光る源氏の二十七歳春から二十八歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語
第一章 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語
[第二段 光る源氏の祈り]
「こうしながらこの世は滅びてしまうのであろうか」と思わずにはいらっしゃれないでいると、その翌日の明け方から、風が激しく吹きだし、潮が高く満ちきて、波の音の荒々しいことは、巌も山をも砕き無くしてしまいそうである。雷の鳴りひらめく様子は、さらに言いようがなくて、「そら、落ちてきたか」と思われると、その場に居合わせた者でしっかりした人はいない。
「自分はどのような罪を犯して、このような悲しい憂き目に遭うのだろう。父母にも互いに顔を見ず、いとしい妻や子どもにも会えずに、死なねばならぬとは」
と嘆く。君は、お心を静めて、「いったいどれほどの過失によって、この海辺に命を落とすというのか」と、気を強くお持ちになるが、供人がひどく脅え騒いでいるので、色とりどりの幣帛を奉らせなさって、
「住吉の神よ、この近辺一帯をご鎮護なさる、真に現世に迹を現しなさる神ならば、我らを助けたまえ」
と、数多くの大願を立てなさる。供人たちは各自めいめいの命はそれはそれとして、このような尊いお方がまたとないさまでお命を落としてしまいそうなことがひどく悲しいので、心を奮い起こして、わずかに気を確かに持っている者は皆、「わが身に代えて、この御身ひとつをお救い申し上げよう」と、大声を上げて、声を合わせて仏や神にお祈り申し上げる。
「帝王の奥深い宮殿に育てられなさって、さまざまな楽しみをほしいままになさったが、深いご仁徳は、大八洲にあまねく行き渡り、沈淪していた人々を数多く浮かび上がらせなさった。今、いったい何の報いによってか、こんなに非道な波風に溺れ死ななければならないのか。天地の神々よ、理非をご判断ください。罪なくして罪に当たり、官職、爵位を剥奪され、家を離れ、都を去って、日夜お心の安まる時なく、お嘆きになっていらっしゃる上に、このような悲しい憂き目にまで遭い、命を失ってしまいそうになるのは、前世からの報いか、この世での犯しによるのか。神よ、仏よ、確かにいらっしゃるならば、この災いをお鎮めください」
と、住吉のお社の方を向いて、さまざまな願を立てなさる。
また、海の中の龍王や、八百万の神々に願をお立てさせになると、ますます雷が鳴り轟いて、いらっしゃるご座所に続いている廊に落ちてきた。炎が燃え上がって、廊は焼け落ちてしまった。生きた心地もせず、皆が皆あわてふためく。後方にある大炊殿といったような建物にお移し申して、身分の上下なく人々が入り込んで、ひどく騒がしく泣き叫ぶ声は、雷鳴にも負けない。空は黒墨を摺ったようで、日も暮れてしまった。
[第三段 嵐収まる]
だんだんと風が弱まり、雨脚が衰え、星の光も見えてきたので、このご座所がひどく場違いなのも、まことに恐れ多いので、寝殿にお戻りいただこうとするが、
「焼け残った所も気味が悪く、おおぜいの人々が踏み荒らした上に、御簾などもみな吹き飛んでしまった」
「夜を明かしてからにしては」
とあれこれしている間に、君は御念誦を唱えながら、いろいろお考えめぐらしになるが、気持ちが落ち着かない。
月が出て、潮が近くまで満ちてきた跡がはっきりと分かり、その後も依然として寄せては返す波の荒いのを、柴の戸を押し開けて、物思いに耽りながら眺めていらっしゃる。この界隈には、ものの道理をわきまえ、過去や将来のことを判断して、あれこれとはっきりと理解する者もいない。賤しい海人どもなどが、高貴な方のいらっしゃるところだといって、集まり参って、お聞きになっても分からないようなことがらをぺちゃくちゃしゃべり合っているのも、ひどく珍しいことではあるが、追い払うこともできない。
「この風が、今しばらく止まなかったら、潮が上がって来て、残るところなく攫われてしまったことでしょう。神様のご加護は大変なものであった」
と言うのをお聞きになるのも、とても心細いといったのでは言い足りないくらいである。
「海に鎮座まします神の御加護がなかったならば
潮の渦巻く遥か沖合に流されていたことであろう」
一日中、激しく煎り揉みしていた雷の騷ぎのために、そうはいってもひどくお疲れになったので、思わずうとうととなさる。恐れ多いほど粗末なご座所なので、ちょっと寄り掛かっていらっしゃると、故院が、まるで御生前おいであそばしたお姿のままお立ちになって、
「どうして、このような見苦しい所にいるのだ」
と仰せになって、お手を取って引き立てなさる。
「住吉の神がお導きになるのに従って、早く船出して、この浦を去りなさい」
と仰せあそばす。とても嬉しくなって、
「畏れ多い父上のお姿にお別れ申して以来、さまざまな悲しいことばかりが多くございますので、今はこの海辺に命を捨ててしまいましょうかしら」
と申し上げなさると、
「実にとんでもないことだ。これは、ちょっとしたことの報いである。朕は、在位中に、過失はなかったけれども、知らず知らずのうちに犯した罪があったので、その罪を償うのに暇がなくて、この世を顧みなかったが、そなたが大変な難儀に苦しんでいるのを見ると、堪え難くて、海に入り渚に上がり、たいそう疲れたけれど、このような機会に、帝に奏上しなければならないことがあるので、急いで上るのだ」
と言って、お立ち去りになってしまった。
名残惜しく悲しくて、「お供して参りたい」とお泣き入りになって、お顔を上げなさると、人影もなく、月の面だけが耿々として、夢とも思えず、お姿が残っていらっしゃるような気がして、空の雲がしみじみとたなびいているのであった。
ここ数年来、夢の中でもお会い申さず、恋しくお会いしたいお姿を、わずかな時間ではあるが、はっきりと拝見したお顔だけが、眼前にお浮かびになって、「自分がこのように悲しみを窮め尽くし、命を失いそうになったのを、助けるために天翔っていらっしゃったのだ」と、しみじみと有り難くお思いになると、「よくぞこんな騷ぎもあったものよ」と、夢の後も頼もしくうれしく思われなさること、限りない。
胸がぴたっと塞がって、かえってお心の迷いに、現実の悲しいこともつい忘れ、「夢の中でお返事をもう少し申し上げずに終わってしまったことよ」と残念で、「再びお見えになろうか」と、無理にお寝みになるが、さっぱりお目も合わず、明け方になってしまった。
[第四段 明石入道の迎えの舟]
