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渋谷栄一訳(C)

  

澪標

光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり

  1. 故桐壺院の追善法華御八講---はっきりとお見えになった夢の後は
  2. 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執---御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても
  3. 春宮の御元服と御世替わり---翌年の二月に、春宮の御元服の儀式がある
第二章 明石の物語 明石の姫君誕生
  1. 宿曜の予言と姫君誕生---そうそう、「あの明石で
  2. 宣旨の娘を乳母に選定---あのような所には、まともな乳母などもいないだろうこと
  3. 乳母、明石へ出発---車で京の中は出て行ったのであった
  4. 紫の君に姫君誕生を語る---女君には、言葉に表して
  5. 姫君の五十日の祝---「五月五日が、五十日に当たるだろう」と
  6. 紫の君、嫉妬を覚える---何度も御覧になりながら、「ああ」と
第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向
  1. 花散里訪問---このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に
  2. 筑紫の五節と朧月夜尚侍---このような折にも、あの五節をお忘れにならず
  3. 旧後宮の女性たちの動向---院は気楽な御心境になられて
  4. 冷泉帝後宮の入内争い---兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで
第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅
  1. 住吉詣で---その年の秋に、住吉にご参詣になる
  2. 住吉社頭の盛儀---松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らした
  3. 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず---君は、まったくご存知なく
  4. 源氏、明石の君に和歌を贈る---あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて
  5. 明石の君、翌日住吉に詣でる---あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が
第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い
  1. 斎宮と母御息所上京---そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので
  2. 御息所、斎宮を源氏に託す---こんなにまでもお心に掛けていたのを
  3. 六条御息所、死去---七、八日あって、お亡くなりになったのであった
  4. 斎宮を養女とし、入内を計画---下向なさった時から
  5. 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執---院におかせられても、あのお下りになった大極殿での
  6. 冷泉帝後宮の入内争い---入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいと

 

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり

 [第一段 故桐壺院の追善法華御八講]
 
 夢にはっきりとお見えになった後は、源氏の君は故院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とかして、あの沈んでいらっしゃるという罪障を、お救い申し上げることをしたい」と、お思い嘆きになっていらっしゃったが、このように都にお帰りになってからは、そのご準備をなさる。神無月に御八講をお催しになる。世間の人が追従し奉仕することは、昔と同じ有り様である。

 弘徽殿の太后は、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させることができないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、源氏の君を復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、在位も長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。政治の事なども隔意なく仰せになり仰せになっては、それが御本意のようなので、世間一般の人々も他人事ながらも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。

 [第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執]

 御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君が心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのを、とてもお気の毒に思し召されるのであった。

 「父大臣がお亡くなりになり、姉の大后も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までもが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、これまでとはすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。以前から、あの人よりわたしを軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは及ばないだろうと思うのさえたまらないのです」
 と言ってお泣きあそばす。

 女君は顔が赤くそまってこぼれるばかりのお美しさで涙もこぼれたのを、帝は一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。

 「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。残念なことよ。ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。しかし身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」

 などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。お顔などは、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすのに対して、源氏の君は、素晴らしい方ではあるが、それほど深く愛してくださらなかった様子や気持ちなどが、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。

 [第三段 春宮の御元服と御世替わり]
 
 翌年の二月に、春宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。

 主上におかせられても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、親しくお話し申し上げあそばす。

 同じ月の二十日過ぎに、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。

 「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
 といって、お慰め申し上げあそばすのであった。

 春宮には承香殿の皇子がお立ちになった。世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。大臣の席がふさがって余裕がなかったので、定員外の大臣としてお加わりになったのであった。

 ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのような多忙な重責には耐えられない」と言って、致仕の大臣に摂政をなさるようにお譲り申し上げなさる。

 「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」

 と、ご承諾なさらない。「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時には深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖賢だと言っていた。病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに何の差支えもない」と、朝廷や世間ともにお決めになられる。そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。お歳も六十三におなりである。

 世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。あの四の君腹の姫君が十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は羨ましくお思いになる。

 大殿の姫君腹の若君は、誰よりも格別におかわいらしくて、内裏や春宮御所の童殿上なさる。故姫君がお亡くなりになった悲しみを、母宮と大臣は、改めてお嘆きになる。しかし、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちやその他の女房たちにも、この長い年月の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。

 二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにとお思いになると、中将の君や中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるのでお暇がなくて、外歩きもなさらない。

 二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。

 

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生

 [第一段 宿曜の予言と姫君誕生]
 
