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Last updated 12/22/2021(ver.2-4)

渋谷栄一訳(C)

  

賢木

光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語

第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語

  1. 六条御息所、伊勢下向を決意---斎宮の御下向が近づくにつれて
  2. 野の宮訪問と暁の別れ---九月七日ころなので
  3. 伊勢下向の日決定---後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは
  4. 斎宮、宮中へ向かう---十六日、桂川でお祓いをなさる
  5. 斎宮、伊勢へ向かう---奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので
第二章 光る源氏の物語 父桐壺帝の崩御
  1. 十月、桐壺院、重体となる---院の御病気、神無月になってからは
  2. 十一月一日、桐壺院、崩御---大后も、お見舞いに参ろうと思っているが
  3. 諒闇の新年となる---年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく
  4. 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる---帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが
第三章 藤壺の物語 塗籠事件
  1. 源氏、再び藤壺に迫る---内裏に参内なさるようなことは
  2. 藤壺、出家を決意---「何の面目があって、再びお目にかかることができようか
第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠
  1. 秋、雲林院に参籠---大将の君は、春宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが
  2. 朝顔斎院と和歌を贈答---吹き通う風も近い距離なので
  3. 源氏、二条院に帰邸---女君は、この数日間に、いっそう美しく成長
  4. 朱雀帝と対面---一般の事柄で、宮の御事に関することなど
  5. 藤壺に挨拶---「御前に伺候して、今まで、夜を更かして
  6. 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答---大将、頭の弁が朗誦したことを考えると
第五章 藤壺の物語 法華八講主催と出家
  1. 十一月一日、故桐壺院の御国忌---中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き
  2. 十二月1十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家す---十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である
  3. 後に残された源氏---お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって
第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々
  1. 諒闇明けの新年を迎える---年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり
  2. 源氏一派の人々の不遇---司召のころ、この宮の人々は
  3. 韻塞ぎに無聊を送る---夏の雨、静かに降って、所在ないころ
第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見
  1. 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される---そのころ、尚侍の君が退出なさっていた
  2. 右大臣、源氏追放を画策する---大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことの

 

第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語

   [第一段 六条御息所、伊勢下向を決意]

  斎宮の御下向が近づくにつれて、御息所は、何となく心細くいらっしゃる。重々しくけむたいご本妻だと思っていらっしゃった大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮家の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。

 母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないのであるが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになっていると、大将の君は、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれないで、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々差し出す。お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのであろう。

 里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿は、お知りになることができない。野宮の方は簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上が、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮に参上なさる。

   [第二段 野の宮訪問と暁の別れ]

 九月七日ほどなので、「まったく今日明日の間近だ」とお思いになると、女君の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに引き籠もり過ぎるから、物越しにお目にかかるくらいならば」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。

 広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じである。秋の花は、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れ枯れとなり、虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風が、身にしみて音を添えて、いずれの琴の音とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来るのは、まことに優艶である。

 気心の知れた御前駆の者、十余人ほどで、御随身も、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていらっしゃるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子は、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者などは、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々を、後悔せずにはいらっしゃれない。

 何となく頼りなげな小柴垣を外囲いにして、幾棟もの板屋が、あちこちに仮拵えのようである。幾つもの黒木の鳥居は、そうは言っても神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官たちが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。火焼屋が、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいるお方が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。

 北の対の適当な場所にお立ち隠れになって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配が、たくさん聞こえる。

 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、

 〔源氏〕「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものですね」

 と、真面目に申し上げなさると、女房たちは、

 〔女房〕「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」

 〔女房〕「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」

 などと、お取りなし申すので、御息所は「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いであろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子は、まことに奥ゆかしい。

 〔源氏〕「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」

 とおっしゃって、上がっておすわりになった。

 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子の、その美しさは、似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらっしゃったのを、御簾の下から差し入れて、

 〔源氏〕「この榊葉の変わらない心に導かれて、神の斎垣も越えて参ったのです。何とも薄情な」
 と申し上げなさると、

 〔御息所〕「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに、
  どうお間違えになって折った榊なのでしょう」

 とお答え申し上げなさると、

 〔源氏〕「少女子がいる辺りだと思うと
  榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです」

 周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被るようにして、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。

 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようなお心持ちでいらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。

 また一方、心の中に、「どうしたものなのか、欠点があって」と、お思い申してから後は、やはり、情愛も次第に褪めていき、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、しみじみと、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。今までのことや、将来のことを、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。

