分離派建築博物館-各地の建築物

ロゴスの記念碑 -1-
〜旧東京帝国大学内の校舎など旧帝国大学営繕課による建築〜

  震災後、旧東京帝国大学の総合的なキャンパス内の施設の設計が内田祥三を筆頭とした帝国大学営繕課
  によって行われた。茶系のタイル貼りでゴシックを基調とした様式建築の威容で統一されたのだが、よ
 く見るとモダンなデザインも垣間見られる。表現主義風であったり構成主義風であったりするモダンな
 のデザイン要素は、震災後にラトー建築会を立ち上げた岸田日出刀ら当時の若手によるようである。
  キャンパスを散策する度に発見があって興味深い。

東京大学広報センター(旧・医学部附属病院夜間診療所),東大地震研究所入口の碑
場所:東京都文京区.............設計:東京帝国大学営繕課(内田祥三,岸田日出刀 他)........東京大学広報センター(旧・医学部附属病院夜間診療所)1926(大正15)年=現存,旧地震研究所=現存しない
東京大学広報センター(旧・医学部附属病院夜間診療所)

    龍岡門脇にあるこの建物は、大学附属病院の夜間の急患受付の目的で建てられた。
  ゴシックを基調とした周囲の大学施設と同様の表面の仕上げにもかかわらず、ここだけは建物全体が
  シンプルな幾何学形態の構成からなるモダンな建物である。
    

東大地震研究所入口の碑「内田祥三作品集」より地震研究所と石飾りの拡大

    現在の東大地震研究所の入り口付近にこのような構成主義的オブジェの碑が建っていた。(画像左)
    後で分ったのだが、これは既に取り壊された東大地震研究所旧建物の外壁の一部を保存して寄せ集め
    残したものであった。確かに在りし旧地震研究所の写真を見ると、石飾りとしての幾何学オブジェと
  円形の窪みがそのてこのようなひとつの記念碑として外壁に取付けられていたことが分かる。(画像右)
    西欧のモダンなデザインが次第に知られるようになった1920年代にかけても、ここまで単純幾何学形
  状の構成にこだわった事例は上記の旧夜間診療所やこの以外にはあまり見かけない。

                                                     (2008.5 記述修正更新)