瀧澤が論考「音楽と建築」(第2回展)における音楽芸術を建築に翻案する試みは、この
模型によって実体化されたものと考えられる。模型を一周するように視線を移動させると
確かに音楽のように多様な表情の曲線や曲面が流麗かつリズミカルに現れては消える。上
記の論考には以下のように記されている。
「音楽は直ちに、美しき線の交錯となり、奇しき立体の集団となり、互いに縺れ合ひ、
ひしめき合ひ、而も尚その其奇麗な組織を失う事なく無限の空間に躍る様に感ぜら
れます。」
しかし論考の後半では、音楽の数学的な芸術性をつまり幾何学立体による形式性が強調さ
れている。こうした発想が唐突に持ち出された背景として、瀧澤が兄事する思想家土田杏
村の言葉を見出したこと、すなわち「すべての芸術は音楽の方向へ憧憬れている。」(192
1,「第二ルネッサンスと芸術」)における純粋理想図形すなわち数学的形式性への憧憬に
触れた記事に触れていたこととの関連が推察される。
この「山の家」の模型に代表されるように、分離派は実施を前提としないドローイングや
模型を提出し、作家の主張や心情を可視化する媒体として彫刻的オブジェのような独立し
た作品として展示することを試みた。こうした試みは分離派が初めて行ったことのひとつ
ではなかろうかか。
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