 女君は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていらっしゃるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に思われて、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。

 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらっしゃった恨みもきっと消えてしまいそうである。だんだんと、「今度こそ最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり案じてていたとおりだった」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。

 殿上の若い公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたというこの庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。物思いの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容の数々は、そのまま筆に写すことができない。

 だんだんと明けて行く空の風情は、特別に作り出したかのようである。

 〔源氏〕「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが
  今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」

 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていらっしゃるのは、たいそう優美である。

 風が、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。

 〔御息所〕「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
  さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」

 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。その道の程はまことに露っぽい。

 女君も、気強くはいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿や、まだ残っている匂いなどを、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。

 〔女房〕「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」

 と、わけもなく涙ぐみ合っていた。

 [第三段 伊勢下向の日決定]

 後朝の御文が、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。

 男君は、それほどお思いにならないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げなさらなかったお間柄で、そのお方が、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。

 女君の旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類などを、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別をさし上げなさるが、女君はそれを何ともお思いになれない。軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてたわが身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きていても寝ていてもお嘆きになる。

 斎宮は、幼な心に、決定しなかった母君のご出立が、このように決まってきたのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。世間の人々は、母親の同行を先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようである。何事につけても、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。

 [第四段 斎宮、宮中へ向かう]

 十六日に、桂川でお祓いをなさる。慣例の儀式より立派で、長奉送使などや、その他の上達部も、身分が高く、世間から評判の良い方をお選びあそばしになった。院のお心遣いもあってのことであろう。野の宮をお出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、

 〔源氏〕「『鳴る神でさえ思い合う仲を裂かぬ』と云いますものを、
  大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば
  尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい
 どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」

 とある。とても取り混んでいる時だが、お返事がある。斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。

 〔斎宮〕「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば
  あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」

 大将は、ご出立の様子を御覧になりたくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い心地がなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。

 斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時のお姿を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。

 [第五段 斎宮、伊勢へ向かう]

 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。申の時に内裏に参内なさる。

 御息所は、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に内裏を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。十六歳で故春宮にご入内なさって、二十歳で先立たれ申される。三十歳で、今日再び宮中を御覧になるのであった。

 〔御息所〕「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
  心の底では悲しく思われてならない」

 斎宮は、十四歳におなりであった。とてもかわいらしくいらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝は、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時に、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばされた。

 ご出立になるのをお待ち申そうとして、八省院の辺に立ち並べていたお供の女房たちの車から、袖口や、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも個人的な別れを惜しんでいる者が多かった。

 暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君は、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、

 〔源氏〕「わたしを振り捨てて今日は旅立って行かれるが、
  鈴鹿川を渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」

 とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい折なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。

 〔御息所〕「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
  伊勢の先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」

 言葉数少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありであったならば」とお思いになる。

 霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。

 〔源氏〕「あの方の行った方角を眺めていよう、今年の秋は
  逢うという逢坂山を、霧よ隠さないでおくれ」

 西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになることが、多かったことであろうか。

 

第二章 光る源氏の物語 父桐壺帝の崩御

 [第一段 十月、桐壺院、重体となる]

 桐壺院の御病気は、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。院は御衰弱の御容態ながらも、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、
 
 〔桐壺院〕「わが在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と拝見している。必ず天下を治める相のある人である。それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと思ったのである。その心づもりにお背きあそばすな」

 と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の語るべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思がする。

 帝も、大層悲しいとお思いあそばして、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばされる。御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、院は嬉しく頼もしくお見上げあそばす。きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。

 春宮も帝と御一緒にとお思いなったが、大層な騷ぎになるので、日を改めて行啓なさった。お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたころなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子は、まことにいじらしい。

 中宮が涙に沈んでいらっしゃるのを、院はお見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。院は春宮にいろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。
 
 大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。
 
 夜が更けてからお帰りあそばす。残る人なく陪従して大騷ぎする様子は、行幸に劣るところがない。満足し切れないところでお帰りおそばすのを、院はたいそう残念にお思いあそばす。

 [第二段 十一月一日、桐壺院、崩御]
 
 大后も、お見舞いなさろうと思っていたが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるためにおこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、院はたいしてお苦しみにもならないで、ご崩御あそばした。浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。
 
 院はお位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若くいらっしゃるし、外祖父の右大臣が、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部や殿上人は、皆不安に思って嘆く。

 中宮や大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会に、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。

