光る源氏の内大臣時代三十一歳春の後宮制覇の物語
第一章 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執
[第二段 源氏、朱雀院の心中を思いやる]
「院のご様子は、女性として拝見したい美しさだが、この宮のご様子も不似合いでなく、とても似つかわしいお間柄のようであるが、帝は、まだとてもご幼少でいらっしゃるようなので、このように無理にお運び申すことを、宮は人知れず不快にお思いでいらっしゃろうか」などと、立ち入ったことまで想像なさって、胸をお痛めになるが、今日になって中止するわけにもいかないので、万事しかるべきさまにお命じになって、ご信頼になっている修理の宰相に委細お世話申し上げるべくお命じになって、宮中に参内なさった。
「表立った親のようには、お考えいただかれないように」と、院にご遠慮申されて、ただご挨拶程度と、お見せになった。優れた女房たちがもともと大勢いる宮邸なので、里に引き籠もりがちであった女房たちも参集して、実にまたとなくその感じは理想的である。
「ああ、もし母御息所が生きていらしたら、どんなにかお世話の仕甲斐のあることに思って、お世話なさったことだろう」と、故人のご性質をお思い出しになるにつけ、「特別な関係を抜きにして考えれば、まことに惜しむべきお人柄であったよ。ああまではいらっしゃれないものだ。風流な面では、やはり優れて」と、何かの時々にはお思い出し申し上げなさる。
[第三段 帝と弘徽殿女御と斎宮女御]
中宮も宮中においであそばしたのであった。帝は、新しい妃が入内なさるとお耳にあそばしたので、たいそういじらしく緊張なさっていらっしゃる。お年よりはたいそうおませで大人びていらっしゃる。中宮も、
「このような立派な妃が入内なさるのだから、よくお気をつけてお会い申されませ」
と申し上げなさるのであった。
お心の中で、「年長の妃は気がおけるのではなかろうか」とお思いであったが、宮はたいそう夜が更けてからご入内なさった。実に慎み深くおっとりしていて、小柄で華奢な感じがしていらっしゃるので、たいそうおきれいな、とお思いになったのであった。
弘徽殿女御には、おなじみになっていらしたので、親しくかわいく気がねなくお思いになり、この方は、人柄も実に落ち着いて、気が置けるほどで、内大臣のご待遇も丁重で重々しいので、軽々しくはお扱いできにくく自然お思いになって、御寝の伺候などは対等になさるが、気を許した子供どうしのお遊びなどに、昼間などにお出向きになることは、あちら方に多くいらっしゃる。
権中納言は、考えるところがあってご入内おさせ申したのだが、このように宮が入内なさって、ご自分の娘と競争する形で伺候なさるのを、何かにつけて穏やかならずお思いのようである。
[第四段 源氏、朱雀院と語る]
院におかせられては、あの櫛の箱のお返事を御覧になったにつけても、お諦めにくくお思いであった。
そのころ、源氏の内大臣が参上なさったので、しみじみとお話なさった。事のついでに、斎宮が伊勢へお下りになったことを、以前にもお話し出されたのだが、再びお口に出されて、あのように恋い慕っていたお気持ちがあったのだなどとは、お打ち明けになれない。大臣も、このようなご意向を知っているふうに顔にはお出しにならず、ただ「どうお思いでいらっしゃるか」とだけが知りたくて、何かと斎宮の御事をお話に出されると、御傷心の御様子が並々ならず窺えるので、たいそう気の毒にお思いになる。
「素晴らしい器量だと、御執着していらっしゃるご容貌は、いったいどれほどの美しさなのか」と、拝見したくお思い申されるが、まったく拝見おできになれないのを悔しくお思いになる。
まことに重々しくて、仮にも子どもっぽいお振る舞いなどがあれば、自然とちらりとお見せになることもあろうが、奥ゆかしいお振る舞いがいよいよ深くなっていく一方なので、拝見するにつれて、実に理想的だとお思い申し上げた。
このように隙間もない状態で、お二方の女御が伺候していらっしゃるので、兵部卿宮は、すらすらとはご決意になれず、「帝が、御成人あそばしたら、いくらなんでもわが姫君をお見捨てあそばすことはあるまい」と、その時機をお待ちになる。お二方への御寵愛はそれぞれに優れていて、お互に競い合っていらっしゃる。
[第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備]
「とりわけ物語絵は、趣向も現れて、見所のあるものだ」
と言って、権中納言はおもしろく興趣ある場面ばかりを選んでは描かせなさる。普通の月次の絵も、目新しい趣向に詞書を書き連ねて、主上に御覧に入れなさる。
