雨だれをあつめて

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あらすじ
雨の日に出会ったおばさんは、ヘンなおばさんだった。

雨だれをあつめて
雨だれをあつめて あとがき


   雨だれをあつめて

                              斎木 直樹

 たまに駅の方へ急ぎ足で通り過ぎていく、スーツを着た大人たち以外は、路地を来るものはなにもなかった。ゆうきは肩にもたせかけたかさを意味もなくくるりと回し、足ぶみをした。足下は水たまりにはなっていないが、くつ下がしめってきたような気がする。スニーカーの底に穴があいていたことをゆうきは思い出した。違うくつにしてくればよかった。なんとなく頭の中までしめっぽくなってきたような気がしてくる。
 本当は、こんな時間にこなくてもいいのだ。登校班のメンバーはゆうきを入れてたったの四人。あとの三人は兄弟で、更にそのうちの二人は双子の一年生。三人は、待ち合わせ時間となっている七時五十分よりいつも十分おくれてくる。もう五分おくれたら置いていってやろうとゆうきはいつも思うのだけれど、いっつもきっかり十分おくれで彼らはやってくる。三年生と一年生を置いて、五年生のゆうきが一人で登校するには、自分に対するそれだけの理由が必要だったが、十分のちこくでは足りない。それならそれで、最初から十分おくれでゆうきも家を出ればいいのだが、だれもいない家に一人でいても落ち着かず、つい待ち合わせの時間より五分早く来てしまう。こういうのを、「なんぎなことやな」と言うのかな、とゆうきは思った。
 雨の音に消えてしまうくらいのため息をついて、ゆうきはちらりと顔を上げた。少しはなれて立っている「みどりのおばさん」と目があってしまい、数秒にらみつけるようにして見つめていたが、きっと視線をそらした。その外した視線のしっぽに、変なものが映っていたような気がして、ゆうきは再びその人を見た。
 大人の年はよくわからなかったが、それでも、その女の人はゆうきの母親よりも年下のように見えた。かさは暗めの青色一色で、男物のように大きい。ゆうきと同じメーカーの黒いスニーカーの上には黒いジーンズと地味なチェックのシャツ、ゆるいパーマをかけた髪は茶がかっていたが、何かで染めたように明るい色ではなかった。そして、その顔には、にやりとしか表現のしようがない、いたずらの真相を知っている仲間うちのような笑みが浮かんでいて、ゆうきは目をぱちくりさせた。
 曜日替わりでやってくる「みどりのおばさん」は、だいたいうるさいものだけれど、最近来たこの人は、ほとんど声を聞いたことがない。ゆうきと同じ学年の最近転校していった子の母親に代わってきたのだが、だれの親なのかゆうきは知らなかった。たぶん、この人もその社宅の人なのだろうと思う。
 女の人は、ゆうきの反応を見ていたが、
「私ね、あいさつがきらいなの」
と言った。ゆうきはぱちぱちといそがしそうに目をしばたかせ、あせったようにさけんだ。
「わ、わたしも!」
 言った口をあ、とおさえるゆうきを、女の人はいかにも楽しげに見やる。
「あいさつってさー、意味がないのに言うのがやでさー」
「そうそう!」
 この人、大人なのにこんな言い方でしゃべってていいのかな、とゆうきが思ったとき、背後からばしゃばしゃと水の音が聞こえてきた。
「ほーら聡、晃司、ゆうきちゃんお待ちかねよ。はやくしなさい」
 はやく、と言うわりにはのんびりとした口調で、兄弟の母親が言った。黄色の長ぐつをはいているのが聡、水色の長ぐつの方が晃司、青いスニーカーが兄の範之。範之はふてくされたような顔でそっぽを向き、聡と晃司は水たまりに長ぐつをやたらと突っ込んで、きゃらきゃら笑っている。
 いつもの光景にゆうきはため息をつき、通学路にふみ出したところで、ふりむいた。兄弟の母親がしかめっつらをしながらもうれしそうなようすでいってらしゃいと小さく手を振るわきで、あのおばさんは、わざとらしくかさで顔をかくしていた。その下でまたにやにやしている顔が目に浮かび、ゆうきはゆっくりとまばたきをしてそれを追いはらった。変な人、とゆうきは思い、学校に急いだ。そろそろ予鈴が鳴り始めるころだ。
 大きな水たまりを気合を入れてとびこえようとしたところで、チャイムの音が聞こえてきた。着地に少し失敗して、少しだけ水をはねあげてしまった。
 それから、毎週会う度に、ゆうきとおばさんは少しずつ交わす言葉をふやしていった。ゆうきははじめはおよびごしだったが、変わった人なりに面白いな、と思うようになってからは、楽しそうに話すことも多くなった。昨日見た黒猫のこと、虫がジーンズのなかのふとももをさしてしまってかゆかったこと、朝に見上げる白い月が好きなこと、電話の音がきらいで鳴るとすぐにでてしまいたくなること。家や友達のことはどちらからも聞かず、ただ朝の十五分間に目に入るもの、聞こえてくる音について言葉を積み上げていった。
「だーかーら、そんなんまずいにきまってるって!」
「えー、そんなことないよー。やってみればわかるから」
 ゆうきはぶるぶる、とさむけがするような身体をおさえて想像した。ありえない。
「ゆうきちゃん、おまたせ」
「ありえないって!」
 少しの空白の後、ゆうきがふりむくと、例の三兄弟がすでにとうちゃくしていた。三兄弟の母親は、いささかひきつったような笑顔でなんと言おうか考えているようだった。
「ゆうきちゃん、いつになく元気なのね」
 元気……この言葉もゆうき「たち」のきらいな言葉の一つだった。「元気」がほめ言葉だなんて、誰が考えたんだろう、というのが二人の考えだ。ゆうきはこっそりとおばさんと目をあわせると、おばさんはやっぱり彼らの背後でにやにやとしていた。
「いってきまーす!」
 せいぜい「元気」な声をあげて、ゆうきはにげるように学校へ向かった。昨日の雨で汚れが流された空は、くもりなくみがかれたようだった。

