「ありがとう」――Fantasist 3

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あらすじ
高校生の周が図書館で出会った男の子は、奇妙なことを言う。

「ありがとう」――Fantasist 3
「ありがとう」 あとがき

 「ありがとう」

    Fantasist 3
                            Green-Blue tales

                              斎木 直樹

「ねえねえ、これ見てー」
「わー、かわいいー」
「こらこら、二人とも静かにしてよ」
 みんなこっち見てるじゃない、という言葉を私はなんとか飲み込んだ。全く、中央
図書館の何が楽しいんだか。って、月に二度は来てる人の言う事じゃないわね。
 私と、クラスの友達である佳子と結美の三人は、学校帰りに区立中央図書館に来て
いる。三人とも同じ制服で、長い髪を垂らしていて大人っぽいのが佳子、三つ編みで
可愛いのが結美、余ったのが私、なのだけれど、二人ともここは初めてなのか、少し
はしゃいでいる。女子高生という生き物は……あ。
「ねえ、しゅう」
と、結美が後ろ向きに歩きながら言った。
 ぶつかるっと言う前に、彼女は、山積みとはいかないまでもかなりの本を抱えた人
と衝突した。音のしないじゅうたんの上にばらばらと本が落ちる。あーあ、本が傷む。
「ったーい。なによあん、た……」
 文句を言おうとして顔を上げた結美は、絶句してしまった。それは、「彼」だった
のだ。
「すみません、大丈夫でしたか」
 抑揚の少ない、奇妙に丁寧な言葉。
「あ、はい」
 私は、口のきけない二人に代わって言った。ついでに二三冊本を拾って差し出すと、
ごめんとか何とか口ごもって、彼は去ってしまった。表情はほとんど変わらず。そっ
けないほどにぶっきらぼうだった。
「かっこい……何、今の人ーっ。かっこいいよーっ」
「ちょっと」
 私はいさめてみたけれど、一度興奮し始めた高一の少女達を止めることは困難、と
言うよりは不可能なことだ。挙げ句の果てには、
「ねーねー、お話にいこーよー」
と、まで言い出した。私はもちろん、呆れて相手にもしなかったけれど、結局ずるず
ると引きずられていってしまった。
 この図書館は地上と地下に各一階ずつある。地上には小説やCD、実用向けの本、
児童書など。地下には自然科学と社会科学の本があり、私はめったに地下へは行かな
い。彼はその地下の、自習室ではないのだが、勉強できるようにと机と仕切りが用意
されたスペースにいた。狭い木の机の上には、厚いハードカバーの学術書が何冊か積
み重なっている。
 年は、同い年くらいかな。不揃いなさらさらの黒髪、日焼けしているか少し濃い色
の肌、勉強する時には外す黒縁のだて眼鏡。男の子らしい濃いめの眉、大きめの二重
の目、つんとしていない鼻。とにかく、美形なのよね。と、言っても、モデルみたい
に近寄りがたくはない、かっこいいお顔。
 服にはあまり気を使っていないらしく、黒いTシャツの上に地味なチェックのシャ
ツ、下はジーパンにスニーカーといういでたちだ。でも、私はいやにおしゃれな子っ
て好きじゃないのでかえって好ましい。その上、背は高くてやせてる。