 御四十九日までは、女御や御息所たちが、皆、院に集っていらっしゃったが、それが過ぎたので、散り散りにご退出なさる。十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない中宮のご心中である。大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。

 中宮は、三条の宮にお渡りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさった。雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中はだんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿がこちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。お庭先の五葉の松が雪に萎れて下葉が枯れているのを御覧になって、兵部卿親王が、

 〔兵部卿宮〕「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか
  その下葉が散り行く今年の暮ですね」

 何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖は、ひどく濡れた。池が隙間なく凍っていたので、

 〔源氏〕「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが
  長年見慣れたそのお姿を見られないのが悲しい」

 と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。王命婦は、
 〔王命婦〕「年が暮れて岩井の水も凍りついて
  見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」

 その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことであろうか。

 お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、お里の三条の宮邸は、かえって旅先のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さを、あれこれと回想されるのであろう。

 [第三段 諒闇の新年となる]

 年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、何ら変わることもなく、邸の御門の周辺に隙間なく立て込んでいた馬や車が、少なくなっていって、宿直の夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司たちぐらいが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。

 御匣殿は、二月に尚侍におなりになった。院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の替わりであった。高貴な家の出らしく振る舞われて、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。大后は、里邸にいらっしゃることが多く、参内なさる時のお局には、梅壺を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住まいになる。それまでの登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、源氏の君との思いがけなかった出来事を忘れられず嘆いていらっしゃる。ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。源氏の君は「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながらも、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。

 院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、大后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。何かにつけて、体裁の悪いことばかりが生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。

 左の大殿も、面白くない心地がなさって、格別内裏にも参内なさらない。亡き姫君を、今の帝を避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、大后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。大臣同士の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の御世には左大臣の思い通りでいられたが、御世が替わって、右大臣が得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。

 大将の君は、昔に変わらず左大臣邸にお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されることは、この上もないので、しみじみとありがたいお心だと、左大臣がますます大切にお世話申し上げなさる事どもは、昔同様である。この上ない院の御寵愛で、あまりにもうるさいまでにお暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きもつまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりとして、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。

 西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお称え申し上げる。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。正妻腹の姫君の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方はきっと面白くなくお思いであろう。物語にことさらに作り出したようなご様子である。

 斎院は、故院の御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例は多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。大将の君は、幾歳月を経ても依然としてお忘れになれなかったのに、このように特別のご身分になってしまったので、残念なとお思いになる。中将のもとにお便りをおやりになることも以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。以前と変わったご様子などを、特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。

 [第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる]
 
 帝は、故院の御遺言に背かず、源氏の君を親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后や祖父大臣が、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治もお心通りに行かないようである。

 源氏の君にとって、厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君には心密かにお心を通わしていらっしゃるので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。五壇の御修法の初日で、帝がお慎しみあそばしていられる隙間を狙って、いつものように夢のような心地でお逢い申し上げる。あの昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。人目の多いころなので、いつもより端近なのが何となく恐ろしく思わずにはいられない。

 朝夕に拝見している人でさえ見飽きない源氏の君のご様子なので、ましてまれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。女君のご様子も、なるほど素晴しいお盛りであるが、重々しいという点ではどうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして、好ましいご様子である。

 間もなく夜も明けて行こうかと思われるころに、ちょうどすぐ側で、

 〔宿直人〕「宿直申しの者が、ここにおります」

 と、声を上げて申告するようである。「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。面白いと思う一方で、厄介でもある。

 あちこちと探し歩いて、

 〔宿直人〕「寅一つ」

 と申しているようだ。女君が、

 〔朧月夜〕「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ
  夜が明けると教えてくれる声につけましても」

 とおっしゃる様子は、いじらしくてまことに魅力的である。

 〔源氏〕「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか
  胸の思いの晴れる間もないのに」

 慌ただしい思いで、お出ましになった。

 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿女御の兄君の藤少将が藤壺から出て来て月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったことよ。きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。

 このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしいと思われなさる時が多かった。

 

第三章 藤壺の物語 塗籠事件

 [第一段 源氏、再び藤壺に迫る]
 
中宮は、内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし窮屈にお感じになって、春宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君をいろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、故院が少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、春宮の御ためにきっとよくない事が出て来ようとお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。

 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮は、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂にはお胸をひどくお痛めなさったので、近くに控えていた命婦や弁などが、驚きあきれてご介抱申し上げる。男君は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、夜もすっかり明けてしまったが、お出ましにならないままになってしまった。

