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渋谷栄一訳(C)

  

須磨

光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語

第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

  1. 源氏、須磨退去を決意---世の中、まことに厄介で
  2. 左大臣邸に離京の挨拶---三月二十日過ぎのころに
  3. 二条院の人々との離別---殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも
  4. 花散里邸に離京の挨拶---花散里邸が心細そうにお思いになって
  5. 旅生活の準備と身辺整理---何から何まで整理をおさせになる
  6. 藤壺に離京の挨拶---明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろう
  7. 桐壺院の御墓に離京の挨拶---月を待ってお出かけになる
  8. 春宮に離京の挨拶---すっかり明けたころにお帰りになって
  9. 離京の当日---出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし
第二章 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語
  1. 須磨の住居---お住まいになる所は、行平中納言が
  2. 京の人々へ手紙---だんだんと落ち着いて行くころ、梅雨時期
  3. 伊勢の御息所へ手紙---ほんと、そうであった、混雑しているうちに
  4. 朧月夜尚侍参内する---尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを
第三章 光る源氏の物語 須磨の秋の物語
  1. 須磨の秋---須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて
  2. 配所の月を眺める---月がとても明るく出たので
  3. 筑紫五節と和歌贈答---その頃、大弍は上京した
  4. 都の人々の生活---都では、月日が過ぎて行くにつれて
  5. 須磨の生活---あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって
  6. 明石入道の娘---明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので
第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語
  1. 須磨で新年を迎える---須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に
  2. 上巳の祓と嵐---三月の上旬にめぐって来た巳の日に

 

第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

 [第一段 源氏、須磨退去を決意]

 世の中がまことに厄介で、体裁の悪いことばかりが増えていくので、源氏の君は「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
 
 「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今ではまったく人里から離れて物寂しく、漁師の家さえ稀で」などとお聞きになるが、「人の出入りが多くごみごみとした住まいは、いかにも退去の本旨にかなわないであろう。そうかといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともないくらいお悩みになる。
 
 あらゆること、今までのことや将来のことをお思い続けなさると、悲しいことはさまざまである。嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようとお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が気の毒で悲しいので、「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間の別々にお過ごしになった時でさえ気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、『再び逢える時を期限に』と、あてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒に連れて」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子でお連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、君を恨めしそうに思っていらっしゃった。
 
 あの花散里にも、お通いになることは稀であるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子もいかにもごもっともである。かりそめのご縁であっても、わずかにお逢い申しお通いになったここかしこでは、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
 
 入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。

 [第二段 左大臣邸に離京の挨拶]
 
 三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供としてたいそうひっそりとご出発になる。しかるべき方々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。

 ご出発の二、三日前に、夜の闇に隠れて大殿にお渡りになった。網代車の粗末な車なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと夢かとばかり思われる。お部屋はとても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母たちや、亡き女君の生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて涙にくれた。

 若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。

 「長い間逢わないでいたのに、忘れていないのが感心なことだ」

 と言って、膝の上にお乗せになったご様子は涙を堪えきれなさそうである。

 左大臣がこちらにお越しになってお会いになった。

 「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上してお話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、『私事には腰を伸ばして勝手に出歩いて』と、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末の世でございますね。天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」

 とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。

 「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただわたくしの宿運のつたなさゆえでございます。これと言った理由で、このように官位を剥奪されずに、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしておりますのは、罪の重いことと唐土でも致しているということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第でございます」

 などと、詳しくお話し申し上げなさる。

 昔のお話や院の御事、院が御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も気丈夫に我慢がおできになれない。若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。

 「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでございましょう。よくぞ短命でこのような悪夢を見ないで済んだことよと存じまして、僅かに慰めております。あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして悲しうございます。昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。けれど、何か言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」

 などと、数々お話をお申し上げになる。

 三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君が、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。女房たちが皆寝静まったころに、格別に睦言をお交わしになる。この人のためにお泊まりになったのであろう。

 夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお出ましになると、有明の月がとても美しい。花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに咲き残っている花の木蔭の、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。

 中納言の君が、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて控えている。

 「再びお会いできることは、思えばまことに難しい。このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日もあったのに、そのようには思わず、ご無沙汰してしまったことよ」

 などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。

 若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、大宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。

 「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすと聞きますのも、これまでとは違った感じばかりが致しますこと。不憫な子が眠っているうちは……、少しもゆっくりともなさらずに」

 とお申し上げなさったので、ふと涙をお洩らしになって、

 「あの鳥辺山で火葬にした妻の煙に似てはいないかと
  海人が塩を焼く煙を見に行きます」

 お返事というわけでもなく、口ずさみなさって、

 「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。お分かりの方もいらっしゃるでしょうね」

 とおっしゃると、

 「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり比べようがなさそうに存じられますこと」

 と、鼻声になって、その言葉どおりに深く悲しんでいる。

 「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたことをお察しください。眠っている子は顔を拝見するにつけても、かえって辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」

 とお申し上げになる。

 お立ち出でになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。

 入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子は、虎、狼でさえも涙するにちがいない。まして君の幼くいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。

 そうそう、大宮からのご返歌は、

 「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
  娘が煙となった都の空から居なくなってしまうのでは」

 とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、君のお帰りになった後も、不吉なまでに泣き合っていた。

 [第三段 二条院の人々との離別]

 二条院にお帰りになると、ご自分方の女房たちも眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。侍所では、親しくお仕えしている者は皆お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。その他の人々は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬や車が跡形もなく寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。

 台盤所なども半分は塵が積もって、薄縁も所々は裏返してある。「見ているうちでさえこんなである。ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。

 西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、姫君は物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに若い童女たちがあちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。宿直姿でかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なっていったら、このような子たちも、最後までは辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまでも、お目が止まるのであった。

