山田守作品集には大正15年の着工として図面が掲載されている建物。竣工は昭和2年9月30日(「逓信省の 建築」工事年表)とある。 現状は2棟接続した建物の東側が山田の設計した建物であり作風から一目瞭然であった。西側は戦後の建 物である。サッシュは当初からのものではなくアルミ製に替えられていた。 しかし、山田守の曲線を持つ建築がこれほど状態良く保たれ今も健在なのには少々驚いた。 |
パラペット部分が緩い曲線を持ちそれに合せて丹念に黒色タイルが貼られている。 黒色で分節した結果どことなくフランス風マンサード屋根の雰囲気が出てしまっているがこれは恐らく山田 が意図したものではないであろう。 |
建物裏側には黒い帽子を被ったような四角い階段室塔が不思議な印象をもたらす。 オリジナリティーが発揮しにくい小規模な局舎建築であっても、あくまで曲線にこだわり様々な試行を続けて いた当時の山田の様子が伝わってくる。窓廻りや建物足元などあらゆる箇所でアールを付けて仕上られており 建物全体が柔らかな印象を与える。大変な手間伴って作られたこうした細部は見ていて飽きない。 |