 宮のご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても厄介である。宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。兵部卿宮や中宮大夫などが参上して、

 「僧を呼べ」

 などと騒ぐのを、大将はとても辛く聞いていらっしゃる。やっとのことで、暮れて行くころにご回復あそばした。

 男君がこのようにが籠もっていられようとはお思いもなさらず、女房たちも再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。宮は昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。命婦の君などは、

 〔王命婦〕「どのように人目をくらまして、お帰らせ申し上げようか。今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」

 などと、ひそひそとささやき困っている。

 男君は、塗籠の戸が細めに開いているのを静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。珍しく嬉しいにつけても、涙が落ちて拝見なさる。

 〔藤壺〕「やはり、とても苦しい。死んでしまうのかしら」

 と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど優美に見える。お果物だけでも、といって差し上げてある。箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、宮は見向きもなさらない。世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、ゆったりと物思いに耽っていらっしゃるのは、たいそういじらしげである。髪の生え際や、頭の恰好、御髪のかかっている様子の、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。

 気品高く気後れするようなご様子なども、まったく対の姫君と別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたことよ」と、他に並ぶものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。気配ははっきり分かり、さっと薫物の香が匂ったので、宮はあきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて引き寄せなさると、宮は、お召物を脱ぎ滑らせていざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さが思い知られなさって、実に辛いとお思いになった。
 
 男君も、長年抑えてこられたお心がすかっり惑乱して、気でも違ったように、あらゆる事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、宮は、本当に厭わしいとお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、
 
 〔藤壺〕「気分が、とてもすぐれませんので。このようでない時であったら、お返事申し上げましょう」

とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。
  
 そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。
 
 しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、
 
 〔源氏〕「わずか、この程度であっても、時々大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」
 
 などと、ご安心申し上げなさるのだろう。ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。
 
 夜が明けてしまったので、王命婦と弁が二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は半ば魂も抜けたようなご様子なのが、おいたわしいので、男君は、
 
 〔源氏〕「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」
 
 などと申し上げなさるが、君は気味悪いまでに思いつめていらっしゃった。
 
 〔源氏〕「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
  いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
 御往生の妨げにもなっては」

と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、

 〔藤壺〕「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
  そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」

 わざと何でもないことのようにおっしゃるご様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、男君は呆然自失の心地で、お出ましになった。

 [第二段 藤壺、出家を決意]
 
 〔源氏〕「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。宮が気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。すっかりもう、内裏、春宮にも参内なさらず、引き籠もっていらっしゃって、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この対の姫君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなことは、とても難しい。

 宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。こうわざとらしく引き籠もっていらっしゃって、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。宮も、春宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになることは、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。

 〔藤壺〕「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后が、けしからんことだとおっしゃっているという中宮の地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。

 故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにつけても、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことが、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことをご決意なさるが、春宮にお眼にかからないで尼姿になることが悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。

 大将の君は、それほどでないことでさえお気づきにならないことなく宮にお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話はいつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。

 春宮は、たいそうかわいらしくご成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、宮は、いとしいと拝見なさるにつけても、ご決意なさったことはとても難しく思われるが、内裏の雰囲気をご覧になるにつけても、世の中のありさまはしみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。

 大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても体裁悪く、何かにつけて辛いので、春宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、

 〔藤壺〕「私をご覧にならない、その長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」

 とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、

 〔春宮〕「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」

 と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、

 〔藤壺〕「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」

 と言ってお泣きになると、真顔になって、

 〔春宮〕「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」

 とおっしゃって、涙が落ちるので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃるが、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子は、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの源氏の君の方のお顔を移し変えなさったようである。御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女にして拝見したい美しさである。「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。

 

第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠

 [第一段 秋、雲林院に参籠]

 大将の君は、春宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「藤壺の宮の情けないほど冷たいお心のほどを、時々はお悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く所在なく思われなさるので、秋の野原もご覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。

 「亡き母御息所の御兄上の律師が籠もっていらっしゃる坊で、経文などを読み、勤行をしよう」 とお思いになって、二、三日滞在していらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。

 紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などをご覧になって、京の邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、『つれない人こそ、恋しく思われる』と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと音を鳴らしながら、菊の花や、濃い薄い紅葉などを、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、

 〔源氏〕「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。それに引き比べ、つまらない身の上を持て余していることよ」
 