 「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。せめてこうして都にいる間だけでもお側を離れないでいようにと思うのですが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多いものですから、そう邸に引き籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」

 とお話し申し上げなさると、

 「このような悲しい目を見るより他に、『もっと心外な事』とは、いったいどのような事でございましょうか」

 とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子が、他の人とはまた格別であるのはもっともなことで。父親王は実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今では世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、女君は人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに……、また継母の北の方などが、

 「束の間であった幸せの急な変り様よ。まあ、縁起でもないこと。大切にする人に、次々とお別れになる人ですわ」

 とおっしゃっていたのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。

 「いつまでたっても赦免されずに歳月が過ぎるようなら、たとえ巌の中のような所でもお迎え申しましょう。今すぐにでは人聞きがまことに悪いでしょう。朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ないようにして、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことです。わたしには過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思いますが、まして愛するあなたを連れて行くのは、先例のないことですので、ただ一途に道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起きてきましょう」

 などと、お話し申し上げなさる。

 日が高くなるまでお寝みになっていた。帥宮や三位中将などがいらっしゃった。お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。

 「無位無官の者は」

 とおっしゃって、無紋の直衣の、かえってとても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃる、それがたいそう素晴らしい。鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が自分ながらにとても気品があって美しいので、

 「すっかり、衰えてしまったな。この影のように痩せていますか。ああ、悲しいことだ」

 とおっしゃると、女君は涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。

 「たとえわが身はこのように流浪しようとも
  鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていましょう」

 と、お申し上げになると、

 「お別れしてもせめて影だけでもとどまっていてくれるものならば
  鏡を見て慰めることもできましょうに」

 柱の蔭に隠れて座って涙を隠していらっしゃる様子は、「やはり、おおぜいの女人たちの中でも類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。

 帥の親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。

 [第四段 花散里邸に離京の挨拶]

 花散里のお邸を心細そうにお思いになって、常にお便りを差し上げなさっているのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思いやしないか」とお思いになると、その夜は、またお出かけにはなるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御の君が、

 「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」

 と、ご挨拶を申し上げなさるご様子は、書き綴るのも煩わしいくらいである。

 とてもひどく心細いご様子なので、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月や、これからますます荒れていくだろうことがご想像されて、邸内はまことにひっそりとしている。

 月が朧ろに照らし出して、池が広く築山の木深い辺りが心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活がお思いやられずにはいられない。

 西面では、「まさかこうしたお越しもあるまいや」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が美しくしっとりとしているところに、君の身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、女君は少し膝行して出て来て、そのまま月を御覧になる。またここでお話なさっているうちに、明け方近くになってしまった。

 「短か夜の頃ですね。このようにお会いすることも、再びはとても……と思うと、何事もなく過ごしてきてしまった歳月が残念に思われ、これまでのことやこれから先のことも語り草となってしまいそうな身の上で、何となく気持ちのゆっくりする間もなかったですね」

 と、過ぎ去った事のあれこれをおっしゃって、鶏もしきりに鳴くので、人目を憚って急いでお帰りになる。例によって、月がすっかり西山に入るのになぞらえられて悲しい。女君の濃いお召物に月の光が映えて、なるほど、『濡るる顔』の風情なので、

 「月の光が映っているわたしの袖は狭いですが
  そのまま留めて置きたいと思います、見飽きることのない光を」

 悲しくお思いになっているのが、おいたわしいので、一方ではお慰め申し上げなさる。

 「大空を行きめぐって、ついには澄むはずの月の光ですから
  しばらくの間曇っているからといって悲観なさいますな

 考えてみれば、はかないことよ。ただ、『行方を知らない涙ばかり』が、心を暗くさせるものですね」

 などとおっしゃって、まだ薄暗いうちにお帰りになった。

 [第五段 旅生活の準備と身辺整理]

 何から何まで整理をおさせになる。親しくお仕え申して、時勢に靡かない家臣たちだけに、邸の事務を執り行うべき上下の役目をお決め置きになる。お供に随行申し上げる者は皆、別にお選びになった。

 あの山里の生活の道具は、どうしてもご必要な品物類を、特に飾りけなく簡素にして、しかるべき漢籍類、『白氏文集』などの入った箱と、その他には琴の琴一張をお持たせになる。大げさなご調度類や華美なお装いなどは、まったくお持ちにならず、賤しい山里人のような振る舞いをなさる。

 お仕えしている女房たちをはじめ、万事をすべて西の対の方にお頼み申し上げなさる。ご所領の荘園や牧場をはじめとして、しかるべき領地の証文などを、すべて対の方に差し上げ置きなさる。その他の御倉町や納殿などという事まで、少納言を頼りになる者と見込んでいらっしゃるので、その者に腹心の家司たちを付けて、取りしきられるようにお命じ置きなさる。

 ご自身方の中務や中将などといった女房たちは、「何気ないお扱いとはいえ、お身近にお仕えしていた間は慰めることもできたが、『何を期待してか』」と思うが、

 「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、こちらに伺候しなさい」

 とおっしゃって、上下を問わず女房たちの皆を、こちらの西の対に参上させなさる。

 若君の乳母たちや花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品までお気のつかない事がない。

 尚侍の君の御許に、困難をおかしてお便りを差し上げなさる。

 「お見舞いくださらないのも、ごもっともに存じられますが、今は最後と、この世を諦めた時の嫌で辛い思いも、何とも言いようがございません。

  あなたに逢えないことに涙を流したことが
  流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか

 と思い出される事だけが、罪も逃れ難い事でございます」

 手紙が届くかどうか不安なので、詳しくはお書きにならない。

 女君も、大層悲しく思われなさって、堪えていらっしゃったが、お袖から涙がこぼれるのもどうしようもない。

 「涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう
  生きながらえて再びお会いできる日を待たないで」