 夏休み前の午前授業が近くなってきた頃、ゆうきがいつもより早めに家を出ると、いつもおばさんが待っていてくれるところに、同じクラスの子の母親が立っていた。昔、お誕生会に呼ばれたことがあるので、向こうも顔も知っていたようで、ゆうきが突っ立っているのを見とがめた。
「おはよう」
「……あの、いつもの人は」
 ゆうきは、まだおばさんの名前を聞いていなかったことに気付いた。おばさんもゆうきという名前は知っているが、名字は知らないだろう。
「ああ、キノシタさんは旅行にいくとかで、今日だけ交代してくれないかって頼まれたのよ」
 ゆうきははあ、とかなんとかさえない返事をしたまま、黙りこんだ。てもちぶさたなのか、ねぼけたようなゆうきの応答にきづいていないのか、代理のおばさんはまだ何かゆうきに話しかけてきているようだった。あの人は、キノシタって名字なんだ。
 キノシタという子は二クラスしかない同じ学年にはいない。そういえば、自分のクラスどころか学年すら、おばさんには話した覚えがない。こどもが同じ学校に通っていないと、みどりのおばさんの当番は回ってこないらしいが、おばさんのこどもの話も聞いたことがない。本当にお互いのことを話題にしない会話だったことに、ゆうきは今さら気づかされた。だから、あんなにも楽しかったのかもしれない。
「でも、キノシタさんも大変よねー。キョウコちゃんも登校拒否だし」
 あと二分で三兄弟が現れるはずなのに、ゆうきは学校に向かってかけ出した。呼び止める声にもふり向かず、後ろから走ってくる車にも自転車も気にせず、走った、走った。息切れがしたけれど、無理にでも走った。
 気がつくと、教室の自分の机の上にべったりと倒れかかっていた。頭が真っ白でいられる時間が終わってしまったことが残念だった。あのおばさんは、何て言った?登校拒否?なんでそれを「おばさん」じゃなくて、あのおばさんから私が聞かなくちゃいけないわけ?ふざけるな!
 その日一日、ゆうきは先生にあてられるても何も答えられず、立ちつくすばかりだった。
 次の週の「おばさん」の日も、「おばさん」は現れなかった。別の曜日の担当の人が、しばらくかけもちすることになったらしい。そのことに、少しだけほっとしているようなゆうきがいることも、ほんとうだった。あんなことを他の人から聞いてしまって、「おばさん」に会わせる顔がないようなきもちもあったのだ。
 朝の十五分間を別のおばさんとすごす気にもなれず、少しはなれたところで待つようになった。今日も雨。庭の木がははみだしていて、たまにぼとぼとっと傘にたまった雨水が落ちてくるのが、妙に楽しい。前に見たアニメでそういうシーンがあった。もののけが、雨だれの音をきいてぞわぞわーっと毛を逆立てる。もののけの気持ちがよくわかる。音だけではなく、かさを伝わってくる感触がどこか楽しいのだ。こんなつまらないことを話して喜び合える相手なんて、同級生はもちろん、母親もわかってはくれない。「おばさん」に会いたくなった。話したくなった。でも、「おばさん」は今日も現れない。

