご遺言なさってもおりますので、至らないわたしですが、何なりとご遠慮なさらずにおっしゃってください」
などと機嫌をとって近づいて来て、実にあきれた下心が見えたので、
「辛い運命の身でこのように生き残って、終いにはとんでもない事まで耳にすることよ」 と、人知れず思い悟って、誰にもそれとは知らせずに、尼になってしまったのであった。
仕えている女房たちは、何とも言いようがないと悲しみ嘆く。河内守もたいそう辛く、
「わたしをお嫌いになってのことに。まだ先の長いお年でいらっしゃろうに。これから先、どのようにしてお過ごしになるのか」
などと。人は、それをつまらぬおせっかいだなどと、申しているようである。