 などと、お思い続けなさる。律師が、とても尊い声で、

 〔律師〕「念仏衆生摂取不捨」

 と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。

 いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。

 〔源氏〕「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
 
 などと、陸奥紙に気楽にお書きになっているのまでが素晴らしい。
 
 〔源氏〕「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので
  まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ気ががりでなりません」
 
 などと、情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。お返事は、白い色紙に、
 
 〔紫君〕「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に
  糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」
 
 とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、つい独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。
 
 いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。

 [第二段 朝顔斎院と和歌を贈答]

 吹き通う風も近い距離なので、斎院にもお手紙を差し上げなさった。中将の君に、

 〔源氏〕「このように旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」

 などと、恨み言を述べて、斎院の御前には、

 〔源氏〕「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど
  その昔の秋のころのことが思い出されます
 『昔の仲を今に』と存じます甲斐もなく、取り返せるもののように思われまして」

 と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなどして、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
 お返事は、中将の君が、

 〔中将君〕「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げることは多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」

 と、少し丹念に多く書かれていた。斎院の歌は、木綿の片端に、

 〔斎院〕「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか
  心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは
 近い世には、なおさらに」

 とある。

 「ご筆跡は、こまやかな美しさではないが巧みで、草書きなど美しくなったものだ。ましてや、お顔もいよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで恐ろしいことよ。

 「ああ、このころであったよ。野の宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質であることよ。

 斎院もこのような君の並々でないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。少し困ったことである。
 
 天台六十巻という経文をお読みになり、不審な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申したとか、仏の御面目が立つことだと、賤しい法師連中までが喜び合っていた。心静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。伺候している人のすべて、身分の上下を問わず、すべての僧たちや、その周辺の山賤にまで施物を下賜され、あらゆる功徳を施してお出になる。お見送り申そうとして、あちらこちらに賤しい柴掻き人連中が集まっていて、感涙を落としながら拝し上げる。黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子をまたとなく素晴らしい方とお思い申し上げているようである。

 [第三段 源氏、二条院に帰邸]

 女君は、この数日間にいっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらっしゃって、男君との仲が今後どうなって行くのだろうかと思っている様子がいじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、女君が『色変わりする』と言ったのもかわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。

 山からの土産にお持たせになった紅葉を、お庭先のと比べてご覧になると、格別に一段と染めてあった露の風情も、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通のご挨拶として中宮に差し上げなさる。命婦のもとに、

 〔源氏〕「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、中宮さまと春宮さまとの間の事を、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと計画しておりました日数を、不本意なことになってはと思いつつ、何日にもなってしまいました。紅葉は独りで見ていますと、せっかくの美しさも『夜の錦』と残念に思われましたので。よい折に御覧下さいませ」

 などとある。
 なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものようにちょっとした文が結んであるのだった。女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、

 〔藤壺〕「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。惜しいことに、思慮深くいらっしゃる方が、考えもなくこのようなことを時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」

 と、気に食わなく思われなさって、瓶に紅葉の枝を挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。

 [第四段 朱雀帝と対面]
 
 一般の事柄や春宮の御事に関することなどは、源氏の君を頼りにしている様子で、他人行儀な素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも用心深く」と、愚痴をこぼしたくご覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ慣れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、中宮の退出なさる予定の日に参内なさった。

 まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔や今のお話を申し上げなさる。帝の御容貌も、父院にとてもよくお似申していらっしゃって、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。お互いに懐かしく思ってお会いなさる。

 尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、

 〔帝〕「どうして、今に始まったことならばともかく、以前から続いていたことなのだ。そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」

 と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。

 いろいろなお話や、学問上で不審にお思いあそばしている点などをお尋ねあそばして、また、色恋めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のことや、ご容貌が美しくおいであそばしたことなどを、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。

 二十日の月が、次第に差し昇ってきて、風情ある時分なので、

 〔帝〕「管弦の御遊なども、催してみたい折だね」

 と仰せになる。

 〔源氏〕「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。故院の御遺言あそばされたことがございましたので。他に御後見申し上げる人もございませんようなので。春宮の御縁も、気がかりに存じられまして」

 とお断り申し上げになる。

 〔帝〕「春宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。お年の割には、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」

 と、仰せになるので、

 〔源氏〕「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」

 などと、その御様子も申し上げなさって退出なさる時に、大后のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、源氏の大将の前駆が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、

