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渋谷栄一校訂(C)

  

東屋

薫君の大納言時代二十六歳秋八月から九月までの物語

 [主要登場人物]

 薫<かおる>
呼称---右大将・大将殿・大将・殿・君、源氏の子
 匂宮<におうのみや>
呼称---兵部卿宮・宮、今上帝の第三親王
 今上帝<きんじょうてい>
呼称---帝・内裏・当代、朱雀院の第一親王
 明石中宮<あかしのちゅうぐう>
呼称---大宮・后の宮、源氏の娘
 夕霧<ゆうぎり>
呼称---右の大殿・大殿、源氏の長男
 紅梅大納言<こうばいのだいなごん>
呼称---按察使大納言、致仕大臣の二男
 女三の宮<おんなさんのみや>
呼称---母宮・入道の宮、薫の母
 女二の宮<おんなにのみや>
呼称---姫宮・宮・帝の御かしづき女・当代の御かしづき女、今上帝の第二内親王
 中君<なかのきみ>
呼称---宮の上・宮の北の方・上・女君・君、八の宮の二女
 浮舟<うきふね>
呼称---姫君・御方・西の御方・君、八の宮の三女
 弁尼君<べんのあまぎみ>
呼称---弁の尼君・尼君・弁
 左近少将<さこんのしょうしょう>
呼称---左近の少将殿・少将殿・少将の君・少将・朝臣、浮舟への求婚者
 中将の君<ちゅうじょうのきみ>
呼称---常陸殿・母北の方・母君・母上・北の方、浮舟の母
 常陸介<ひたちのすけ>
呼称---常陸守・守・守の主・父主、浮舟の継父
 浮舟の乳母<うきふねのめのと>
呼称---御方の乳母・乳母
第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻
  1. 浮舟の母、娘の良縁を願う---筑波山を分け見まほしき御心はありながら
  2. 継父常陸介と求婚者左近少将---守も卑しき人にはあらざりけり
  3. 左近少将、浮舟が継子だと知る---かくて、この少将、契りしほどを待ちつけで
  4. 左近少将、常陸介の実娘を所望す---この人、追従あるうたてある人の心にて
  5. 常陸介、左近少将に満足す---この人は、妹のこの西の御方にあるたよりに
  6. 仲人、左近少将を絶賛す---よろしげなめりと、うれしく思ふ
  7. 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える---「このころの御徳などの心もとなからむことは
  8. 浮舟の縁談、破綻す---北の方は、人知れずいそぎ立ちて、人びとの装束せさせ
第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
  1. 浮舟の母と乳母の嘆き---こなたに渡りて見るに、いとらうたげにをかしげにて
  2. 継父常陸介、実娘の結婚の準備---守は急ぎたちて、「女房など、こなたにめやすき
  3. 浮舟の母、京の中君に手紙を贈る---母君、御方の乳母、いとあさましく思ふ
  4. 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す---守、少将の扱ひを、いかばかりめでたきことをせむと
  5. 浮舟の母、匂宮と中君夫妻を垣間見る---宮渡りたまふ。ゆかしくてもののはさまより見れば
  6. 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望---宮、日たけて起きたまひて、「后の宮、例の
第三章 浮舟の物語 浮舟の母、中君に娘の浮舟を託す
  1. 浮舟の母、中君と談話す---女君の御前に出で来て、いみじくめでたてまつれば
  2. 浮舟の母、娘の不運を訴える---こまかにはあらねど、人も聞きけりと思ふに
  3. 浮舟の母、薫を見て感嘆す---容貌も心ざまも、え憎むまじうらうたげなり
  4. 中君、薫に浮舟を勧める---例の、物語いとなつかしげに聞こえたまふ
  5. 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う---「さらば、その客人に、かかる心の願ひ年経ぬるを
  6. 浮舟の母、中君に娘を託す---君は、忍びてのたまひつることを、ほのめかしのたまふ
第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
  1. 匂宮、二条院に帰邸---車引き出づるほどの、すこし明うなりぬるに
  2. 匂宮、浮舟に言い寄る---夕つ方、宮こなたに渡らせたまへれば
  3. 浮舟の乳母、困惑、右近、中君に急報---乳母、人げの例ならぬを、あやしと思ひて
  4. 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出---「上達部あまた参りたまふ日にて
  5. 乳母、浮舟を慰める---恐ろしき夢の覚めたる心地して、汗におし浸して
  6. 匂宮、宮中へ出向く---宮は、急ぎて出でたまふなり。内裏近き方にやあらむ
  7. 中君、浮舟を慰める---この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど
  8. 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう---絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて
第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
  1. 乳母の急報に浮舟の母、動転す---乳母、車請ひて、常陸殿へ住ぬ。北の方に
  2. 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す---かやうの方違へ所と思ひて、小さき家
  3. 母、左近少将と和歌を贈答す---少将の扱ひを、守は、またなきものに思ひ急ぎて
  4. 母、薫のことを思う---「故宮の御こと聞きたるなめり」と思ふに
  5. 浮舟の三条のわび住まい---旅の宿りは、つれづれにて、庭の草もいぶせき心地
第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
  1. 薫、宇治の御堂を見に出かける---かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ
  2. 薫、弁の尼に依頼して出る---「などてか。ともかくも、人の聞き伝へばこそあらめ
  3. 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる---のたまひしまだつとめて、睦ましく思す下臈侍
  4. 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う---宵うち過ぐるほどに、「宇治より人参れり」とて
  5. 薫と浮舟、宇治へ出発---ほどもなう明けぬ心地するに、鶏などは鳴かで
  6. 薫と浮舟の宇治への道行き---「近きほどにや」と思へば、宇治へおはするなりけり
  7. 宇治に到着、薫、京に手紙を書く---おはし着きて、「あはれ、亡き魂や宿りて
  8. 薫、浮舟の今後を思案す---うちとけたる御ありさま、今すこしをかしくて
  9. 薫と浮舟、琴を調べて語らう---ここにありける琴、箏の琴召し出でて

【出典】
【校訂】

 

第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻

 [第一段 浮舟の母、娘の良縁を願う]

 筑波山を分けまほしき御心はありながら、端山の繁りまであながちに思ひ入らむも、いと人聞き軽々しう、かたはらいたかるべきほどなれば、思し憚りて、御消息をだにえ伝へさせたまはず。

 かの尼君のもとよりぞ、母北の方にのたまひしさまなど、たびたびほのめかしおこせけれど、まめやかに御心とまるべきこととも思はねば、ただ、さまでも尋ね知りたまふらむこと、とばかりをかしう思ひて、人の御ほどのただ今世にありがたげなるをも、数ならましかば、などぞよろづに思ひける。

 守の子どもは、母亡くなりにけるなど、あまた、この腹にも、姫君とつけてかしづくあり、まだ幼きなど、すぎすぎに五、六人ありければ、さまざまにこの扱ひをしつつ、異人と思ひ隔てたる心のありければ、常にいとつらきものに守をも恨みつつ、「いかでひきすぐれて、おもだたしきほどにしなしても見えにしがな」と、明け暮れ、この母君は思ひ扱ひける。

 さま容貌の、なのめに、とりまぜてもありぬべくは、いとかうしも何かは苦しきまでももてなやまじ、同じごと思はせてもありぬべき世を、ものにも混じらず、あはれにかたじけなく生ひ出でたまへば、あたらしく心苦しき者に思へり。

 娘多かりと聞きて、なま君達めく人びとも、おとなひ言ふ、いとあまたありけり。初めの腹の二、三人は、皆さまざまに配りて、大人びさせたり。今はわが姫君を、「思ふやうにて見たてまつらばや」と、明け暮れ護りて、なでかしづくこと限りなし。

 [第二段 継父常陸介と求婚者左近少将]

 守も卑しき人にはあらざりけり。上達部の筋にて、仲らひもものきたなき人ならず、徳いかめしうなどあれば、ほどほどにつけては思ひ上がりて、家の内もきらきらしく、ものきよげに住みなし、事好みしたるほどよりは、あやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける。

 若うより、さる東方の、遥かなる世界に埋もれて年経ければにや、声などほとほとうちゆがみぬべく、ものうち言ふ、すこしたみたるやうて、豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚り懼ぢ、すべていとまたく隙間なき心もあり。

 をかしきさまに琴笛の道は遠う、弓をなむいとよく引ける。なほなほしきあたりともいはず、勢ひに引かされて、よき若人ども、装束ありさまはえならず調へつつ、腰折れたる歌合せ、物語、庚申をし、まばゆく見苦しく、遊びがちに好めるを、この懸想の君達、

 「らうらうじくこそあるべけれ。容貌なむいみじかなる」

 など、をかしき方に言ひなして、心を尽くし合へる中に、左近少将とて、年二十二、三ばかりのほどにて、心ばせしめやかに、才ありといふ方は、人に許されたれど、きらきらしう今めいてなどはえあらぬにや、通ひし所なども絶えて、いとねむごろに言ひわたりけり。

 この母君、あまたかかること言ふ人びとの中に、

 「この君は、人柄もめやすかなり。心定まりてももの思ひ知りぬべかなるを、人もあてなりや。これよりまさりて、ことことしき際の人はた、かかるあたりを、さいへど、尋ね寄らじ」

 と思ひて、この御方に取りつぎて、さるべき折々は、をかしきさまに返り事などせさせたてまつる。心一つに思ひまうく。

 「守こそおろかに思ひなすとも、我は命を譲りてかしづきて、さま容貌のめでたきを見つきなば、さりとも、おろかになどは、よも思ふ人あらじ」

 と思ひ立ち、八月ばかりと契りて、調度をまうけ、はかなき遊びものをせさせても、さまことにやうをかしう、蒔絵、螺鈿のこまやかなる心ばへまさりて見ゆるものをば、この御方にと取り隠して、劣りのを、

 「これなむよき」

 とて見すれば、守はよくしも見知らず、そこはかとない物どもの、人の調度といふ限りは、ただとり集めて並べ据ゑつつ、目をはつかにさし出づるばかりにて、琴、琵琶の師とて、内教坊のわたりより迎へ取りつつ習はす。

 手一つ弾き取れば、師を立ち居拝みてよろこび、禄を取らすること、埋むばかりにてもて騒ぐ。はやりかなる曲物など教へて、師と、をかしき夕暮などに、弾き合はせて遊ぶ時は、涙もつつまず、をこがましきまで、さすがにものめでしたり。かかることどもを、母君は、すこしもののゆゑ知りて、いと見苦しと思へば、ことにあへしらはぬを、

 「吾子をば、思ひ落としたまへり」

 と、常に恨みけり。

 [第三段 左近少将、浮舟が継子だと知る]

 かくて、この少将、契りしほどを待ちつけで、「同じくは疾く」とせめければ、わが心一つに、かう思ひ急ぐも、いとつつましう、人の心の知りがたさを思ひて、初めより伝へそめける人の来たるに、近う呼び寄せて語らふ。

 「よろづ多く思ひ憚ることの多かるを、月ごろかうのたまひてほど経ぬるを、並々の人にもものしたまはねば、かたじけなう心苦しうて。かう思ひ立ちにたるを、親などものしたまはぬ人なれば、心一つなるやうにて、かたはらいたう、うちあはぬさまに見えたてまつることもやと、かねてなむ思ふ。

 若き人びとあまたはべれど、思ふ人具したるは、おのづからと思ひ譲られて、この君の御ことをのみなむ、はかなき世の中を見るにも、うしろめたくいみじきを、もの思ひ知りぬべき御心ざまと聞きて、かうよろづのつつましさを忘れぬべかめるをしも、もし思はずなる御心ばへも見えば、人笑へに悲しうなむ」

 と言ひけるを、少将の君に参うでて、

 「しかしかなむ」

 と申しけるに、けしき悪しくなりぬ。

 「初めより、さらに、守の御娘にあらずといふことをなむ聞かざりつる。同じことなれど、人聞きもけ劣りたる心地して、出で入りせむにもよからずなむあるべき。ようも案内せで、浮かびたることを伝へける」

 とのたまふに、いとほしくなりて、

 「詳しくも知りたまへず。女どもの知るたよりにて、仰せ言を伝へ始めはべりしに、中にかしづく娘とのみ聞きはべれば、守のにこそは、とこそ思ひたまへつれ。異人の子持たまへらむとも、問ひ聞きはべらざりつるなり。