特別に興趣深く描いてあるので、主上は、またこちらで御覧あそばそうとすると、権中納言は気安くお取り出しにならず、ひどく秘密になさって、こちら前斎宮の御方へ御持参あそばそうとするのを惜しんで、お貸しなさらないので、内大臣は、それをお聞きになって、
「相変わらず、権中納言のお心の大人げなさは、変わらないな」
などとお笑いになる。
「むやみに隠して、素直に御覧に入れず、お気を揉ませ申すのは、ひどくけしからぬことです。古代の御絵が数々ございます、それを差し上げましょう」
と奏上なさって、殿にある古いのも新しいのも、幾つもの絵の入っている御厨子の数々を開けさせになさって、女君とご一緒に、「現代風なのは、これだあれだ」と、お選び揃えなさる。
「長恨歌」や「王昭君」などのような絵は、おもしろく感銘深いものだが、「縁起でないものは、このたびは差し上げまい」とお見合わせになる。
あの須磨の御日記の箱をもお取り出しになって、この機会に女君にもお見せ申し上げになったのであった。ご心境を深く知らなくて今初めて見るような人でさえ、多少情趣の分かるような人ならば、きっと涙を禁じえないほどのしみじみと感銘深いものである。まして、忘れがたく、その当時の夢のような体験をお覚ましになる時とてないお二方にとっては、当時に立ち戻ったように悲しく思い出さずにはいらっしゃれない。今までお見せにならなかった恨み言を申し上げなさるのであった。
「独り都に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる
干潟を絵に描いていたほうがよかったわ
頼りなさも、それで慰められもしましたでしょうに」
とおっしゃる。まことにもっともだと、お思いになって、
「辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた
再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます」
中宮だけにはぜひともお見せ申し上げなければならないものである。不出来でなさそうなのを一帖ずつ、何といっても浦々の景色がはっきりと描き出されているのを、お選びになる折にも、あの明石の住居のことが、まっさきに、「どうしているだろうか」とお思いやりにならない時がない。
[第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ]
このように幾つもの絵を源氏の大臣が集めていらっしゃるとお聞きになって、権中納言は、たいそう対抗意識を燃やして、軸や、表紙、紐の飾りをいっそう立派に調えなさる。
三月の十日ころなので、空もうららかで人の心ものびのびとし、ちょうどよい時期なので、宮中あたりでも節会と節会の合間なので、ただこのようなことをして、どなたもどなたもお過ごしになっていらっしゃるのを、源氏の大臣は、同じことなら、いっそう興味深く主上に御覧あそばされるようにして差し上げようとのお考えになって、たいそう特別に集めて献上させなさった。
こちら側からとあちら側からと、いろいろと多くあった。物語絵は、精巧でやさしみがまさっているようなのを、斎宮女御の梅壺の御方では、昔の物語で、有名で由緒ある絵ばかりを、弘徽殿の女御方では、現代のすばらしい新作で、興趣ある絵ばかりを選んで描かせなさったので、一見したところの華やかさでは、実にこの上なく勝っていた。
主上付きの女房なども、絵に嗜みのある人々はすべて、「これはどうの、あれはどうの」などと批評し合うのを、近頃の仕事にしているようである。
[第四段 「竹取」対「宇津保」]
中宮も参内あそばしていらっしゃる頃なので、あれやこれやお見逃しになれなくお思いのことなので、御勤行も怠りながら御覧になる。この人々が銘々に議論し合うのをお聞きあそばして、左右の組にお分けあそばす。
梅壺の御方には、平典侍、侍従内侍、少将命婦たち、弘徽殿女御の右方には、大弍典侍、中将命婦、兵衛命婦たちが、当時のすぐれた識者たちとして、思い思いに論争する弁舌の数々を、中宮は興味深くお聞きになって、最初に、物語の元祖である『竹取の翁』と『宇津保の俊蔭』を番わせて争う。
「なよ竹の代々に歳月を重ねたことは、特におもしろい節はないけれども、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った運勢は立派で、神代のことのようなので、思慮の浅い女には、きっと分らないでしょう」
と言う。