 そうそう、「あの明石で、気がかりな様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公私にわたる忙しさにまぎれて、思うようにお尋ねにもなれなかったのだが、三月の初めころに、「出産はこのごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。急いで帰参して、

 「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」

 とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。

 宿曜の占いで、
 「お子様は三人。帝、后が必ず揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
 
 と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうことを、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらっしゃったが、今上の帝が、このように御即位あそばされたことを、予言の通りに嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
 
 「故院は、大勢の親王たちの中で、わたしを特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
 
 と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、
 
 「住吉の神のお導きは、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」
 
 とお考えになって、東の院を急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。

 [第二段 宣旨の娘を乳母に選定]
 
 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘で、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって不如意な生活を送っていたのが、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、その人を知るつてがあって何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。

 まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この源氏の君に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨をお答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。

 外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、君のじきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、

 「ただ、仰せのとおりに」

 と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、

 「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」

 などと、事の次第を詳しくお頼みになる。

 主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、

 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」

 とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。

 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
  別れは惜しい気がするものであるよ
 追いかけて行こうかしら」

 とおっしゃると、にっこりして、

 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
  恋しい方のいらっしゃる所に行きたいのではありませんか」

 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。

 [第三段 乳母、明石へ出発]

 車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう口止めなさってお遣わしになる。御佩刀や必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど並々でない。

 入道が大切にお育てしているであろう様子を想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。

 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
  天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」

 摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。

 入道が待ち迎えて、喜び恐縮申すことは、この上ない。京の方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならない君のお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。

 幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃることは、またと類がない。乳母も「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝するにつけても、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。

 子持ちの君もここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って生きているとも思えなかったが、こうした君のご配慮があって、少し物思いも慰められたので、床から頭を上げてお使いの者にもできる限りのもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、

 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
  大きなご加護を期待しております」

 と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く姫君を御覧になりたくお思いになる。

 [第四段 紫の君に姫君誕生を語る]

 女君には、言葉に出してはろくにお話し申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、

 「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思ってはいないところで……。残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」

 とお申し上げになると、女君はお顔がぽっと赤くなって、

 「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただくわたしの心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」

 とお恨みになると、君はすっかり笑顔になって、

 「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」

 とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事だったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。

 「あの人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
 と言いさしなさって、

 「人柄が美しく見えたのも場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
 などと、お話し申し上げになる。

 しみじみとした夕べの煙や歌を詠み交わしたことなどを、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たことや、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、

 「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」

 と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、
 「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」

 と、独り言のようにふっと嘆いて、

 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
  わたしは先に煙となって死んでしまいたい」

 「何とおっしゃいます。嫌なことを。
  いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
  止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか

 さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」

 と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの人が、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。

 [第五段 姫君の五十日の祝]

 「五月五日に、その日が五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「京でならば、どのようなことでもどんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心にお掛けなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。

 お使いの者をお立てになる。
 「必ずその日に違わずに到着せよ」
 とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。

 「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の
 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか

 飛んで行きたい気持ちです。やはりこのまま過していることはできないから、上京をご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
 と書いてある。

 入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかいているのも、無理はないと思われる。

 ここ明石でも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、『闇夜の錦』のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。この乳母にさして劣らない女房を、縁故を頼って京から迎えて付けさせているが、それらはすっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この乳母はこの上なくおっとりとして気位高かった。

 聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子や、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、女君も「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、

 「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」

 と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。

 お返事には、
 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
  今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません

 いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」
 と、心からお頼み申し上げた。

 [第六段 紫の君、嫉妬を覚える]

 君は何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は横目で御覧やりになって、

 「『浦から遠方に漕ぎ出す舟』のように」

 と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、

 「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただこれだけの愛情ですよ。土地の様子などを、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」

 などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。

 

第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向

 [第一段 花散里訪問]
  
 このように、この女君の御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などにすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間は、慎重に過ごしていらっしゃるようである。
 
 五月雨の降る所在ない頃、公私ともにお暇なので、お思い立ってお出かけになった。訪れはなくても、朝に夕につけ、君が何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりにすねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
 
 女御の君にお話し申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美な君のお振る舞いは、限りなく美しくお見えになる。女君はますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子は、どこといって難がない。水鶏がとても近くで鳴いているので、
 
 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
  どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」
 
 と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
 
 「それぞれに捨てがたい人よ。このような人こそ、かえって気苦労することだ」
 とお思いになる。

 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
  わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
 心配ですね」
 
 とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど疑いの生じるご性質ではない。長い年月、お待ち申し上げていらっしゃったのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
 
 「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。辛い身の上にとっては、同じ悲しさですのに」
 
 とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。

 [第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍]
 