 「おばさん」とは一度も会えないまま、梅雨が明けた。もうすっかりむし暑い中受ける授業にも慣れてきた、夏休み前のことだった。
「ゆうき、って子いる?」
 小さな声だったが、その響きが耳に残るような声だった。ゆうきがぱっと教室の出入り口を見ると、上級生らしい女の子が、扉の近くの男子に話しかけているようだった。小学六年生ともなると、ほとんど大人と同じような体格のような子もいるが、彼女はそこまではいかず、まだ女の子らしいほっそりとした体つきをしていた。顔は長い髪に隠れてよく見えない。ひざ丈のジーンズの上には地味めなTシャツとこどもっぽくない色合いの七分袖の上着を着ている。
「河原のこと?かわはらー」
 少し声を裏返させて、同じクラスの男子がゆうきの名字を呼んだ。男子の顔の位置がゆうきのところに定まると、同じ位置に頭を動かしていた彼女の顔が見えた。うわ、きれい。大人みたいにきれいだけれど、化粧をしているきれいさではない。もっと、そう、自信があるような。ついものごとをはっきりさせてしまうし、あまり遠慮がないけれど、でも、それが気持ちよいような、そんな印象をゆうきは持った。きれいっていうより、かっこいい。
 ゆうきを認めると、軽く彼女は顔をしかめるような表情をしてうなずいた。ゆうきもつられてうなずいてしまった。ととと、と彼女のところへ向かうと、もう帰れる、と聞かれた。今日はそうじ当番もないのでだいじょうぶだ。無言でうなずくと、じゃあ正門の外にいるわ、とすたすたと去っていってしまう。
 見たこともない人と一緒に帰るのは、あまりゆうきの好むところではないが、興味がないというとうそになる。急いでランドセルに荷物を詰め込んで、昇降口まで駆け込んだ。本当にいるかな、と半分うたがいつつ、ゆっくりと歩いて正門に向かい、外をのぞくと、見つけた。さっきは持っていなかった、黒い合成素材のリュックを右肩に背負い、大きな紙袋を足元に置いてあらぬ方を見ている。
 声をかけようか迷っているうちに、視線に気づいたのか、彼女がゆうきに気づいた。リュックを両肩で背負いなおし、紙袋の紐を肩にかけて歩き始めた。方向はゆうきの家の方だ。あわてておいかける。
 きまずい沈黙の中、また何て話しかけようか迷っているうちに、彼女の方から口を開いた。
「あいつと仲いいんだって?」
 あいつ?って……誰?クラスの仲のよい子が浮かんでは消え、塾の先生まで浮かんだ頃にはわけがわからなくなってきた。
「あいつ……って、誰ですか」
 彼女はぱっとこっちを振り向き、あ、と苦笑いした。
「ごめんごめん。いつも言われるんだけど、私、ついなんでも省略して話しちゃうくせがあるんだ。えー……なんて言えばいいのかな。私、あの、娘なの」
 娘……ってことは、その親と私が知り合い……。
「最近会えなくなっちゃってごめんねって、代理で言っておいてって頼まれたんだけど、わかるかな」
「もしかして!」
 登校拒否の娘!と言いそうになって口ごもった。彼女はなぜかにやにやしてこちらを見ている。
「そうそう、登校拒否とかよく言われるんだけど、ジシュキューコーをよくしてるだけなんだけどねえ……。まあ小学校なんて出席しなくても卒業できればいいんだし」
「なんで学校、休んでるんですか」
 うわ、わたし言いすぎ!いくら「おばさん」の娘とはいえ。だよね。そうなんだよね?
「家事とかやってると、けっこー時間たっちゃうんだよねー。うちのあの人、仕事してるとなーんにもしないからさー」
 たまに頭がぐしゃぐしゃだったりするけどちっともきにしていないおばさんが頭に浮かぶ。ああ、そんなイメージはある。確かに。
「今回はちっとも仕事進まなくって、カンキンされてるのよ、会社のひとに」
「か、かんきん!」
 たまにニュースでやってるあれだろうか、女の人をかんきんして10年間表に出さないとか。
「あー、違う違う。仕事仕事。えー、文章書く仕事やってるんだけど、なかなかできないときがあるのね。そういうときは、ホテルとかに泊り込みさせられるの。で、できるまで家には帰ってこない。今回がまさにそれでさー、最初は一週間で終わるから、なんて言ってたんだけど、私も週に一度も会ってない」
 あ、そうそう、と彼女は携帯をしばらく操作して写真を見せてくれた。「おばさん」の写真だ。やっぱりそうなんだ。この人が、「おばさん」の娘……想像はしてなかったけど、言われてみると、いい親子かもしれない。きっと家での権力は彼女の方が持っているんだろう。うちではお母さんが尻にしいているみたいに。
「で、あなた……河原さん?に伝言を頼まれたの」
 ぴたり、と彼女が足を止めた場所は、まさしく、ゆうきの登校班の集合場所。「おばさん」とゆうきが何日も過ごした場所だった。
「もうすぐ夏休みでしょ。その頃には仕事も終わる……はずだから、うちに遊びに来て欲しいって」
 とちゅう、不安げな表情を彼女はしたが、最後には、どこか挑戦するような目つきだった。どうする?
「えっと……」
「ん?」
 次をうながす彼女の表情は、とても楽しそうだった。うれしいって意味の楽しいじゃなくって、これからどうなるか観察しているみたいな。その顔は、おばさんによく似ている。
「あなたの名前、教えてください」
 一瞬、きょとんとしていた彼女は、次の瞬間には爆笑していた。今まで、こちらが何も言わなくてもどんどん受け答えしてくれていた彼女にも、予想できなかった質問らしい。ゆうきはちょっと得意げに彼女の笑いがおさまるのを待った。
「そ、そうね。自己紹介すらしてなかったわね。私は、木ノ下紫」
「ゆかり……きれいな名前ですね」
「あなたは?」
「え?」
「あなたの名前、ちゃんと聞いてない」
 まっすぐにみつめられて、ゆうきは少しどきどきした。真面目な顔をしてじっとしていると、やっぱりすごくきれいだ。こんなきれいな子は、友達にはいない。
 それに、自分が名前を言うことによって、何かはじまるような気がした。「おばさん」との関係では、お互いのことについて、何も聞かなかったし、言わなかった。そんな必要がなかった。その必要がないことがどこか心地よかった。でも、ここで名前を言うと、その関係が終わってしまう。それが少し残念だった。
 でも。残念なことよりも、もっと、楽しいことが、嬉しいことが、始まるかもしれない。その予感にどきどきしていた。まるで、ふと隣にいるもののけに気づいたときのように。
「河原……ゆうき」
 彼女、ゆかりはふふっと笑った。「おばさん」にはそんな笑い方はできないだろう、上品で、でも冷たくはない笑い方だ。これが彼女、ゆかり。
「じゃあゆうきさん、うちにご招待したいのですが、来ていただけますか?」
 バレリーナがするようなおじぎをして、ゆかりは言った。ふせたその顔が見えなくても、面白がる気配が伝わってくる。ああどうしよう、わたし、とっても楽しい!
「喜んで伺わせていただきます。御母上にも、よろしくお伝えください」
 ゆっくりと顔をあげたゆかりと目が合い、どちらからともなく笑い出す。目が痛いほどに白い雲がぽっかりと浮かんだ七月の空に、二人の高すぎない笑い声が響き渡った。どこかの家で干していた赤いかさが、風にあおられて飛んでいくのが見えて、二人はまた笑った。
 ここから、この夏が、始まる。