 返却のところで見て以来、「彼」って呼んでこっそりファンしてたのに、まさかこ
んな羽目に陥るなんて。私、かっこいい人は外から見てるのが好きなのになあ。
「あのう」
「は?」
 彼は、本から顔を上げた。うわっ、これ科学の本だわ。物理か化学か、すっごい難
しそう。この手のものにアレルギーがある私は、背筋に寒いものが走るのを感じた。
 でも、ね。この人、こういう本と一緒に「魔法の城」なんて持ってるんだよ。なん
と、児童文学。私もよく読むけど……可愛い。
「あのー、どちらの学校なんですかあ」
「ちょっとー、眼鏡取るとますますかっこいいじゃんっ」
 彼は、どうしたらいいのか判らないようで、困ったような目をしている。あ、この
人の瞳、黒じゃなくて青なんだ。深い青色。ハーフなのかな。綺麗な色。
 女の子に慣れていないようで、当惑しきってしまっている彼を見て、私は気の毒に
なってきた。
「私達ー、サイカなんですけどおー」
「ね、もう止めようよ。失礼だよ」
と、私が佳子の灰色のボレロ型の上着を引っ張ると、二人は凄い形相で一斉にこっち
を向いた。怖い。その時、彼の顔がにやっとしたように見えた。
「何よ……あれ?いなくなっちゃった」
「へ?」
 いなくなった?
「もう、しゅうのせいなんだからね」
 彼女たちは、彼の方を向いたままで言った。いなくなったということは、人が消え
たってことよね。もの場合は、なくなっただから。私は、日本語の知識を確認した。
「あの……誰が?」
 私が、できるだけ刺激しないようにそっと尋ねると、二人は一瞬きょとん、とした。
そして半分怒鳴り気味に、彼よ、さっきここにいたあの子、とそしらぬ顔をしている
彼を指さした。変だな。
「いるじゃない」
と、私があっさりと言うと、彼は、ぎょっと擬音をつけたくなるような顔になった。
「――いないじゃない。もう、びっくりさせないでよ」
 本当に、彼女たちには彼の姿が見えていないようで、あっちに行ったのかもしれな
い、と駆け出していってしまった。
 一人残され、呆然としている私に、彼がにっこりと笑いかけてきた。少し、どきり
とする。
「参ったな。まさか、ファンタジストがいたなんて」
 ファンタジスト?
 彼はくすくすと笑いながら、こっちこっちと人のいない、大きな木製の本棚の間へ
私を呼び寄せた。私はもう、何が起こっているのかさっぱり判らず、ふらふらと言わ
れるままについて行くだけだった。
「ファンタジストというのはね、人間界にはないと信じられているもの、つまり妖精
や小人、巨人、人魚、ケンタウルスなどの存在を信じている人のことなんだ」
 私は、半分叫び気味に否定した。
「そんな。私、もうそんなもの信じてないわ」
 もう大人よ。そう言いかけて、言葉を飲んだ。
 大人、か。私はもう、大人になってしまったのかしら。でも……ううん。あれは夢。
三才児が見たものなんて、あてにならない。あれは、夢なのよ。
 彼は、固くなってしまった私の心を溶かすように微笑んだ。この人、女の子になれ
ていないんじゃない。じゃ、何に?
「別に照れなくてもいいのに。君には、僕が見える。素晴らしいことじゃないか」
「ぼくがみえる、って」
 そういえばこの人、さっき人間界って言ったわよね。つまり、他の世界が存在するっ
てこと?そんな、ばかな。