渚に小さい舟を漕ぎ寄せて、二、三人ほどの人が、君の旅のお館をめざして来る。何者だろうと尋ねると、
「明石の浦から、前の播磨守の新発意が、お舟を支度して参上したのです。源少納言がここに伺候しておいででしたら、面会して事の子細を申し上げたい」
と言う。良清は、驚いて、
「入道は、あの国での知人として、長年互いに親しくお付き合いしてきましたが、私事でいささか恨めしく思うことがございまして、特に手紙さえも交わさず久しくなっておりましたが、この荒波に紛れて、何の用であろうか」
と言って不審がる。君は、お夢などもお考え及ばされることがあって、「早く会え」とおっしゃるので、舟まで行って会った。良清は「あれほど激しかった波風なのに、いつの間に舟出をしたのだろう」と、合点が行かず思っていた。
「去る朔日の夢に、異形のものが告げ知らせることがございましたので、信じがたいこととは存じましたが、『十三日にあらたかな霊験を見せよう。舟の準備をして、必ず、この雨風が止んだら、この須磨の浦に寄せ着けよ』と、前もって告げていたことがございましたので、試しに舟の用意をして待っておりましたところ、激しい雨や風、雷がそれと気づかせてくれましたので、異国の朝廷でも夢を信じて国を助けるた例が多くございましたので、たとい君がお取り上げにならないにしても、この予告の日をやり過さず、この由をお知らせ申し上げましょうと思って、舟出をしましたところ、不思議な風が細く吹いて、この浦に着きましたことは、ほんとうに神のお導きは間違いがございません。こちらにも、もしやお心あたりのこともございましたでしょうか、と存じまして。大変に恐縮ですが、この由をお伝え申し上げてください」
と言う。良清は、こっそりとお伝え申し上げる。
君はお考えめぐらすと、夢や現実にいろいろと穏やかでなく、もののさとしのようなことを、過去から未来をとお考え合わせになって、
「世間の人々がこれを聞き伝えるような後世の非難も穏やかではないだろうことを恐れて、本当の神の助けであるのに、それに背いたものなら、またそれ以上に物笑いを受けることになるだろうか。現実の世の人の意向でさえ背くのは難しいものだ。ちょっとしたことでも慎重にして、自分より年齢もまさるとか、もしくは爵位が高いとか、世の信望がいま一段まさる人とかには、その言葉に従って、その意向を考え入れるべきである。『謙虚に振る舞って非難されることはない』と、昔の賢人も言い残していた。なるほど、このような命の極限まで辿り着き、この世にまたとないほどの困難の限りを体験し尽くした。今さら後世の悪評を避けたところで、たいしたこともあるまい。夢の中にも父帝のお導きがあったのだから、また何を疑おうか」
と考えになって、お返事をおっしゃる。
「知らない世界で、珍しい困難の極みに遭ってきたが、都の方からといって、安否を尋ねて来る人もいない。ただ茫漠とした空の月と日の光だけを、故郷の友として眺めていますが、『うれしい釣舟』と思うぞ。あちらの浦で、静かに隠れて過ごせる所はありますか」
とおっしゃる。使者はこの上なく喜んでお礼をお伝え申し上げる。
「ともかくも、夜のすっかり明けない前にお舟にお乗りください」
ということで、いつもの側近の者だけ、四、五人ほどお供にしてお乗りになった。
例の不思議な風が吹き出してきて、飛ぶように明石にお着きになった。わずか這って行けそうな距離は時間もかからないとはいえ、やはり不思議にまで思える風の働きである。
[第二段 京への手紙]
少しお心が落ち着いてから、京へのお手紙をお書き申し上げなさる。参上していた使者は 今「ひどい時に使いに立って辛い思いをした」と泣き沈んであの須磨に留まっていたのを、君は明石に呼び寄せて、身にあまるほどのご褒美を多く賜って京へ帰し遣わす。親しいご祈祷の師たちや、しかるべき方々には、このほどのご様子を、詳しく書いて遣わすのであろう。
入道の宮にだけは、不思議にも生き返った様子などをお書き申し上げなさる。二条院からの胸を打つ手紙のお返事には、すらすらと筆もお運びにならず、筆をうち置きうち置きして、涙を拭いながらお書き申し上げになるご様子は、やはり格別である。
「繰り返し繰り返し、恐ろしい目の極限を体験し尽くした状態なので、今は俗世を離れたいという気持ちだけが募っていますが、『鏡を見ても』とお詠みになった面影が離れる間がないので、このように遠く離れたままになってしまうのかと思うと、たくさんのさまざまな心配事は、自然と二の次に思われまして、
遥か遠くより思いやっております
知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても
夢の中の心地ばかりして、まだ覚めきらないでいるうちは、どんなにか変なことを多く書いたことでしょう」
と、なるほど、とりとめもなくお書き散らしになっているが、まことに側からのぞき込みたくなるようなので、「たいそう並々ならぬご寵愛のほどだ」と、供の人々は拝見する。
それぞれも、故郷に心細そうな言伝をしているようである。
絶え間なく降り続いた空模様も、すっかり晴れわたって、漁をする海人たちも元気がよさそうである。須磨はとても心細く、海人の岩屋さえ数少なかったのに、ここは人の行き来の多い嫌悪感はおありになったものの、また一方で、格別にしみじみと心を打つことが多くて、何かにつけて自然と慰められるのであった。
[第三段 明石の入道とその娘]
明石の入道の、その勤行の態度は、たいそう悟り澄ましてはいるが、ただその娘一人を心配している様子は、とても傍で見ているのも気の毒なくらいに、時々愚痴をこぼし申し上げる。君のご心中にも、興味をお持ちになった女なので、「このように意外にも廻り合わせなさったのも、そうなるはずの前世からの宿縁があるのか」とお思いになるものの、「やはり、このように身を沈めている間は、勤行より他のことは考えまい。都の人も、普通の場合以上に、口で言っていたことと違うとお思いになるのも、気恥ずかしい」と思われなさると、素振りをお見せになることはない。折にふれて、「気立てや、容姿など、並み大抵ではないのかなあ」と、心惹かれないでもない。
こちら君のお側には入道の方はご遠慮申し上げて、自身はめったに参上せず、離れた下屋に控えている。その実、毎日お世話申し上げたく思い、物足りなくお思い申し上げて、「ぜひ何とか願いを叶えたい」と、仏や神をますますお祈り申し上げる。