 容貌、心もすぐれてものしたまふこと、母上のかなしうしたまひて、おもだたしう気高きことをせむと、あがめかしづかると聞きはべりしかば、いかでかの辺のこと伝へつべからむ人もがな、とのたまはせしかば、さるたより知りたまへりと、取り申ししなり。さらに、浮かびたる罪、はべるまじきことなり」

 と、腹悪しく言葉多かる者にて、申すに、君、いとあてやかならぬさまにて、

 「かやうのあたりに行き通はむ、人のをさをさ許さぬことなれど、今様のことにて、咎あるまじう、もてあがめて後見だつに、罪隠してなむあるたぐひもあめるを、同じこととうちうちには思ふとも、よそのぼえなむ、へつらひて人言ひなすべき。

 源少納言讃岐守などの、うけばりたるけしきにて出で入らむに、守にもをさをさ受けられぬさまにて交じらはむなむ、いと人げなかるべき」

 とのたまふ。

 [第四段 左近少将、常陸介の実娘を所望す]

 この人、追従あるうたてある人の心にて、これをいと口惜しう、こなたかなたに思ひければ、

 「まことに守の娘と思さば、まだ若うなどおはすとも、しか伝へはべらむかし。中にあたるなむ、姫君とて、守、いとかなしうしたまふなる」

 と聞こゆ。

 「いさや。初めよりしか言ひ寄れることをおきて、また言はむこそうたてあれ。されど、わが本意は、かの守の主の、人柄もものものしく、大人しき人なれば、後見にもせまほしう、見るところありて思ひ始めしことなり。もはら顔、容貌のすぐれたらむ女の願ひもなし。品あてに艶ならむ女を願はば、やすく得つべし。

 されど、寂しうことうち合はぬ、みやび好める人の果て果ては、ものきよくもなく、人にも人ともおぼえたらぬを見れば、すこし人にそしらるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり。守に、かくなむと語らひて、さもと許すけしきあらば、何かは、さも」

 とのたまふ。

 [第五段 常陸介、左近少将に満足す]

 この人は、妹のこの西の御方にあるたよりに、かかる御文なども取り伝へはじめけれど、守には詳しくも見え知られぬ者なりけり。ただ行きに、守の居たりける前に行きて、

 「とり申すべきことありて」

 など言はす。

 「このわたりに時々出で入りはすと聞けど、前には呼び出でぬ人の、何ごと言ひにかあらむ」

 と、なま荒々しきけしきなれど、

 「左近少将殿の御消息にてなむさぶらふ」

 と言はせたれば、会ひたり。語らひがたげなる顔して、近うゐ寄りて、

 「月ごろ、内の御方に消息聞こえさせたまふを、御許しありて、この月のほどにと契りきこえさせたまふことはべるを、日をはからひて、いつしかと思すどに、ある人の申しけるやう、

 『まことに北の方の御はからひにものしたまへど、守の殿の御娘にはおはせず。君達のおはし通はむに、世の聞こえなむへつらひたるやうならむ。受領の御婿になりたまふかやうの君達は、ただ私の君のごとく思ひかしづきたてまつり、手に捧げたるごと思ひ扱ひ後見たてまつるにかかりてなむ、さる振る舞ひしたまふ人びとものしたまふめるを、さすがにその御願ひはあながちなるやうにて、をさをさ受けられたまはで、け劣りておはし通はむこと、便なかりぬべきよし』

 をなむ、切にそしり申す人びとあまたはべるなれば、ただ今思しわづらひてなむ。

 『初めよりただきらぎらしう、人の後見と頼みきこえむに、堪へたまへる御おぼえを選び申して、聞こえ始め申ししなり。さらに、異人ものしたまふらむといふこと知らざりければ、もとの心ざしのままに、まだ幼きものあまたおはすなるを、許いたまはば、いとどうれしくなむ。御けしき見て参うで来』

 と仰せられつれば」

 と言ふに、守、

 「さらに、かかる御消息はべるよし、詳しく承らず。まことに同じことに思うたまふべき人なれど、よからぬ童べあまたはべりて、はかばかしからぬ身に、さまざま思ひたまへ扱ふほどに、母なる者も、これを異人と思ひ分けたることと、くねり言ふことはべりて、ともかくも口入れさせぬ人のことにはべれば、ほのかに、しかなむ仰せらるることはべりとは聞きはべりしかど、なにがしを取り所に思しける御心は、知りはべらざりけり。

 さるは、いとうれしく思ひたまへらるる御ことにこそはべるなれ。いとらうたしと思ふ女の童は、あまたの中に、これをなむ命にも代へむと思ひはべる。のたまふ人びとあれど、今の世の人の御心、定めなく聞こえはべるに、なかなか胸いたき目をや見むの憚りに、思ひ定むることもなくてなむ。

 いかでうしろやすくも見たまへおかむと、明け暮れかなしく思うたまふるを、少将殿におきたてまつりては、故大将殿にも、若くより参り仕うまつりき。家の子にて見たてまつりしに、いと警策に、仕うまつらまほしと、心つきて思ひきこえしかど、遥かなる所に、うち続きて過ぐしはべる年ごろのほどに、うひうひしくおぼえはべりてなむ、参りも仕まつらぬを、かかる御心ざしのはべりけるを。

 返す返す、仰せの事たてまつらむはやすきことなれど、月ごろの御心違へたるやうに、この人、思ひたまへむことをなむ、思うたまへ憚りはべる」

 と、いとこまやかに言ふ。

 [第六段 仲人、左近少将を絶賛す]

 よろしげなめりと、うれしく思ふ。

 「何かと思し憚るべきことにもはべらず。かの御心ざしは、ただ一所の御許しはべらむを願ひ思して、『いはけなく年足らぬほどにおはすとも、真実のやむごとなく思ひおきてたまへらむをこそ、本意叶ふにはせめ。もはらさやうのほとりばみたらむ振る舞ひすべきにもあらず』と、なむのたまひつる。

 人柄はいとやむごとなく、おぼえ心にくくおはする君なりけり。若き君達とて、好き好きしくあてびてもおはしまさず、世のありさまもいとよく知りたまへり。領じたまふ所々もいと多くはべりまだころ御徳なきやうなれど、おのづからやむごとなき人の御けはひのありげなるやう、直人の限りなき富といふめる勢ひには、まさりたまへり。来年、四位になりたまひなむ。こたみの頭は疑ひなく、帝の御口づからてたまへるなり。

 『よろづのこと足らひてめやすき朝臣の、妻をなむ定めざなる。はやさるべき人選りて、後見をまうけよ。上達部には、我しあれば、今日明日といふばかりになし上げてむ』とこそ仰せらるなれ。何事も、ただこの君ぞ、帝にも親しく仕うまつりたまふなる。

 御心はた、いみじう警策に、重々しくなむおはしますめる。あたら人の御婿を。かう聞きたまふほどに、思ほし立ちなむこそよからめ。かの殿には、我も我も婿にとりたてまつらむと、所々にはべるなれば、ここにしぶしぶなる御けはひあらば、他ざまにも思しなりなむ。これ、ただうしろやすきことをとり申すなり」

 と、いと多く、よげに言ひ続くるに、いとあさましく鄙びたる守にて、うち笑みつつ聞きゐたり。

 [第七段 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える]

 「このころの御徳などの心もとなからむことは、なのたまひそ。なにがし命はべらむほどは、頂に捧げたてまつりてむ。心もとなく、何を飽かぬとか思すべき。たとひあへずして仕うまつりさしつとも、残りの宝物、領じはべる所々、一つにてもまた取り争ふべき人なし。

 子ども多くはべれど、これはさま異に思ひそめたる者にはべり。ただ真心に思し顧みさせたまはば、大臣の位を求めむと思し願ひて、世になき宝物をも尽くさむとしたまはむに、なきものはべるまじ。

 当時の帝、しか恵み申したまふなれば、御後見は心もとなかるまじ。これ、かの御ためにも、なにがしが女の童のためにも、幸ひとあるべきことにやとも知らず」

 と、よろしげに言ふ時に、いとうれしくなりて、妹にもかかることありとも語らず、あなたにも寄りつかで、守の言ひつることを、「いともいともよげにめでたし」と思ひて聞こゆれば、君、「すこし鄙びてぞある」とは聞きたまへど、憎からず、うち笑みて聞きゐたまへり。大臣にならむ贖労を取らむなどぞ、あまりおどろおどろしきことと、耳とどまりける。

 「さて、かの北の方には、かくとものしつや。心ざしことに思ひ始めたまへらむに、ひき違へたらむ、ひがひがしくねぢけたるやうにとりなす人もあらむ。いさや」

 と思したゆたひたるを、

 「何か。北の方も、かの姫君をば、いとやむごとなきものに思ひかしづきたてまつりたまふなりけり。ただ中のこのかみにて、年も大人びたまふを、心苦しきことに思ひて、そなたにとおもむけて申されけるなりけり」

 と聞こゆ。「月ごろは、またなく世の常ならずかしづくと言ひつるものの、うちつけにかく言ふもいかならむと思へども、なほ、一わたりはつらしと思はれ、人にはすこし誹らるとも、長らへて頼もしき事をこそ」と、いとまたくかしこき君にて、思ひ取りてければ、日をだにとり替へで、契りし暮れにぞ、おはし始めける。

 [第八段 浮舟の縁談、破綻す]

 北の方は、人知れずいそぎ立ちて、人びとの装束せさせ、しつらひなどよしよししうしたまふ。御方をも、頭洗はせ、取りつくろひて見るに、少将などいふほどの人に見せむも、惜しくあたらしきさまを、

 「あはれや。親に知られたてまつりて生ひ立ちたまはましかば、おはせずなりにたれども、大将殿ののたまふらむさまに、おほけなくとも、などかは思ひ立たざらまし。されど、うちうちにこそかく思へ、他の音聞きは、守の子とも思ひ分かず、また、実を尋ね知らむ人も、なかなか落としめ思ひぬべきこそ悲しけれ」

 など、思ひ続く。

 「いかがはせむ。盛り過ぎたまはむもあいなし。卑しからず、めやすきほどの人の、かくねむごろにのたまふめるを」

 など、心一つに思ひ定むるも、媒のかく言よくみじきに、女はましてすかされたるにやあらむ。明日明後日と思へば、心あわたたしくいそがしきに、こなたにも心のどかに居られたらず、そそめきありくに、守外より入り来て、ながながと、とどこほるところもなく言ひ続けて、

 「我を思ひ隔てて、吾子の御懸想人を奪はむとしたまひける、おほけなく心幼きこと。めでたからむ御娘をば、要ぜさせたまふ君達あらじ。卑しく異やうならむなにがしらが女子をぞ、いやしうも尋ねのたまふめれ。かしこく思ひ企てられけれど、もはら本意なしとて、他ざまへ思ひなりたまふべかなれば、同じくはと思ひてなむ、さらば御心、と許し申しつる」

 など、あやしく奥なく、人の思はむところも知らぬ人にて、言ひ散らしゐたり。

 北の方、あきれて物も言はれで、とばかり思ふに、心憂さかき連ね、涙も落ちぬばかり思ひ続けられて、やをら立ちぬ。

 

第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる

 [第一段 浮舟の母と乳母の嘆き]

 こなたに渡りて見るに、いとらうたげにをかしげにて居たまへる、「さりとも、人には劣りたまはじ」とは思ひ慰む。乳母と二人、

 「心憂きものは人の心なりけり。おのれは、同じごとひ扱ふとも、この君のゆかりと思はむ人のためには、命をも譲りつべくこそ思へ、親なしと聞きあなづりて、まだ幼くなりあはぬ人を、さし越えて、かくは言ひなるしや。

 かく心憂く、近きあたりに見じ聞かじと思ひぬれど、守のかくおもだたしきことに思ひて、受け取り騒ぐめれば、あひあひにたる世の人のありさまを、すべてかかることに口入れじと思ふ。いかでここならぬ所に、しばしありにしがな」

 とうち嘆きつつ言ふ。乳母もいと腹立たしく、「わが君をかく落としむること」と思ふに、

 「何か、これも御幸ひにて違ふこととも知らず。かく心口惜しくいましける君なれば、あたら御さまをも見知らざらまし。わが君をば、心ばせあり、もの思ひ知りたらむ人にこそ、見せたてまつらまほしけれ。