 そんな言葉とは無関係に、私の心臓は激しく鼓動を打ち始めていた。それは、空の
青を見ているときと、面白い物語に没入しているときと同じものだった。人は誰も、
今の世界とは違う世界を夢見るという。そんな別の世界が、実際に存在する?
 彼が何か言いかけたとき、よく手入れをしてある黒髪を長く伸ばした女の人が、本
棚の向こうから顔をひょっこり覗かせた。
 ひょっこりと言うと、小さな女の子のように聞こえるかもしれないけれど、その人
は大学生に見える立派な女の人で、しかも凄い美人だった。かといって、彼に似てい
るわけではないので、肉親ではなさそうだ。少し大きめの鋭い、でも優しそうな目が
印象的だ。あれ、もしかして。
 女の人は、にっこりとした。わっ。笑うとますます綺麗。
「エヴ、ここにいたの」
「あ、あおいさん」
「探しちゃったわよ。あら、この子は?」
                あまね
 私は急いでお辞儀をすると、葉山周です、と名乗った。すると、彼が
「で、ファンタジストなんだ」
と、付け足した。女の人は、その一言で私に更に関心を持ったようだった。興味津々
の表情は、生き生きとしていてひどく魅力的だ。やっぱり、そうよね。
 私は、少し興奮気味に口を開いた。
              あおい
「あの、あおいさんって、水越碧さんですよね」
「ええ?」
「やっぱりっ。ほら、私、あまねです。あ、しゅうって言ったら判るかな」
 覚えてないかな。もう十年以上経ってるし、あおいさんは大人になっちゃったし…
…。
 そんな私の考えを吹き飛ばすように、あおいさんは顔をぱあっと光のように輝かせ
た。
「あ、しゅうちゃん!うわあ、久しぶり。よく私のこと覚えてたわね。いつ帰ったの?
大きくなっちゃって……」
 と、ここまできて、あおいさんは初めて彼の存在を思い出した。
「あ、エヴ。えっと、この子、しゅうちゃんは前――もう十一年になるのね――に私
達の近所に住んでて、よく一緒に遊んでいた子なの」
 エヴ、と呼ばれた子は、ふうんと頷いた。
「私、四月に成城の同じ家に戻ったんですけど、お二人とも見かけないから、もうい
らっしゃらないのかと思ってました」
と、私が言うと、なぜかあおいさんは妙にどきまぎし始めた。
「あ、うん。二人とも大学行ってるからね。あ、エヴ、自己紹介したの」
 何かをごまかすようにあおいさんがそう言うと、彼は確認を求めるように彼女を見
上げた。あおいさんがそれににっこりと笑みを見せると、彼は私を真っ直ぐに見、に
こっとして、
「エヴァン・カルス・アルセイデスです。よろしく」
と、言った。やっぱり、外国の人なんだ。私はなぜか安心した。
「この子、今ちょっと訳ありで家にいるんだけど、ずっと向こうで育ったのよ」
「アメリカとか?日本語お上手ですね」
 すると、あおいさんはどこか曖昧な笑みで肯定し、話題を変えた。
「あのね、この子今十四なんだけど、これで大学院並の頭の持ち主なのよ。凄いでしょ
う」
 二つ年下か。大人っぽいなあ。私が感心しきっていると、エヴァン君は照れたよう
にあおいさんをつついた。
「なによ。あ、もう行かなくちゃ。じゃあね、しゅうちゃん。みどりに伝えとくわ」
「はい」
「またね」
と、彼は言った。
 またね、だって。私は、その日一日中くすくすと笑みが浮かび出るのを禁じ得なかっ
た。