 〔頭弁〕「白虹が日を貫いた。太子は、懼ぢた」

 と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将はまことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てをできることであろうか。大后の御機嫌は、ひどく恐ろしく厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までもが、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。

 [第五段 藤壺に挨拶]
 
 〔源氏〕「帝の御前に伺候していて、今まで夜を更かしてしまいました」

 と、中宮にご挨拶申し上げなさる。

 月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。

 〔藤壺〕「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか
  雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」

 と、王命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。それほど離れた距離ではないので、御様子もかすかではあるが、慕わしく聞こえるので、源氏の君は辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。

 〔源氏〕「月の光は昔の秋と変わりませんのに
  隔てる霧のあるのがつらく思われるのです

 『霞が人の仲を隔てる』とか、昔もあったことでございましょうか」

 などと、申し上げなさる。

 中宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、いろいろな事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。

 [第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答]

 大将の君は、頭の弁が朗誦していたことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。

 初時雨が、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、

 〔朧月夜〕「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに
  長い月日が経ってしまいました」

 と差し上げなさった。時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちもいじらしいので、お使いを引き留めさせて、唐の紙を入れさせなさっている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子が優美なので、御前の女房たちは、「どのくらいの方なのだろう」と、お互いに突つき合っている。

 〔源氏〕「お便りを差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。自分だけが情けなく思われていたところに、

  お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを
  ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか

 お互いに心が通じるならば、どんなにか物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」

 などと、つい情のこもった手紙になってしまった。

 このように源氏の君にお便りを差し上げる人々は多いようであるが、君は無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深く留めないのであろう。

 

第五章 藤壺の物語 法華八講主催と出家

 [第一段 十一月一日、故桐壺院の御国忌]

 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。

 霜月の初め頃、御国忌の日に雪がたいそう降った。大将殿から中宮にお便りを差し上げなさる。

 〔源氏〕「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪は降っても
  その人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか」

 どちらにおかれても、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。

 〔藤壺〕「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが
  一周忌の今日は、故院の在世中に出会ったような思いがいたしまして」
 
 格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは君の思い入れであろう。書風が独特で当世風というのではないが、他の人よりは優れてお書きあそばしている。今日は、中宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。

 [第二段 十二月十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家す]

 十二月の十日過ぎ頃に、中宮の御八講が催される。たいそう荘厳である。毎日供養なさる御経をはじめとして、玉の軸や、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。宮は普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、今日の催しはまして言うまでもない。仏像のお飾りや、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。

 初日は、先帝の御ため。次の日は、母后の御ため。その次の日は、故院の御ため。この日は第五巻の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおられず、大勢参上なさった。今日の講師は、特にお選びあそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。親王たちもさまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなどは、やはり他に似るものがない。いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。

 最終日は、中宮御自身のことを結願として、ご出家なさる主旨を仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。兵部卿宮や大将は、お気も動転して呆然となさる。

 親王は、儀式の最中に座を立って、御簾の内にお入りになった。中宮は御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに山の座主を召して、戒をお受けになる旨を仰せになる。御伯父の横川の僧都がお近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時は、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。 たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。

 参集なさった方々も、大方の成り行きもしみじみと尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。

 故院の皇子たちは、中宮の昔の御様子をお思い出しになると、ますますしみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの言葉をお掛け申し上げなさる。大将はお席にお残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。

 だんだんと人の気配が静かになって、女房連中は鼻をかみながら、あちこちに群れ集まっていた。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、

 〔源氏〕「どのように御決意あそばして、このように急なご出家を」

 とお尋ね申し上げになる。

 〔藤壺〕「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」

 などと、いつものように王命婦を通じて申し上げなさる。

 御簾の中の様子や、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音が、わざとひっそりと気をつけて振る舞い、身じろぎながらも、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子は、もっともなことで、悲しいとお聞きになる。

 風が激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。大将の御匂いまで薫り合って素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。

 春宮からの御使者も参上した。中宮は仰せになった時のことを、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が言葉をお添えになったのであった。

 どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事などもおっしゃれない。

 〔源氏〕「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても
  なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか

 と存じられますのが、どうにもならないことで。出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」

 とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。

 〔藤壺〕「世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩は
  いつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか
 一方では、煩悩を断ち切れずに」

 などと、一部は取次ぎの女房のとりなしであろう。悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。

 [第三段 後に残された源氏]

 お邸でも、ご自分のお部屋で、ただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。

 「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、故院もお考えおきあそばされていたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの中宮の地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすことは一再でない。