 大将殿の御さま容貌の、ほのかに見たてまつりしに、さも命延ぶる心地のしはべりしかな。あはれにはた聞こえたまふなり。御宿世にまかせて、思し寄りねかし」

 と言へば、

 「あな、恐ろしや。人の言ふを聞けば、年ごろ、おぼろけならむ人をば見じとのたまひて、右の大殿、按察使大納言、式部卿宮などの、いとねむごろにほのめかしたまひけれど、聞き過ぐして、帝の御かしづき女を得たまへる君は、いかばかり人かまめやかには思さむ。

 かの母宮などの御方にあらせて、時々も見むとは思しもしなむ、それはた、げにめでたき御あたりなれども、いと胸痛かるべきことなり。宮の上の、かく幸ひ人と申すなれど、もの思はしげに思したるを見れば、いかにもいかにも、二心なからむ人のみこそ、めやすく頼もしきことにはあらめ。わが身にても知りにき。

 故宮御ありさまは、いと情け情けしく、めでたくをかしくおはせしかど、人数にも思さざりしかば、いかばかりかは心憂くつらかりし。このいと言ふかひなく、情けなく、さま悪しき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年ごろをも過ぐしつるなり。

 をりふしの心ばへの、かやうに愛敬なく用意なきことこそ憎けれ、嘆かしく恨めしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心にあはぬことをばあきらめつ。上達部、親王たちにて、みやびかに心恥づかしき人の御あたりといふとも、わが数ならでは甲斐あらじ。

 よろづのこと、わが身からなりけりと思へば、よろづに悲しうこそ見たてまつれいかにして、人笑へならずしたてたてまつらむ」

 と語らふ。

 [第二段 継父常陸介、実娘の結婚の準備]

 守は急ぎたちて、

 「女房など、こなたにめやすきあまたあなるを、このほどは、あらせたまへ。やがて、帳なども新しく仕立てられためる方を、事にはかになりにためれば、取り渡し、とかく改むまじ」

 とて、西の方に来て、立ち居、とかくしつらひ騒ぐ。めやすきさまにさはらかに、あたりあたりあるべき限りしたる所を、さかしらに屏風ども持て来て、いぶせきまで立て集めて、厨子階など、あやしきまでし加へて、心をやりて急げば、北の方見苦しく見れど、口入れじと言ひてしかば、ただに見聞く。御方は、北面に居たり。

 「人の御心は、見知り果てぬ。ただ同じ子なれば、さりとも、いとかくは思ひ放ちたまはじとこそ思ひつれ。さはれ、世に母なき子は、なくやはある」

 とて、娘を、昼より乳母と二人、撫でつくろひ立てたれば、憎げにもあらず、十五、六のほどにて、いと小さやかにふくらかなる人の、髪うつくしげにて小袿のほどなり、裾いとふさやかなり。これをいとめでたしと思ひて、撫でつくろふ。

 「何か、人の異ざまに思ひ構へられける人をしも、と思へど、人柄のあたらしく、警策にものしたまふ君なれば、我も我もと、婿に取らまほしくする人の多かなるに、取られなむも口惜しくてなむ」

 と、かの仲人はかられて言ふもいとをこなり。男君も、「このほどのいかめしく思ふやうなること」と、よろづの罪あるまじう思ひて、その夜も替へず来そめぬ。

 [第三段 浮舟の母、京の中君に手紙を贈る]

 母君、御方の乳母、いとあさましく思ふ。ひがひがしきやうなれば、とかく見扱ふも心づきなければ、宮の北の方の御もとに、御文たてまつる。

 「そのこととはべらでは、なれなれしくやとかしこまりて、え思ひたまふるままにも聞こえさせぬを、つつしむべきことはべりて、しばし所変へさせむと思うたまふるに、いと忍びてさぶらひぬべき隠れの方さぶらはば、いともいともうれしくなむ。数ならぬ身一つの蔭に隠れもあへず、あはれなることのみ多くはべる世なれば、頼もしき方にはまづなむ」

 と、うち泣きつつ書きたる文を、あはれとは見たまひけれど、「故宮の、さばかり許したまはでやみにし人を、我一人残りて、知り語らはむもいとつつましく、また見苦しきさまにて世にあぶれむも、知らず顔にて聞かむこそ心苦しかるべけれ。ことなることなくてたみに散りぼはむも、亡き人の御ために見苦しかるべきわざ」を思しわづらふ。

 大輔がもとにも、いと心苦しげに言ひやりたりければ、

 「さるやうこそははべらめ。人憎くはしたなくも、なのたまはせそ。かかる劣りの者の、人の御中に交じりたまふも、世の常のことなり」

 など聞こえて、

 「さらば、かの西の方に、隠ろへたる所し出でて、いとむつかしげなめれど、さても過ぐいたまひつべくは、しばしのほど」

 と言ひつかはしつ。いとうれしと思ほして、人知れず出で立つ。御方も、かの御あたりをば、睦びきこえまほしと思ふ心なれば、なかなか、かかることどもの出で来たるを、うれしと思ふ。

 [第四段 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す]

 守、少将の扱ひを、いかばかりめでたきことをせむと思ふに、そのきらきらしかるべきことも知らぬ心には、ただ、あららかなる東絹どもを、押しまろがして投げ出でつ。食ひ物も、所狭きまでなむ運び出でてののしりける。

 下衆などは、それをいとかしこき情けに思ひければ、君も、「いとあらまほしく、心かしこく取り寄りにけり」と思ひけり。北の方、「このほどを見捨てて知らざらむもひがみたらむ」と思ひ念じて、ただするままにまかせて見ゐたり。

 客人の御出居、侍ひとしつらひ騒げば、家は広けれど、源少納言、東の対には住む、男子などの多かるに、所もなし。この御方に客人住みつきぬれば、廊などほとりばみたらむに住ませたてまつらむも、飽かずとほしくおぼえて、とかく思ひめぐらすほど、宮にとは思ふなりけり。

 「この御方ざまに、数まへたまふ人のなきを、あなづるなめり」と思へば、ことに許いたまはざりしあたりを、あながちに参らず。乳母、若き人びと、二、三人ばかりして、西の廂の北に寄りて、人げ遠き方に局したり。

 年ごろ、かくはかなかりつれど、疎く思すまじき人なれば、参る時は恥ぢたまはず、いとあらまほしく、けはひことにて、若君の御扱ひをしておはする御ありさま、うらやましくおぼゆるもあはれなり。

 「我も、故北の方には、離れたてまつるべき人かは。仕うまつるといひしばかりに、数まへられたてまつらず、口惜しくて、かく人にはあなづらるる」

 と思ふには、かくしひて睦びきこゆるもあぢきなし。ここには、御物忌と言ひてければ、人も通はず。二、三日ばかり母君もゐたり。こたみは、心のどかにこの御ありさまを見る。

 [第五段 浮舟の母、匂宮と中君夫妻を垣間見る]

 宮渡りたまふ。ゆかしくてもののはさまより見れば、いときよらに、桜を折りたるさましたまひて、わが頼もし人に思ひて、恨めしけれど、心には違はじと思ふ常陸守より、さま容貌も人のほども、こよなく見ゆる五位四位ども、あひひざまづきさぶらひて、このことかのことと、あたりあたりのことども、家司どもなど申す。

 また若やかなる五位ども、顔も知らぬどもも多かり。わが継子の式部丞にて蔵人なる、内裏の御使にて参れり。御あたりにもえ近く参らず。こよなき人の御けはひを、

 「あはれ、こは何人ぞ。かかる御あたりにおはするめでたさよ。よそに思ふ時は、めでたき人びとと聞こゆとも、つらき目見せたまはばと、もの憂く推し量りきこえさせつらむあさましさよ。この御ありさま容貌を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」

 と思ふに、若君抱きてうつくしみおはす。女君、短き几帳を隔てておはするを、押しやりて、ものなど聞こえたまふ御容貌ども、いときよらに似合ひたり。故宮寂しくおはせし御ありさまを思ひ比ぶるに、「宮たちと聞こゆれど、いとこよなきわざにこそありけれ」とおぼゆ。

 几帳の内に入りたまひぬれば、若君は、若き人、乳母などもてあそびきこゆ。人びと参り集まれど、悩ましとて、大殿籠もり暮らしつ。御台こなたに参る。よろづのこと気高く、心ことに見ゆれば、わがいみじきことを尽くすと見思へど、「なほなほしき人のあたりは、口惜しかりけり」と思ひなりぬれば、「わが娘も、かやうにてさし並べたらむには、かたはならじかし。勢ひを頼みて、父ぬしの、后にもなしてむと思ひたる人びと、同じわが子ながら、けはひこよなきを思ふも、なほ今よりのちも、心は高くつかふべかりけり」と、夜一夜あらまし語り思ひ続けらる。

 [第六段 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望]

 宮、日たけて起きたまひて、

 「后の宮、例の、悩ましくしたまへば、参るべし」

 とて、御装束などしたまひておはす。ゆかしうおぼえて覗けば、うるはしくひきつくろひたまへる、はた、似るものなく気高く愛敬づききよらにて、若君をえ見捨てたまはで遊びおはす。御粥、強飯など参りてぞ、こなたより出でたまふ。

 今朝より参りて、さぶらひの方にやすらひける人びと、今ぞ参りてものなど聞こゆる中に、きよげだちて、なでふことなき人のすさまじき顔したる、直衣着て太刀佩きたるあり。御前にて何とも見えぬを、

 「かれぞ、この常陸守の婿の少将な。初めは御方にと定めけるを、守の娘を得てこそいたはられめ、など言ひて、かしけたる女の童を持たるななり」

 「いさ、この御あたりの人はかけても言はず。かの君の方より、よく聞くたよりのあるぞ」

 など、おのがどち言ふ。聞くらむとも知らで、人のかく言ふにつけても、胸つぶれて、少将をめやすきほどと思ひける心も口惜しく、「げに、ことなることなかるべかりけり」と思ひて、いとどしくあなづらはしく思ひなりぬ。

 若君のはひ出でて、御簾のつまよりのぞきたまへるを、うち見たまひて、立ち返り寄りおはしたり。

 「御心地よろしく見えたまはば、やがてまかでなむ。なほ苦しくしたまはば、今宵は宿直にぞ。今は、一夜を隔つるもおぼつかなきこそ苦しけれ」

 とて、しばし慰め遊ばして、出でたまひぬるさまの、返す返す見るとも見るとも、飽くまじく、匂ひやかにをかしければ、出でたまひぬる名残、さうざうしくぞ眺めらるる。

 

第三章 浮舟の物語 浮舟の母、中君に娘の浮舟を託す

 [第一段 浮舟の母、中君と談話す]

 女君の御前に出で来て、いみじくめでたてまつれば、田舎びたる、と思して笑ひたまふ。

 「故上の亡せたまひしほどは、言ふかひなく幼き御ほどにて、いかにならせたまはむと、見たてまつる人も、故宮も思し嘆きしを、こよなき御宿世のほどなりければ、さる山ふところのなかにも、生ひ出でさせたまひしにこそありけれ。口惜しく、故姫君のおはしまさずなりにたるこそ、飽かぬことなれ」

 など、うち泣きつつ聞こゆ。君もうち泣きたまひて、

 「世の中の恨めしく心細き折々も、またかくながらふれば、すこしも思ひ慰めつべき折もあるを、いにしへ頼みきこえける蔭どもに後れたてまつりけるは、なかなかに世の常に思ひなされて、見たてまつり知らずなりにければ、あるを、なほこの御ことは、尽きせずいみじくこそ。大将の、よろづのことに心の移らぬよしを愁へつつ、浅からぬ御心のさまを見るにつけても、いとこそ口惜しけれ」

 とのたまへば、

 「大将殿は、さばかり世にためしなきまで、帝のかしづき思したなるに、心おごりしたまふらむかし。おはしまさましかば、なほこのこと、せかれしもしたまはざらましや」

 など聞こゆ。

 「いさや、やうのものと、人笑はれなる心地せましも、なかなかにやあらまし。見果てぬにつけて、心にくくもある世にこそ、と思へど、かの君は、いかなるにかあらむ、あやしきまでもの忘れせず、故宮の御後の世をさへ、思ひやり深く後見ありきたまふめる」