 一階で本を借りた後、いるかな、と前に会ったところを見回していると、後ろから
声をかけられた。
「久しぶり」
 振り返ると、相変わらず美形の顔をにっこりと崩している彼がいた。うーん、やっ
ぱりかっこいい。思わず感心してしまう。
「一週間ぶりだっけ」
と、彼は荷物を片づけ始めた。重そうな本も黒い本革のかばんにどんどん入れていく。
「あ、いいの。ただ、居るか確かめただけだから」
「いや。もう、本は借りてしまったし、話したいから。外に行こう。……いいかな」
 私はもちろん、いやなんて言えなかった。
 自動ドアを抜けて図書館から出ると、ほこりっぽい空気が私達を包んだ。大きい道
路の脇のガードレールの内側を歩く。世田谷線の小さな駅までは結構あるので、お散
歩気分だ。しかし、私は緊張しまくって黙り込んでしまっていた。
 「彼」が突然言った。
「わざわざここまで来るんだね。成城の駅の近くにも図書館はあるのに」
「あ、うん。でも、ここも学校の通り道だから。ここ、好きなのよね。広いし、綺麗
だし、沢山本あるし」
 うんうん、と彼は相槌を打った。話題を提供してくれたんだから、今度は私が何か
言わなくちゃ。
「えっと、あ、エ……」
 信号のところで立ち止まる。この道路、大きい車がひっきりなしに通るから嫌い。
私は、排気ガスを吸う度に気分が悪くなる。
「エヴァン、だよ」
「エヴァン」
「みんなエヴって呼んでるけど、何と呼んでもいいよ。ただ、エヴァって呼ばれるの
だけはごめんだけどね」
 げー、とだれた顔を見て、私は吹き出した。心のどこかがほっとした気がした。
「じゃ、エヴィっていうのは、いい?」
「エヴィ……」
 彼が明らかに戸惑いを見せたので、私は焦って謝った。彼は静かに、いいんだと言っ
た。
「母が、亡くなった母が、そう僕のことを呼んでいたらしいから」
 私は、もっとすまなそうな顔になった。バスが私の側で止まる。
 ところが、彼はにこっと笑った。信号が青に変わった。
「そう呼んでよ。その代わり、僕もあまねって呼んでいいかい」
「いいけど、めんどくさくない?みんな、私のことはしゅうって呼ぶのよ」
「なんでさ。綺麗な名前じゃないか。あの漢字で、こういう読み方なのは、珍しいの
だろう」
「ええ、そうらしいけど。あ、エヴィって漢字読めるのね、外国の人なのに。でも、
本が読めるんだから当たり前ね」
 エヴィは、ぽりぽりと頬をかいた。
「うん……」
 その時、駅に着いたし、余り言いたくなさそうだったので、それ以上聞くのはやめ
ておくことにし、私達はくだらない話をしながら家に帰った。