右方は、
「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。阿倍の御主人が千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」
絵は、巨勢相覧、書は、紀貫之が書いたものであった。紙屋紙に唐の綺を裏張りして、赤紫の表紙、紫檀の軸、ありふれた表装である。
「俊蔭は、激しい波風に溺れ、知らない国に流されましたが、やはり、目ざしていた目的を叶えて、遂に、外国の朝廷にもわが国にも、めったにない音楽の才能を知らせ、名を残した昔の伝えからいうと、絵の様子も、唐土と日本とを取り合わせて、興趣深いこと、やはり並ぶものがありません」と言う。
白い色紙に、青い表紙、黄色の玉の軸である。絵は、飛鳥部常則、書は、小野道風なので、現代風で興趣深そうで、目もまばゆいほどに見える。左方には、反論の言葉がない。
[第五段 「伊勢物語」対「正三位」]
次に、『伊勢物語』と『正三位』を番わせて、また結論が出ない。これも、右方は興味深く華やかで、宮中あたりをはじめとして、近頃の様子を描いたのは、興趣深く見応えがする。
平典侍は、
「『伊勢物語』の深い心を訪ねないで
単に古い物語だからといって価値まで落としめてよいものでしょうか
世間普通の色恋事のおもしろおかしく書いてあることに気押されて、業平の名を汚してよいものでしょうか」
と、反論しかねている。右方の大弍の典侍は、
「雲居の宮中に上った『正三位』の心から見ますと
『伊勢物語』の千尋の心も遥か下の方に見えます」
「兵衛の大君の心高さは、なるほど捨てがたいものですが、在五中将の名は、汚すことはできますまい」
と仰せになって、中宮は、
「ちょっと見た目には古くさく見えましょうが
昔から名高い『伊勢物語』の名を落としめることができましょうか」
このような女たちの論議で、とりとめもなく優劣を争うので、一巻の判定に数多くの言葉を尽くしても容易に決着がつかない。ただ、思慮の浅い若い女房たちは、死ぬほど興味深く思っているが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、その一部分さえ覗き見ることができないほど、たいそう内密にしていらっしゃった。
[第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ]
何日にと催し日を決めて、急なようであるが、興趣深いさまにちょっと設備をして、左右の数々の御絵を御前に差し出させなさる。女房が伺候する所に主上の御座を設けて、その北と南とにそれぞれ分かれて女房たちが座る。殿上人は後涼殿の簀子にそれぞれが心を寄せながら控えている。
左方は、紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。女童六人は、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿や心用意などが、並々でなく見える。
右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、華足の趣など、現代的である。女童は、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着ている。
女童たち皆で、帝の御前に御絵を並べ立てる。主上づきの女房は、左方が前に右方が後にと、それぞれ装束の色を分けて座っている。
主上のお召しがあって、内大臣と権中納言が参上なさる。その日は帥宮も参上なさった。たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを、帝の御下命があって御前に参上なさる。
この判者をお勤めになる。たいそう、なるほど上手に筆の限りを尽くしたいくつもの絵がある。全然判定することがおできになれない。
左方の例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい画題を選んでは筆もすらすらと描き流してある風情は、譬えようがなく優れていると見えるが、紙絵には紙幅に限りがあって、山水の豊かな趣を現し尽くせないものなので、右方のひたすら筆先の技巧や絵師の趣向の巧みさに飾られているだけで当世風の浅薄なのも、左方の昔の絵に劣らず華やかで実におもしろいと見える点では優れているので、多数の論争なども今日は両方ともに興味深いことが多かった。
