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Last updated 05/06/2015(ver.3-1)
渋谷栄一校訂(C)

  

紅梅

匂宮と紅梅大納言家の物語

 [主要登場人物]

 匂宮<におうのみや>
呼称---兵部卿宮・宮・君、今上帝の第三親王
 紅梅大納言<こうばいのだいなごん>
呼称---按察使大納言・大納言・大納言殿・大納言の君、致仕大臣の二男、故柏木の弟
 大君<おおいきみ>
呼称---麗景殿・春宮の御方、紅梅大納言の長女
 中君<なかのきみ>
呼称---西の御方、紅梅大納言の二女
 真木柱<まきばしら>
呼称---北の方・母北の方・母上・上・君、鬚黒大将の娘、蛍兵部卿宮の北の方
 宮の御方<みやのおおんかた>
呼称---東の姫君・女君・東・君、蛍宮と真木柱の娘
 夕霧<ゆうぎり>
呼称---右大臣・大臣、源氏の長男
 明石の中宮<あかしのちゅうぐう>
呼称---中宮、今上帝の后
 今上帝<きんじょうてい>
呼称---内裏、朱雀院の御子
 東宮<とうぐう>
呼称---春宮・宮、今上帝の第一親王
 大君<おおいきみ>
呼称---右大殿の女御

第一章 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案

  1. 按察使大納言家の家族---そのころ、按察使大納言と聞こゆるは
  2. 按察使大納言家の三姫君---君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば
  3. 宮の御方の魅力---殿は、つれづれなる心地して、西の御方は
  4. 按察使大納言の音楽談義---「月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音を
第二章 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心
  1. 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る---若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる
  2. 匂宮、若君と語る---中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり
  3. 匂宮、宮の御方を思う---「今宵は宿直なめり。やがてこなたにを
  4. 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答---これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる
  5. 匂宮、宮の御方に執心---宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへば

【出典】
【校訂】

 

第一章 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案

 [第一段 按察使大納言家の家族]
 そのころ、按察使大納言と聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり。亡せたまひにし右衛門督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりける。
 北の方二人ものしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、後の太政大臣の御女、真木柱離れがたくしたまひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひてのち、忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。
 御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ、男君一人まうけたまへる。故宮の御方に、女君一所おはす。隔てわかず、いづれをも同じごと、思ひきこえ交はしたまへるを、おのおの御方の人などは、うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、わが御方ざまに苦しかるべきことをも、なだらかに聞きなし、思ひ直したまへば、聞きにくからでめやすかりけり。

 [第二段 按察使大納言家の三姫君]
 君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませたてまつりたまへり。
 おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、うちうちの儀式ありさまなど、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。
 例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ聞こえたまふ人多く、「内裏、春宮より御けしきあれど、内裏には中宮おはします。いかばかりの人かは、かの御けはひに並びきこえむ。さりとて、思ひ劣り卑下せむもかひなかるべし。春宮には、右大臣殿の女御並ぶ人なげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみ言ひてやは。人にまさらむと思ふ女子を、宮仕へに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」と思したちて、参らせたてまつりたまふ。十七、八のほどにて、うつくしう、匂ひ多かる容貌したまへり。
 中の君も、うちすがひて、あて緩なまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にては、あたらしく見せま憂き御さまを、「兵部卿宮の、さも思したらば」など思したる。この若君を、内裏にてなど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れ敵にしたまふ。心ばへありて、奥推し量らるるみ額つきなり。
 「せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、「いとかひあり」と思したり。
 「人に劣らむ宮仕ひよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。心ゆくにまかせて、かしづきて見たてまつらむに、命延びぬべき宮の御さまなり」
 とのたまひながら、まづ、春宮の御ことをいそぎたまひて、「春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたく思してやみにし慰めのこともあらなむ」と、心のうちに祈りて、参らせたてまつりたまひつ。いと時めきたまふよし、人びと聞こゆ。
 かかる御まじらひの馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがとて、北の方添ひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思ひかしづき、後見きこえたまふ。