 泣く泣く心乱れてお書きになったご筆跡は、まことに深い味わいがある。もう一度お逢いできないものかとお思いになるにつけ、やはり残念に思われるが、お考え直しになって、ひどいとお思いになる一族が多くて、一方ならず人目を忍んでいらっしゃるので、あまり無理をしてまでお便り申し上げることもなさらずに終わった。

 [第六段 藤壺に離京の挨拶]

 明日ご出立という日の夕暮には、父院のお墓にお参りなさろうとして、北山へ参拝なさる。明け方近くに月の出るころなので、最初に、入道の宮のもとにお伺いさる。お側近くの御簾の前に君のご座所をお設けになって、宮ご自身でご応対あそばす。春宮のお身の上をたいそうご心配申し上げなさる。

 お互いに感慨深くお感じになっていらっしゃる者同士のお話は、何事もしみじみと胸に迫るものがさぞ多かったことであろう。慕わしく素晴らしい宮のご様子が変わらないので、恨めしかったお気持ちも、君はそれとなく申し上げたいが、いまさら嫌なこととお思いになろうし、自分自身でも、かえって一段と心が乱れるであろうから、思い直して、ただ、

 「このように思いもかけない罪に問われますにつけても、思い当たるただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて春宮の御世だけでも、ご安泰でいらっしゃれば」

 とだけ申し上げなさるのも、ごもっともなことである。

 宮も、すっかりご存知のことであるので、お心がどきどきするばかりで、お返事を申し上げられない。大将の君の、あれからこれへとお思い続けられて、お泣きになるご様子は、とても言いようのないほど優艷である。

 「山陵に詣でますが、何かお言伝は……」

 と申し上げなさるが、すぐにはお返事なさらず、ひたすらお気持ちを鎮めようとなさるご様子である。

 「お連れ添い申した院は亡くなられ、生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を
  出家した甲斐もなくわたしは泣きの涙で暮らしています」

 ひどくお悲しみのお二方なので、お思いになっていることがらも、十分にお詠みあそばされない。

 「父院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに
  またもこの世のさらに辛いことに遭います」

 [第七段 桐壺院の御墓に離京の挨拶]

 月を待ってお出かけになる。お供にはわずか五、六人ほどで、下人も気心の知れた者だけを連れて、御馬でいらっしゃる。今更言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思うのである。その中でも、あの御禊の日に、臨時の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人は、当然得られるはずの五位の位もその時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて面目がないので、お供に参る一人である。

 賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと昔のことが思い出されて、馬から下りて、君の御馬の轡を取る。

 「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと
  御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様」

 と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。

 君も御馬からお下りになって、御社の方を拝みなさる。神様にお暇乞いを申し上げなさる。

 「辛い世の中を今離れて行きます、後に残る
  噂の是非は、糺の神にお委ねして」

 とお詠みになる様子は、感激しやすい若者なので、身にしみて何ともご立派なと拝見する。

 御陵に参拝なさって、院の御在世中のお姿を、まるで眼前の事のようにお思い出しになられる。至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまったお方は、何とも言いようもなく無念なことであった。何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りになることができないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。

 御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする感じである。帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿が、まざまざと現れなさったのは、鳥肌の立つ思いである。

 「亡き父上はどのように御覧になっていらっしゃることだろうか
  父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった」

 [第八段 春宮に離京の挨拶]

 すっかり夜が明けたころにお帰りになって、春宮にもお便りを差し上げなさる。入道の宮は王命婦をお身代わりとして伺候させていらっしゃったので、「そのお部屋に」と言って、

 「今日、都を離れます。もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。すべてご推察いただき、春宮に申し上げてください。

  いつ再び春の都の花盛りを見ることができましょうか
  時流を失った山賤のわが身となって」

 桜の散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃった。王命婦が「しかじかです」と御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。

 「お返事はどのように申し上げましょうか」

 と申し上げると、

 「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」

 と仰せになる。「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のことや、季節折々のご様子を、次から次へとお思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを悔しくて、命婦は自分一人の責任のように思われる。お返事は、

 「とても言葉に尽くして申し上げられません。御前には啓上致しました。心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしゅうございます」

 と、とりとめなく、心が動揺しているからであろう。

 「咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども
  再び都に戻って来て春の都を御覧ください

 季節がめぐり来れば」

 と申し上げて、その後も悲しいお話をしいしい、東宮御所の中では声を抑えて泣きあっていた。

 一目でも君を拝し上げている者は、このようにご悲嘆のご様子を、嘆き惜しまない人はいない。まして、平素お仕えしてきた者は、君がご存知になるはずもない下女や御厠人までが、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。

 世間一般の人々も、誰が並大抵に思い申し上げたりなどしようか。七歳におなりになった時から今まで、帝の御前に昼夜となくご伺候なさって、君がご奏上なさることでお聞き届けになられないことはなかったので、このご功労にあずからない者はなく、ご恩恵を喜ばない者がいたであろか。高貴な上達部や弁官などの中にも多かった。それより下では数も分からないが、ご恩を知らないのではないが、当面は厳しい現実の世を憚って、寄って参る者はいない。世を挙げて惜しみ申し、内心では朝廷を批判し、お恨み申し上げたが、「身を捨ててお見舞いに参上しても、何になろうか」と思うのであろうか、このような時には体裁悪く、恨めしく思う人々が多く、「世の中というものはおもしろくないものだな」とばかり、万事につけてお思いになる。

 [第九段 離京の当日]