朝餉の間の御障子を開けて、中宮も御覧になっていらっしゃるので、絵に深く御精通であろうと思うと、内大臣もたいそう素晴らしいとお思いになって、所々の判定の不安な折々には、時々ご意見を述べなさった様子は、理想的である。
[第三段 左方、勝利をおさめる]
勝負がつかないで夜に入った。左方はなお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心は動揺してしまった。あちら右方でも心づもりをして、最後の巻には特に優れた絵を選り残していらっしゃったのだが、このような大変な絵の名人が心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのには、譬えようがない。
帥親王をはじめまいらせて、皆感涙を止めることがおできになれない。あの当時に、「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子や、どのようなお気持ちでいらっしゃったのかなどが、まるで目の前のことのように見え、その土地の風景や、見たこともない浦々、磯を隈なく描き現していらっしゃった。
草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、正式の詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっているのは、その残りの巻が見たいくらいである。誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味は、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。万事みなこの絵日記に譲って、左方が勝ちとなった。
[第二段 光る源氏体制の夜明け]
二十日過ぎの月がさし出して、こちら側はまだ明るくないけれども、いったいに空の美しいころなので、書司のお琴をお召し出しになって、和琴を権中納言がお引き受けなさる。そうは言っても、他の人以上に上手にお弾きになる。帥親王は箏の御琴、内大臣は琴の琴を、琵琶は少将の命婦がおつとめする。殿上人の中から勝れた人を召して、拍子を仰せつけになる。たいそう興趣が深い。
夜が明けていくにつれて、花の色も人のお顔形などもほのかに見えてきて、鳥が囀るころは、快い気分がして、素晴らしい朝ぼらけである。禄などは、中宮の御方から御下賜なさる。親王は御衣をまた重ねて頂戴なさる。
[第三段 冷泉朝の盛世]
その当時のことぐさには、この絵日記の評判をなさる。
「あの浦々の巻は、中宮にお納めください」
とお申し上げさせになったので、この初めの方や、残りの巻々を御覧になりたくお思いになったが、
「いずれそのうちに、ぼつぼつと」
とお申し上げさせになる。主上におかせられても御満足に思し召していらっしゃるのを、嬉しくお思い申し上げなさる。
ちょっとしたことにつけても、このようにお引き立てになるので、権中納言は、「やはり、世間の評判も圧倒されるのではなかろうか」と、悔しくお思いのようである。しかし主上の御愛情は、初めからこちらに馴染んでいらっしゃったので、やはり、御寵愛の厚い御様子を、人知れず拝見し存じ上げていらっしゃったので、頼もしく思い、「いくら何でも」とお思になるのであった。
しかるべき節会などにつけても、「この帝のご時代から始まったと、末の世の人々が言い伝えるであろうような新例を加えよう」とお思いになり、私的なこのようなちょっとしたお遊びも、珍しい趣向をお凝らしになって、大変な盛りの御代である。
[第四段 嵯峨野に御堂を建立]
しかし内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって、主上がもう少し御成人あそばすのを拝したら、やはり出家しようと深くお思いのようである。
「昔の例を見たり聞いたりするにつけても、若くして高位高官に昇り、世に抜きん出た人で、長生きすることはできないものだったのだ。この御代では、わが身のほどは過ぎてしまった。途中で零落して悲しい思いをした代わりに、今まで生き永らえたのだ。今後の栄華は、やはり命が心配である。静かに引き籠もって、後の世のことを勤め、また一方では寿命を延ばそう」とお思いになって、山里の静かな所を手に入れて、御堂をお造らせになり、仏像や経巻のご準備をさせていらっしゃるらしいけれども、幼少のお子たちを思うようにお世話しようとお思いになるにつけても、すぐに出家するのは難しそうである。どのようにお考えなのかと、まことに分からない。