 など、心うつくしうりたまふ。

 「かの過ぎにし御代はりに尋ねて見むと、この数ならぬ人をさへなむ、かの弁の尼君にはのたまひける。さもやと、思うたまへ寄るべきことにははべらねど、一本ゆゑにそはと、かたじけなけれど、あはれになむ思うたまへらるる御心深さなる」

 など言ふついでに、この君をもてわづらふこと、泣く泣く語る。

 [第二段 浮舟の母、娘の不運を訴える]

 こまかにはあらねど、人も聞きけりと思ふに、少将の思ひあなづりけるさまなどほのめかして、

 「命はべらむ限りは、何か、朝夕の慰めぐさにて見過ぐしつべし。うち捨てはべりなむのちは、思はずなるさまに散りぼひはべらむが悲しさに、尼になして、深き山にやし据ゑて、さる方に世の中を思ひ絶えてはべらましなどなむ、思うたまへわびては、思ひ寄りはべる」

 など言ふ。

 「げに、心苦しき御ありさまにこそはあなれど、何か、人にあなづらるる御ありさまは、かやうになりぬる人のさがにこそ。さりとても、堪へぬわざなりければ、むげにその方に思ひおきてたまへりし身だに、かく心より外にながらふれば、まいていとあるまじき御ことなり。やついたまはむも、いとほしげなる御さまにこそ」

 など、いと大人びてのたまへば、母君、いとうれしと思ひたり。ねびにたるさまなれど、よしなからぬさましてきよげなり。いたく肥え過ぎにたるなむ、常陸殿とはえける。

 「故宮の、つらう情けなく思し放ちたりしに、いとど人げなく、人にもあなづられたまふと見たまふれど、かう聞こえさせ御覧ぜらるるにつけてなむ、いにしへの憂さも慰みはべる」

 など、年ごろの物語、浮島のあはれなりしこと聞こえ出づ。

 「わが身一つののみ、言ひ合はする人もなき筑波山のありさまも、かくあきらめきこえさせて、いつも、いとかくてさぶらはまほしく思ひたまへなりはべりぬれど、かしこにはよからぬあやしの者ども、いかにたち騷ぎ求めはべらむ。さすがに心あわたたしく思ひたまへらるる。かかるほどのありさまに身をやつすは、口惜しきものになむはべりけると、身にも思ひ知らるるを、この君は、ただ任せきこえさせて、知りはべらじ」

 など、かこちきこえかくれば、「げに、見苦しからでもあらなむ」と見たまふ。

 [第三段 浮舟の母、薫を見て感嘆す]

 容貌も心ざまも、え憎むまじうらうたげなり。もの恥ぢもおどろおどろしからず、さまよう児めいたるものから、かどなからず、近くさぶらふ人びとにも、いとよく隠れてゐたまへり。ものなど言ひたるも、昔の人の御さまに、あやしきまでおぼえたてまつりてぞあるや。かの人形求めたまふ人に見せたてまつらばやと、うち思ひ出でたまふ折しも、

 「大将殿参りたまふ」

 と、人聞こゆれば、例の、御几帳ひきつくろひて、心づかひす。この客人の母君、

 「いで、見たてまつらむ。ほのかに見たてまつりける人の、いみじきものに聞こゆめれど、宮の御ありさまには、え並びたまはじ」

 と言へば、御前にさぶらふ人びと、

 「いさや、えこそ聞こえ定めね」

 と聞こえあへり。

 「いかばかりならむ人か、宮をば消ちたてまつらむ」

 など言ふほどに、「今ぞ、車より降りたまふなる」と聞くほどかしかましきまで追ひののしりて、とみにも見えたまはず待たれたまふほどに、歩み入りたまふさまを見れば、げに、あなめでた、をかしげとも見えずながらぞ、なまめかしうあてにきよげなるや。

 すずろに見え苦しう恥づかしくて、額髪などもひきつくろはれて、心恥づかしげに用意多く、際もなきさまぞしたまへる。内裏より参りたまへるなるべし、御前どものけはひあまたして、

 「昨夜、后の宮の悩みたまふよし承りて参りたりしかば、宮たちのさぶらひたまはざりしかば、いとほしく見たてまつりて、宮の御代はりに今までさぶらひはべりつる。今朝もいと懈怠して参らせたまへるを、あいなう、御あやまちに推し量りきこえさせてなむ」

 と聞こえたまへば、

 「げに、おろかならず、思ひやり深き御用意になむ」

 とばかりいらへきこえたまふ。宮は内裏にとまりたまひぬるを見おきて、ただならずおはしたるなめり。

 [第四段 中君、薫に浮舟を勧める]

 例の、物語いとなつかしげに聞こえたまふ。事に触れて、ただいにしへの忘れがたく、世の中のもの憂くなりまさるよしを、あらはには言ひなさで、かすめ愁へたまふ。

 「さしも、いかでか、世を経て心に離れずのみはあらむ。なほ、浅からず言ひ初めてしことの筋なれば、名残なからじとにや」など、見なしたまへど、人の御けしきはしるきものなれば、見もてゆくままに、あはれなる御心ざまを、岩木ならねば思ほし知る。

 怨みきこえたまふことも多かれば、いとわりなくうち嘆きて、かかる御心をやむる禊せさせたてまつらまほしく思ほすにやあらむ、かの人形のたまひ出でて、

 「いと忍びてこのわたりになむ」

 と、ほのめかしきこえたまふを、かれもなべての心地はせず、ゆかしくなりにたれど、うちつけにふと移らむ心地はたせず。

 「いでや、その本尊、願ひ満てたまふべくはこそ尊からめ、時々、心やましくは、なかなか山水も濁りぬべく」

 とのたまへば、果て果ては、

 「うたての御聖心や」

 と、ほのかに笑ひたまふも、をかしう聞こゆ。

 「いで、さらば、伝へ果てさせたまへかし。この御逃れ言葉こそ、思ひ出づればゆゆしく」

 とのたまひても、また涙ぐみぬ。

 「見し人の形代ならば身に添へて
  恋しき瀬々のなでものにせむ」

 と、例の、戯れに言ひなして、紛らはしたまふ。

 「みそぎ河瀬々に出ださむなでものを
  身に添ふ影と誰れか頼まむ

 引く手あまた、とかや。いとほしくぞはべるや」

 とのたまへば、

 「つひに寄る瀬はさらなりや。いとうれたきやうなる水の泡も争ひはべるかな。かき流さるるなでものは、いで、まことぞかし。いかで慰むべきことぞ」

 など言ひつつ、暗うなるもうるさければ、かりそめにものしたる人も、あやしくと思ふらむもつつましきを、

 「今宵は、なほ、とく帰りたまひね」

 と、こしらへやりたまふ。

 [第五段 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う]

 「さらば、その客人に、かかる心の願ひ年経ぬるを、うちつけになど、浅う思ひなすまじう、のたまはせ知らせたまひて、はしたなげなるまじうはこそ。いとうひうひしうならひにてはべる身は、何ごともをこがましきまでなむ」

 と、語らひきこえおきて出でたまひぬるに、この母君、

 「いとめでたく、思ふやうなるさまかな」

 とめでて、乳母ゆくりかに思ひよりて、たびたび言ひしことを、あるまじきことに言ひしかど、この御ありさまを見るには、「天の川を渡りても、かかる彦星の光こそ待ちつけさせめ。わが娘は、なのめならむ人に見せむは惜しげなるさま、夷めきたる人をのみ見ならひて、少将をかしこきものに思ひける」を、悔しきまで思ひなりにけり。

 寄りゐたまへりつる真木柱茵も、名残匂へる移り香、言へばいとことさらめきたるまでありがたし。時々見たてまつる人だに、たびごとにめできこゆ。

 「経などを読みて、功徳のすぐれたることあめるにも、香の香うばしきをやむごとなきことに、仏のたまひおきけるも、ことわりなりや。薬王品などに、取り分きてのたまへる、牛頭栴檀とかや、おどろおどろしきものの名なれど、まづかの殿の近く振る舞ひたまへば、仏はまことしたまひけり、とこそおぼゆれ。幼くおはしけるより、行ひもいみじくしたまひければよ」

 など言ふもあり。また、

 「前の世こそゆかしき御ありさまなれ」

 など、口々めづることどもを、すずろに笑みて聞きゐたり。

 [第六段 浮舟の母、中君に娘を託す]

 君は、忍びてのたまひつることを、ほのめかしのたまふ。

 「思ひ初めつること、執念きまで軽々しからずものしたまふめるを、げに、ただ今のありさまなどを思へば、わづらはしき心地すべけれど、かの世を背きても、など思ひ寄りたまふらむも、同じことに思ひなして、試みたまへかし」

 とのたまへば、

 「つらき目見せず、人にあなづられじの心にてこそ、鳥の音聞こえざらむ住まひで思ひたまへおきつれ。げに、人の御ありさまけはひを見たてまつり思ひたまふるは、下仕へのほどなどにても、かかる人の御あたりに、馴れきこえむは、かひありぬべし。まいて若き人は、心つけたてまつりぬべくはべるめれど、数ならぬ身、もの思ふ種をやいとど蒔かせて見はべらむ。

 高きも短きも、女といふものは、かかる筋にてこそ、この世、後の世まで、苦しき身になりはべるなれ、と思ひたまへはべればなむ、いとほしく思ひたまへはべる。それもただ御心になむ。ともかくも、思し捨てず、ものせさせたまへ」

 と聞こゆれば、いとわづらはしくなりて、

 「いさや。来し方の心深さにうちとけて、行く先のありさまは知りがたきを」

 とうち嘆きて、ことに物ものたまはずなりぬ。

 明けぬれば、車など率て来て、守の消息など、いと腹立たしげに脅かしたれば、

 「かたじけなく、よろづに頼みきこえさせてなむ。なほ、しばし隠させたまひて、巌の中にも、いかにとも、思ひたまへめぐらしはべるほど、数にはべらずとも、思ほし放たず、何ごとをも教へさせたまへ」

 など聞こえおきて、この御方も、いと心細く、ならはぬ心地に、立ち離れむを思へど、今めかしくをかしく見ゆるあたりに、しばしも見馴れたてまつらむと思へば、さすがにうれしくもおぼえけり。

 

第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる

 [第一段 匂宮、二条院に帰邸]

 車引き出づるほどの、すこし明うなりぬるに、宮、内裏よりまかでたまふ。若君おぼつかなくおぼえたまひければ、忍びたるさまにて、車なども例ならでおはしますにさしあひて、おしとどめて立てたれば、廊に御車寄せて降りたまふ。

 「なぞの車ぞ。暗きほどに急ぎ出づるは」

 と目とどめさせたまふ。「かやうにてぞ、忍びたる所には出づるかし」と、御心ならひに思し寄るも、むくつけし。

 「常陸殿のまかでさせたまふ」

 と申す。若やかなる御前ども、

 「殿こそ、あざやかなれ」

 と、笑ひあへるを聞くも、「げに、こよなの身のほどや」と悲しく思ふ。ただ、この御方のことを思ふゆゑにぞ、おのれも人びとしくならまほしくおぼえける。まして、正身をなほなほしくやつして見むことは、いみじくあたらしう思ひなりぬ。宮、入りたまひて、

 「常陸殿といふ人や、ここに通はしたまふ。心ある朝ぼらけに、急ぎ出でつる車副などこそ、ことさらめきて見えつれ」

 など、なほ思し疑ひてのたまふ。「聞きにくくかたはらいたし」と思して、

 「大輔などが若くてのころ、友達にてありける人は。ことに今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。人の聞きとがめつべきことをのみ、常にとりないたまふこそ、なき名は立てで

 と、うち背きたまふも、らうたげにをかし。

 明くるも知らず殿籠もりたるに、人びとあまた参りたまへば、寝殿に渡りたまひぬ。后の宮は、ことことしき御悩みにもあらで、おこたりたまひにければ、心地よげにて、右の大殿の君達など、碁打ち韻塞などしつつ遊びたまふ。

 [第二段 匂宮、浮舟に言い寄る]