年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事にもよく通じていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっているので、古い話などをさせてお聞きになると、少しは所在なさも紛れるのであった。
ここ数年来、君は公私にお忙しくてこんなにお聞きになったことのない世の中の故事来歴を入道が少しずつ説きおこすので、「もしこのような土地に来てこの人に会わないでいたら、残念なことであったろう」とまで、興味深くお思いになることもある。
このようにお親しみ申し上げてはいるが、たいそう気高く立派なご様子に、そうはいったものの、遠慮されて、自分の思うことは思うようにもお話し申し上げることができないので、「気がせいてならぬ、残念だ」と、母君と話しては嘆いていた。
娘ご本人は、「普通の身分の男性でさえ、まあまあの人は見当たらないこの田舎に、世の中にはこのような方もいらっしゃっるのだ」と拝見したのにつけても、わが身のほどが思い知らされて、とても及びがたくお思い申し上げるのであった。両親がこのように事を進めているのを聞くにつけても、「不釣り合いなことだわ」と思うと、何でもなかった時よりもかえって物思いがまさるのであった。
[第四段 夏四月となる]
四月になった。衣更えのご装束や御帳台の帷子などを、風流な様に作って調進しながら、万事にわたってお世話申し上げるのを、「気の毒でもあり、これほどしてくれなくてもよいものを」とお思いになるが、人柄がどこまでも気位を高くもって上品なので、そのままになさっていらっしゃる。
京からもひっきりなしにお見舞いの手紙がつぎつぎと多かった。のんびりとした夕月夜の晩に、海上に雲もなくはるかに見渡されるのが、都のお住みなれたお邸の池の水のように、思わず見間違えられなさると、何とも言いようなく恋しい気持ちは、どこへともなくさすらって行く気がなさって、ただ目の前に見やられるのは淡路島なのであった。「ああ、と遥かに」などとおっしゃって、
「ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで
すっかり照らしだす今宵の月であることよ」
長いこと手をお触れにならなかった琴を袋からお取り出しになって、ほんのちょっとお掻き鳴らしになっているご様子を、拝し上げる人々も心が動いて、しみじみと悲しく思い合っている。
「広陵」という曲を、秘術の限りを尽くして一心に弾いていらっしゃると、あの岡辺の家でも、松風の音や波の音に響き合って、音楽に嗜みのある若い女房たちは身にしみて感じているようである。何の楽の音とも聞き分けることのできそうにないあちこちの山賤どもも、そわそわと浜辺に浮かれ出て、風邪をひくありさまである。
[第五段 源氏、入道と琴を合奏]
入道もじっとしていられず、供養法を怠って、急いで参上した。
「まったく、一度捨て去った俗世も改めて思い出されそうでございます。来世に願っております極楽浄土の有様も、かくやと想像される今宵の妙なる笛の音でございますね」
と感涙にむせんで、お褒め申し上げる。
君ご自身でも、四季折々の管弦の御遊や、その人あの人の琴や笛の音、または声の出し具合、その時々の催しにおいて絶賛されなさった様子などを、帝をはじめたてまつり、多くの方々が大切に敬い申し上げなさったことを、他人の身の上もご自身の様子も、お思い出しになられて、夢のような気がなさるままに、掻き鳴らしなさっている琴の音も、寂寞として聞こえる。
老人は涙も止めることができず、岡辺の家に琵琶や箏の琴を取りにやって、入道は例の「琵琶法師」になって、たいそう興趣ある珍しい曲を一つ二つ弾き出した。
箏の琴をお進め申したところ、少しお弾きになるにつけても、さまざまな方面にも、たいそうご堪能だとばかり感じ入り申し上げた。実際には、さほどだと思えない楽の音でさえ、その状況によっては引き立つものであるが、ここは広々と何物もない海辺である上に、かえって春秋の花や紅葉の盛りである時よりも、ただ何ということなく青々と繁っている木蔭が美しい感じがするところに、水鶏が鳴いているのは、「誰が門さして」と、しみじみと興趣が催される。
入道が音色もまこと二つとないくらい素晴らしく出す二つの琴を、たいそう優しく弾き鳴らしたのにつけても、感心なさって、
「この琴は、女性が優しい姿態でくつろいだ感じに弾いたのが、おもしろいですね」
と、何気なくおっしゃるのを、入道は無性に微笑んで、
「あなた様がお弾きあそばす以上に優しい姿態の人は、どこにございましょうか。わたくしは、延喜の帝のご奏法を弾き伝えますことは、四代になるのでございますが、このようにふがいない身の上で、この世のことは捨て忘れておりましたが、ひどく気の滅入ります時々には、掻き鳴らしておりましたが、不思議にも、それを見よう見真似で弾く者がおりまして、自然とあの先大王のご奏法に似ているのでございます。山伏のようなひが耳では、松風をその音を妙なる音と聞き誤ったのでございましょうか。何とかして、それも一度こっそりとお耳にお入れ申し上げたいものです」
と申し上げるにつれて、身をふるわして、涙を落としているようである。
君は、
「琴など、琴ともお聞きになるなずのない名人揃いの所で、悔しいことをしたなあ」
と言って、押しやりなさって、
「不思議なことに、昔から箏は、女が習得するものであった。嵯峨の帝のご伝授で、女五の宮がその当時の名人でいらっしゃったが、その御系統で格別に伝授する人はいません。総じて、ただ現在に著名な人々は、通り一遍の自己満足程度に過ぎないが、ここにそのように隠れて伝えていらっしゃるとは、実に興味深いものですね。ぜひとも、聴いてみたいものです」
とおっしゃる。
「お聴きあそばすについては、何の支障がございましょう、御前にお召しになってでも。商人の中でさえ、古曲を賞美した人もございました。琵琶は、本当の音色を弾きこなす人は、昔も少のうございましたが、娘は少しも滞ることない優しい弾き方など格別でございます。どのように習得したものでございましょう。荒い波の音と一緒なのは、悲しく存じられますが、積もる愁えも、慰められる折々がございます」
などと風流がっているので、おもしろいとお思いになって、箏の琴を取り替えてお与えになった。
なるほど、たいそう上手に掻き鳴らした。現在では知られていない奏法を身につけていて、手さばきもたいそう唐風で、揺の音が深く澄んで聞こえた。「伊勢の海」ではないが、「清い渚で貝を拾おう」などと、声の美しい人に歌わせて、自分でも時々拍子をとって、お声を添えなさるのを、琴の手を度々弾きやめて、お褒め申し上げる。お菓子などを、珍しいさまに盛って差し上げ、供の人々に酒を大いに勧めたりして、いつしか物憂さも忘れてしまいそうな夜の様子である。