 エヴィと出会って、一ヶ月ほど経った。私達はすっかり仲良くなって、毎週色々と
話しながら一緒に家まで帰っていた。と、言っても、エヴィは余り自分のことを話そ
うとはしなかったし、私も聞かなかった。
 成城の道は広いのに、車通りが少なくて私は好きだ。春には道路脇に立ち並ぶ桜が
ひどく美しく、花見をする人まででる。
 その桜の道を思い出しながら、道を二三分歩いた頃、突然背後から、
「エーヴっ」
と、元気な声がした。女の子の声だった。
 振り返ると、そこには金髪の女の子と黒髪の女の子が、にーっこりと立っていた。
私達と同い年くらいらしい。
 一分ほど、エヴィと女の子二人はじゃれるように、私には判らない言葉で話してい
た。凄い早口の上、聞いたこともないような言語だったので、内容はさっぱり判らな
かった。
 エヴィって一体どこの人なんだろう、アメリカの人じゃなかったのかな、と私はぼ
うっとしていると、三人の話は終わったようだった。
 なぜかエヴィは脱力しており、いつものエヴィと同じような格好をした黒髪をポニ
ーテールにした女の子が、上機嫌にこちらを見ているかと思ったら、唐突ににこっと
笑った。
「あなたが、しゅうちゃんでしょう。よろしく、私、シェーラ。シェラザード・ルイ・
メンフィス」
 それがとても人なつっこい、魅力的な笑顔だったので、私はどきどきしてしまった。
 シェーラが一歩下がると、もう一人のくるくるのショートカットの女の子も、自己
紹介をしてきた。大きめのプリントTシャツに明るい色のミニスカートが可愛い。
「私はマルティナ・カイ・フィケル。ティーよ。可愛い子ね、エヴ」
「ティーまで……どうせまた、みどりさんなんだろう、見に行けなんて言ったのは」
 復活したエヴィが恨めしそうに顔を上げると、二人はくく、と笑った。
「いーえー。ブルー様……とと。あおい、さんよ」
 エヴィは、うそ、と呆然となった。
「本当。読みが足りませんわね、エヴ。あおいさんって、そういう御方よ」
「そうそう。グリーン様たら、一緒に見に来るもんね」
 二人が一方的に盛り上がっていて、エヴィはなぜか一人で落ち込んでいるようだっ
た。
 私は、女の子にそっと話しかけてみた。すると、金髪の可愛い子は何か勘違いした
ようだった。
「あら、ごめんなさいね。勝手に話していたわ。私とエヴとは何も関係ない、友人だ
から安心して。……シェーラはどうなっているのか知らないけれど」
「なんで私がこんな者をっ。私の理想は高いわよっ。ごめんなさい、しゅうさん」
 二人とも、エヴィよりは日本語が上手くないらしく、ときどき妙な言い方をしたり
発音も変わっている。
「あの、そうじゃなくて。さっきからブルーとかグリーンとかって、あおいさんとみ
どりさんのことなんですか」
と、私が言うと、三人はじっと黙り込んでしまった。
「……ばか」
 エヴィが呟くと、シェーラがわめき始めた。耳が痛くなりそうな高い声。
「しようがないでしょう。まだあたし達は慣れてないんだから。だいたい、女王様を」
「じょおう?」
 またまた三人は沈黙の世界に入ってしまい、私は居心地が悪くなってきた。まずい
こと言っちゃったのかな。三人をそれぞれ眺めたけれど、助けてくれる人がいないの
で、私はうつむいてしまった。
   みどり
「水越碧にはグリーン・グリーンブルー、あおいにはブルー・グリーンブルーってい
う、もう一つの名前があるのよ」
「何言って……あ」
と、いうエヴィの声に、私も顔を上げた。
「みどり、さん」
 十一年ぶりでも、一目で判った。
 いかにも、そこにいたのは、あおいさんとは双子の姉妹である、みどりさんだった。
といっても二卵性なのでそこまでは似ていない。なんたってみどりさんは、
「ひっさしぶりーっ、しゅうちゃんだーっ。相変わらず可愛いねっ、このっ」
 こういう人だもの。
 今は髪も長くて、きちんと女の人に見えるけど、小さい頃は私、男の子だって信じ
てたもんなあ。それはもう元気で、でも、小さい子には優しかったような気がする。
 あおいさんはおとなしくて、けんかの一つもしたことのない頭のいい子だったとい
う記憶がある。二人はとても仲が良く、一人っ子の私にはすごくうらやましかった。
 みどりさんは真剣な、けれど優しい顔でエヴの名を呼んだ。
「すみません」
 エヴィが神妙に謝ると、みどりさんは大笑いになった。相変わらず、明るい人だな
あ。
「ばっかねえ。しゅうちゃんに話さなかったのは、秘密にするためじゃなくて、突然
びっくりさせないためなんだからね」
 名前を出されて私がきょとんとしていると、みどりさんは困ったような、それでい
て楽しそうな顔になった。
「とりあえず、電話番号教えてくれる?」
「は?」
「遅くなりそうだからさ。お母さんに電話しとかないと、心配なさるでしょ。私の家
に行こう」
 きょとんとし続ける私にみどりさんは、昔から変わらない、というよりはあの頃よ
りももっとひどくなっているかもしれない、いつも楽しいことを探しているような目
で、笑ってみせた。