 出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし申し上げなさって、旅立ちの慣例として、夜明け前にお立ちになる。狩衣のご衣装など、旅のご装束を、たいそう質素なふうになさって、

 「月も出て来ましたね。もう少し端に出て、せめてお見送りだけでもなさってください。どんなにかお話申し上げたいことがたくさん積もったと思うようになったことでしょう。一日、二日のまれに離れている時でさえ、不思議と気が晴れない思いがしますものを」

 とおっしゃって、御簾を巻き上げて、端近にお誘い申し上げなさると、女君は、泣き沈んでいらっしゃったが、気持ちを抑えて膝行して出ていらっしゃった、そのお姿が、月の光の下にたいそう美しくお座りになっている。「わが身がこのようにはかない世の中を離れて行ったら、どのような状態で漂うようになって行かれるのであろうか」と、不安で悲しく思われるが、深いお悲しみの上に、ますます悲しませるようなので、

 「生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
  命のある限りは一緒にと信じていましたことよ
 はかないことだ」

 などと、わざとあっさりと申し上げなさったので、

 「惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの
  別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです」

 「なるほど、そのようにもお思いだろう」と、たいそう見捨てて行きにくいが、夜がすっかり明けてしまったら、きまりが悪いので、急いでお立ち出になった。

 道中、女君の姿が面影のようにぴったりと身に添って、胸もいっぱいのまま、お舟にお乗りになった。日の長いころなので、それに追い風までが吹き加わって、まだ申の時刻に、あの須磨の浦にお着きになった。ほんのちょっとのお出ましであっても、こうした旅路をご経験のない気持ちには、心細さも物珍しさも並大抵ではない。大江殿と言った所は、ひどく荒れて、松の木だけが形跡をとどめているだけである。

 「唐国で名を残した人以上に
  行方も知らない侘住まいをするのだろうか」

 渚に打ち寄せる波が、寄せては返すのを御覧になって、「……うらやましくも引き返してゆく浪よ」と口ずさみなさっているご様子は、誰でも知っている古歌ではあるが、こと新しく聞けて、悲しいとばかりお供の人々は思っている。振り返って御覧になると、やって来た方角の山は霞が遠くにかかって、まことに、「三千里の外」という心地がすると、『櫂の滴』のように、涙が耐えきれない。

 「住みなれた都の方を峰の霞は遠く隔てているが
  わたしが悲しい気持ちで眺めている空は都であの人が眺めているのと同じ空なのだ」

 何につけ辛くなく思われないものはないのであった。

 

第二章 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語

 [第一段 須磨の住居]
 
 お住まいになる予定の場所は、行平の中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まい付近なのであった。海岸からは少し奥に入り込んで、身にしみるばかり寂しい山の中である。
 
 垣根の様子をはじめとして、物珍しく御覧になる。茅葺きの建物、葦で葺いた回廊のような建物など、風情のある造作がしてあった。場所柄にふさわしいお住まいを、風変わりに思われて、「このような折でないならば、さぞ興趣深くもあったであろうに」と、昔のお心にまかせた遊び事をお思い出しになる。
 
 近い所々のご荘園の管理者を呼び寄せて、しかるべき事どもを、良清朝臣が側近の家司として、お命じになり取り仕切るのも感に耐えないことである。暫くの間に、たいそう風情があるようにお手入れさせなさる。遣水を深く引き入れ、植木などを植えたりして、もうすっかりと落ち着きなさっているお気持ちは、夢のようである。この土地の国守も親しい家来筋の者なので、こっそりと好意をもってお世話申し上げる。このような旅の生活にも似ず、人がおおぜい出入りするが、まともにお話相手となりそうな人もいないので、知らない他国の心地がして、ひどく気も滅入って、「どのようにしてこれから先過ごして行こうか」と、お思いやらずにはいられない。

 [第二段 京の人々へ手紙]

 だんだんと事が落ち着いて行くうちに、梅雨時期になって、京のことがご心配になられて、恋しい人々も多く、女君が悲しんでいらっしゃった様子や、春宮のお身の上、また若君が無邪気に動き回っていらっしゃったことなどをはじめとして、あちらこちらの方々の事をお思いやりになる。

 京へ使者をお立てになる。二条院に差し上げなさるのと、入道の宮へのとは、筆も思うように進まず、涙に目も暮れなさった。入道の宮には、

 「私の帰りを待っていらっしゃる出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか
  わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです

 悲しさは常のことですが、過去も未来もまっ暗闇といった感じで、『涙で汀もまさって』という思いです」

 尚侍のお許には、例によって、中納言の君への私事のようにして、その中に、

 「所在なく過ぎ去った日々の事柄が自然と思い出されるにつけても、
  性懲りもなくお逢いしたく思っていますが
  あなた様はどう思っておいででしょうか」

 いろいろとお心を尽くして書かれた言葉というのを想像されるでしょう。
 大殿邸にも、宰相の乳母のもとに、ご養育に関する事柄をお書きつかわしになる。

 京では、このお手紙をあちらこちらで御覧になっては、お心を痛められる方々ばかりが多かった。二条院の女君は、それからお枕も上がらず、尽きぬ悲しみに沈まれているので、お仕えしている女房たちもお慰め困じて、互いに心細く思っていた。

 源氏の君が日頃お使いになっていた御調度類などや、お弾き馴らしていらっしゃったお琴、お脱ぎ置きになったお召し物の薫りなどにつけても、今はもうこの世にいない人のようにばかりお思いになっているので、ごもっともと思う一方で縁起でもないので、少納言は僧都にご祈祷をお願い申し上げる。お二方のために御修法などをおさせになる。ご帰京を祈る一方では、「このようにお悲しみになっているお気持ちをお鎮めくださって、物思いのないお身の上にさせて上げてください」と、おいたわしい気持ちでお祈り申し上げなさる。