 このような折にも、あの五節の君をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。

 五節は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。

 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。

 東の院の造りようは、本邸よりもかえって見所が多く今風である。風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。

 尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女君は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。君はかえって、窮屈で、物足りない間柄だと、お思いになる。

 [第三段 旧後宮の女性たちの動向]

 朱雀院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊などをなさって、御機嫌よろしうおいであそばす。女御や更衣たちもみな院の御所に伺候していらっしゃるが、春宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって結構なご幸福で、院のお側から離れて春宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。

 この源氏の内大臣のご宿直所は、昔の淑景舎である。梨壺に春宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合いなさって、春宮をもご後見申し上げになさる。

 入道后の宮は、中宮の御位を再びお改めて皇太后おなりになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。御勤行や功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。

 内大臣は何かにつけて、大后がたいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。

 [第四段 冷泉帝後宮の入内争い]

 兵部卿の親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらっしゃったことを、内大臣は快からずお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。

 世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮のあたりに対しては、むしろ冷淡な態度もままおとりになるのを、入道の宮は困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。

 天下の政事はまったく二分して、太政大臣とこの内大臣のお心のままである。

 権中納言の御娘を、その年の八月に入内させなさる。祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。

 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は他より一段と勝るようにともお考えにはならないのであった。宮はどうなさるおつもりであろうか。

 

第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅

 [第一段 住吉詣で]
 
 その年の秋に住吉にご参詣になる。願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部や殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
 
 ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
 
 舟で参詣した。岸に着ける時に、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子が渚いっぱいにあふれていて、尊い奉納品を列をなさせて持たせていた。楽人が十人ほど、衣装を整え顔形の良い者を選んでいた。
 
 「どなたが参詣なさるのですか」
 と尋ねたらしいので、
 
 「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
 
 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
 
 「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうでお仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに出掛けて来たのだろう」
 
 などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。

 [第二段 住吉社頭の盛儀]
 
 松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが数知れず見える。六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も今は靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。

 良清も同じ衛門府の佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿がたいそう美しげである。

 すべて明石で見た人たちがうって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、あちこちに散らばっている中で、若々しい上達部や殿上人が我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな見物であると、明石の田舎者も思った。

 お車を遠く見やると、かえって心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。河原の左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をしている十人、それが格別はなやかに見える。

 大殿腹の若君を、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人や童の具合などは、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。

 雲居遥かな立派さを見るにつけても、わが姫君が人数にも入らない様子でいらっしゃるのをひどく悲しいと思う。ますます御社の方角をお拝み申し上げる。

 摂津の国守が参上して、ご饗応の準備を、普通の大臣などが参詣なさる時よりは格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。

 明石の君は、とてもいたたまれない思いなので、
 「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になりお認めくださるはずもあるまい。帰るにしても中途半端である。今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
 と思って、漕いで行った。

 [第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず]

 君はまったくご存知なく、一晩中いろいろな神事を奉納させなさる。真実に神がお喜びになるにちがいないことをあらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。

 惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。君がちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。

 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
  昔のことがを忘れられずに思われますので」

 いかにもと、お思い出しになって、

 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
  念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
 霊験あらたかであったな」

 とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。

 [第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る]
 
 あの明石の舟がこの騷ぎに圧倒されて立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。来合せてかえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。

 御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓いを、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、

 『今また同じ難波で何としてでも……』

 と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光が聞きつけたのであろうか、そのようなご用命もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、

 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
  めぐり逢えたとは、宿縁は深いのですね」

 と書いて、惟光にお与えになると、惟光はあちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。女君は、君の一行が馬を多数並べて通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。

 「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに
  どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう」

 田蓑の島で禊を勤める、そのお祓いの木綿と一緒に、惟光は明石の君からの歌を君に差し上げる。日も暮れ方になって行く。

 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声を惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、君は人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。

 「涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
  田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので」

 道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、なおも明石の君のことがお心に掛かって思いをお馳せになる。遊女たちが集まって参って来ているが、上達部とは申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。けれども、「さあ、風流なこともものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。普通の恋愛でさえ少し浮ついたものは心を留める点もないものだから」とお思いになると、遊女たちが心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。

 [第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる]

 あの明石の人は、君の一行が通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。身分相応の願ほどきなどを、ともかくも済ませたのであった。また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。

 今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。近々のうちに京に迎えることをおっしゃっていた。

 「とても頼りがいがありそうに一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を離れ出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
と思い悩む。

 入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。

 

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い

 [第一段 斎宮と母御息所上京]
 
 そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、君は昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほどお心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、君もお出掛けになることはない。
 
 無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、身分柄窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。ただ、斎宮を、「どのようにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。

 昔どおりに、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。風雅でいらっしゃることは、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。

 源氏の内大臣は、それをお聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。

 お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。

 [第二段 御息所、斎宮を源氏に託す]

 こんなにまでもお心に掛けていたのを、女君も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。

 「心細い状況でわたしに先立たれなさるのを、きっと何かにつけて面倒を見て上げてくださいませ。また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
 と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。

 「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。けっして、ご心配申されることはありません」
 などと申し上げなさると、

 「とても難しいこと。本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」

 などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、

 「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。いずれ、そのうちに」

 と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃるのが、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。

 お髪の掛ったところや、頭の恰好、感じが上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。

 「とても苦しさが募ってまいりました。恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
 と言って、女房に臥せさせられなさる。

 「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。いかがなお具合ですか」
 と言って、お覗きになる様子なので、

 「たいそうひどい具合でございますよ。病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
 と、女房を介してお申し上げになる。

 「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」

 などと申し上げて、お帰りになった。お見舞いは、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。

 [第三段 六条御息所、死去]
 
 七、八日あって、御息所はお亡くなりになったのであった。あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。

 君ご自身もお越しになった。宮にご挨拶申し上げなさる。

 「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
 と、女別当を介して、お伝え申された。

 「わたしもお話し申し上げ、また母君もおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」

 と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも償われそうに見える。実に厳かに邸の家司たちを大勢お仕えさせなさった。しみじみと物思いに耽りながらご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。

 宮には常にお見舞い申し上げなさる。だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。

 雪や霙が降り乱れる日、「どんなに宮邸の様子は心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。

 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
  雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が
  まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます」

 空色の紙の、曇ったような色のにお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。

 宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
 「ご代筆では、とても不都合なことです」
 と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
  毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」

 遠慮がちな書きぶりが、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。

 [第四段 斎宮を養女とし、入内を計画]

 伊勢へ下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けてどのようにでも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、

 「それはお気の毒なことだ。亡き御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして潔白にお世話申し上げよう。主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、御入内をおさせ申し上げて、自分には娘がいなくて物寂しいから、そのようにお世話する人として」とお考えになった。

 たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお邸にお出向きなどなさる。

 「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」

 などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。

 「女別当や内侍などという女房たち、あるいは同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。この、ひそかに思っている御入内をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」

 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうよ。

 ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を宮家の人々も皆喜んでいた。

 とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去って行ったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。

 お仕えしている女房たちには、身分の高い人も賤しい人も多数いる。けれども、源氏の内大臣が、

 「たとい御乳母たちであっても、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」

 などと、父親ぶって申し上げていらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。

 [第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執]

 院におかせられても、あの伊勢にお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を忘れがたくお思いおかれていらっしゃったので、

 「院に参内なさって、斎院など、わたしの姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お過ごしになりなさい」

 と、かつて御息所にも申し上げあそばしていた。けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見をして上げられようかと、女房たちは諦めていたが、院におかれては懇切に仰せになるのであった。

 源氏の内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、それに背いて横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、前斎宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げなさるのであった。

 「これこれのことを思案いたしておりますが、母御息所はとても重々しく思慮深い方でありましたが、わたしのつまらない浮気心からとんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来をご遺言されましたので、わたしを信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がいたしまして。直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどにと存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きくおなりあそばしていますが、まだごお若い年齢でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に……」
 などと申し上げなさると、

 「とてもよくお考えくださいました。院におかせられてもお思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あの母君のご遺言を口実にして、知らないふりをして御入内申し上げなさいまし。院は、今ではそのようことは特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」

 「それでは、主上からのご意向があって、斎宮を人数に扱っていただけるならば、わたしは促す程度のことを口添えをすることにいたしましょう。あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことをそっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと心配でございます」

 などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎え申してしまおう」とお考えになる。

 女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
 「斎宮をお話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
 と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。

 [第六段 冷泉帝後宮の入内争い]
 
 入道の宮は、兄の兵部卿の宮が姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「源氏の内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。

 権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。太政大臣のご養女として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。

 入道の宮は 「兵部卿の宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったことにお人形遊びの感じがなさるでしょうから、年長のご後見はまこと嬉しいこと」とお思いになり、また仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も主上に申し上げなさる一方で、源氏の内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく日常のことにつけてまで細かいご配慮がたいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方でお側にお付きするお世話役が是非とも必要なのであった。

源氏物語の世界ヘ
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