 私達五人はみどりさんの家、水越家の居間に座り、シェーラさんとティーさんがい
れてくれた紅茶を飲んだり、エヴィが出してくれたクッキーを食べたりしていた。
 シェーラさんとティーさんは、みどりさんよりもよほどものの場所をよく承知して
いた。この家に住んでいるのかもしれない。あおいさんは、まだ帰っていないのか、
家にはいなかった。
 そう。改めて見ると、二人ともすっごく可愛いのよね。
 シェーラさんは十三ってことだけど、少し大人っぽいのはエヴィと同じで、二つは
上に見える。ほんの少し癖のついた黒い髪と白い肌に、尻が上がり気味の黒い瞳がよ
く映えていて、将来はすごい美人になりそう――今は、がはがは笑ったりしてるから
可愛い、だけど。
 ティーさんの方は、エヴィ達よりも一つ上のせいか、背は低いのに、更に大人っぽ
い。その上、金髪碧眼をもろにいっていて、天使様みたいに可愛い。
 それから、みどりさん。前は男の子のようだったのに、今は髪のせいか少し女らし
く、そしてものすごく綺麗になった。ただし、黙っていればの話だけど。
 色々但し書きの要る文だったけれど、とにかく、三人とも綺麗なのよ。そして、私
はと言えば……ふう。普通、なのよね。極めて。少し茶けた髪はばさばさのセミロン
グで、目は一重だし、口だって少し大きめ。
 と、私が一人で落ち込んでいると、みどりさんがにっこりと笑いかけてきた。大き
い、と脈絡もなく思った。
 大きい。この人は、きっと私なんかよりもずっと大きい人だ。それが、綺麗になる
秘密なのかな。
「では、しゅうちゃん。本題に入りましょうね」
 みどりさんの話は、とてつもないものだった。
 私達人間の住んでいる人間界とは別に、幻想界という世界があり、そこには人間に
よく似た、魔力(超能力のようなものだそうだ)を持つ、妖精と呼ばれる人々が住む、
グリーン=ブルーという王国があるのだそうだ。王国というからには王様がいるので
あって、それが、なんとみどりさんとあおいさんなのだそうだ。そして、その国の国
民であるエヴィ達三人は、人間界に勉強をしにきているのだそうだ。
 うーん、メルヘンの世界、と私が思わず呟くと、さすがファンタジスト、と爆笑さ
れてしまった。そういうものなのかしら。
「それでね、しゅうちゃん。覚えてない?」
「何を――もしかして」
 みどりさんは、盛大ににっこりとした。
「やっぱり覚えてた。そうよ。私達が八才の時だから、しゅうちゃんは三才かな」
 その時、私達――みどりさんとあおいさんと私は、この家の近くで、泣いている小
さな人形のようなものを見つけたのだ。その人形には昆虫のような薄い羽がついてい
て、きらきらと光っていた。家に帰ってそのことをお母さんに話すと、夢だと言われ
た。そんなものがいるわけがない、と。
「私、夢なんだと思ってた」
「思おうとして、思えなかった、でしょ」
 みどりさんは、ふふんと偉そうな顔つきになった。
「妖精の存在を信じている人――ファンタジストだけが、姿を消した妖精を見ること
ができるのよ。しゅうちゃんは、リィンのことをいると信じていたから、エヴのこと
を見ることができた」
「リィンって」
            ライト
「ああ。私達が見たあの光の精のことよ。本名はリィン・リー・ウィンクルっていう
の」
 じゃあ、やっぱり本当だったんだ。私が感動に浸っていると、シェーラが横やりを
入れた。
「なーんて、かっこつけちゃって。私、知ってますよ。グリーン様」
「なによ」
「グリーン様、リィンさんを見たこと忘れてたんでしょう。私、ブルー様から聞いち
ゃったっ」
「あ、僕もそれ知ってる」
 みどりさんは、あおいのやつ、とぶつぶつ言っていた。それを見ると、私は何とな
く笑いたくなってしまった。
「でもねー、私達も驚いたわよ。おばあちゃんが死んだと思ったら、突然、おばあち
ゃんは妖精の王だった、君たちは四分の一だけ妖精だ、王になれ、でしょう」
 うーん、それはちょっと。
「おばあさん、亡くなられたんでしたね……」
「あー、うん。高一の時にね。あの頃は大変だったわ」
 がはは、とみどりさんは笑っていたけれど、辛かっただろうな。お二人のおばあさ
んはとても優しく厳しい人で、ご両親がお家にいらっしゃらなかったお二人には、子
どもの眼から見ても、とても大事な人らしかった。だから、みどりさんが大きな人、
なんて思ったのかしら。
 みどりさんは私を見てにこりとした。その瞳は、大きな苦しみを乗り越えてきた者
だけが持つ、優しい瞳。
「変わってないわね、しゅうちゃん。私達の母さんは死んでしまったって聞いたとき
も、そんな顔してた」
「それって、成長してないって意味ですか」
「そう」
 私がもう、とふくれると、みどりさんだけではなく全員が笑った。