 女君は君の旅先でのご寝具などを作ってお届けなさる。縑のお直衣や指貫は、変わった感じがするにつけても悲しい上に、「去らない鏡の」とお詠みになった君の面影が、なるほど身体に添っていらっしゃるのだが、それも詮のないことである。

 君が始終出入りなさっていたあたりや、寄り掛かりなさった真木の柱などを御覧になるにつけても、胸が塞がるばかりで、よく物事の分別がついて世間の経験を積んだ年輩の人でさえそうであるのに、まして君にお馴れ親しみ申し、また父母にもなりかわってお育て申されてきたので、恋しくお思い申し上げなさるのも、ごもっともなことである。まるでこの世から去られてしまうのは、何とも言いようがなくだんだん忘れることもできようが、聞けば近い所ではあるが、いつまでと期限のあるお別れでもないので、思えば思うほど悲しみは尽きないのである。

 入道の宮におかれても、春宮の御将来のことでお嘆きになるご様子は、いうまでもない。前世からの御宿縁をお考えになると、どうして並大抵のお気持ちでいられようか。近年はただ世間の評判が憚られるので、「少しでも同情の素振りを見せたら、それにつけても誰か咎めだてをすることがありはしまいか」とばかり、一途に堪え忍び忍びして、君の愛情に対しても多くは知らないふりをして、そっけない態度をなさっていたが、「これほどにつらい世の噂ではあるが、少しもこのことについては噂されることなく終わったほどの、あの方の態度も一途であった恋心の赴くままにまかせず、一方では無難に隠していらっしゃったからだった……」。しみじみと恋しいが、どうしてお思い出しになれずにいられようか。お返事も、いつもより情愛こまやかに、

 「このごろは、ますます、
  涙に濡れているのを仕事として
  出家したわたしも嘆きを積み重ねています」

 尚侍の君のお返事には、

 「須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから
  人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません

 今さら言うまでもございませんことの数々は、申し上げるまでもなく」

 とだけ、わずかに書いて、中納言の君の手紙の中にある。お嘆きのご様子などがたくさん書かれてあった。いとしいとお思い申されるところがあるので、ふとお泣きになってしまった。

 二条院の姫君のお手紙は、格別に心こめたお返事なので、しみじみと胸を打つことが多くて、

 「あなたのお袖とお比べになってみてください
  遠く波路を隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と」

 お召物の色合いや、仕立て具合などは、実に良く出来上がっていた。何事につけてもいかにも上手にお出来になるのが、思い通りであるので、

 「今ではよけいな情事に心せわしく、かかずらうこともなく、落ち着いて暮らせるはずであるものを」とお思いになると、ひどく残念に、昼夜なく面影が目の前に浮かんで、堪え難く思わずにはいらっしゃれないので、「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」とお思いになる。また一方では思い返して、「どうして出来ようか、このようにつらい世であるから、せめて罪障だけでも消滅させよう」とお考えになると、そのままご精進の生活に入って、明け暮れお勤めをなさる。

 大殿の若君のお返事などがあるにつけ、とても悲しい気持ちがするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。信頼できる人々がついていらっしゃるのだから、不安なことはない」と、思われなされるのは、子供を思う煩悩の方が、かえってお惑いにならないのであろうか。

 [第三段 伊勢の御息所へ手紙]

 ほんとに、そうそう、、混雑しているうちに言い落としてしまった。あの伊勢の宮へもお使者があったのであった。そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。並々ならぬ事柄をお書きになっていた。その言葉の用い方や、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。

 「依然として現実のこととは存じられませぬお住まいのご様子を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。そうは言っても、長の年月をお送りになることはありますまいと、ご推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。

  辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし
  やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から

 何事につけても思い乱れます世の中の有様も、やはりこれから先どのようになって行くのでしょうか」

 と多く書いてある。

 「伊勢の海の干潟で貝取りしましても
  何の生き甲斐もないのはこのわたしです」

 しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き、置いては書きなさっている、白い唐紙を、四、五枚ほど、巻紙に継いで、墨の付け具合なども実に素晴らしい。

 「もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ」とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。そうした折からのお手紙が、たいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留させなさって、あちらのお話などをさせてお聞きになる。

 若々しく教養ある侍所の人なのであった。このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝する君のご様子やご容貌を、たいそう立派である、と感涙するのであった。 お返事をお書きになる、その文言の素晴らしさが想像できるであろう。

 「このように都から離れなければならない身の上と分かっておりましたら、いっそのこと、あなたの後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思えます。所在のない、心淋しいままに、

  伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを
  須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは

  海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて
  いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう

 お目にかかれることが、いつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われてなりません」

 などとあったのだった。このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。

 花散里に対しても、君は悲しいとお思いになって、書き集めなさった御姉妹お二方の心を御覧になると、興趣あり珍しい心地もして、どちらも見ながら慰められなさるが、かえって物思いを起こさせる種のようである。

 「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていますと
  ひどく涙の露に濡れる袖ですこと」

 とあるのを、「なるほど、八重葎より他に後見する人もいない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などともお聞きになったので、京の家司のもとにお命じなさって、近くの国々の荘園の者たちを徴用させて、修理をさせるようお命じになる。

 [第四段 朧月夜尚侍参内する]

 尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいらっしゃるのを、父大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、是非にと、大后にも帝にもお許しを奏上なさったので、「決まりのある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕え人だから」とお考え直しあそばし、また、あの一件が憎らしく思われたゆえに、厳しい処置も出て来たのだったがと考えられた。その事が赦されなさって参内なさるにつけても、君にはやはり心に深く染み込んだお方のことがしみじみと恋しく思われなさるのであった。