[第六段 入道の問わず語り]
たいそう夜が更けて行くにつれて、浜風が涼しくなってきて、月も入り方になるにつれて、ますます澄みきって、静かになった時分に、お話を残らず申し上げて、この浦に住み初めたころの心づもりや、来世を願う模様などをぽつりぽつりお話し申し上げて、自分の娘の様子を問わず語りに申し上げる。おかしくおもしろいと聞く一方で、やはりしみじみ不憫なとお聞きになる点もある。
「とても取り立てては申し上げにくいことでございますが、あなた様がこのような思いがけない土地に一時的にせよ、移っていらっしゃいましたことは、もしや長年この老法師めがお祈り申していました神仏がお憐れみになって、しばらくの間、あなた様にご心労をお掛け申し上げることになったのではないかと存ぜられます。
そのわけは、住吉の神をご祈願申し始めて、ここ十八年になりました。娘がほんの幼少でございました時から、思う子細がございまして、毎年の春秋ごとに、必ずあの住吉の御社に参詣することに致しております。昼夜の六時の勤行に、自分自身の極楽往生の願いは、それはそれとして、ただ自分の娘に高い望みを叶えてくださいと、祈っております。
前世からの宿縁に恵まれませんもので、このようなつまらない下賤な者になってしまったのでございますが、父親は大臣の位を保っておられました。自分からこのような田舎の民となってしまったのでございます。子々孫々と、落ちぶれていく一方では終いにはどのようになってしまうのかと悲しく思っておりますが、わが娘には生まれた時から頼もしく思うところがございます。何とかして都の高貴な方に差し上げたいと思う決心が、固いものですから、身分が低ければ低いなりに多数の人々の嫉妬を受け、わたしにとってもつらい目に遭う折々が多くございましたが、少しも苦しみとは思っておりません。娘には、自分が生きておりますうちは微力ながらも育てましょう、だが、このまま先立ってしまったら、海の中にでも身を投げてしまいなさい、と申しつけております」
などと、全部はお話できそうにもないことを、泣く泣く申し上げる。
君も、いろいろと物思いに沈んでいらっしゃる時なので、涙ぐみながら聞いていらっしゃる。
「無実の罪に当たって、思いもよらない地方にさすらうのも、何の罪によるのかと分からなく思っていたが、今夜のお話をうかがって考え合わせてみると、なるほど浅くはない前世からの宿縁であったのだと、しみじみと分かった。どうして、このようにはっきりとご存じであったことを、今までお話してくださらなかったのか。都を離れた時から、世の無常に嫌気がさし、勤行以外のことはせずに月日を送っているうちに、すっかり意気地がなくなってしまった。そのような人がいらっしゃるとは、ほのかに聞いてはいたが、役立たずの者では縁起でもなく思って相手にもなさらぬであろうと、自信をなくしていたが、それではご案内してくださるというのだね。心細い独り寝の慰めにでも……」
などとおっしゃるのを、この上なく光栄に思った。
「独り寝はあなた様もお分かりになったでしょうか
所在なく物思いに夜を明かしている明石の浦の心淋しさを
まして長い年月ずっと願い続けてまいった気のふさぎようを、お察しくださいませ」
と申し上げる様子は、身を震わせていたが、それでも気品は失っていない。
「それでも、海辺の生活に馴れた人は」とおっしゃって、
「旅の生活の寂しさに夜を明かしかねて
安らかな夢を見ることもありません」
と、ちょっと寛いでいらっしゃるご様子はたいそう魅力的で、何ともいいようのないお美しさである。数えきれないほどのことどもを申し上げたが、何とも煩わしいことよ。誇張をまじえて書いたので、ますます馬鹿げて頑固な入道の性質も現れてしまったことであろう。
[第七段 明石の娘へ懸想文]
願いがまずまず叶った心地がして、すがすがしい気持ちでいると、君は翌日の昼頃に岡辺の家にお手紙をおつかわしになる。奥ゆかしい方らしいのも、かえってこのような辺鄙な土地に意外な素晴らしい人が埋もれているようだとお気づかいなさって、高麗の胡桃色の紙に、何ともいえないくらい念入りに趣向を調えて、
「何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが
お噂を耳にしてお便りを差し上げます
『心に思うことには、こらえることが……』」 というぐらいあったのであろうか。
入道も、こっそりとお待ち申し上げようとして、あちらの家に来ていたのだが、それも期待どおりなので、お使者をたいそうおもはゆく思うほどもてなして酔わせる。
お返事には、たいそう時間がかかる。奥に入って催促するが、娘は一向に聞き入れない。気後れするようなお手紙の様子に、お返事をしたためる筆跡も恥ずかしく気後れして、相手のご身分とわが身の程を思い比べると、比較にもならない思いがして、気分が悪いといって物に寄り伏してしまった。
説得に困って、入道が書く。
「とても恐れ多い仰せ言は、田舎者には身に余るほどのことだからでございましょうか。まったく拝見させて戴くことなど、思いも及ばぬもったいなさでございます。それでも、
物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは
娘もきっと同じ気持ちだからなのでしょう
と拝察してます。大変に色めいたことで、恐縮でございます」
とお返事申し上げた。陸奥紙にひどく古風な書き方だが、筆跡はしゃれていた。「なるほど、色っぽく書いたものだ」と、目を見張って御覧になる。入道はお使者に並々ならぬ女装束などを与えた。
翌日、
「代筆のお手紙を頂戴したのは、初めてです」とあって、
「悶々として心の中で悩んでおります
いかがですかと尋ねてくださる人もいないので
『恋しいとも言いがたいので……』」
と、今度は、たいそうしなやかな薄様に、とても美しそうにお書きになっていた。若い女性が素晴らしいと思わなかったら、あまりに引っ込み思案というものであろう。ご立派なとは思うものの、比較にならないわが身の程がひどくふがいないので、かえって自分のような女がいるということを、お知りになり訪ねてくださるにつけて、自然と涙ぐまれて、まったく例によって動こうとしないのを責められ促されて、深く香をたきしめた紫の紙に、墨つきも濃く薄く書き紛らわして、
「思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか
まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか」
筆跡や出来ぐあいなどは、高貴な婦人方に比べてもたいして見劣りがせず、貴婦人といった感じである。
京の事が思い出されて、興趣深いと御覧になるが、続けざまに手紙を出すのも人目が憚られるので、二、三日置きに、所在ない夕暮や、もしくはしみじみとした明け方などに紛らわして、それらの時々に同じ思いをしているにちがいない時を推量して書き交わしなさると、相手として不似合いではない。
思慮深く気位高くかまえている様子も、是非とも会わないと気がすまないと、お思いになる一方で、良清がわがもの顔に言っていた様子もしゃくにさわるし、長年心にかけていただろうことを、彼の目の前で失望させるのも気の毒にご思案されて、「相手が進んで参ったような恰好ならば、そのようなことにして、うやむやのうちに事をはこぼう」とお思いになるが、女は女で、かえって高貴な身分の方以上にたいそう気位高くかまえていて、いまいましく思うようにお仕向け申しているので、意地の張り合いで日が過ぎて行ったのであった。
京の事をこのように関よりも遠くに行った今では、ますます気がかりにお思い申し上げなさって、「どうしたものだろう。あの『冗談でない……』ことだ。こっそりとお迎え申してしまおうか」と、お気弱になられる時々もあるが、「そうかといって、こうして何年も過せようかと、今さら体裁の悪いことを」と、お思い静めになった。
[第八段 都の天変地異]
その年、朝廷では、神仏のお告げが続いてあって、物騒がしいことが多くあった。三月十三日に、雷が鳴りひらめき雨風が激しかった夜に、帝の御夢の中に、故院の帝が御前の階段の下にお立ちあそばして、ひどく御機嫌が悪く帝をお睨み申し上げあそばすので、帝は畏まっておいであそばす。お話し申し上げあそばすことが多かった。源氏のお身の上の事であったのだろう。
帝はたいそう恐ろしく、またおいたわしく思し召されて、母大后にお申し上げあそばしたのだが、
「雨などが降り、天候が荒れている夜には、思い込んでいることが夢に現れるのでございます。何とも軽々しい振る舞いに、お驚きあそばすものではありませぬ」
とお諌め申される。
故父院がお睨みになったときに、眼をお見合わせになったと思し召してか、その後眼病をお患になって、堪えきれないほどお苦しみになる。御物忌みを、宮中でも大后のお邸でも、数知れずお執り行わせあそばす。
太政大臣がお亡くなりになった。無理もないお年ではあるが、次々に自然と騒がしいことが起こって来る上に、大后宮もどことなくお具合が悪くなって、日がたつにつれ弱って行かれる様子なので、主上におかれてもお嘆きになることが、あれやこれやと尽きない。
「やはり、この源氏の君が、真実に無実の罪でこのように沈んでいるならば、必ずその報いがあるだろうと思われます。今は、やはり元の位階を授けましょう」
と度々お考えになって仰せになるが、
「世間の非難が、軽々しいというでしょう。罪を恐れて都を去った人を、わずか三年も過ぎないうちに赦されるようなことは、世間の人もどのように言い伝えることでしょう」
などと、大后は固くお諌めになるので、ためらっていらっしゃるうちに月日がたって、お二方の御病気もそれぞれ次第に重くなって行かれる。
[第二段 明石の君を初めて訪ねる]
こっそりと吉日を調べて、母君があれこれと心配するのには耳もかさず、弟子たちにさえ知らせず、自分の一存で一生懸命に世話をやき、輝くばかりに部屋を整えて、十三夜の月が明るくさし出た時分に、ただ「惜しいこの夜の月を」と申し上げた。
君は、「風流ぶっているな」とお思いになるが、お直衣をお召しになり身なりを整えて、夜が更けるのを待ってお出かけになる。お車はまたとなく立派に整えたが、それは仰々しいと考えて、お馬でお出かけになる。惟光などぐらいをお供させなさる。そこは少し遠く奥まった所であった。道すがら四方の浦々をお見渡しになって、あの『恋人どうしで眺めたい入江』の月影を見るにつけても、まずは恋しい人の御ことをお思い出し申さずにはいらっしゃれないので、そのまま馬で通り過ぎて上京してしまいたく思われなさる。
「秋の夜の月毛の駒よ、わが恋する都へ天翔っておくれ
束の間でもあの人に会いたいので」
と思わず独り言が口から漏れる。
造りざまは、木が深く繁ってひどく感心する所があって、結構な住まいである。海辺の住まいは堂々として興趣に富み、こちらの家はひっそりとした住まいの様子で、「ここで暮らしたら、どんな物思いもし残すことはなかろう」と自然と想像されて、しみじみとした思いにかられる。三昧堂が近くにあって、鐘の音が松風に響き合ってもの悲しく、巌に生えている松の根ざしも情趣ある様子である。前栽などに秋の虫が盛りに鳴いている。あちらこちらの様子を御覧になる。娘を住ませている建物は格別に美しくしつらえてあって、月の光を入れた真木の戸口は、ほんの気持ちばかり開けてある。
君は少しためらいがちに何かと言葉をおかけになるが、娘は「こんなにまでお側近くには上がるまい」と深く決心していたので、何となく嘆かわしくて、気を許さない娘の態度を、「ずいぶんと貴婦人ぶっているな。容易に近づきがたい高貴な身分の女でさえ、わたしがこれほど近づいて言葉をかけてしまえば、気強く拒むことはないのであったが、このように落ちぶれているので、見くびっているのだろうか」といまいましくて、いろいろと悩んでいるようである。「容赦なく無理じいするのも、意向に背くことになる。かといって根比べに負けたりしたら、体裁の悪いことだ」などと、千々に心乱れてお恨みになるご様子は、本当に物の情趣を理解する人に見せたいものである。
近くの几帳の紐に触れて箏の琴が音をたてたのも、感じが取り繕ってなく、くつろいだ普段のまま琴を弄んでいた様子が想像されて、興趣あるので、
「お声ばかりでなく、この噂に聞いていた琴の音までも聴かせてくれないのですか」
などと、いろいろとおっしゃる。
「睦言を語り合える相手が欲しいものです
この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと」
「闇の夜にそのまま迷っておりますわたしには
どちらが夢か現実かと区別してお話し相手になれましょう」
