日本の1920年代建築(大正末期から昭和初期にかけて)の建築物を取り上げたサイトです。 明治期の様式建築一辺倒の時代からモダニズムによる今日の建築の流入が始まった過渡期の ともすれば忘れ去られがちな時代の混沌とした建築風景を扱っています。 大正9(1920)年に結成された「分離派建築会」の存在はそうした移り変わり行く時代を象 徴し、それは辰野金吾(1919年逝去),ジョサイア・コンドル(1920年逝去)が世を去り、偶然と はいえ、まるでその後を受けたかの如く登場した建築デザインのムーブメントでした。 「分離派」は日本初の運動体とも言われ、真の創造を求めるために、過去の旧弊から脱し、 建築家各個人の自由な意思への信頼を拠り所とした建築運動でありました。それはまさに大 正デモクラシー期を体現した、日本独自の文脈から発生した建築運動でした。 「分離派」結成から100年目を迎えました。しかし今日なお再検証や新しい事実の探求が必 要であると考えられます。それは分離派が目指した建築が今日とも密接につながる重要さがあ るからこそなのでしょう。 |
>>>>>>>展示室マップ(2016.12--分離派年表をUP。石本喜久治 朝日新聞社パースをUP)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>各展示室で作品冒頭の番号をクリックしてください。
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“分離派建築会100年展 建築は芸術か?” ―我々は起つ。― 大正から昭和、模索する若き建築家たち ![]() (ポスターをクリックするとシンポジウム、講演会、などの情報コーナーが開きます) |
1月6日より、京都国立近代美術館において、“分離派建築会100年展 建築は芸術か?” が開催されます。 分離派建築会は1920(大正9)年2月1日に結成された日本最初の建築運動です。建築物が実用 のみならず芸術であると信じた若き建築家たちが活動を開始してから、100年の月日が経過 しました。 当方も参加している「分離派100年研究会」ではそうした分離派の軌跡を検証する活動を続 けてきました。シンポジウムの記録などを含む論文集の刊行、そして展覧会の開催は研究 会活動のその総決算であります。多くの皆様に観て頂ければ幸いです。 |
![]() 分離派建築会各作品展 出展作品資料ver.2.50(PDFファイル) (2016.9 一部更新しました) |
![]() 旧・下関電信局電話課庁舎(旧・下関市役所第一別館)は、「田中絹代ぶんか館」として再生しました。 (2010年2月) |
![]() 叢書・近代日本のデザイン 大正篇第25巻 2009.5 ゆまに書房から、分離派による作品集が復刻刊行されました。 (『分離派建築会 宣言と作品』,『分離派建築会の作品』(第二刊),『分離派建築会の作品』(第三刊)) |
吉田鉄郎設計の検見川送信所の保存と再利用を考える会、「検見川送信所を知る会」です。![]() |
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