 [第三段 宮の御方の魅力]
 殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、一つに慣らひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。東の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に大殿籠もり、よろづの御こと習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のやうに思ひきこえてぞ、誰れも習ひ遊びたまひける。
 もの恥ぢを世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかにはをさをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。
 かく、内裏参りや何やと、わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも、心苦しなど思して、
 「さるべからむさまに思し定めてのたまへ。同じこととこそは、仕うまつらめ」
 と、母君にも聞こえたまひけれど、
 「さらにさやうの世づきたるさま、思ひ立つべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならむことは、心苦しかるべし。御宿世にまかせて、世にあらむ限りは見たてまつらむ。後ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、おのづから人笑へに、あはつけきこばなくて、過ぐしたまはなむ」
 など、うち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。
 いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、「人知れず、見えたまひぬべしや」と、覗きありきたまへど、絶えてかたそばをだに、え見たてまつりたまはず。
 「上おはせぬほどは、立ち代はりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる御けしきなれば、心憂くこそ」
 など聞こえ、御簾の前にゐたまへば、御いらへなど、ほのかに聞こえたまふ。御声けはひなど、あてにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。わが御姫君ちを、人に劣らじと思ひおごれど、「この君に、えしもまさらずやあらむ。かかればこそ、世の中の広きうちはわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに、まさる方も、おのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。

 [第四段 按察使大納言の音楽談義]
 「月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる人は、琵琶を心に入れてはべる、さもまねび取りつべくやおぼえはべらむ。なまかたほにしたるに、聞きにくきものの音がらなり。同じくは、御心とどめて教へさせたまへ。
 翁は、とりたてて習ふものはべらざりしかど、そのかみ、盛りなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうはべらざりしを、うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ、昔おぼえはべる。
 故六条院の御伝へにて、右の大臣なむ、このころ世に残りまへる。源中納言、兵部卿宮、何ごとにも、昔の人に劣るまじう、いと契りことにものしたまふ人びとにて、遊びの方は、取り分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなむ、大臣には及びたまはずと思うたまふるを、この琴の音こそ、いとよくおぼえたまへれ。
 琵琶は、押手しづやかなるをよきにするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変はりて、なまめかしう聞こえたるなむ女の御ことにて、なかなかをかしかりける。いで、遊ばさむや。御琴参れ」
 とのたまふ。女房などは、隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「さぶらふ人さへかくもてなすが、やすからぬ」と腹立ちたまふ。

 

第二章 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心

 [第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る]
 若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしく見えて、いみじううつくしと思したり。麗景殿に、御ことづけ聞こえたまふ。
 「譲りきこえて、今宵もえ参るまじく、悩ましく、など聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。ともすれば、御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」
 とうち笑みて、双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、
 「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにて、おのづから物に合はするけなり。なほ、掻き合はせさせたまへ」
 と責めきこえたまへば、苦しと思したるけしきながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮笛、ふつつかに馴れたる声して、この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、
 「御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮、内裏におはすなり。一枝折りて参れ。知る人ぞ知るとて、「あはれ、光る源氏、といはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にて、かやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。
 この宮たちを、世人も、いとことに思ひきこえ、げに人にめでられむとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけむ。
 おほかたにて、思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、気近き人の後れたてまつりて、生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」
 など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。
 ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。
 「いかがはせむ。昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御名残には、阿難が光放ちけむを、二度出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを、闇に惑ふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、
 「心ありて風の匂はす園の梅に
  まづ鴬の訪はずやるべき」
 と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。

 [第二段 匂宮、若君と語る]
 中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり。殿上人あまた御送りに参る中に、見つけたまひて、
 「昨日は、などいと疾くはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。
 「疾くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」
 と、幼げなるものから、馴れきこゆ。
 「内裏ならで、心やすき所にも、時々は遊べかし。若き人どもの、そこはかとなく集まる所ぞ」
 とのたまふ。この君召し放ちて語らひたまへば、人びとは、近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、
 「春宮には、暇すこし許されためりな。いとしげう思しまとはすめりしを、時取られて人悪ろかめり」
 とのたまへば、
 「まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」
 と、聞こえさしてゐたれば、
 「我をば、人げなしと思ひ離れたるとな。ことわりなり。されどやすからずこそ。古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてむやと、忍びて語らひきこえよ」
 などのたまふついでに、この花をたてまつれば、うち笑みて、
 「怨みてのちならましかば」
 とて、うちも置かず御覧ず。枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。
 「園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」
 とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありてもてはやしたまふ。