 七月になって参内なさる。格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言をおっしゃり、その一方では愛情深く将来をお約束あそばす。

 尚侍の君は、帝のお姿もお顔もとても優しくお美しいのだが、思い出されることばかり多い心中こそ、帝に対しては恐れ多いことである。管弦の御遊の折に、

 「あの人がいないのが、とても淋しいですね。どんなにか自分以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がしますね」と仰せになって、「故院がお考えにおかれ、仰せあそばされたお心に背いてしまったなあ。きっと罰を得ることだろう」

 とおっしゃって、涙ぐみあそばすので、尚侍の君も涙をお堪えきれになれない。

 「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られるにつれて、長生きをしようなどとは少しも思わない。もしそうなった時には、あなたはどのようにお思いになるでしょう。近頃のあの生き別れよりも軽く思われるのが、悔しい。『生きている日のために逢いたい』というのは、なるほど、つまらない人が詠み残したものであろう」

 と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるにつけても、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、

 「それごらん。誰のために流すのだろうか」

 と仰せになる。

 「今までお子様たちがいないのが、物足りないね。春宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」

 などと、世の政事を帝のお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若い御思慮ゆえに、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。

 

第三章 光る源氏の物語 須磨の秋の物語

 [第一段 須磨の秋]
 
 須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて、海は少し遠いけれども、行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという波音が、夜毎夜毎にそのとおりに耳元に聞こえて、またとないほど淋しく感じられるのは、こういう所の秋なのであった。
 
 御前にはまったく人少なで、皆寝静まっている中で、君は独り目を覚まされて、枕を立てて四方の烈しい風の音を聞いていらっしゃると、波がまるでここまで立ち寄せて来る感じがして、涙がこぼれたとも思われないうちに、枕が浮くほどになってしまった。琴の琴を少し掻き鳴らしていらっしゃったが、自分ながらひどく寂しく聞こえるので、お弾きさしになって、

  「恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが
  それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか」
 
 とお詠みになったことに、供の人々が目を覚まして、素晴らしいと感じられたが、堪えきれずに、わけもなく起き出して座り直し座り直しして、それぞれひそかに鼻をかんでいる。

 「なるほど、この人たちどのように思っていることだろうか。自分一人のために、親や兄弟や、片時でも離れにくく身分相応に大事に思っているだろう家人に別れて、このようにさまよっているとは」とお思いになると、ひどく気の毒で、「自分がほんとうにこのように沈んでいる様子を見ては、供人たちも心細く思うことだろう」とお思いになると、昼間は何かと軽口をおっしゃって気持ちをお紛らわしになり、なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさったり、珍しい唐の綾などにさまざまな絵を描いて気を紛らわしなさったりした、貼り混ぜの屏風の絵などがとても素晴らしく見所がある。
 
 お供の人々がお話申し上げた海や山の様子を、かつては遠くからご想像なさっていらっしゃったが、今目近になさっては、なるほど想像も及ばない磯のたたずまいを、またとないほど素晴らしくたくさんお描きになった。

 「近年の名人と言われる千枝や常則などを召して、彩色させたいものだ」

 と言って、皆残念がっていた。君の優しく立派なご様子に、世の中の憂さが忘れられて、お側に親しくお仕えできることを嬉しいことと思って、四、五人ほどが、お側を離れず伺候していたのであった。

 前栽の花が色とりどりに咲き乱れて、風情のある夕暮れに、海が見える廊にお出ましになって、とばかり眺めていらっしゃる様子が、不吉なまでにお美しいことは、場所柄か、ましてこの世のお方とはお見えにならない。白い綾で柔らかなのと、紫苑色のなどをお召しになって、濃い縹色のお直衣に、帯をゆったりと締めてくつろいだお姿で、

 「釈迦牟尼仏の弟子の……」

 と唱えて、ゆっくりと読経なさっているのが、また聞いたことのないほど美しく聞こえる。
 
 沖の方をいくつもの舟が大声で歌いながら漕いで行くのが聞こえてくる。かすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように遠く見えるのも、頼りなさそうなところに、雁が列をつくって鳴く声が楫の音に似て聞こえるのを、物思いに耽りながら御覧になって、涙がこぼれるのを袖でお払いなさるお手つきに、黒い数珠に映えていらっしゃるお美しさは、故郷の女性を恋しがっている人々の心をすっかり慰めてしまったのであった。
 
 「初雁は恋しい人の仲間なのだろうか
  旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる」
 
 とお詠みになると、良清が、
 
 「次々と昔の事が懐かしく思い出されます
  雁は昔からの友達であったわけではないのだが」
 
 民部の大輔が、
 「自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を
  ひとごとのように思っていたことよ」
 
 前の右近の将監が、
 「常世を出て旅の空にいる雁も
  仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう
 友にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
 
 と唱和する。父親が常陸介になって下ったのにも同行しないで、君にお供して参ったのであった。心中では悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。

 [第二段 配所の月を眺める]

 月がとても明るく差し出たので、「今夜は十五夜であったのだ」とお思い出しになって、殿上の管弦の御遊が恋しく思われ、「あちらこちりの女方も月を眺めて物思いにふけっていらっしゃることであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりがじっと見守られてしまう。

 「二千里の外故人の心」

 と朗誦なさると、供人たちはいつものように涙がとめどなく込み上げてくる。君は、入道の宮が「九重には霧が隔てているのか」とお詠みになった折のことが、何とも言いようもがなく恋しく、折々のことをお思い出しになると、よよと、泣かずにはいらっしゃれない。

 「夜も更けてしまいました」

 と申し上げたが、なおも部屋にお入りにならない。

 「見ている間は暫くの間だが心慰められる
  また廻り逢おうと思う月の都は、遥か遠くではあるが」

 その夜、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子が、父故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、

