東京都内の学校の統廃合が進む中、中央区では復興小学校を極力活用することを前提 とした町作りの計画が立てられ、これまでに十思小学校や京華小学校が区民のための 複合施設として再生し活用されてきている。旧京橋小学校については統合されやむな く京橋小学校の校舎は姿を消したが併設されていた公園は残され整備を施されて都会 のオアシスとしてよみがえった。新設された遊具もあるが復興公園当時のコンクリー ト製すべり台も修復されており、それを示すプレートも設置されていた。 |
復興小学校である元加賀小学校に併設された元加賀公園の現在。復興建築の元加賀小学 校は既に建替えられて久しいが、公園は今も設置当初の場所で機能していた。 公園内に設置された施設では壁泉付露床のみが当初のまま残されており、この壁泉のデ ザインに表現主義の影響は認められないものの、十分に復興期の小公園の趣きを伝えて いる。また、中央の小さな吐水部は文京区元町公園のものとよく似ている。 |
川南公園も震災復興小学校の南側に作られた小公園である。どの公園でも遊具は老朽化と共に更新されるのも やむを得ないだろうが、このレリーフ付のすべり台は特別である。震災の惨禍を経験した誰かの手によって、 子供の平安を祈る切なる願いを無邪気に遊ぶ天使をあしらった二つのレリーフの中に込めたに違いない。 その後蒙った戦災でその願いは無残にも裏切られる経過を辿り、さらに時の経過を経てもなおぽつんと取り残 されたように建つすべり台は、我々に普遍的な何をか語りかけてくるような気がしてならない。 また、この時代のパブリックアートとしての観点で見れば、偉人の銅像や石碑とは違った珍しい例なのではな いだろうか。特にその一つがセメント製であるところに関心を覚える。おそらく著名な作家の手によるもので はないだろうが、作者や由来などが気になる。 |
付近の都営アパートでツーウェイ式の古めかしいコンクリート製すべり台を見つけた。昭和40年代に設置された ものらしいが、遊具は規格デザイン化が早くから行われていたようで、こうしたすべり台も震災復興小公園にま で遡ることができるのではないかと思った。 |
森下公園は深川小学校に併設された小公園。遊具などの施設はすべて新しいものになっていた。 パーゴラも改修済であったが、建設当時骨格をそのまま使用しているためか辛うじて面影を残す。 ほんの一部でもこうした面影が感じられれば良いほうだと思ってしまう位、当初の雰囲気を残す 公園は少ない。 |
小公園としては最も古い歴史を持ち明治22年に開園した。現在、公園は自由に出入りするサラ リーマンのオアシスとなっているが、公園に面しているにもかかわらず隣接する震災復興時の 阪本小学校との連続性は乏しい。 プレートに書かれているように震災後に少女像が設置され、最近作られたと思われる池に佇んで いた。 |