 夕つ方、宮こなたに渡らせたまへれば、女君は、御ゆするのほどなりけり。人びともおのおのうち休みなどして、御前には人もなし。小さき童のあるして、

 「折悪しき御ゆするのほどこそ、見苦しかめれ。さうざうしくてや、眺めむ」

 と、聞こえたまへば、

 「げに、おはしまさぬ隙々にこそ、例は済ませ。あやしう日ごろももの憂がらせたまひて、今日過ぎば、この月は日もなし。九、十月は、いかでかはとて、仕まつらせつるを」

 と、大輔いとほしがる。

 若君も寝たまへりければ、そなたにこれかれあるほどに、宮はたたずみ歩きたまひて、西の方に例ならぬ童の見えつるを、「今参りたるか」など思して、さし覗きたまふ。中のほどなる障子の、細目に開きたるより見たまへば、障子のあなたに、一尺ばかりひきさけて、屏風立てたり。そのつまに、几帳、簾に添へて立てたり。

 帷一重をうちかけて、紫苑色のはなやかなるに、女郎花の織物と見ゆる重なりて、袖口さし出でたり。屏風の一枚たたまれたるより、「心にもあらで見ゆるなめり。今参りの口惜しからぬなめり」と思して、この廂に通ふ障子を、いとみそかに押し開けたまひて、やをら歩み寄りたまふも、人知らず。

 こなたの廊の中の壺前栽の、いとをかしう色々に咲き乱れたるに、遣水のわたり、石高きほど、いとをかしければ、端近く添ひ臥して眺むるなりけり。開きたる障子を、今すこし押し開けて、屏風のつまより覗きたまふに、宮とは思ひもかけず、「例こなたに来馴れたる人にやあらむ」と思ひて、起き上がりたる様体、いとをかしう見ゆるに、例の御心は過ぐしたまはで、衣の裾を捉へたまひて、こなたの障子は引き立てたまひて、屏風のはさまに居たまひぬ。

 あやしと思ひて、扇をさし隠して見返りたるさま、いとをかし。扇を持たせながら捉へたまひて、

 「誰れぞ。名のりこそ、ゆかしけれ」

 とのたまふに、むくつけくなりぬ。さるもののつらに、顔を他ざまにもて隠して、いといたう忍びたまへれば、「このただならずほのめかしたまふらむ大将にや、香うばしきけはひなども」思ひわたさるるに、いと恥づかしくせむ方なし。

 [第三段 浮舟の乳母、困惑、右近、中君に急報]

 乳母、人げの例ならぬを、あやしと思ひて、あなたなる屏風を押し開けて来たり。

 「これは、いかなることにかはべらむ。あやしきわざにもはべる」

 など聞こゆれど、憚りたまふべきことにもあらず。かくうちつけなる御しわざなれど、言の葉多かる本性なれば、何やかやとのたまふに、暮れ果てぬれど、

 「誰れと聞かざらむほどは許さじ」

 とて、なれなれしく臥したまふに、「宮なりけり」と思ひ果つるに、乳母、言はむ方なくあきれてゐたり。

 大殿油は灯籠にて、「今渡らせたまひなむ」と人びと言ふなり。御前ならぬ方の御格子どもぞ下ろすなる。こなたは離れたる方にしなして、高き棚厨子一具立て、屏風の袋に入れこめたる、所々に寄せかけ、何かの荒らかなるさまにし放ちたり。かく人のものしたまへばとて、通ふ道の障子一間ばかりぞ開けたるを、右近とて、大輔が娘のさぶらふ来て、格子下ろしてここに寄り来なり。

 「あな、暗や。まだ大殿油も参らざりけり。御格子を、苦しきに、急ぎ参りて、闇に惑ふよ」

 とて、引き上ぐるに、宮も、「なま苦し」と聞きたまふ。乳母はた、いと苦しと思ひて、ものづつみせずはやりかにおぞき人にて、

 「もの聞こえはべらむ。ここに、いとあやしきことのはべるに、見たまへ極じてむ、え動きはべらでなむ」

 「何ごとぞ」

 とて、探り寄るに、袿姿なる男の、いと香うばしくて添ひ臥したまへるを、「例のけしからぬ御さま」と思ひ寄りにけり。「女の心合はせたまふまじきこと」と推し量らるれば、

 「げにいと見苦しきことにもはべるかな。右近は、いかにか聞こえさせむ。今参りて、御前にこそは忍びて聞こえさせめ」

 とて立つを、あさましくかたはに、誰も誰も思へど、宮は懼ぢたまはず。

 「あさましきまであてにをかしき人かな。なほ、何人ならむ。右近が言ひつるけしきも、いとおしなべての今参りにはあらざめり」

 心得がたく思されて、と言ひかく言ひ、怨みたまふ。心づきなげにけしきばみてももてなさねど、ただいみじう死ぬばかり思へるがいとほしければ、情けありてこしらへたまふ。

 右近、上に、

 「しかしかこそおはしませ。いとほしく、いかに思ふらむ」

 と聞こゆれば、

 「例の、心憂き御さまかな。かの母も、いかにあはあはしく、けしからぬさまに思ひたまはむとすらむ。うしろやすくと、返す返す言ひおきつるものを」

 と、いとほしく思せど、「いかが聞こえむ。さぶらふ人びとも、すこし若やかによろしきは、見捨てたまふなく、あやしき人の御癖なれば、いかがは思ひ寄りたまひけむ」とあさましきに、ものも言はれたまはず。

 [第四段 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出]

 「上達部あまた参りたまふ日にて、遊び戯れては、例も、かかる時は遅くも渡りたまへば、皆うちとけてやすみたまふぞかし。さても、いかにすべきことぞ。かの乳母こそ、おぞましかりけれ。つと添ひゐて護りたてまつり、引きもかなぐりたてまつりつべくこそ思ひたりつれ」

 と、少将と二人していとほしがるほどに、内裏より人参りて、大宮この夕暮より御胸悩ませたまふを、ただ今いみじく重く悩ませたまふし申さす。右近、

 「心なき折の御悩みかな。聞こえさせむ」

 とて立つ。少将、

 「いでや、今は、かひなくもあべいことを、をこがましく、あまりな脅かしきこえたまひそ」

 と言へば、

 「いな、まだしかるべし」

 と、忍びてささめき交はすを、上は、「いと聞きにくき人の御本性にこそあめれ。すこし心あらむ人は、わがあたりをさへ疎みぬべかめり」と思す。

 参りて、御使の申すよりも、今すこしあわたたしげに申しなせば、動きたまふべきさまにもらぬ御けしきに、

 「誰れか参りたる。例の、おどろおどろしく脅かす」

 とのたまはすれば、

 「宮の侍に、平重経となむ名のりはべりつる

 と聞こゆ。出でたまはむことのいとわりなく口惜しきに、人目も思されぬに、右近立ち出でて、この御使を西面にてと言へば、申し次ぎつる人も寄り来て、

 「中務宮、参らせたまひぬ。大夫は、ただ今なむ、参りつる道に、御車引き出づる、見はべりつ」

 と申せば、「げに、にはかに時々悩みたまふ折々もあるを」と思すに、人の思すらむこともはしたなくなりて、いみじう怨み契りおきて出でたまひ

 [第五段 乳母、浮舟を慰める]

 恐ろしき夢の覚めたる心地して、汗におし浸して臥したまへり。乳母、うち扇ぎなどして、

 「かかる御住まひは、よろづにつけて、つつましう便なかりけり。かくおはしましめて、さらに、よきことはべらじ。あな、恐ろしや。限りなき人と聞こゆとも、やすからぬ御ありさまは、いとあぢきなかるべし。

 よそのさし離れたらむ人にこそ、善しとも悪しともおぼえられたまはめ、人聞きもかたはらいたきこと、と思ひたまへて、降魔の相を出だして、つと見たてまつりつれば、いとむくつけく、下衆下衆しき女と思して、手をいといたくつませたまひつるこそ、直人の懸想だちて、いとをかしくもおぼえはべりつれ。

 かの殿には、今日もいみじくいさかひたまひけり。「ただ一所の御上を見扱ひたまふとて、わがどもをば思し捨てたり、客人のおはするほどの御旅居見苦し」と、荒々しきまでぞ聞こえたまひける。下人さへ聞きいとほしがりけり。

 「すべてこの少将の君ぞ、いと愛敬なくおぼえたまふ。この御ことはべらざらましかば、うちうちやすからずむつかしきことは、折々はべりとも、なだらかに、年ごろのままにておはしますべきものを」

 など、うち嘆きつつ言ふ。

 君は、ただ今はともかくも思ひめぐらされず、ただいみじくはしたなく、見知らぬ目を見つるに添へても、「いかに思すらむ」と思ふに、わびしければ、うつぶし臥して泣きたまふ。いと苦しと見扱ひて、

 「何か、かく思す。母おはせぬ人こそ、たづきなう悲しかるべけれ。よそのおぼえは、父なき人はいと口惜しけれど、さがなき継母に憎まれむよりは、これはいとやすし。ともかくもしたてまつりたまひてむ。な思し屈ぜそ。

 さりとも、初瀬の観音おはしませば、あはれと思ひきこえたまふらむ。ならはぬ御身に、たびたびしきりて詣でたまふことは、人のかくあなづりざまにのみ思ひきこえたるを、かくもありけり、と思ふばかりの御幸ひおはしませ、とこそ念じはべれ。あが君は、人笑はれにては、やみたまひなむや」

 と、世をやすげに言ひゐたり。

 [第六段 匂宮、宮中へ出向く]

 宮は、急ぎて出でたまふなり。内裏近き方にやあらむ、こなたの御門より出でたまへば、もののたまふ御声も聞こゆ。いとあてに限りもなく聞こえて、心ばへある古言などうち誦じたまひて過ぎたまふほど、すずろにわづらはしくおぼゆ。移し馬ども牽き出だして、宿直にさぶらふ人、十人ばかりして参りたまふ。

 上、いとほしく、うたて思ふらむとて、知らず顔にて、

 「大宮悩みたまふとて参りたまひぬれば、今宵は出でたまはじ。泔の名残にや、心地も悩ましくて起きゐはべるを、渡りたまへ。つれづれにも思さるらむ」

 と聞こえたまへり。

 「乱り心地のいと苦しうはべるを、ためらひて」

 と、乳母して聞こえたまふ。

 「いかなる御心地ぞ」

 と、返り訪らひきこえたまへば、

 「何心地ともおぼえはべらず、ただいと苦しくはべり」

 と聞こえたまへば、少将、右近目まじろきをして、

 「かたはらぞいたくはすらむ」

 と言ふも、ただなるよりはいとほし。

 「いと口惜しう心苦しきわざかな。大将の心とどめたるさまにのたまふめりしを、いかにあはあはしく思ひ落とさむ。かく乱りがはしくおはする人は、聞きにくく実ならぬことをもくねり言ひ、またまことにすこし思はずならむことをも、さすがに見許しつべうこそおはすめれ。

 この君は、言はで憂しと思はむこと、いと恥づかしげに心深きを、あいなく思ふこと添ひぬるの上なめり。年ごろ見ず知らざりつる人の上なれど、心ばへ容貌を見れば、え思ひ離るまじう、らうたく心苦しきに、世の中はありがたくむつかしげなるものかな。

 わが身のありさまは、飽かぬこと多かる心地すれど、かくものはかなき目も見つべかりける身の、さは、はふれずなりにけるにこそ、げに、めやすきなりけれ。今はただ、この憎き心添ひたまへる人の、なだらかにて思ひ離れなば、さらに何ごとも思ひ入れずなりなむ」

 と思ほす。いと多かる御髪なれば、とみにもえ乾しやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにてをかしげなり。

 [第七段 中君、浮舟を慰める]

 この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど、乳母、

 「いとかたはらいたし。事しもあり顔に思すらむを。ただおほどかにて見えたてまつりたまへ。右近の君などには、事のありさま、初めより語りはべらむ」

 と、せめてそそのかしたてて、こなたの障子のもとにて、

 「右近の君にもの聞こえさせむ」

 と言へば、立ちて出でたれば、

 「いとあやしくはべりつることの名残に、身も熱うなりたまひて、まめやかに苦しげに見えさせたまふを、いとほしく見はべる。御前にて慰めきこえさせたまへ、とてなむ。過ちもおはせぬ身を、いとつつましげに思ほしわびためるも、いささかにても世を知りたまへる人こそあれ、いかでかはと、ことわりに、いとほしく見たてまつる」

 とて、引き起こして参らせたてまつる。

 我にもあらず、人の思ふらむことも恥づかしけれど、いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて、押し出でられて居たまへり。額髪などの、いたう濡れたる、もて隠して、灯の方に背きたまへるさま、上をたぐひなく見たてまつるに、け劣るとも見えず、あてにをかし。

