柱上部がラッパ状に開く無梁版構造(フラットスラブ)の構造をそのままデザインに活かし、山田な らではの曲面によるデザインとしてまとめられた。 戦後に建てられたこの建物は「分離派の亡霊」とも称されたが、構造の合理的表現としても完成度 が高く堀口捨己もこの建築を賞賛したと伝えられる。 改装されてカーテンウォールや外壁の塗装などイメージは変化したが、今日でも大変美しい建物。 |
当初の写真では、柱面など3次曲面だらけの建物が小幅板による打ち放しコンクリートで仕上げ られていたようで、当時の施工力を賞賛したい。大変迫力のある外観を呈していたと思われる。 |
上と同じく水道施設関連の建物であるが、屋根部分の曲線が新しい要素である。 山田は「富士山の稜線」を好んでいたらしく、後に設計される日本武道館で屋根の曲線に気を使っ たと伝えられる。 (2001年 記) |