雨だれを集めて postscript

 えー……お久しぶりです。ほぼ10年ぶりの新作です。こんなに間が空くと、前の読者さんなんていらっしゃらないでしょうが……まあまあ。会社に入って、すっかりこっちからは足が遠のいてしまいましたが、少し暇ができたため、10年前から持っていたアイデアをかたちにしてみました。
 何も起こらない話、とかこれから起こる予感にわくわくする、という話が私はけっこう好きです。小学生のとき、私はまあかわいくないこどもだったのですが、そういう子がわくわくするようなできごとを前にする話が好きなので書いてみました。おばさん視点では、自分のこどもではない、つまり親としての役割なしに接することのできるこどもって、楽しいのではないかと思います。そういう機会ってほぼなさそうですが……そういうこどもと仲良くできたら楽しいだろうなー、というあこがれをこめて。
 小学生視点のため、ことばはややかんたんめのことばを使うようにしています。漢字をあまり使わなくしたり。
 「もののけ」は、まあわかると思いますがアニメ映画です。一番好きな作品というわけではないですが、あんなに「こどもの期待感・わくわく感」を現したものはなかなかないのではないかと思います。おこったできごとよりも、それに対するわくわくする気持や、楽しい!という気持の方が魅力的でした。

 では、このへんで。
 あなたが、一時楽しい時を過ごされたら、そして何か心に残るものを得られたら、幸いに思います。
 感想・批評・批判等いただければ、大変嬉しく思います。


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Last modified 2007.6.24.
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