 「これに思しつきなば、めざましげなることはありなむかし。いとかからぬをだに、めづらしき人、をかしうしたまふ御心を」

 と、二人ばかりぞ、御前にてえ恥ぢたまはねば、見ゐたりける。物語いとなつかしくしたまひて、

 「例ならずつつましき所など、な思ひなしたまひそ。故姫君のおはせずなりにしのち、忘るる世なくいみじく、身も恨めしく、たぐひなき心地して過ぐすに、いとよく思ひよそへられたまふ御さまを見れば、慰む心地してあはれになむ。思ふ人もなき身に、昔の御心ざしのやうに思ほさば、いとうれしくなむ」

 など語らひたまへど、いとものつつましくて、また鄙びたる心に、いらへきこえむこともなくて、

 「年ごろ、いと遥かにのみ思ひきこえさせしに、かう見たてまつりはべるは、何ごとも慰む心地しはべりなむ」

 とばかり、いと若びたる声にて言ふ。

 [第八段 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう]

 絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて見たまふに、向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず、心に入れて見たまへる灯影、さらにここと見ゆる所なく、こまかにをかしげなり。額つき、まみの薫りたる心地して、いとおほどかなるあてさは、ただそれとのみ思ひ出でらるれば、絵はことに目もとどめたまはで、

 「いとあはれなる人の容貌かな。いかでかうしもありけるにかあらむ。故宮にいとよく似たてまつりたるなめりかし。故姫君は、宮の御方ざまに、我は母上に似たてまつりたるとこそは、古人ども言ふなりしか。げに、似たる人はいみじきものなりけり」

 と思し比ぶるに、涙ぐみて見たまふ。

 「かれは、限りなくあてに気高きものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたるさまのしたまへりしにこそ。

 これは、またもてなしのうひうひしげに、よろづのことをつつましうのみ思ひたるけにや、見所多かるなまめかしさぞ劣りたる。ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、大将の見たまはむにも、さらにかたはなるまじ」

 など、このかみ心に思ひ扱はれたまふ。

 物語などしたまひて、暁方になりてぞ寝たまふ。かたはらに臥せたまひて、故宮の御ことども、年ごろおはせし御ありさまなど、まほならねど語りたまふ。いとゆかしう、見たてまつらずなりにけるを、「いと口惜しう悲し」と思ひたり。昨夜の心知りの人びとは、

 「いかなりつらむな。いとらうたげなる御さまを。いみじう思すとも、甲斐あるべきことかは。いとほし」

 と言へば、右近ぞ、

 「さも、あらじ。かの御乳母の、ひき据ゑてすずろに語り愁へしけしき、もて離れてぞ言ひし。宮も、逢ひても逢はぬうなる心ばへにこそ、うちうそぶき口ずさびたまひしか」

 「いさや。ことさらにもやあらむ。そは、知らずかし」

 「昨夜の火影のいとおほどかなりしも事あり顔には見えたまはざりしを」

 など、うちささめきていとほしがる。

 

第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる

 [第一段 乳母の急報に浮舟の母、動転す]

 乳母、車請ひて、常陸殿へ往ぬ。北の方にかうかうと言へば、胸つぶれ騷ぎて、「人もけしからぬさまに言ひ思ふらむ。正身もいかが思すべき。かかる筋のもの憎みは、貴人もなきものなり」と、おのが心ならひに、あわたたしく思ひなりて、夕つ方参りぬ。

 宮おはしまさねば心やすくて、

 「あやしく心幼げなる人を参らせおきて、うしろやすくは頼みきこえさせながら、鼬のはべらむやうなる心地のしはべれば、よからぬものどもに、憎み恨みられはべる」

 と聞こゆ。

 「いとさ言ふばかりの幼さにはあらざめるを。うしろめたげにけしきばみたる御まかげこそ、わづらはしけれ」

 とて笑ひたまへるが、心恥づかしげなる御まみを見るも、心の鬼に恥づかしくぞおぼゆる。「いかに思すらむ」と思へば、えもうち出で聞こえず。

 「かくてさぶらひたまはば、年ごろの願ひの満つ心地して、人の漏り聞きはべらむもめやすく、おもだたしきことになむ思ひたまふるを、さすがにつつましきことになむはべりける。深き山の本意は、みさをになむはべるべきを」

 とて、うち泣くもいといとほしくて、

 「ここには、何事かうしろめたくおぼえたまふべき。とてもかくても、疎々しく思ひ放ちきこえばこそあらめ、けしからずだちてよからぬ人の、時々ものしたまふめれど、その心を皆人見知りためれば、心づかひして、便なうはもてなしきこえじと思ふを、いかに推し量りたまふにか」

 とのたまふ。

 「さらに、御心をば隔てありても思ひきこえさせはべらず。かたはらいたう許しなかりし筋は、何にかかけても聞こえさせはべらむ。その方ならで、思ほし放つまじき綱もはべるをなむ、とらへ所に頼みきこえさする」

 など、おろかならず聞こえて、

 「明日明後日、かたき物忌にはべるを、おほぞうならぬ所にて過ぐして、またも参らせはべらむ」

 と聞こえて、いざなふ。「いとほしく本意なきわざかな」と思せど、えとどめたまはず。あさましうかたはなることに驚き騷ぎたれば、をさをさものも聞こえで出でぬ。

 [第二段 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す]

 かやうの方違へ所と思ひて、小さき家まうけたりけり。三条わたりに、さればみたるが、まだ造りさしたる所なれば、はかばかしきしつらひもせでなむありける。

 「あはれ、この御身一つを、よろづにもて悩みきこゆるかな。心にかなはぬ世には、あり経まじきものにこそありけれ。みづからばかりは、ただひたぶるに品々しからず人げなう、たださる方にはひ籠もりて過ぐしつべし。このゆかりは、心憂しと思ひきこえしあたりを、睦びきこゆるに、便なきことも出で来なば、いと人笑へなるべし。あぢきなし。ことやうなりとも、ここを人にも知らせず、忍びておはせよ。おのづからともかくも仕うまつりてむ」

 と言ひおきて、みづからは帰りなむとす。君は、うち泣きて、「世にあらむこと所狭げなる身」と、思ひ屈したまへるさま、いとあはれなり。親はた、ましてあたらしく惜しければ、つつがなくて思ふごと見なさむと思ひ、さるかたはらいたきことにつけて、人にもあはあはしく思はれむが、やすからぬなりけり。

 心地なくなどはあらぬ人の、なま腹立ちやすく、思ひのままにぞすこしありける。かの家にも隠ろへては据ゑたりぬべけれど、しか隠ろへたらむをいとほしと思ひて、かく扱ふに、年ごろかたはら去らず、明け暮れ見ならひて、かたみに心細くわりなしと思へり。

 「ここは、またかくあばれて、危ふげなる所なめり。さる心したまへ。曹司曹司にある物ども、召し出でて使ひたまへ。宿直人のことなど言ひおきてはべるも、いとうしろめたけれど、かしこに腹立ち恨みらるるが、いと苦しければ」

 と、うち泣きて帰る。

 [第三段 母、左近少将と和歌を贈答す]

 少将の扱ひを、守は、またなきものに思ひ急ぎて、「もろ心に、さま悪しく、営まず」と怨ずるなりけり。「いと心憂く、この人により、かかる紛れどももあるぞかし」と、またなく思ふ方のことのかかれば、つらく心憂くて、をさをさ見入れず。

 かの宮の御前にて、いと人げなく見えしに、多く思ひ落としてければ、「私ものに思ひかしづかましを」など、思ひしことやみにたり。「ここにては、いかが見ゆらむ。まだうちとけたるさま見ぬに」と思ひて、のどかにゐたまへる昼つ方、こなたに渡りて、ものより覗く。

 白き綾のなつかしげなるに、今様色の擣目などもきよらなるを着て、端の方に前栽見るとて居たるは、「いづこかは劣る。いときよげなめるは」と見ゆ。娘、まだ片なりに、何心もなきさまにて添ひ臥したり。宮の上の並びておはせし御さまどもの思ひ出づれば、「口惜しのさまどもや」と見ゆ。

 前なる御達にものなど言ひ戯れて、うちとけたるは、いと見しやうに、匂ひなく人悪ろげにて見えぬを、「かの宮なりしは、異少将なりけり」と思ふ折しも、言ふことよ。

 「兵部卿宮の萩の、なほことにおもしろくもあるかな。いかで、さる種ありけむ。同じ枝さしなどのいと艶なるこそ。一日参りて、出でたまふほどなりしかば、え折らずなりにき。『ことだに惜しきと、宮のうち誦じたまへりしを、若き人たちに見せたらましかば」

 とて、我も歌詠みゐたり。

 「いでや。心ばせのほどを思へば、人ともおぼえず、出で消えはいとこよなかりけるに。何ごと言ひたるぞ」

 とつぶやかるれど、いと心地なげなるさまは、さすがにしたらねば、いかが言ふとて、試みに、

 「しめ結ひし小萩が上も迷はぬに
  いかなる露に映る下葉ぞ」

 とあるに、惜しくおぼえて、

 「宮城野の小萩がもとと知らませ
  露も心を分かずぞあらまし

 いかでみづから聞こえさせあきらめむ」

 と言ひたり。

 [第四段 母、薫のことを思う]

 「故宮の御こと聞きたるなめり」と思ふに、「いとどいかで人と等しく」とのみ思ひ扱はる。あいなう、大将殿の御さま容貌ぞ、恋しう面影に見ゆる。同じうめでたしと見たてまつりしかど、宮は思ひ離れたまひて、心もとまらず。あなづりて押し入りたまへりけるを、思ふもねたし。

 「この君は、さすがに尋ね思す心ばへのありながら、うちつけにも言ひかけたまはず、つれなし顔なるしもこそいたけれ、よろづにつけて思ひ出でらるれば、若き人は、まして、かくや思ひはてこえたまふらむ。わがものにせむと、かく憎き人を思ひけむこそ、見苦しきことなべかりけれ」

 など、ただ心にかかりて、眺めのみせられて、とてやかくてやと、よろづによからむあらまし事を思ひ続くるに、いと難し。

 「やむごとなき御身のほど、御もてなし、見たてまつりたまへらむ人は、今すこしなのめならず、いかばかりにてかは心をとどめたまはむ。世の人のありさまを見聞くに、劣りまさり、いやしうあてなる、品に従ひて、容貌も心もあるべきものなりけり。

 わが子どもを見るに、この君に似るべきやはある。少将を、この家のうちにまたなき者に思へども、宮に見比べたてまつりしは、いとも口惜しかりしに推し量らる。当帝の御かしづき女を得たてまつりたまへらむ人の御目移しには、いともいとも恥づかしく、つつましかるべきものかな」

 と思ふに、すずろに心地もあくがれにけり。

 [第五段 浮舟の三条のわび住まい]

 旅の宿りは、つれづれにて、庭の草もいぶせき心地するに、いやしき東声したる者どもばかりのみ出で入り、慰めに見るべき前栽の花もなし。うちあばれて、晴れ晴れしからで明かし暮らすに、宮の上の御ありさま思ひ出づるに、若い心地に恋しかりけり。あやにくだちたまへりし人の御けはひも、さすがに思ひ出でられて、

 「何事にかありけむ。いと多くあはれげにのたまひしかな」

 名残をかしかりし御移り香も、まだ残りたる心地して、恐ろしかりしも思ひ出でらる。

 「母君、たつやといとあはれなる文を書きておこせたまふ。おろかならず心苦しう思ひ扱ひたまふめるに、かひなうもて扱はれたてまつること」とうち泣かれて、

 「いかにつれづれに見ならはぬ心地したまふらむ。しばしび過ぐしたまへ」

 とある返り事に、

 「つれづれは何か。心やすくてなむ。

  ひたぶるにうれしからまし世の中に
 あらぬ所とはましかば」

 と、幼げに言ひたるを見るままに、ほろほろとうち泣きて、「かう惑はしはふるるやうにもてなすこと」と、いみじければ、

 「憂き世にはあらぬ所を求めても
  君が盛りを見るよしもがな」

 と、なほなほしきことどもを言ひ交はしてなむ、心のべける。

 

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く

 [第一段 薫、宇治の御堂を見に出かける]

 かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ、ならひにしことなれば、寝覚め寝覚めにもの忘れせず、あはれにのみおぼえたまひければ、「宇治の御堂造り果てつ」と聞きたまふに、みづからおはしましたり。

 久しう見たまはざりつるに、山の紅葉もめづらしうおぼゆ。こぼちし寝殿、こたみはいと晴れ晴れしう造りなしたり。昔いとことそぎて、聖だちたまへりし住まひを思ひ出づるに、この宮も恋しうおぼえたまひて、さま変へてけるも、口惜しきまで、常よりも眺めたまふ。

 もとありし御しつらひは、いと尊げにて、今片つ方を女しくこまやかになど、一方ならざりしを、網代屏風何かのあらあらしきなどは、かの御堂の僧坊の具に、ことさらになさせたまへり。山里めきたる具どもを、ことさらにせさせたまひて、いたうことそがず、いときよげにゆゑゆゑしくしつらはれたり。

 遣水のほとりなる岩に居たまひて、

 「絶え果てぬ清水になどか亡き人の
  面影をだにとどめざりけむ」

 涙を拭ひて、弁の尼君の方に立ち寄りたまへれば、いと悲しと見たてまつるに、ただひそみにひそむ。長押にかりそめに居たまひて、簾のつま引き上げて、物語したまふ。几帳に隠ろへて居たり。ことのついでに、

 「かの人は、さいつころ宮にと聞きしを、さすがにうひうひしくおぼえてこそ、訪れ寄らね。なほ、これより伝へ果てたまへ」

 とのたまへば、

 「一日、かの母君の文はべりき。忌違ふとて、ここかしこになむあくがれたまふめる。このころも、あやしき小家に隠ろへものしたまふめるも心苦しく、すこし近きほどならましかば、そこにも渡して心やすかるべきを、荒ましき山道に、たはやすくもえ思ひ立たでなむ、とはべりし」

 と聞こゆ。

 「人びとのかく恐ろしくすめる道に、まろこそ古りがたく分け来れ。何ばかりの契りにかと思ふは、あはれになむ」

 とて、例の、涙ぐみたまへり。

 「さらば、その心やすからむ所に、消息したまへ。みづからやは、かしこに出でたまはぬ」

 とのたまへば、

 「仰せ言を伝へはべらむことはやすし。今さらに京を見はべらむことはもの憂くて、宮にだにえ参らぬを」

 と聞こゆ。

 [第二段 薫、弁の尼に依頼して出る]

 「などてか。ともかくも、人の聞き伝へばこそあらめ、愛宕の聖だに、時に従ひては出でずやはありける。深き契りを破りて、人の願ひを満てたまはむこそ尊からめ」

 とのたまへば、

 「人渡すことはべらぬに、聞きにくきこともこそ、出でまうで来れ」

 と、苦しげに思ひたれど、

 「なほ、よき折なるを」

 と、例ならずしひて、

 「明後日ばかり、車たてまつらむその旅の所尋ねおきたまへ。ゆめをこがましうひがわざすまじきを」

 と、ほほ笑みてのたまへば、わづらはしく、「いかに思すことならむ」と思へど、「奥なくあはあはしからぬ御心ざまなれば、おのづからわがためにも、人聞きなどは包みたまふらむ」と思ひて、

 「さらば、承りぬ。近きほどにこそ御文などを見せさせたまへかし。ふりはへさかしらめきて、心しらひのやうに思はれはべらむも、今さらに伊賀専女にや、と慎ましくてなむ」

 と聞こゆ。

 「文は、やすかるべきを、人のもの言ひ、いとうたてあるものなれば、右大将は、常陸守の娘をなむよばふなるなども、とりなしてむをや。その守の主、いと荒々しげなめり」

 とのたまへば、うち笑ひて、いとほしと思ふ。

 暗うなれば出でたまふ。下草のをかしき花ども、紅葉など折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ。甲斐なからずおはしぬべけれど、かしこまり置きたるさまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる。内裏より、ただの親めきて、入道の宮にも聞こえたまへば、いとやむごとなき方は、限りなく思ひきこえたまへり。こなたかなたと、かしづききこえたまふ宮仕ひに添へて、むつかしき私の心の添ひたるも、苦しかりけり。

 [第三段 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる]

 のたまひしまだつとめて、睦ましく思す下臈侍一人、顔知らぬ牛飼つくり出でて遣はす。

 「荘の者どもの田舎びたる召し出でつつ、つけよ」

 とのたまふ。かならず出づべくのたまへりければ、いとつつましく苦しけれど、うち化粧じつくろひて乗りぬ。野山のけしきを見るにつけても、いにしへよりの古事ども思ひ出でられて、眺め暮らしてなむ来着きける。いとつれづれに人目も見えぬ所なれば、引き入れて、

 「かくなむ、参り来つる」

 と、しるべの男して言はせたれば、初瀬の供にありし若人、出で来て降ろす。あやしき所を眺め暮らし明かすに、昔語りもしつべき人の来たれば、うれしくて呼び入れたまひて、親と聞こえける人の御あたりの人と思ふに、睦ましきなるべし。

 「あはれに、人知れず見たてまつりしのちよりは、思ひ出できこえぬ折なけれど、世の中かばかり思ひたまへ捨てたる身にて、かの宮にだに参りはべらぬを、この大将殿の、あやしきまでのたまはせしかば、思うたまへおこしてなむ」

 と聞こゆ。君も乳母も、めでたしと見おききこえてし人の御さまなれば、忘れぬさまにのたまふらむも、あはれなれど、にはかにかく思したばかるらむと、思ひも寄らず。

 [第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う]

 宵うち過ぐるほどに、「宇治より人参れり」とて、門忍びやかにうちたたく。「さにやあらむ」と思へど、弁の開けさせたれば、車をぞ引き入るなる。「あやし」と思ふに、

 「尼君に、対面賜はらむ」

 とて、この近き御庄の預りの名のりをせさせたまへれば、戸口にゐざり出でたり。雨すこしうちそそくに、風はいと冷やかに吹き入りて、言ひ知らず薫り来れば、「かうなりけり」と、誰れも誰れも心ときめきしぬべき御けはひをかしければ、用意もなくあやしきに、まだ思ひあへぬほどなれば、心騷ぎて、

 「いかなることにかあらむ」

 と言ひあへり。

 「心やすき所にて、月ごろの思ひあまることも聞こえさせむとてなむ」

 と言はせたまへり。

 「いかに聞こゆべきことにか」と、君は苦しげに思ひてゐたまへれば、乳母見苦しがりて、

 「しかおはしましたらむを、立ちながらや、帰したてまつりたまはむ。かの殿にこそ、かくなむ、と忍びて聞こえめ。近きほどなれば」

 と言ふ。

 「うひうひしく。などてか、さはあらむ。若き御どちもの聞こえたまはむはふとしもしみつくべくもあらぬを。あやしきまで心のどかに、もの深うおはする君なれば、よも人の許しなくて、うちとけたまはじ」

 など言ふほど、雨やや降り来れば、空はいと暗し。宿直人のあやしき声したる、夜行うちして、

 「家の辰巳の隅の崩れ、いと危ふし。この、人の御車入るべくは、引き入れて御門鎖してよ。かかる人の御供人こそ、心はうたてあれ」

 など言ひあへるも、むくむくしく聞きならはぬ心地したまふ。

 「佐野のわたりに家もあらなくに

 など口ずさびて、里びたる簀子の端つ方に居たまへり。

 「さしとむる葎やしげき東屋の
  あまりほど降る雨そそき
な」

 と、うち払ひたまへる、追風、いとかたはなるまで、東の里人も驚きぬべし。

 とざまかうざまに聞こえ逃れむ方なければ、南の廂に御座ひきつくろひて、入れたてまつる。心やすくしも対面したまはぬを、これかれ押し出でたり。遣戸といふもの鎖して、いささか開けたれば、

 「飛騨の工も恨めしき隔てかな。かかるものの外には、まだ居ならはず」

 と愁へたまひて、いかがしたまひけむ、入りたまひぬ。かの人形の願ひものたまはで、ただ、

 「おぼえなき、もののはさまより見しより、すずろに恋しきこと。さるべきにやあらむ、あやしきまでぞ思ひきこゆる」

 とぞ語らひたまふべき。人のさま、いとらうたげにおほどきたれば、見劣りもせず、いとあはれと思しけり。

 [第五段 薫と浮舟、宇治へ出発]

 ほどもなう明けぬ心地するに、鶏などは鳴かで、大路近き所に、おぼとれたるして、いかにとか聞きも知らぬ名のりをして、うち群れて行くなどぞ聞こゆる。かやうの朝ぼらけに見れば、ものいただきたる者の、「鬼のやうなるぞかし」と聞きたまふも、かかる蓬のまろ寝にならひたまはぬ心地も、をかしくもありけり。

 宿直人も門開けて出づる音する。おのおの入りて臥しなどするを聞きたまひて、人召して、車妻戸に寄せさせたまふ。かき抱きて乗せたまひつ。誰れも誰れも、あやしう、あへなきことを思ひ騒ぎて、

 「九月にもありけるを。心憂のわざや。いかにしつることぞ」

 と嘆けば、尼君も、いといとほしく、思ひの外なることどもなれど、

 「おのづから思すやうあらむ。うしろめたうな思ひたまひそ。長月は、明日こそ節分と聞きしか」

 と言ひ慰む。今日は、十三日なりけり。尼君、

 「こたみは、え参らじ。宮の上、聞こし召さむこともあるに、忍びて行き帰りはべらむも、いとうたてなむ」

 と聞こゆれど、まだきこのことを聞かせたてまつらむも、心恥づかしくおぼえたまひて、

 「それは、のちにも罪さり申したまひてむ。かしこもしるべなくては、たづきなき所を」

 と責めてのたまふ。

 「人一人や、はべるべき」

 とのたまへば、この君に添ひたる侍従と乗りぬ。乳母、尼君の供なりし童などもおくれて、いとあやしき心地してゐたり。

 [第六段 薫と浮舟の宇治への道行き]

 「近きほどにや」と思へば、宇治へおはするなりけり。牛などひき替ふべき心まうけしたまへりけり。河原過ぎ、法性寺のわたりおはしますに、夜は明け果てぬ。

 若き人は、いとほのかに見たてまつりて、めできこえて、すずろに恋ひたてまつるに、世の中のつつましさもおぼえず。君ぞいとあさましきに、ものもおぼえでうつぶし臥したるを、

 「石高きわたりは、苦しきものを」

 とて、抱きたまへり。羅の細長を、車の中に引き隔てたれば、はなやかにさし出でたる朝日影に、尼君はいとはしたなくおぼゆるにつけて、「故姫君の御供にこそ、かやうにても見たてまつりつべかりしか。あり経れば、思ひかけぬことをも見るかな」と、悲しうおぼえて、包むとすれど、うちひそみつつ泣くを、侍従はいと憎く、「ものの初めに形異にて乗り添ひたるをだに思ふに、なぞかくいやめなる」と、憎くをこにも思ふ。老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞと、おろそかにうち思ふなりけり。

 君も、見る人は憎からねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧立ちわたる心地したまふ。うち眺めて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、落としがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。

 「形見ぞと見るにつけては朝露の
  ところせきまで濡るる袖かな」

 と、心にもあらず一人ごちたまふを聞きて、いとどしぼるばかり、尼君の袖も泣き濡らすを、若き人、「あやしう見苦しき世かな」。心ゆく道に、いとむつかしきこと、添ひたる心地す。忍びがたげなる鼻すすりを聞きたまひて、我も忍びやかにうちかみて、「いかが思ふらむ」といとほしければ、

 「あまたの年ごろ、この道を行き交ふたび重なるを思ふに、そこはかとなくものあはれなるかな。すこし起き上がりて、この山の色も見たまへ。いと埋れたりや」

 と、しひてかき起こしたまへば、をかしきほどに、さし隠して、つつましげに見出だしたるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる。「いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものしたまひしはや」と、なほ行く方なきしさは、むなしき空にも満ちぬべかめり。

 [第七段 宇治に到着、薫、京に手紙を書く]

 おはし着きて、

 「あはれ、亡き魂や宿りて見たまふらむ。誰によりて、かくすずろに惑ひありくものにもあらなくに」

 と思ひ続けたまひて、降りてはすこし心しらひて、立ち去りたまへり。女は、母君の思ひたまはむことなど、いと嘆かしけれど、艶なるさまに、心深くあはれに語らひたまふに、思ひ慰めて降りぬ。