ほのかな感じは、伊勢の御息所にとてもよく似ていた。何も知らずにくつろいでいたところを、こう意外なお出ましとなったので、たいそう困って、近くにある曹司の中に入って、どのように戸締りしたものか、固く閉ざしているのを、無理して開けようとはなさらない様子である。けれども、いつまでもそうしてばかりいられようか。
人柄はとても上品で、すらりとした姿態で気後れするような感じがする。このような無理に結んだ契りをお思いになるにつけても、ひとしおいとしい思いが増すのである。情愛が逢ってますます思いが募るのであろう、いつもは嫌でたまらない秋の夜の長さもすぐに明けてしまった気持ちがするので、「人に知られまい」とお思いになると気がせかれて、心をこめたお言葉を残してお出になった。
後朝のお手紙はこっそりと今日は届けられる。つまらない良心の呵責であるよ。入道方でも、このようなことを何とか世間に知られまいと隠して、お使者を仰々しくもてなせないのを残念に思った。
こうしてから後は、こっそりと時々お通いになる。「距離も少し離れて遠いので、自然と口さがない海人の子どもがいるかも知れない」とおためらいになる途絶えがあるのを、「やはり、思っていたとおりだわ」と嘆いているので、「なるほど、どうなることやら」と、入道も極楽往生の願いも忘れて、ただ君のお通いを待つことばかりである。今さら心を乱すのも、とても気の毒なことである。
[第三段 紫の君に手紙]
二条院の君がこのことを風の便りにでも漏れお聞きなさるようなことは、「遊び事にもせよ、隠しだてをしたのだと、お疎み申されるのは、申し訳なくも恥ずかしいことだ」とお思いになるのも、あまりなご愛情の深さというものであろう。「こういう方面のことは、穏和な方とはいえ、気になさってお恨みになった折々に、どうして、つまらない忍び歩きにつけても、そのようなつらい思いをおさせ申したのだろうか」などと、昔を今に取り戻したく、女の有様を御覧になるにつけても、恋しく思う気持ちが慰めようがないので、いつもよりお手紙を心こめてお書きになって、
「ところで、そうそう、自分ながら心にもない出来心を起こして、お恨まれ申した時々のことを思い出すのさえ胸が痛くなりますのに、またしても変なつまらない夢を見たのです。このように申し上げます問わず語りに、わたしの隠しだてしない胸の中だけはご理解ください。『誓ったことは』」などと書いて、
「何事につけても、
あなたのことが思い出されて、さめざめと泣けてしまいます
かりそめの恋は海人のわたしの遊び事ですけれども」
とあるお返事は、何のこだわりもなくかわいらしげに書いて、
「隠しきれずに打ち明けてくださった夢のお話につけても、思い当たることが多くございますが、
固い約束をしましたので、何の疑いもなく信じておりました
『末の松山』のように、心変わりはないものと」
鷹揚な書きぶりながら、お恨みをこめてほのめかしていらっしゃるのを、とてもしみじみと思われ、下に置くこともできず御覧になって、その後は久しい間お忍び通いもなさらない。
[第四段 明石の君の嘆き]
女君は、予想通りの結果になったので、今こそほんとうに身を海に投げ入れてしまいたい心地がする。
「老い先短い両親だけを頼りにして、いつになったら人並みの境遇になれる身の上とも思っていなかったが、ただとりとめもなく過ごしてきた年月の間は、何事に心を悩ましたことがあったろうか、このようにひどく物思いのする結婚生活であったのだ」
と、以前から想像していた以上に、何事につけ悲しいけれど、穏やかに振る舞って、憎からぬ態度で君にお会い申し上げる。
君もこの女君をいとしい人よと月日がたつにつれてだんだんお思いになっていくが、都のれっきとした方が、いつかいつかと自分の帰りを待って年月を送っていられ、一方ならずご心配なさっていらっしゃるだろうことが、とても気の毒なので、独り寝がちにお過ごしになる。
君は絵をいろいろとお描き集めになって、それに思うことを書きつけて、その絵に女君から返歌を聞かれるようにという趣向にお作りなった。見る人の心にしみ入るような絵の様子である。どのようにして、お心が通じあっているのであろうか、二条院の女君も、悲しい気持ちが紛れることなくお思いになる時々は、同じように絵をたくさんお描きになって、そのままご自分の有様を、日記のようにお書きになっていた。さてこれから、どうなって行かれるお二方の身の上であろうか。
[第二段 明石の君の懐妊]
そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。六月頃から懐妊の兆候が現れて苦しんでいるのであった。このようにお別れなさらねばならない時なので、あいにくご愛情もいや増すというのであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。
女君は、さらにいうまでもなく思い沈んでいる。まことに無理もないことであるよ。思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったが、「けっきょくは帰京するであろう」と、一方ではお慰めになっていた。
今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、しみじみと感慨無量である。
お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道は涙にくれているうちに、月が替わった。
季節までもしみじみとした空の様子なので、「どうして自分から求めて今も昔も、埒もない恋のために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまに思い悩んでいらっしゃるのを、事情を知っている人々は、
「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」
と拝見し、忌ま忌ましがっているようである。
「ここ数月来、全然、誰にもそぶりもお見せにならず、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」
「最近は、あいにくと、かえって、女が嘆きを増すことであろうに」
と、互いに陰口をたたき合う。源少納言良清は、ご紹介申した当初の頃のことなどささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。
[第三段 離別間近の日]