 「恩賜の御衣は今此に在り」

 と朗誦なさりながら奥にお入りになった。御衣は本当に肌身離さず、お側にお置きなさっていた。

 「辛いとばかり一途に思うこともできず
  恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ」

 [第三段 筑紫五節と和歌贈答]

 その頃、大宰の大弍は上京して来たのだった。ものものしいほど一族が多く、娘たちもおおぜいで大変だったので、北の方は舟で上京する。浦伝いに風景を見ながら上京して来たところ、須磨は他の場所よりも美しい辺りなので、心惹かれていると、「源氏の大将がこの地に退居していらっしゃる」と聞いたので、何の関係もないことなのに、色めいた若い娘たちは、舟の中にいてさえ気になって、改まった気持ちにならずにはいられない。まして、五節の君は、舟人が綱手を引いて通り過ぎるのも残念に思っていたので、琴の音が風に乗って遠くから聞こえて来ると、場所の様子や君のお人柄、琴の音の淋しい感じなどが合わさって、風流を解する者たちは皆泣いてしまった。

 大弐は、ご挨拶を申し上げた。

 「大変に遠い所から上京して来ましては、まずはまっ先にお訪ね申し上げて、都のお話をも承りたいと存じておりましたが……。意外なことに、こうしていらっしゃるお住まいを通り過ぎますことは、もったいなくも、また悲しうもございます。知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、出迎えに多数来ておりますので、人目を憚ることが多くございまして、お伺いできませんことで……。また改めて参上いたします」

 などと申し上げた。子の筑前守が参上した。君が、蔵人にして目をかけてやった人なので、とても悲しく辛いと思うが、また人の目があるので、噂を憚って、暫くの間も立ち留まっていることもできない。

 「都を離れて後は、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」

 とおっしゃる。お返事も同様に書いてあった。

 守は、泣く泣く戻って行って、君の暮らしていらっしゃるご様子を父に話す。大弐をはじめとして、迎えの人々も、不吉なほど一同泣き満ちた。五節は、やっとの思いでお便りを差し上げた。

 「琴の音に引き止められた綱手縄のように
  ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか
 色めいて聞こえるのも、『お咎めくださいますな』で……」

 と申し上げた。微笑んで御覧になるさまは、まったく気後れする感じである。

 「わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば
  通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を
 『さすらおうとは』思ってもみないことであった」

 とある。駅の長に口詩をお与えになった人もあったが、それ以上に、このまま留まってしまいそうに思うのであった。

 [第四段 都の人々の生活]

 都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ申して、源氏の君をお恋い慕い申し上げる折節が多かった。春宮は、まして誰よりも、いつでもお思い出しなさってはお忍び泣きなさる。それを拝見する御乳母や、それ以上に王命婦の君は、ひどく悲しく拝し上げる。

 入道の宮は、春宮のお身の上をそら恐ろしくばかりお思いであったが、大将の君がこのように流浪の身となっておしまいになったのを、ひどく悲しくお嘆きあそばす。

 君のご兄弟の親王たちや、お親しみ申し上げていらっしゃった上達部などは、初めのうちはお見舞いを申し上げなさることもあった。しみじみとした漢詩文を作り交わしたが、それにつけても、世間から素晴らしいとほめられてばかりいらっしゃるので、大后宮がお聞きあそばして、きついことをおっしゃったのだった。

 「朝廷の勅勘を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」

 などと、良くないことが聞こえてきたので、厄介なことだと思って、手紙を差し上げなさる方もいない。

 二条院の姫君は、時が経つにつれて、お心のやすらぐ折がない。東の対にお仕えしていた女房たちも、みな西の対に移って参った当初は、「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、お仕えし馴れていくうちに、お優しく美しいご様子や、日常の生活面についてのお心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って出て行く者もいない。身分のある女房たちには、ちらっとお姿をお見せなどなさる。「たくさんいる夫人方の中でも格別のご寵愛も、もっともなことだわ」と拝見する。

[第五段 須磨の生活]

 あちら須磨でのお暮らしは、ご滞在が長くなるにしたがって、とても我慢ができなくお思いになったが、「自分の身でさえ驚くばかりの運命だと思われる住まいなのに、どうして、女君をここに迎えて一緒に暮らせようか、いかにもふさわしくない……」と、お考え直しになる。場所が場所なだけに、すべて様子が都とは違って、ご存じでない下人の身の上の生活でも、見慣れていらっしゃらなかったことなので、心外にももったいないことよと、ご自身思わずにはいらっしゃれない。煙がとても近くに時々立ち上るのを、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっとお思いになっていたのは、実はお住まいになっている後ろの山で、柴というものをいぶしているのであった。珍しいので、

 「賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように
  しばしば便りを寄せてほしいわが恋しい都の人よ」

 冬になって雪が降り荒れているころ、空模様もことにぞっとするほど寂しいのを御覧になって、琴を心にまかせてお弾きになって、良清に歌をうたわせ、大輔が横笛を吹いて、合奏をなさる。心をこめてしみじみとした曲をお弾きになると、他の楽器の音はみなやめて、涙を拭いあっていた。

 昔、漢の帝が胡の国に遣わしたという女のことをお思いやりになって、「自分以上にどんな気持ちであったろう。この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、実際に起こるように不吉に思われて、

 「胡角一声霜の後の夢、都を遠く離れて月下に断腸の思い」

 と朗誦なさる。

 月がたいそう明るく差し込んで、仮そめの旅のお住まいでは、奥の方まで素通しである。床の上から夜の深い空も見える。入り方の月の光が、寒々と見えるので、

 「月はただ西へ行くのである」

 と独り口ずさみなさって、

 「どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう
  月が見ているだろうことも恥ずかしい」

 と独詠なさると、いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。

 「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は
  独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」