 「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えてお急がせなさる。王命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。実のところ、このような折にこそ趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。

 参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、宮御自身でお話し申し上げなさる時もあるのであった。ご執心であったことは、全然君のお心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。

 

第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々

 [第一段 諒闇明けの新年を迎える]
 
 年も改まったので、内裏辺りは賑やかになり、内宴や踏歌などとお聞きになるにつけても、何となくしみじみとした気持ちばかりがされて、御勤行をひっそりとなさりながら、ただ来世のことばかりをお考えになるので、来世も頼もしく、厄介に思われたことも遠い昔の事のように思われる。いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別にお建てになられた御堂で、それは西の対の南に当たっていて、その少し離れた所に宮はお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。
 
 大将の君が参賀に上がった。新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はひっそりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者ばかりが、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。
 
 ただ白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。所狭しと参賀に参集なさった上達部などは、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの右大臣邸に参集なさるのを、人の世とはこういうものであるが、しみじみと感じられるところに、大将の君が一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、女房らは無性に涙がこぼれる。
 
 客人の大将の君も、たいそうしみじみとした様子に感じられ、あたりを見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端や、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色や、くちなし色の袖口などが、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。「一面に解けかかっている池の薄氷や、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、『なるほど情趣を解する』と、ひっそりと口ずさみなさっているのは、またとなく優美である。

 〔源氏〕「海人が住む松が浦島という、物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと
  何より先に涙に暮れてしまいます」

 と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
 
 〔藤壺〕「昔の俤さえないこの松が浦島のような所に
  立ち寄る波も珍しいのに、立ち寄ってくださるとは珍しいですね」
 
 とおっしゃる声が、ほのかに聞こえるので、堪えてはいたが、涙がほろほろとおこぼれになった。 世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうことも体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
 
 〔女房〕「なんと、またとないくらいご立派にお成りですこと」
 〔女房〕「何の不足もなく世に栄え時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」
 〔女房〕「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでがお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」

 などと、年老いた女房たちは、涙を流しながらお褒め申し上げる。宮も、お思い出しになる事が多かった。

 [第二段 源氏一派の人々の不遇]

 司召のころ、この宮に仕える人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、また中宮の年爵としても、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。このようにご出家されたにしても、直ちにお位を取り去り、御封などが停止されるはずもないのに、ご出家を口実にして待遇の変わることが多かった。すべて既にお捨てになった世の中ではあるが、宮に仕えている人たちが頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、春宮が無事に帝となって御即位をお遂げあそばされるなら」とばかりお考えになっては、御勤行を余念なくお勤めあそばす。

 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしに免じて、春宮の罪障を軽くして、お宥しくださいまし」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。

 大将の君も、そのように拝察なさって、ごもっともであるとお考えになる。こちらの邸に仕える人たちも、また同様に、辛いことばかりあるので、君も世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、引き籠もっていらっしゃる。

 左大臣も、公私ともにうって変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を奉りなさるが、帝は、故院が貴くな重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、強いて御返上申されて、引き籠もっておしまいになった。

 今では、ますます右大臣一族だけが、いやが上にもお栄えになることはこの上もない。世の重鎮でいらっしゃった左大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も良識のある人は皆嘆くのであった。

 ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子は、格別である。あの右大臣家の四の君との仲も、相変わらず間遠にお通いになってはいるが、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。

 大将殿が、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして自分などは当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。

 昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの、張り合っていらっしゃる。

 春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のものでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会や韻塞ぎなどの気楽な遊びなどをして、気を晴らし、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。

 [第三段 韻塞ぎに無聊を送る]

 夏の雨が静かに降って、所在ないころ、三位中将が、時節に相応しい詩集類をたくさん供人に持たせて参上なさった。源氏の二条院でも、文庫を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古い詩集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々を、特別にというのではないが、大勢お召しになった。殿上人も大学寮の人も、とてもたくさん集まって、左方と右方とに、交互に組をお分けになった。賭物なども、又となく素晴らしい物で、競い合った。

 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、源氏の君が時々口にされるご様子は、実に深いご学殖である。

 〔参会者〕「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」
 〔参会者〕「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」

 と、お褒め申し上げる。最後には、右方が負けた。

 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類や賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々を大勢招いて、漢詩文などをお作らせになる。

 階段のもとの薔薇が、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで管弦の合奏をなさる。

 中将のご子息で、今年初めて童殿上する子が、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、源氏の君はかわいがり、お相手になさる。四の君腹の二郎君であった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡うのが、とてもかわいらしい。源氏の大将の君は、お召物を脱いでお与えになる。

