分離派建築博物館--蔵田 周忠 --

分離派との出会い 〜「分離派建築会の作品」からの計画案等〜 -1-


中央行政庁正面,停車場案立面,東京駅東口試案平面稿

設計:蔵田 周忠............................年代:1924(大正13)年







上左−中央行政庁正面,,上右−停車場案立面,,下−東京駅東口試案平面(いずれも「分離派建築会作品 第三」より)


これらの計画案から、歴史様式によらない新たな創を模索する姿勢が感じられる。特に東京駅東口案は好評で
あったそうである。

燕楽軒(外装)

設計:蔵田 周忠.........................................場所:東京都文京区............................年代:1924(大正13)年.................................................................現存しない



「燕楽軒」--外観(「建築新潮」(大正13年7月号)より)

「燕楽軒」は、かつて本郷3丁目の交差点付近にあったレストラン。  震災バラックの外装として行われた。    
「分離派建築会の作品」会誌の自説解説文中に「燕楽軒」の仕事についての記載がみられる。      
分離派のトレードマークとまで言えそうな放物線のモチーフを早速外壁いっぱいに表現している。(後に蔵田の
勤務していた関根建築事務所で担当した不動貯蓄銀行上野支店でも、ファサード全面に同様の大きな放物線の
アウトラインが描かれた)