 他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていらっしゃった。

 深夜にお手を洗い、御念誦などをお唱えになるのも、珍しいことのように、ただもう立派にお見えになるので、お見捨て申し上げることができず、家にちょっとでも退出することもできなかった。

 [第六段 明石入道の娘]

 明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣は、あの入道の娘を思い出して手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、

 「申し上げたいことがある。ちょっとお会いしたい」

 と言ってきたが、「承知してくれないようなのに、わざわざ出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。

 入道は世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性にはまったくそのようなことも思わず歳月を送っているうちに、この君がこうして須磨に来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、

 「桐壺の更衣がお生みになった、源氏の光る君が、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦に退去していらっしゃるという。わが娘のご運勢にとって、思いがけないことがあるのです。何とかこのような機会に、娘を是非差し上げたいものです」

 と言う。母は、

 「まあ、とんでもない。京の人の話すのを聞きますと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらっしゃって、その上に、こっそりと帝のお妃とまで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」

 と言う。入道は腹を立てて、

 「ご存知あるまい。考えが違うのです。その心づもりをしなさい。機会を作って、ここにお出でいただこう」

 と、思いのままに言うのも頑固に見える。眩しいくらい立派に飾りたて娘を大事にお世話していた。母君は、

 「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらっしゃったような方を考えるのでしょう。それにしても、お心をとめてくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」

 と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。

 「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。どういうお方でいらっしゃると思うのか。亡くなられた母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。まことに素晴らしい方だと評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばしたことは、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃるのは、大変に喜ばしいことである。女は気位を高く持つべきなのだ。わたしがこのような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」

 などと言っていた。

 この娘はすぐれた器量ではないが、優しく上品らしく賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、

 「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。とはいえ身分相応の結婚はまっぴら嫌。長生きして両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」

 などと思っているのであった。
 父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。神の御霊験を心ひそかに期待しているのであった。

 

第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語

 [第一段 須磨で新年を迎える]

 須磨では、年も改まって、日が長く特にすることもない頃に、去年植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多かった。
 
 二月二十日過ぎ頃、昨年京を離れた時に、気の毒に思えた人たちのご様子などがたいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。先年の花の宴の折に、故院の御様子や、主上がたいそう麗しく優美においであそばして、わたしの作った詩句を朗誦なさった……」ということも、お思い出し申される。
 
 「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
  桜をかざして遊んだその日がまたやって来た」
 
 何もすることもないころ、大殿のご子息の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみとつまらなく、何かあるごとに源氏の君が恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
 
 君のお顔を一目見るなり、珍しく嬉しくて、喜びと悲しみのひとつ涙がこぼれるのであった。
 
 君のお住まいになっている様子は、いいようもなく唐風である。その場所の有様は、まるで絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段や松の柱は、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
 
 山賤みたいに、許し色の薄紅の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣や指貫を質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
 
 お使いになっていらっしゃる調度類も、一時の間に合わせ物にして、ご座所も外からまる見えにのぞかれる。碁や双六の盤、お道具類、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の仏具は、君が勤行なさっていたように見えた。お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
 
 漁師たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、漁師たちは生きていた甲斐があると思っていた。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。

 「飛鳥井」を少し歌って、ここ数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、宰相中将が、


 「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
 
 などとお話になると、君はたまらなくお思いになった。こうしたことは、お語り尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
 
 一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。かえって辛い思いがする。お杯を差し上げて、

 「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」

 と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。

 明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、

 「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
  羨ましいのは今帰って行く雁だ」

 宰相中将は、まったく立ち去る気もせず、

 「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
  花の都への道にも惑いそうです」

 君に贈るべき都からのお土産などが、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。

 「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」

 とお申し上げになる。世にめったにないほどの名馬の様である。

 「わたしの形見として思い出してください」

 とおっしゃって、たいそう立派な笛で高名なのを贈るくらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。

 日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子は、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。

 「いつ再びお目にかからせていただけましょう」

 と申し上げると、主人の君は、

 「雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりとご照覧あれ
  わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です

 一方ではそのように当てにしながらも、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」

 などとおっしゃると、宰相中将は、

 「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
  かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら

 もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、『かえって特に』と、悔しく存じられます折々の多いことでございます」

 などと、しんみりとお話することなくてお帰りになった、その後、君はますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになった。

 [第二段 上巳の祓と嵐]

 
 三月の初めにめぐって来た巳の日に、

 「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」

 と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たく思ってお出ましになる。ひどく簡略に軟障ぐらいを張りめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、お祓いをおさせなになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、

 「見も知らなかった大海原に流れきて
  人形に一方ならず悲しく思われることよ」

 と詠んで、坐っていらっしゃるご様子は、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。

 海の表面もうららかに凪わたって際限も分からないので、過去のことや将来のことが次々と胸に浮かんできて、

 「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
  これといって犯した罪はないのだから」

 とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となった。肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろな物を吹き飛ばし、またとない大風である。波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。海の表面は衾を広げたように一面にきらきらと光って、雷が鳴りひらめく。今にも落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、

 「このような目には遭ったこともないな」
 「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。思いもせぬ珍しいことだ」

 と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所は、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。

 日が暮れてしまうと、雷は少し鳴り止んで、風は夜になっても吹いている。

 「たくさん立てた願の力なのでしょう」
 「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
 「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まことこのようなことはまだ見たこともない」
 と言い合っていた。

 明け方、みな寝んでいた。君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者がやって来て、

 「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」

 と言って、自分を手探りで捜しているように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。

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ローマ字版
大島本
自筆本奥入