賽を投げつけた
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奈穂先輩は、一点を注視したまま、にゅーっと顔の部品を中央に寄せたり、目を上下に動かしたり、ぐわっと口を開いたり、まるで一人にらめっこをしているようだった。 |
いくら中途半端な時間の私鉄の車内とはいえ、この顔は、あまりに不審すぎる。ぼくは、他人に注目されていないか心配で、そっとあたりを伺った。斜め前の角の席に一人、あとは車両のはじに一人寝ている人がいるだけで、二人ともこちらにきづいている様子はない。 |
「あの……せんぱい?」 |
「黙ってろ。今、決闘中なんだ」 |
けっとう……って、血糖?血統……血……血!? |
ぼくは慌てて奈穂先輩の身体を見回したが、血が出ている様子はない。えーと、見えないところ……? |
気がつくと、奈穂先輩が冷たい目線でぼくを見ていた。 |
「闘い、の決闘だ。ヴァーサス、の決闘」 |
カンカンカン、というリングの鐘の音が頭の中で鳴った。あ、決闘ね……VSね……。ぼくは介添人ですか。 |
VSというからには、敵対する相手が必要なわけで。再び臨戦態勢となったようである奈穂先輩の目線の先を追うと、斜め前の座席にはベビーカーを軽く揺らしつつ携帯でメールを凄い速度で打っている若いお母さんがいた。奈穂先輩とたいして変わらない。奈穂先輩も、お母さんになれる年なんだなあ……。 |
奈穂先輩がいつものむすっとした顔でこどもをあやしている姿を思い浮かべて、ぼくがたぶんにへにへしていた間も、先輩は決闘を続けているようだった。たまに、無表情に戻ったまま、数十秒そのままでいることもあるけど、基本は奇妙な顔をしている。 |
ぼくは、声をひそめて聞いてみた。 |
「えーと、決闘の相手って、あのお母さんなんですか?」 |
そんなに、悪いことをしているとは思えないけど……でも、赤ちゃんを放っていることにはかわりないのかな。そういうことに、正義感むきだしにするのって、奈穂先輩ぽくないような気がする。それも、ぼくの勝手なイメージだったってことだろうか。 |
「違う」 |
ぼそっと奈穂先輩はつぶやいた後、歯をむき出した。目もむき出しで恐い。動物園の何かのようだ。檻の中で野生に戻っている。 |
ぼくが再びお母さんの方を向くと、彼女もこちらの視線に気づいたようだった。一応、男女の二人連れなので不審には思われなかったようで、すぐにまたメール打ちに必死になる。 |
「広海、あまり見るな。気づかれる」 |
振り返ると、奈穂先輩は無表情にまっすぐ前を見ていた。急いで視線を移動しようとするけれど、どこに動かせばいいのか迷う。下のほうをうろうろしていると、ベビーカーの中が見えた。そこには、思っていたよりも大きな子どもが乗っていた。一人でも歩けるけれど、疲れたら乗るシステムなのかと推測する。 |
その幼児は、やたらと母親の方を向きたがっていた。あまり構ってくれないからさみしいのかな。不安げなそぶりに少し興味がわいてしばらく見ていると、こどもがこちらを見た。小さな顔に大きな目をもっと大きくさせて、こっちを見る。見る。そして母親を求めて首をめぐらす。しかし、母親はメール中。がまんできなくなったようにこっちを見る。見る。こどもの大きな目は、人間も動物も同じだけど、庇護欲をそそるためだと、聞いたことがある。にしても、見ているだけで痛々しいぐらい動揺しているようだ。その視線の先は。 |
……ぼくじゃない。奈穂せんぱい……。 |
「こどもが好きなんですか?」 |
「いや、別に」 |
そっけない返事をするのも惜しい、というぐらい夢中な様子で顔を七変化させている奈穂先輩。しかし、電車が急ブレーキで止まった勢いで、ぼくの肩に顔をぶつけてしまう。ぐは、と妙な声が聞こえた。同時にぶつかってきた身体の柔らかさなんて台無しになるぐらいのへどもどさだった。 |
到着駅のアナウンスが耳に入ったのか、メール打ちに必死だったお母さんは、慌てて電車を降りていった。ベビーカーががたがた揺れる。ちらっと見えたこどもの顔は、揺らされてかえってほっとしたようだった。ごめんね。ほんと。 |
奈穂先輩は、少しへの字口になっていたが、目をほそーくして、珍しいことににまにまと笑っている。 |
「観察するのは好きだけどな」 |
あぜんとしているぼくに構わず、奈穂先輩はにまにま笑い続けた。 |
「今日の闘いは、なかなかだった。あのくらいの、口をうまく利けないぐらいの年頃が一番面白い」 |
悪趣味だった。 |
そんな悪趣味な先輩の笑顔を見ていると、幸せになってしまう自分の趣味について考え出したぼくは、すっかりブルーになってしまった。 |
おわり
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無謀にも新シリーズ……というよりは、ショートショートを書いてみたいなあと思って書いてみました。奈穂せんぱいとぼくの日常、になると思います。恋愛っていうと嘘になりそうな気がしますが、片方でも好きなら恋愛ですよね!ね!……ということで。
もうひとつ、男言葉な先輩をオンライン小説で読んで、イイ!と思ったのがきっかけです(爆)。
では、このへんで。
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Last modified 2007.12.10.
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