『国際建築』1930.10より |
分離派が活動していた時期に最も近い(あるいはオーバーラップする)担当作と目される。 『国際建築』には矢田茂の解説が掲載されており、そこに矢田が考えていることとして以下の4項目を記し ている。 一.浅ましく彩られ、喧噪の真中に放り込まれた都市を、上品な静寂な都に 還らせたいこと。 二.成立上(構造的に、経済的に)不必要なテーマで建築を扮装することは、 罪悪である。 三.材料と附帯科学の研究は建築を生かすに枢要な事項である。 四.日本人は日本人の建築を造ること 矢田は清水ビルディングにおいてこれらの信念を十分に表すことはできなかったとし、今後の建築への課題 としている。 清水ビルディングとは、清水栄蔵が先代米蔵邸の跡地に建てたものとある。(清水組とは無関係のようである) |
『写真集成 近代日本の建築1 清水組工事年鑑 昭和十年版』(ゆまに書房)より |
高岡電燈(後の北陸電力)の本社。戦後は高岡市庁舎、高岡市本丸会館として使用されながら伝えられた。 上記の矢田の考え方すなわち虚飾を捨てた都市建築へのひとつの回答であろうか。窓と付け柱がどこま でも連続する外観は稀有かつ壮観であったと思われる。だが惜しくも2012年に解体されてしまった。 |
『写真集成 近代日本の建築1 清水組工事年鑑 昭和十四年版』(ゆまに書房)より |
1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに備えて建てられた。 シンプルな造形が一層徹底されている。 |