ご出発の日が明後日ほどになって、いつものようにあまり夜が更けないうちにお越しになった。まだはっきりと御覧になっていない女君の容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだ」と、お見捨てにくく残念にお思いになる。「しかるべき手筈を整えて京に迎えよう」とお考えになった。そのように約束してお慰めになる。
男君のお顔だちやお姿は改めていうまでもない。長い間のご勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのが、いいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながらしみじみと固いお約束なさるのは、「ただ一時の逢瀬だけでも幸せと思って、諦めてもいいのではないか」とまで思われもするが、源氏の君のご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。波の音が秋の風の中では、やはり響きは格別である。塩焼く煙がかすかにたなびいて、何もかもが悲しい所の様子である。
「今はいったんお別れしますが、藻塩焼く煙が同じ方向にたなびいているように
いずれは一緒に暮らしましょう」
とお詠みになると、
「あれこれと何とも悲しい気持ちでいっぱいですが
今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません」
せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。あの、いつもお聴きになりたがっていらっしゃった琴の音色など、これまで一度もお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」
とおっしゃって、京から持っていらっしゃった琴のお琴を取りにやって、格別に風情のある一曲をほのかに掻き鳴らしていらっしゃる、その夜更けの澄んだ音色は、たとえようもなく素晴しい。
入道もたまりかねて箏の琴を取って御簾の内に差し入れた。娘自身も、ますます涙まで催されて止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、ひそやかに音色を調べた風情は、まことに気品のある奏法である。入道の宮のお琴の音色を今の世に類のないものとお思い申し上げているのは、「当世風で、ああ、素晴らしい」と、聴く人の心がほれぼれとして、その御器量までが自然と想像されるのは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色なのである。
それに対して、こちらはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れていた。この君でさえ、これまで経験したことのないくらいにしみじみと心惹きつけられる感じで、まだお聴きつけにならない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程度に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。心をこめて将来のお約束をなさるばかりである。
「この琴は、再び掻き合わせをするまでの形見に」
とおっしゃる。女君は、
「軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが
その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、お偲び申します」
と言うともなく口ずさみなさるのを、お恨みになって、
「今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように
二人の仲の愛情も、格別変わらないでいて欲しいものです
この琴の絃の調子が変らないうちに必ず逢いましょう」
とお約束なさるようである。それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。
[第四段 離別の朝]
ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、お迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない合間を見はからって、
「あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが
後に残ったあなたはさぞやどのような気持ちでいられることかお察しします」
お返事は、
「長年住みなれたこの苫屋も、あなた様が立ち去った後は荒れはてて
つらい思いをしましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら」
と、お気持ちのままのお歌であるのを御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。事情を知らない供人たちは、
「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほどもお住み馴れになったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」
などと、拝見する。
良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」と、いまいましく思っている。
嬉しいにつけても、「なるほど、今日限りで、この浦を去ることよ」などと、名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。けれど、いちいちお話する必要もあるまい。
入道は今日のお支度をたいそう盛大に用意した。お供の人々には下々の者にまで、旅の装束を立派に整えてある。いつの間にこんなに準備したのだろうかと思われた。君のご装束はいうまでもない。み衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。実に都への土産にできるお贈り物類は、立派な物で、気のつかないところがない。今日お召しになるはずの狩衣のご装束に、
「ご用意致しました旅のご装束は寄る波の
涙に濡れていまので、お厭いになられましょうか」
とあるのをお見つけになって、騒がしい最中ではあるが、
「お互いに形見として着物を交換しましょう
また逢える日までの間の二人の仲の、この中の衣を」
