第6回分離派展の「形の習作」、第7回展の「宝来屋」模型、いずれもモダニズムの構成美 を追究する姿勢がみられる。 「宝来屋」は老舗の煮豆屋であった。 (2007年5月 記) |
実作の少ない瀧澤眞弓であったが、唯一この宝来屋だけが近年まで現存していた。 1992年頃、私が現地を訪れた時は、既に建物は無く残念な思いをしたが、最近、ブロ グ「ぼくの近代建築コレクション」の流一氏がカメラに納め発表されていたので、当サ イトへの掲載もお願いし了承頂いた。上の2枚が1986〜87年頃の在りし日の建物の姿で ある。 分離派時代の模型から建物の終焉直前までを通して眺めてみると、若き日の瀧澤の造形 意思が、約60年間に渡ってほぼそのまま維持されていたことになる。 改修の跡は、3階のサッシュや向かって右脇の入口などごく一部であったようだ。 (2008年1月 記) |
資料によっては大倉土木の設計ともある。瀧澤の設計と信じてこの建築を見るならば、 表現主義的な面とモダニズムの即物性との融合を意図したようにも感じられる。 |