ただ今、修行中。
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奈穂先輩発見。 |
オシャレでない方の学生食堂で、食後に少し冷めたお茶をたんのうしていた時だった。今日は一人で、一緒に食べている友人もなし。あまりおいしいとは言えないが、財布にはやさしいモノをのんびりと胃に流し込んだ後の、無料で飲めるお茶。幸せを実感するひとときだ。実家暮らしとはいえ、節約することに越したことはない。 |
奈穂先輩は、積まれた研究書を何冊も両手で抱えていた。ものすごく重そうだが、奈穂先輩の口ぐせは、本の重さは好きだから大丈夫、というもので、ふだんからかばんには二、三冊は常備している人だから平気なのかもしれない。 |
方向からして、心理棟へ向かっているのだろう。しかし、足取りはどこか危なげで、下ばかり見ているのが気になる。しかも、音楽を聴いているのか、イヤホンをしっぱなしだ。 |
奈穂先輩の進路を何とはなしにチェックしてみると、集団でがたいのでかい奴等がなにやら盛り上がっていた。ふらふらと歩いてくる先輩に気づいているとはとうてい思えない。 |
お茶を片付けるのも後回しにして、ぼくは食堂の前の道に飛び出した。 |
あまり背の高くない奈穂先輩は、ちょうど巨大な彼らの影になって見えなかった。今にもぶつかるっ……と思っていたのだが、なんなく彼らは奈穂先輩を避け、ダベりながら通り過ぎていった。奈穂先輩といえば、何と、曲に聞き入っているのか、目まで閉じて歩いている。ちょっとした修行僧のようだ。いや、女の人だから尼さんか? |
あぜんとしたぼくは、奈穂先輩を叱るために、一歩前へ出た。 |
すると、先輩はぱっと目を開いた。いつもの、とても冷静な目で、とても何かにうっとりしていたようには思えない。いやな予感がした。 |
「おう」 |
手を上げられない状態で、気持ち目線を上げて奈穂先輩はぼくにあいさつをした。ぼくはそれに応えられる気分ではなく。 |
「目を閉じて歩いてたりしたら、危ないじゃないですか」 |
奈穂先輩の抱えていた本を少しわけてもらうと、ありがとう、と奈穂先輩は顔をしかめるように言った。 |
「見てたのか」 |
片手で本を持ち、奈穂先輩はイヤホンをはずして白いコードごと、ぐしゃっとポケットにしまった。しかし、携帯プレーヤーの音楽を止める気配はない。いーやーなー予感がした。 |
「音楽、聞いてたんじゃないんですか」 |
「聞いてない。イヤホンをしてただけだ」 |
ぐっと黙り込んだぼくを見上げて、にやっと笑う。 |
「他人に避けさせる技を知ってるか」 |
もう、予感ですらない。 |
「まず、目線を必ず相手から逸らす。いかにも、相手が見えていないかのような目線とする。聴覚が万全の体制なら、目をつぶるのが理想的だ」 |
あー、聞きたくないけど、手がいっぱいで耳がふさげない。 |
「ちょっとふらふらしてみたり、音がきこえない状態であるふりをするのも効果的だが、相手も同じ状態だと意味がないので、いつでも相手をよけられるように、聞き耳をたてているのがポイントだ」 |
いつも機嫌悪そうな顔しかしていないのに、こんなときばかりはにこにことしている奈穂先輩は、顔だけ見ればたいへん可愛らしい。凶悪なことに。 |
ああ、奈穂先輩のお父さん、お母さん、どんな育て方したらこんな子になってしまうのですか……。まだ健在と聞いている先輩の両親に問いかける目は、自然と天を向いてしまう。 |
「重い物持ってるときぐらいしかやらないから、大丈夫だぞー」 |
少し薄い色の青空は、ぼくの心とはうらはらに、晴れ渡っていた。 |
おわり
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Last modified 2008.4.23.
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