 いつもよりは、酔い乱れなさったお顔の色つやが、他に似るものがなく素晴らしく見える。羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌は、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙を落としながら座っていた。「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将が源氏の君に、お盃を差し上げなさる。

 〔三位中将〕「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に
  劣らないお美しさのわが君でございます」

 苦笑して、盃をお受けになる。

 〔源氏〕「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
  萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく
 すっかり衰えてしまったものを」

 と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に盃をお進めになる。

 多く詠まれたらしい歌も、このような時の、真面目でない歌を数々書き連ねるのもはしたないことだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、やっかいなので省略した。すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。ご自身でも、たいそう自負されて、

 〔源氏〕「私は、文王の子、武王の弟である」

 と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。それでは「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。そればかりは、気がかりであろうよ。

 兵部卿宮も、常にお越しになっては、管弦のお遊びなども嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。

 

第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見

 [第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される]
 
 そのころ、尚侍の君が里邸に退出なさっていた。瘧病に長く患いなさって、加持や祈祷なども気がねなく行おうとしてであった。修法などを始めて、お治りになったので、どなたもどなたも喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。
 
 女君はまことに女盛りで、快活で派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところは、実に魅力的である。
 
 大后の宮も同じ里邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、大后の宮には、このようなことがあって、とは申し上げない。
 
 右大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、皇后宮職の官人たちなどが立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房たちもおろおろと恐がって、近くに参集していたので、源氏の君はまことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり夜が明けてしまった。
 
 御帳台のまわりにも、女房たちが大勢並んで伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。事情を知っている女房二人ほどは、どうしたらよいか分からないでいる。
 
 雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、右大臣が渡っていらして、まずは大后の宮のお部屋にいらっしゃったのを、村雨の音に紛れてそれをご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、
 
 〔右大臣〕「いががですか。とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。中将や、宮の亮などは、お側にいましたか」
 
 などと、おっしゃる様子が早口で軽率なのを、大将の君は、このような危険な時にでも、左大臣のご様子を、ふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。いかにも、すっかり部屋の中に入ってからおっしゃればよいものを。
 
 尚侍の君は、とても困ったこととお思いになって、静かに御帳の外にいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」とご覧になって、
 
 〔右大臣〕「どうして、まだお顔色がいつもと違うのでしょうか。物の怪などがしつこいから。修法を続けさせるべきであった」
 
 とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に、歌などを書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、

 〔右大臣〕「あれは、誰のものですか。見慣れない物ですね。見せてください。それを手に取って、誰のものか調べよう」
 
 とおっしゃるので、女君も振り返って見て、ご自分でもお見つけになった。ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げられよう。呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣なので、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男までがいる。今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと隠そうとする。あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。
 
 尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。大将殿も、「困ったことになった。とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。

 [第二段 右大臣、源氏追放を画策する]
 
 大臣は、思ったままを口に出し、胸に収めて置くことのできない性格の上に、ますます老人の僻みまでがお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか、ずけずけと大后の宮にも訴え申し上げなさる。

 〔右大臣〕「これこれしかじかのことがございます。この懐紙は、右大将のご筆跡である。以前にも、親の許しを受けないで始まった仲ではあるが、人品の良さに免じていろいろと我慢して、それでは婿殿にしようかと言いました時には、心も止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、帝がお見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり宮中に差し上げながらも、やはりその遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再びこのような事までがございましたのでは、改めてたいそう嫌な気持ちになってしまいました。男の習性とは言いながら、大将も、まことにけしからんご性癖であるよ。斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分自身にとっても、決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことはし出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子は、格別のようなので、大将のお心を疑ってもみなかった」

 などとおっしゃると、大后の宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、

 〔弘徽殿〕「帝とは申し上げるが、昔から、どの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で春宮でいっしゃる方には、差し上げないで、弟の源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取って置いて、さらにまた、この妹君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、春宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」

 と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、

 〔右大臣〕「まあ仕方ない。暫くの間、この話を漏らすまい。帝にも奏上あそばすな。このように罪がありましても、帝がお捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」

 などと、お取りなし申されるが、格別ご機嫌も直らない。

 「このように同じ邸にいらして、忍び入る隙もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し、愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。

源氏物語の世界ヘ
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ローマ字版
大島本
自筆本奥入