とおっしゃって、「せっかくのご好意だから」と言って、お召し替えになる。そしてお身に着けていらしたのを女君にお遣りになる。なるほど、もう一つお偲びになるよすがを添えた形見のようである。素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。
入道は、
「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが……」
などと申し上げて、べそをかいているのも気の毒だが、若い人ならきっと笑ってしまうであろう。
「世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来たが
なお依然として子の故に此岸を離れることができずにおります
娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
「あだめいた事を申すようでございますが、もし娘のことをお思い出してくださることがございましたら……」
などと、ご内意を頂戴する。たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりがなどが、何ともいいようなくお見えになる。
「放っておきがたい事情もあるので、きっと今すぐにお思い直しくださるでしょう。ただ、この住まいが見捨てがたいのです。どうしたものでしょう」とおっしゃって、
「都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか
年月を過ごしてきたこの浦を離れる悲しい秋は」
とお詠みになって、涙を拭っていらっしゃると、入道はますます分別を失ってさらに涙を流す。立居もままならず転びそうになる。
[第五段 残された明石の君の嘆き]
娘ご本人の気持ちは、たとえようもないくらいで、こんなに深く悲嘆していると誰にも見せまいと気持ちを静めていたが、わが身のつたなさがもとで、無理のないことではあるが、君がお残しになって行かれた恨みの晴らしようがないのにつけ、せいぜいできることは、ただ涙に沈むばかりである。母君も慰めるのに困って、
「どうして、こんなに気を揉むようなことを思いついたのでしょう。あれもこれも、偏屈な主人に従ったわたしの失敗でした」
と言う。
「まあ、静かに。お捨て置きになれない事情もおありになるようですから、今は別れたといっても、お考えになっていることがございましょう。気持ちを落ち着かせて、せめてお薬湯などでも召し上がれ。ああ、縁起でもない」
と言って、片隅に座っていた。乳母、母君などは、偏屈な心をそしり合いながら、
「早く早く、何とか願い通りにしてお世話申そうと、長い年月を期待して過ごしてき、今や、その願いが叶ったと頼もしくお思い申したのに、気の毒にも、事の初めから味わおうとは」
と嘆くのを見るにつけても、かわいそうなので、ますます頭がぼんやりしてきて、昼は一日中、寝てばかり暮らし、夜はすっくと起き出して、「数珠の在りかも分からなくなってしまった」と言って、手をすり合わさせて茫然としていた。
弟子たちに軽蔑されて、月夜に庭先に出て行道をしたにはしたのだが、遣水の中に落ち込んだりするのであった。風流な岩の突き出た角に腰をぶっつけて、怪我をして寝込むことになって、ようやく物思いも少し紛れるのであった。
[第二段 源氏、参内]
お召しがあって、参内なさる。御前に伺候していらっしゃると、いよいよご立派になられて、「どのようしてあのような辺鄙な土地で長年お暮らしになっていたのだろう」と人々は拝見する。女房などの中で、故院の御在世中からお仕えしていて、年老いた人たちは悲しくて、今さらのように泣き騒いでお褒め申し上げる。
主上も恥ずかしくまで思し召されて、御装束なども格別におつくろいになってお出ましになる。お加減がすぐれない状態でここ数日おいであそばしたので、ひどくお弱りあそばしていらっしゃったが、昨日今日は少しよろしくお感じになるのであった。お話をしみじみとなさって夜に入った。
十五夜の月が美しく静かなので、昔のことを一つ一つ自然とお思い出しになられてお泣きあそばす。何となく心細くお思いあそばさずにはいられないのであろう。
「管弦の催しなどもせず、昔聞いたあなたの楽の音なども聞かないで、久しくなってしまったね」
と仰せになるので、
「海浜でうちしおれて落ちぶれながら蛭子のように
立つこともできず三年を過ごして来ました」
とお応え申し上げなさった。とても胸をうち心恥しく思わずにはいらっしゃれないので、
「こうしてめぐり会える時があったのだから
あの別れた春の恨みはもう忘れてください」
実に優美な御様子である。
君は、故院の御追善供養のために法華御八講を催しなさることを、何より先にご準備させなさる。春宮にお目にかかりなさると、すっかりと御成人あそばして、珍しくお喜びになっているのを、感慨無量のお気持ちで拝しなさる。御学問もこの上なくご上達になって、天下をお治めあそばすにも、何の心配もいらないように、ご立派にお見えあそばす。
入道の宮にも、お心を少し落ち着けて、ご対面の折には、しみじみとしたお話がきっとあったことであろう。
[第三段 明石の君への手紙、他]
そうそう、あの明石には、送って来た者たちが帰って行くのにことづけて、お手紙をお遣わしになる。人目に見られないようにして情愛こまやかにお書きになったようである。
「波の寄せる夜々は、どのように、
お嘆きになりながら暮らしていらっしゃる明石の浦には
嘆きの息が朝霧となって立ちこめているのではないかと思いやっています」
あの大宰大弐の娘の五節君は、どうにもならないことだが、人知れずご好意をお寄せ申していたのも醒めてしまった感じがして、使の者に、誰ともしらせず目くばせさせて置いて行かせたのであった。
「須磨の浦で好意をお寄せ申した舟人が
そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます」
「筆跡などはたいそう上手になったものよ」と、お見抜きになって、返事をお遣わしになる。
「かえってこちらこそ愚痴を言いたいくらいです、ご好意を寄せていただいて
それ以来涙に濡れて袖が乾かないものですから」
「いかにもかわいい」とお思いになった昔の思い出もあるので、はっとびっくりさせられなさってますますいとしくお思い出しになるが、最近はそのようなお忍び歩きはまったく慎んでいらっしゃるようである。
花散里などにも、ただお手紙などばかりなので、心もとなく思われて、かえって恨めしそうである。