分離派建築博物館--石本喜久治 --

分離派時代 〜 計画案,竹中工務店在籍中の作例〜 -3-


旧東京朝日新聞社社屋

設計:石本喜久治...............................場所:東京都中央区...................................建築年代:1927(昭和2)年............................................現存しない

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旧朝日新聞社社屋 <数寄屋橋側>

<同 裏側>(「建築世界」1927.5)


石本による東京朝日新聞社についての設計主旨は『朝日新聞社小観』に記され、それは渡欧によっ
て得られた新たな見識をここに集約しようとする意気込みを強く感じさせる内容となっていた。石本
は国際様式を目指す時代精神の視覚化を目標として掲げ、そのために同時代の建築家の引用と総合に
よって、これを暗示すしようとしたことを記している。
外観の特徴を挙げると、まず3階を境として青緑色と黄色の二種類のリシンで塗り分けられており、
こうしたポリクロミーの配色自体にはタウトの影響が感じられる。しかし色にも「希望」や「平和」
などの意味づけがなされ、また3階以下とそれ以上では内部の用途が異なっていることから、機能主
義的な造形を強調しようとした点に特徴がある。開口部の形状を変えたのも同じ理由による。
また、各階には水平ラインが取り付けられる計画(実際には一部省略された)であり、水平性と塔屋
や鉄塔などの垂直的な部分の構成美を感じさせている。そのため初期案にみられた屋上中央部通信用
の屋上鉄塔は最終的に建物塔屋と一体化された。
なお私見ではあるが、バルコニーや庇を外壁面にバランスを考え配置した点は、石本が当代の「最高
表現」と称賛したグロピウスのシカゴ・トリビューン社コンペ案の外壁のアイデアを範としたのでは
ないかと推察している。
                                    (記述訂正2019.9)
                                                          

内部(「建築世界」1927.5)
第5回分離派展に出品された図面では、放物線形の上層階の窓においても、窓台レベルに水平ライ
ンがあり、水平性を強調する意図が見られる。但し実際の建物では、水平ラインがあるのは中層
レベルまでとなった(▼)。
また着色絵葉書を見ても、外壁が塗り分けられていたことがわかる(▼▼)。    
                                                             (2016.12 記述更新)



(「建築新潮」1926.3)



完成当時の着彩写真絵葉書


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==========================計画段階と思われるパース画2点==========================
                                                             

1925(大正14)年7月の「アサヒグラフ」に掲載されていた、初期パース
 所見:
・正面中央に大きな無線鉄塔がある。塔だけは透視図法を無視し立面を描き込むやり方で強調され
 ている。
・3階を境目とした外壁の塗り分け、窓台レベルに施された水平ラインのアイデアはここに提案
 されている。
・正面左側は実際の建物より、この時点では大きかった。
                                                                        (2019.9)


『アトリヱ』1926.3掲載模型
 所見:
・時期的に1926年1月の第5回展に出品されたものであろうか(鉄骨構造模型のみ『建築新潮』作品
 展号に掲載)
・屋上のアンテナは形状が変化したが位置は中央のままである。
                                                                        (2019.9)


竣工記念絵葉書のパース
 所見:
・設計では窓台の水平ラインは全ての階について付けられていたが、このパースにおいてもある。
 (現場変更で、中層までとなったようだ)。即ち設計図に即したパースであるのでこれも石本氏
  によるパースであろう。
                                                                        (2016.12)