 尼君は、ことさらに降りで、廊にぞ寄するを、「わざと思ふべき住まひにもあらぬを、用意こそあまりなれ」と見たまふ。御荘より、例の、人びと騒がしきまで参り集まる。女の御台は、尼君の方より参る。道は茂かりつれど、このありさまは、いと晴れ晴れし。

 川のけしきも山の色も、もてはやしたる造りざまを見出だして、日ごろのいぶせさ、慰みぬる心地すれど、「いかにもてないたまはむとするにか」と、浮きてあやしうおぼゆ。

 殿は、京に御文書きたまふ。

 「なりあはぬ仏の御飾りなど見たまへおきて、今日吉ろしき日なりければ、急ぎものしはべりて、乱り心地の悩ましきに、物忌なりけるを思ひたまへ出でてなむ、今日明日ここにて慎みはべるべき」

 など、母宮にも姫宮にも聞こえたまふ。

 [第八段 薫、浮舟の今後を思案す]

 うちとけたる御ありさま、今すこしをかしくて入りおはしたるも恥づかしけれど、もて隠すくもあらで居たまへり。女の装束など、色々にきよくと思ひてし重ねたれど、すこし田舎びたることもうち混じりてぞ、昔のいと萎えばみたりし御姿の、あてになまめかしかりしのみ思ひ出でられて、

 「髪の裾のをかしげさどは、こまごまとあてなり。宮の御髪のいみじくめでたきにも劣るまじかりけり」

 と見たまふ。かつは、

 「この人をいかにもてなしてあらせむとすらむ。ただ今、ものものしげにて、かの宮に迎へ据ゑむも、音聞き便なかるべし。さりとて、これかれある列にて、おほぞうに交じらはせむは本意なからむ。しばし、ここに隠してあらむ」

 と思ふも、見ずはさうざうしかるべく、あはれにおぼえたまへば、おろかならず語らひ暮らしたまふ。故宮の御ことものたまひ出でて、昔物語をかしうこまやかに言ひ戯れたまへど、ただいとつましげにて、ひたみちに恥ぢたるを、さうざうしう思す。

 「あやまりても、かう心もとなきはいとよし。教へつつも見てむ。田舎びたるされ心もてつけて、品々しからず、はやりかならましかば形代不用ならまし」

 と思ひ直したまふ。

 [第九段 薫と浮舟、琴を調べて語らう]

 ここにありける琴、箏の琴召し出でて、「かかることはた、ましてえせじかし」と、口惜しければ、一人調べて、

 「宮亡せたまひてのち、ここにてかかるものに、いと久しう手触れざりつかし」

 と、めづらしく我ながらおぼえて、いとなつかしくまさぐりつつ眺めたまふに、月さし出でぬ。

 「宮の御琴の音の、おどろおどろしくはあらで、いとをかしくあはれに弾きたまひしはや」

 と思し出でて、

 「昔、誰れも誰れもおはせし世に、ここに生ひ出でたまへらましかば、今すこしあはれはまさりなまし。親王の御ありさまは、よその人だに、あはれに恋しくこそ、思ひ出でられたまへ。などて、さる所には、年ごろ経たまひしぞ」

 とのたまへば、いと恥づかしくて、白き扇をまさぐりつつ、添ひ臥したるかたはらめ、いと隈なう白うて、なまめいたる額髪の隙など、いとよく思ひ出でられてあはれなり。まいて、「かやうのこともつきなからず教へなさばや」と思して、

 「これは、すこしほのめかいたまひたりや。あはれ、吾が妻といふ琴は、さりとも手ならしたまひけむ」

 など問ひたまふ。

 「その大和言葉だに、つきなくならひにければ、まして、これは」

 と言ふ。いとかたはに心後れたりとは見えず。ここに置きて、え思ふままにも来ざらむことを思すが、今より苦しきは、なのめには思さぬなるべし。琴は押しやりて、

 「楚王の台の上の夜の琴の声

 と誦じたまへるも、かの弓をのみ引くあたりにならひて、「いとめでたく、思ふやうなり」と、侍従も聞きゐたりけり。さるは、扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば、ひとへにめできこゆるぞ、後れたるなめるかし。「ことこそあれ、あやしくも、言ひつるかな」と思す。

 尼君の方より、くだもの参れり。箱の蓋に、紅葉、蔦など折り敷きて、ゆゑゆゑなからず取りまぜて、敷きたる紙に、ふつつかに書きたるもの、隈なき月にふと見ゆれば、目とどめたまふほどに、くだもの急ぎにぞ見えける。

 「宿り木は色変はりぬる秋なれど
  昔おぼえて澄める月かな」

 と古めかしく書きたるを、恥づかしくもあはれにも思されて、

 「里の名も昔ながらに見し人の
  面変はりせる閨の月影」

 わざと返り事とはなくてのたまふ、侍従なむ伝へけるとぞ。

 【出典】
出典1 筑波山端山繁山繁けれど思ひ入るには障らざりけり(新古今集恋一-一〇一三 源重之)(戻)
出典2 東にて養はれたる人の子は舌だみてこそ物は言ひけれ(拾遺集物名-四一三 読人しらず)(戻)
出典3 紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ見る(古今集雑上-八六七 読人しらず)(戻)
出典4 塩釜の前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世なりけり(古今六帖三-一七九六 山口女王)(戻)
出典5 おほかたは我が身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな(拾遺集恋五-九五三 紀貫之)世の中は昔よりやは憂かりけむ我が身一つのためになれるか(古今集雑下-九四八 読人しらず)(戻)
出典6 人非木石皆有情 不如不逢傾城<人木石にあらざれば皆情け有り 傾城に逢はざるに如かず>(白氏文集巻四-一六〇 李夫人)(戻)
出典7 恋せじとと御手洗川にせし禊神はうけずぞなりにけらしも(古今集恋一-五〇一 読人しらず)(戻)
出典8 大幣(おほぬさ)の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ(古今集恋四-七〇六 読人しらず)(戻)
出典9 大幣(おほぬさ)と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを(古今集恋四-七〇七 在原業平)(戻)
出典10 水の泡の消えで憂き身と言ひながら流れて猶も頼まるるかな(古今集恋五-七九二 紀友則)(戻)
出典11 彦星に恋はまさりぬ天の川隔つる関を今はやめてよ(伊勢物語-一七〇)(戻)
出典12 我妹子が来ては寄り立つ真木柱睦まじきゆかりと思へば(源氏釈所引-出典未詳)(戻)
出典13 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ(古今集恋一-五三五 読人しらず)(戻)
出典14 今はとて忘るる草の種をだに人の心に蒔かせずもがな(伊勢物語-三九)(戻)
出典15 いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえ来ざらむ(古今集雑下-九五二 読人しらず)(戻)
出典16 思はむと頼めしこともあるものをなき名を立てでただに忘れね(後撰集恋二-六六二 読人しらず)(戻)
出典17 玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じとゆめ思ひきや(伊勢集-五五)(戻)
出典18 臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬ心地こそすれ(源氏釈所引-出典未詳)(戻)
出典19 移ろはむことだに惜しき秋萩を折れるばかりも置ける露かな(拾遺集秋-一八三 伊勢)(戻)
出典20 花散ると厭ひしものを夏衣たつや遅きと風を待つかな(拾遺集夏-八二 盛明親王)(戻)
出典21 世の中にあらぬ所も得てしかな年ふりにたる形隠さむ(拾遺集雑上-五〇六 読人しらず)(戻)
出典22 人渡すことだになきを何しかも長柄の橋と身のなりぬらむ(後撰集雑一-一一一七 七条后)(戻)
出典23 苦しくも降り来る雨か三輪の崎佐野のわたりに家もあらなくに(万葉集巻三-二六七 長忌寸奥麿)(戻)
出典24 東屋の 真屋のあまりの その 雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ 鎹(かすがひ)も 錠(とざし)もあらばこそ その殿戸 我鎖さめ おし開いて来ませ 我や人妻(催馬楽-東屋)(戻)
出典25 我が恋は虚しき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし(古今集恋一-四八八 読人しらず)(戻)
出典26 班女閨中秋扇色 楚王台上夜琴声<班女が閨(ねや)の中の秋の扇の色 楚王が台(うてな)の上の夜の琴(きん)の声>(和漢朗詠集上-三八〇 尊敬)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 よその--よそのの(の<後出>/#)(戻)
校訂2 源少納言--源少(少/+納<朱>)言(戻)
校訂3 守、「このわたりに時々出で入りはすと--(+かみ此わたりに時/\出ていりはすと<朱>)(戻)
校訂4 思す--おも(も/$)ほす(戻)
校訂5 捧げたるごと--さゝけたるか(か/#こ)と(戻)
校訂6 はべり--侍つる(つる/#り)(戻)
校訂7 まだころ--またこの(この/#)ころ(戻)
校訂8 御口づから--御くちつ(つ/+か<朱>)ら(戻)
校訂9 かく言よく--かくこそ(そ/$と<朱>)よく(戻)
校訂10 心憂さ--世中の(世中の/$)心うさ(戻)
校訂11 たまへる--給つ(つ/$へ)るに(戻)
校訂12 同じごと--おなし事(事/#こと)(戻)
校訂13 言ひなる--いひなす(す/$る)(戻)
校訂14 いかばかり--いかは(は/+か)り(戻)
校訂15 故宮--この(の/#)宮(戻)
校訂16 見たてまつれ--みたてまつれと(と/#)(戻)
校訂17 厨子--(/+つし<朱>)(戻)
校訂18 仲人--中ひと(ひと/#人)(戻)
校訂19 聞かむこそ心苦しかるべけれ。ことなることなくて--(/+きかんこそ心くるしかるへけれことなる事なくて)(戻)
校訂20 飽かず--(/+あかす<朱>)(戻)
校訂21 故宮--この(の/#)宮(戻)
校訂22 心うつくしう--心うつくしく(く/#う)(戻)
校訂23 常陸殿とは--ひたち殿と(と/+は<朱>)(戻)
校訂24 ほど--程に(に/#)(戻)
校訂25 見えたまはず--みえ(え/+給は)す(戻)
校訂26 惜しげなるさま--おしけな(な/+るさ<朱>)ま(戻)
校訂27 見たまへ極じて--*こうして(戻)
校訂28 げに--(/+けに<朱>)(戻)
校訂29 悩ませたまふ--なや(や/+ませ)たまふ(戻)
校訂30 さまにも--さま(ま/+に)も(戻)
校訂31 はべりつる」と--侍つるに(に/#と)(戻)
校訂32 出でたまひ--(/+いて<朱>)たまひ(戻)
校訂33 おはしまし--おはし(し/+まし<朱>)(戻)
校訂34 わが--*我/\(戻)
校訂35 かたはらぞいたく--かたはら(ら/+そ<朱>)いたく(戻)
校訂36 聞きにくく--きゝにくき(き/#ゝ)(戻)
校訂37 添ひぬる--そ(そ/+ひ<朱>)ぬる(戻)
校訂38 はべり--(/+侍<朱>)(戻)
校訂39 おほどかなりしも--おほとかなりし(し/+も<朱>)(戻)
校訂40 思ひしこと--おもひ(ひ/+し)こと(戻)
校訂41 知らませ--しらさ(さ/#ま)せ(戻)
校訂42 思ひ出でらるれば、若き人は、まして、かくや思ひはて--思は(は/=いイ)て(/+らるれはわかき人はましてかくや思はて<朱>)(戻)
校訂43 しばし--(/+しはし<朱>)(戻)
校訂44 いたう--い(い/+た)う(戻)
校訂45 たてまつらむ--たてまつれ(れ/#ら)ん(戻)
校訂46 ほどにこそ--程に(に/+こそ<朱>)(戻)
校訂47 たまはむは--給はんと(と/$は<朱>)(戻)
校訂48 おぼとれたる--おほ(ほ/+と)れたる(戻)
校訂49 なぞ--(/+な)そ(戻)
校訂50 もて隠す--△△(△△/#もて)かくす(戻)
校訂51 をかしげさ--おかしけ(け/+さ)(戻)
校訂52 いと--△△(△△/#いと)(戻)
校訂53 ましかば--ましかしも(しも/$かはイ)(戻)

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