 [第三段 匂宮、宮の御方を思う]
 「今宵は宿直なめり。やがてこなたにを」
 と、召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべく香ばしくて、気近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。
 「この花の主人は、など春宮には移ろひたまはざりし」
 「知らず。心知らむ人にどこそ、聞きはべりしか」
 など語りきこゆ。「大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれ」と聞き合はせたまへ管、思ふ心は異にみぬれば、この返りこと、けざやかにものたまひやらず。
 翌朝、この君のまかづるに、なほざりなるやうにて、
 「花の香に誘はれぬべき身なりせば
  風のたよりを過ぐさましやは」
 さて、「なほ今は、翁どもにさかしらせさせで忍びやかに」と、返す返すのたまひて、この君も、東のをば、やむごとなく睦ましう思ひましたり。
 なかなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例の兄弟のさまなれど、童心地に、いと重りかにあらまほしうおはする心ばへを、「かひあるさまにて見たてまつらばや」と思ひありくに、春宮の御方の、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じこととは思ひながら、いと飽かず口惜しければ、「この宮をだに、気近くて見たてまつらばや」と思ひありくに、うれしき花のついでなり。

 [第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答]
 これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる。
 「ねたげにものたまへるかな。あまり好きたる方にすすみたまへるを、許しきこえずと聞きたまひて、右の大臣、われらが見たてまつるには、いとものまめやかに、御心をさめたまふこそをかしけれ。あだ人とせむに、足らひたまへる御さまを、しひてまめだちたまはむも、見所少なくやならまし」
 など、しりうごちて、今日も参らせたまふに、また、
 「本つ香の匂へる君が袖触れば
  花もえならぬ名をや散らさむ
 とすきずきしや。あなかしこ」
 と、まめやかに聞こえたまへり。まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、
 「花の香を匂はす宿に訪めゆかば
  色にめづとや人の咎めむ」
 など、なほ心とけずいらへたまへるを、心やましと思ひゐたまへり。
 北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、
 「若君の、一夜、宿直して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮の、いと思ほし寄りて、『兵部卿宮に近づききこえにけり。うべ、我をばすさめたり』と、けしきとり、怨じたまへりしか。ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」
 とのたまへば、
 「さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅、いと盛りに見えしを、ただならで、折りてたてまつれたりしなり。移り香は、げにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはむ女などは、さはえしめぬかな。
 源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。
 同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることぞかし」
 など、花によそへても、まづかけきこえたまふ。

 [第五段 匂宮、宮の御方に執心]
 宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、「人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり。
 世の人も、時に寄る心ありてにや、さし向ひたる御方々には、心を尽くし聞こえわび、今めかしきこと多かれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は、御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけり。
 若君を、常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、大納言の君、深く心かけきこえたまひて、「さも思ひたちてのたまふことあらば」と、けしきとり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、
 「ひき違へて、かう思ひ寄るべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること」
 と、北の方も思しのたまふ。
 はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心添ひて、思ほしやむべくもあらず。「何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせまふに」など、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色めきたまひて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざしの浅からで、いとしげうまうでありきたまふ。頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。

 【出典】
出典1 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(古今集春上-三八 紀友則)(戻)
出典2 花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)(戻)
出典3 紅に色をば変へて梅の花香ぞことごとに匂はざりける(後撰集春上-四四 凡河内躬恒)(戻)
出典4 あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰集春下-一〇三 源信明)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 右大臣殿の女御--*右大(大/+臣<朱>)の(戻)
校訂2 推し量らるる--おしは(は/+から<朱>)るゝ(戻)
校訂3 御姫君--(/+御<朱>)姫君(戻)
校訂4 残り--のこる(る/$り<朱>)(戻)
校訂5 この--(/+此<朱>)(戻)
校訂6 たるなむ--*たる(戻)
校訂7 かひありて--かひあり(り/+て)(戻)
校訂8 異に--こと(と/+に<朱>)(戻)
校訂9 せさせで--せま(ま/$さ<朱>)せて(戻)
校訂10 見えさせ--(/+見<朱>)えさせ(戻)

源氏物語の世界ヘ
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入