分離派建築博物館・・・展示室・・・

森田 慶一 (1895〜1983)


 東京帝国大学を卒業後一旦は内務省に奉職、その後年武田五一に招かれて京都大学で教鞭を執ることになる。大学時代、
(分離派メンバーの大半は意匠班に属していたが)森田は構造班に属しつつも分離派への誘いを受け、その一員となった。
 分離派としての活動時期において、「構造に就いて」(第三刊作品集所収,1924)の中で「構立て(くみたて)」という概
念を提示しつつ、単なる構造体を超えた構築性に建築美の本質を求めた。また建築作品としては、尖頭アーチを配した
「農学部正門」や「楽友会館」を残す。
 生涯に渡り学者としてギリシャ古典主義建築の研究、特にヴィトルヴィウスの建築書の翻訳などで大きな業績を残した
ことで知られるが、寡作ながら建築作品も残している。


公館(「分離派建築会の作品 3」)

京都にて
-1-ある役所
京都帝国大学楽友会館現存する
京都帝国大学農学部表門,門衛所現存する

古典へ
-1- 北野病院現存しない
基礎物理学研究所湯川記念館現存する
十六銀行熱田支店現存する
中之島図書館事務棟現存する