分離派建築博物館--蔵田 周忠 --

郊外にたたずむ民家 〜初期木造作品〜 -3-


旧 米川邸

設計:蔵田 周忠.....................................場所:東京都杉並区.....................................................建築年代:1928(昭和3)年.......................................現存


左−当初の外観,,右−当初の内観(玄関から階段を見る)(「建築画報」(1928年5号)より)

南側立面は庇ラインにより水平性が強調され大きな開口部を持つ。白色系の外壁に仕上げられモダニズ
ム建築への指向が色濃い。しかし実際には、屋根は切妻屋根に赤色瓦で葺かれている。
内部1階は、オープンスペース的にプランニングされ型而工房風の造り付け家具やアールデコ調の格子
などの内装が施されている。

施主の米川氏は当時著名なロシア文学者で、多くのロシア文学の訳出を行っており、仕事柄、書斎には
鉄筋コンクリート造で鉄扉とシャッターが取り付けられていた。
現状外観 現状内部

現在は、南側書斎部分に増築がなされ、建具がアルミサッシュに交換されてはいるものの当初の雰囲気
を十分に伝えている。

                                                                             (以上、2001年 記)

私がこの住宅の在り処を突き止め、蔵田の設計によることを初めて現在の住み手に知らせてから、もう
15年が経過した。形而工房の結成に向う時期の蔵田による、アール・デコ調の造り付けの内装をよく留
めた貴重な住宅であった。また表現主義からモダニズムへ軸足を移した最初期の住宅とも言えよう。
旧米川邸が現在の住み手のものとなったのは終戦に近いころのことであり(#1)、私が訪れた際に、現在
の住み手は、家の由来も分からぬまま、なぜか家の維持に手の掛かるのに長年疑問を抱きつつも、楽し
く「ドラ息子を養っているとあきらめて」過ごされてきたとの話が、深く印象に残っている。
こう話されたご主人も、既に他界された。

しかし、こうしたサイトを運営してみると、世界を異にする人々とも縁ができて、私にとってみれば、
冥利に尽きる喜びがある。
2007年9月、ある縁がもとで縁者の方を通して、米川正夫氏のご子息が父の思い出とこの住宅に関して
語った寄稿文を受け取った。(#2)この一文が成されるきっかけの一部には当サイトもやや関係してい
るようなのである。
その理由のひとつとして、従来の私の記述の誤りの指摘も含まれていたので、ここで紹介しつつ正しい
内容に改めたい。建築に至るきっかけに関係した部分である。

米川正夫氏は(ドストエフスキーのみならず)ロシア文学の訳者として著名であり、大正末期から昭和
にかけて、1冊1円均一の全集の刊行がブームとなったいわゆる「円本時代」到来の中で、実際にはツル
ゲーネフの「父と子」,「処女地」,「初恋」の訳出を手掛けることになり、相当な刊行部数から大金を
手にすることとなった。
「私はそのあぶく銭の消えてしまわないうちに、宮原晃一郎の義弟に当たる建築家の蔵田周忠氏に、設
計いっさいを任せて、当時流行の分離派形式の家を、記念に建てることにした。」(#3)
これが米川邸が成立した真のきっかけであった。「いっさいを任せて」と言ったのもあながち大袈裟で
はなく、実際、米川氏は建設が始まった頃に、気掛かりをよそに革命10周年の祭典にソビエト連邦から
国賓として招待を受け、日本を旅立った。
ちなみに宮原晃一郎氏は北欧文学者であり、確か蔵田は宮原邸も設計していたように記憶する。

こうして、血の通った思いの輪が育まれる中で1個の古い建築物は確実に生き続けており、この幸福な
事例を末永く見守りたいものだと思った。
                                    (以上、2008年1月 記)

#1:そのころの事情は、米川正夫自伝「鈍・根・才」(1962年、河出書房新社)に記述がある。
#2:米川哲夫 「父の思い出−書庫・トルストイ・邦楽」(2007年、日本トルストイ協会報「緑の杖」第4号)
#3:米川正夫 「鈍・根・才」より