見るほどに目が喜んで飽かず、いつまでも眺めていたくなるこの建物であった。鉄筋コンクリートに よるの柱−梁のフレームの関係、それに基づくタイルの割付けなど、限られた要素から美しい外観を 創出した例としてはこの建物の右に出るものはなかったのではなかろうか。この外壁面が吉田の研鑽 の成果であることを、来日したブルーノ・タウトは見逃さなかった。 保存の声の高まる中、外壁の一部と外階段などが残った。事情があったこととはいえ、タイルも含め た建物の本質を成す部分が消えた現在、そこにあるのは旧建物にも似た別の建物のように思えてなら ない。 (記述更新 2019.9) |
東京中央郵便局は昭和6年に竣工した。設計の開始は大正11年を始まりとする説やさらに遡る考え方 もあり、アーチ窓を持つ6階建ての初期の設計案から現在の立面に至った。長い時間が費やされ、逓 信省にとっても技術力を結集させた大がかりなプロジェクトであった。基礎工事が進めながら立面の 設計変更が繰り返されていたようである。 |
大阪中央郵便局も東京と同様の吉田鉄郎の作風が遺憾なく発揮された建築物である。柱ー梁の架 構と庇の出がより強調された。 濃灰色の暗いタイルの色調は、独特の風格を醸し出しており吉田の意図したものと思っていたが、 実はそうではなく戦時態勢に突き進む時期のやむなき結果であったことを後で知った。 本来は明るい色調と大きなガラス開口部による開放的な空間が意図されていたということになろう。 (記述更新 2019.9) |