 しばらく話して、にぎやかな夕食をごちそうになった後、私が帰ろうとすると、エ
ヴィが送ってくれることになった。三人のからかう声を後にして、私達はみどりさん
の家を出た。
「みどりさんとあおいさんって、いい人だろう」
「そんなの、昔から知ってたわ」
 あんまり自慢そうに言うので、私は少し怒ったようにして言い返した。すると、エ
ヴィは吹き出した。
「いや、違うんだ。二人とも、いい大人だろう」
「いい、おとな?」
 いい大人って、いい年をしてっていうのと同じ意味のやつかしら。考え込んでしま
った私を、エヴィは確認するようにちらっと見た。
「周って、大人になりたくない、なんて思ってるんじゃないか?」
 私は、目を逸らした。……そうよ。思ってて悪い?大人なんて、ろくなやついない
じゃない。
「確かに、嫌な大人は多いよね。でもね、周。僕はみどりさんやあおいさんみたいな
大人にならなりたいんだ」
「どういうこと」
「つまり――これはみどりさん、グリーン女王陛下が仰っていたことだけど――大人
になるということは、己が追うべき責任と義務を知り、それをきちんと果たそうとす
ることなんだって。それによると、ほとんどの大人は大人ではないことになる。だか
ら僕は大人に、本当の大人になりたいんだ」
 エヴィは遠くを見つめていた。そうか。エヴィにはお母さんがいないから、きっと
女王達が保護者代わりなんだわ。
 大きい人。そうね。そんな大人になら、なってもいいかもしれない。そうしたら、
私もあんなふうに綺麗になれるかしら。
 エヴィは、にっこりと笑った。
「今日は、ごめんね。つきあわせちゃって。どうしたの」
「え、あ、うん。エヴィって、いつもごめんなのね」
 エヴィは、二三度瞬きをした。
「だって、謝るときはごめん、だろう」
「こういう場合はね、『ありがとう』って言えばいいのよ」
 今度は、エヴィの方が当惑している。私は少しいい気分になって、くすっと笑った。
「あのね。私、『ありがとう』って言葉が好きなの。言ったり言われたりすると、心
がこう、ふくらんでいくような気がするの。だから、『ありがとう』」
「判ったよ。ありがとう、周」
「ありがとう、エヴィ」
 私達はおどけた顔を見合わせ、少しの間笑いあった。
 そうしているうちに、私の家についてしまった。玄関の明かりがついている。あれ
は、私を待っているという印。私には、帰れる安全な家があるのだと印。
 私は、門の前でエヴィの方に向き直った。
「もうすぐ、陛下の結婚式があるんだ。見に来ない?」
「へえ。あおいさん、綺麗だろうなあ」
 と、なぜかエヴィはどっと笑い出した。
「どうかした?」
「け、結婚するのはみどりさん、グリーン陛下の方なんだ」
「へっ。あ、うん。そう。へー。みどりさんも、えっと、二十一だっけ。結婚しても
いい年よね。あ、少し早いか」
「あのお二人の話はねー、そりゃもうメルヘンどころか、少女マンガもまっ青ってほ
どなんだよ。今度、聞いてごらん」
と、楽しそうに言ってから、エヴィはもう一度私を誘った。
「うん……でも、いいのかな」
「もちろん。誘うように、みどりさんが言ったんだ。ああいう事情だから、人間界の
参列者が少なくてね」
 エヴィは、にっこりと笑った。私は、門を持つ手に力を入れた。最初に話したとき
のように、心臓が落ちつかない。
 ここでうんと言いさえすれば、私は今までの世界――「ふつう」の世界とは違う世
界へと、足を踏み出すことになる。もしかしたらそれは、大人になるとはいかないま
でも、少し違った私になることなのかもしれない。
 それでも、行きたい?妖精の住む、幻想の世界へ。何もわからない未知の世界へ。
そして、今の私よりも、もう少しだけ綺麗に、そして大きくなれるかもしれない世界
へ。
 唾を飲み込む。何時間前まではこんな、こんな夢のようなことが起こるなんて思っ
てもいなかった。全身に、震えのようなものが走る。私には判る。誰になんと言われ
たって、これは、夢じゃない。
 門を持つ手を離す。そっと、口を開く。それは、別の世界への扉を開く、呪文。
「ありがとう。私、行くわ」
 私は、足を踏み出す。

 

      おわり

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Last modified 2007.6.12.
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