分離派建築博物館-各地の建築物

東方への憧憬と望郷 -2-
〜来日したヨーロッパの建築家による建築〜
東京女子大学 旧寄宿舎(現 東寮)

場所:東京都杉並区......................................設計:アントニン・レーモンド...............建築年代:1922(大正11)年...........2007年8月東寮撤去。現存しない(撮影1992年)


旧寄宿舎(厨房付近)
アントニン・レーモンドの日本での活動は、ライトの帝国ホテルの仕事で来日しそのまま日本に留まり設
計を始めたことに端を発する。当時耐震上有望な構造とされた鉄筋コンクリート造の帝国ホテルを担当し
た実績が実業界の間で買われて日本での設計の機会を得たとされる。
その最初期の大きな仕事が東京女子大計画であり、旧寄宿舎は関東大震災が東京を襲う以前の1922年には
竣工している。

かつて大震災で瓦礫の山と化した東京に竣工直後の帝国ホテルが「天才の記念碑として」建っていたとア
メリカへ帰ったライトの元へ打電されたという有名な逸話がある。    
師ライトの帝国ホテルと同様、レーモンドが設計した東京女子大の旧寄宿舎も、依頼主からの耐震構造の
要望を誠実に果たした証しとして建ち続けていた。
しかしライトが設計した帝国ホテルは既に東京に無い。今や東京女子大の旧寄宿舎を含むレーモンドの建
築群こそが大震災をくぐり抜けた建築として今日も使われ続ける生きた証しとして、また黎明期の耐震設
計に対する努力の歴史を将来に伝える実物の記念碑として、将来に渡って存在し続けるよう切に願う。

寄宿舎鳥瞰図(「アントニンレーモンド作品集1920〜1935」より)

A.K.ライシャワーの推挙による新しい東京女子大学のキャンパス計画の仕事は1921年に行われた。
そのマスタープランでは計画は二つの大きなブロックから成るものであり、一つは厨房を中心とした寄宿
舎を主としたもの(体育館や職員住宅も含まれる)、もう一つは庭園を取り囲んで中央の図書館や他の建
物を渡り廊下でつなぐものであった。この骨格に沿って数年に渡り建物が建設されていく。

寄宿舎及び体育館完成時の全景(「建築画報」(第18巻4号)より)
最初に建築されたのはシンボルタワーの厨房から放射状に伸びるように配置された寄宿舎(現在東寮
として残り部室として使用されていた)であった。1923年の完成で関東大震災の起きる以前であ
った。
大震災の直後、レーモンド自身の記述によれば、設計した建物の耐震性を検証すべく東京女子大の完
成済の建物や建築中の建物の各現場に向かい、構造的に大きな損傷も無く無事に生き延びていること
を確認している。(*1)
*1 「90フィートスパンの講堂をもつ星商業はコンクリートもスチールも立ち上がっていたが、とにかく何の被
害も無かった。東京女子大では寄宿舎の食堂をつなぐ暖房機械と水槽など厨房の中心施設
に軽い被害があった。体育館と住宅は無傷で建っていた。」(「自伝アントニンレーモンド」より引用)

旧寄宿舎(厨房)
独立した頃のレーモンドにとってライトの作風の影響を脱するのに苦労と時間を要した。「ライト風」を何
とか脱却するべく、裏側や細部などでは愛する祖国チェコで創造された最新のデザインの「チェコ・キュビズ
ム」を取り入れた。この旧寄宿舎(現東寮)は大方チェコ・キュビズムのデザインで占められている。(その
他の建物でも部分的にチェコ・キュビズムや後期のロンドキュビズムと思える部分が散見される。)
旧寄宿舎(外壁詳細) 旧寄宿舎内部(ライト風の暖炉)
チェコ・キュビズムとは、角の部分を鋭角とするなど稜線の多いダイヤモンドカット状の外観を特徴としてお
り旧来の建築の既成概念に対抗するような外観であった。そうした1910年代を中心としたある時期にチ
ェコという限られた地域で行われた前衛的デザイン思想の反映が遥か日本で実現された歴史的事実はとりわ
け興味深い。(*2)
日本に実例として残るのはこの旧寄宿舎(現東寮)と星薬科大学に残るだけであろう。極めて稀少な建物で      
あり、もしも失われてしまったならば取り返しのつかない損失となる。
*2 ホホル,ヤナーク,ゴチャールらによる本場チェコにおけるキュビズム建築作品の多くは、
今でも大切に使用されており、一度は訪れたい名所となっている建物すらある。

現在(2008年)、以下の創立時の歴史を伝える建物が残されている。いずれも感嘆すべき工夫やデザインに
満ちている。
体育館 ライシャワー館入口
安井記念館正面 ライシャワー館裏側
相次いで建築は続き遅くとも1924年迄に教室や体育館、2軒の住宅(安井邸,外国人教師館)次いでラ
イシャワー館が建設されたとされる。
初期のレーモンドは先述した理由などから主要な立面を「ライト風」とし、別の立面で新しいデザインを試
行するといった「二面性を持つ」デザインをいくつも行っていたようである。
例えばライシャワー館では裏側に廻って見ると、デ・スティル的な幾何学構成風であり、今は無い霊南坂の
レーモンド自邸を彷彿とさせる。(東京女子大の住宅群も当初は「自邸」と同様「打ち放しコンクリート」
仕上げだったという説すらある)

                               (以上 2008.5 記述の一部を再修正)

星商業学校 (現 星薬科大学)
場所:東京都品川区.................................設計:アントニン・レーモンド..................................建築年代:1924(大正13)年.............................現存(撮影1991年)


スロープ室と裏側外観
星商業学校は正面外観こそライトの帝国ホテル風のデザインを踏襲しているが、東京女子大と同様に初期の
レーモンド自身のデザインの模索を濃厚に感じさせる貴重な建物である。
また、この建物も工事中に震災に襲われたのだが、既に建ちあがっていた構造体は全く無傷であった。      
学校名をヒントにしたのか放射状の光という統一テーマで満たされている。建物裏側へ廻ると装飾は無く、
外壁や窓の周囲など細部の鋭角的な処理によってチェコ・キュビズム風のデザインとしてまとめられており
特に多角形のスロープ室の外観は強い印象を与える。
また内観においても、スロープが(恐らく上下階移動を含めた動線処理の装置として提案されいくつも設置
されることになったのだろうが)斜行する幾何学的造形として意味付けられたものだと感じた。 
  
                                     (2006.8.20 記述更新)

内部スロープ


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久しぶりに星薬科大キャンパスを訪れた。こちらは当初の建物そのままに、内外ともきれいに塗り直さ
れていた。伝統ある建物を大学の誇りとして大切にされている様子がわかる。
建物内部のダイナミックなスロープや、建物裏側のチェコキュビスム風ファサードも美しさが際立って
いた。  
                                     (2008.4.25 記)
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